罪状認否:被告人ノット・ギルティ(前)
「それではジゴー・ジトーク子爵殺害事件の裁判を開始します」
ブタイノ帝国中央法廷。
若い裁判長クラレント氏は、居心地の悪そうな表情でそう告げた。
まあ、無理もないところだろう。
被告人の私の目から見ても異様としか言いようのない裁判だ。
「起訴事実の説明をお願いします」
クラレント裁判長の声を受け、検察席から男が歩み出る。
「担当検事弁護士のワーラー・ギルティです」
肩書きは検事弁護士で間違いない。
ここブタイノ帝国の刑事裁判では検察局に選任された弁護士が検事弁護士として検察席に立つことが多い。
一応検察局付きの専任検察官も存在するが人数が少なく重要事件でないと出てこない。
いわゆる陪審員制度はとっておらず、判決は裁判長のクラレント氏によって下される形式だ。
「ワーラー検事とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
クラレント裁判官が確認する。
ワーラー検事弁護士は三十手前、金髪に長身の美丈夫である。
通常の裁判ではファミリーネームでギルティ検事と呼ぶのが普通だが、今回は個人名で呼ばないと混乱が生じてしまう。
「はい」
ワーラー検事は冷静な表情で応じ、起訴事実の説明に入った。
「1021年12月25日。帝都郊外に居を構える都市貴族ジゴー・ジトーク子爵の遺体が子爵邸敷地内の乳製品保管庫で発見されました。捜査は中央警視庁貴族部が担当。翌26日、乳製品保管庫を管理していたジトーク子爵家の酪農メイド、ノット・ギルティを被疑者として逮捕。10日間の取り調べの後、1022年1月5日、ジゴー・ジトーク子爵殺害容疑で起訴しました。以上です」
この段階ではまだ『殺人の罪で起訴した』『被害者はこの人物』『被疑者はこの人物』という、ざっくりした説明となる。
凶器がどうした証人がどうしたという本格的な審理が行われるのはもう少し先の段階だ。
ちなみに都市貴族というのは領地を持たず都市で暮らす貴族の総称である。
宮廷で役職を持って働く宮廷貴族、法律家として働く法務貴族、魔術師や錬金術師として働く魔法貴族、錬金貴族などバリエーションがあるが、今回名前があがったジゴー・ジトーク子爵は金貸しで財を成してなりあがった事業貴族と呼ばれるタイプの都市貴族である。
成り上がったのはもう四代も前の話で、亡くなったジゴー・ジトーク子爵の代ではかなり怪しい経営状態になっていたが。
「被告人、罪状認否をお願いします」
クラレント裁判長が被告人席の私に目を向けた。
立ち上がり「否認します」と言いたいところだが、残念ながら何も言えない。
麻痺毒を盛られ、口を封じられてしまっている。
声が出ない上、筆談をする手も麻痺。
その上手錠と鎖で車椅子に固定されてしまっており、立ち上がることさえできない。
頼みとなるのは弁護士だけということになるのだが。
「弁護人のウッド・ギルティです。被告人は拘置所内で自殺を試み、後遺症で全身に麻痺が出ております。被告人の兄でもある私が代弁をさせていただきます」
二十代半ばの金髪青年弁護士が立ち上がり、そう告げた。
おわかりいただけただろうか。
検事ワーラー・ギルティ。
被告人ノット・ギルティ。
弁護人ウッド・ギルティ。
全員ギルティ姓の人間である。
ギルティ兄妹。
ブタイノ帝国の筆頭検察官である法務貴族アイム・ギルティ子爵を父に持つ四兄妹のうち三人が検察側、弁護側、被告側の三陣営に分かれて陣取っている。
クラレント裁判長からみると、自分以外全員ギルティ。
やりにくいことだろう。
「筆談なども難しいのでしょうか?」
クラレント裁判長が確認する。
「はい、指をかすかに動かすことで、かろうじて意思表示ができる程度です」
「罪状認否は可能なのですか?」
「事前に確認を取っています。被告人は起訴内容を全面的に認めます」
認めた覚えはないが、そういうことにされてしまっている。
わかってはいたが、ひどい暗黒法廷だ。
私ノット・ギルティはギルティ家の娘だが、6年前に家を出ている。
3年ほどはブタイノ東北地方で暮らしていたが、所在に気付かれ、連れ戻されそうになったところを裏をかいて帝都に戻り、事件現場であるジトーク子爵邸で酪農メイドとして働いていた。
しかし今回の事件で拘束されて身元がバレ、実兄らの手で有罪にされかけている。
我が実家ギルティ家は私を有罪にするつもりのようだ。
私が無罪になってしまうとギルティ家が法務貴族の力にものを言わせて黒を白にした、という批判を受ける危険がある。
ギルティ家主導で潔く罪を認めさせ、スピード判決に持って行くのがベストと判断したのだろう。
だが私は、ジトーク子爵を殺していない。
貴族に関わる犯罪を扱う中央警視庁貴族部の刑事の拷問に抵抗し、否認を続けたところ『こいつをこのまま法廷に出すのは不味い』という結論に至ったようで、薬を盛られ、意思表示能力を奪われる羽目になった。
弁護人として隣にいる次兄ウッドもギルティ家当主である父アイム・ギルティに弁護を命じられただけで、さっさと罪を認めさせ、手早く裁判を終わらせることしか頭にないようだ。
「異議あり」と訴えようにも口が動かない。
ボディランゲージも使えない。
車椅子の上で状況を見守る以外できることはなかった。
後方の傍聴人席には被害者ジトーク子爵の遺族であるフージン・ジトーク夫人、執事のクロイ・マーダラー氏をはじめとする傍聴人たちが居並んでいる。
被告人の意思表示が困難な状態で実兄でもある弁護人が起訴事実を認めてしまう。
そのまま認めてよいものか判断が難しかったのだろう。クラレント裁判長は「ううん」と唸るような表情を浮かべて黙考した。
しばらくの沈黙の後、
「わかりまし……」
と、言いかけた時。
声が響いた。
「裁判長、少々お待ち願います」
方向で言うと傍聴人席からの発言だ。
傍聴席の人間が裁判に口を挟む。
普通なら退廷を求められる場面だが、どうも普通の状況ではないようだ。
傍聴席に視線を向けたクラレント裁判長はぎょっとした顔になる。
検察側のワーラー検事、弁護側のウッド弁護士も息を呑むのがわかった。
私も振り向いて様子を確かめたいが、麻痺状態で車椅子に固定されているのでなにもできない。
続けて声が響く。
「公判に横から口出しをして申し訳ありません。本法廷の被告人につきまして急ぎ提案させていただきたいことがあります」
「提案、とは?」
「被告人の麻痺を治療させていただけないでしょうか。時間は、十分程度で結構です」
「十分で治療が可能なのですか?」
「はい」
肯定の声と同時に、奇妙な金属音が聞こえた。
鎧が鳴る音のようだが、何故法廷で鎧の音がするのだろうか。
「こちらにおわします、グーセイ殿下のお力があれば」
グーセイ殿下。
名前は聞いたことがあった。
半年前に帝位についた新帝モフスコ一世の六男。
モフスコ一世は継嗣を残さず死んだ先帝クラーボンの従兄弟に当たり、帝位に就く前は西の大公位にあった。
モフスコ一世の戴冠により新たに皇子となった六人の男子の末子の名前がグーセイと言ったはずだ。
傍聴席がざわめき、クラレント裁判長は「静粛に!」と声を上げた。
「グーセイ殿下直々に被疑者の手当をなさるのですか?」
「うむ」
澄んだ声が応じた。
幼いが、落ち着きと気品のある声だ。
「突然あいすまぬが、しばし時をもらいたい」
「……か、かしこまりました。それでは、十五分休廷としたいと思います。検察側、弁護側もよろしいですね?」
クラレント裁判長はぎくしゃくと言った。
検察側のワーラー、弁護側のウッド、共に顔色がおかしな具合になっているが、皇子殿下に出てこられてはどうしようもなかったようだ。
双方強張った顔で「異議ありません」と応じた。
「ありがとうございます」
最初に聞こえたものと同じ男の声が謝辞を告げた。
気配と足音が近づいて来て、車椅子の前方に回りこむ。
先に姿を見せたのは、黒髪に緋色の瞳の、冗談みたいに綺麗な子供だった。
歳は七、八歳くらい。
性別でいうと男子のはずだが、かなり中性的というか、美少女めいた顔立ちだ。
次いで金属音が追いかけてきて、おかしなものが姿を見せた。
身の丈およそ二メートル。
漆黒の全身鎧を纏い、マントを身に付けた、場違いな重装騎士。
刀剣の類はさすがに身に付けていないが、鉄兜をつけているので素顔はうかがい知れない。
怪人以外の何物でも無い佇まいだ。
鎧の重さを感じさせない優雅さで、怪人は一礼した。
「驚かせてしまい申し訳ありません。私の名はハフリ。突然恐れ入りますが、貴女の体を治療させていただきたく存じます。許可をいただけるのならばゆっくり二回、だめなら早く四回瞬きをお願いします」
補足
日本の場合起訴は検察のみが行えますがブタイノ帝国では警察の捜査責任者が起訴まで担当し、その後検察局に選任された弁護士が検事弁護士として裁判に出る、という流れになります。
重大事件の場合は検察が直接起訴し、専任の検察官が出ることもあります(ギルティ家の当主アイム・ギルティは専任の検察官)
陪審員制度はなく判決は裁判長が下します(キャラクターをあまり増やしたくないという作劇上の理由になります)