保釈:オーヒノ離宮と鎧の中身
取引不成立。
我が姉レンガは姿を消した。
独房に戻ってしばらくすると再びハフリ先生がやってきて、保釈の許可が出たと伝えてくれた。
保釈と言っても荷物も貴重品もない。
独房のベッドを整えるだけで拘置所を出ると、そのまま馬車に乗せられた。
派手ではないが頑健な作りをした中型車。
乗り心地は良好だ。
当面の間は身元引受人であるハフリ先生に身柄を預ける。
つまりハフリ先生の居宅で過ごすことになるという理解だったのだが、馬車は私の想像外のところに向かっていった。
「皇宮に?」
馬車は皇帝の住まいであるコーテイノ宮殿の門を通過した。
「グーセイ殿下の家庭教師を兼任している関係で、東のオーヒノ離宮に居室をいただいておりまして。貴女の住まいもそちらに用意を」
さすがに皇帝陛下の住まう宮殿の中心部に入るわけではないようだが、それでも皇宮の敷地内であることはかわらない。
刑事事件の被告人の身柄を置いて良いのだろうか。
そんな心配をしつつ馬車の外の様子を眺めていると、馬車は少し開けた場所に出た。
牛や馬などが草を食む牧場のような風景の中、小さいが瀟洒な館がぽつんと建っていた。
「あちらがオーヒノ離宮です」
建物の前で馬車が停まると、燕尾服を纏った鋭い目の男が出迎えに現れた。
二十代後半くらいだろうか、黒髪に黒い瞳の東洋人だ。
「お帰りなさいませ、ハフリ先生」
「ただいま戻りました。ご紹介します。こちらは宮廷執事官のイアイ・ギリー殿。イアイ殿、こちらがノット・ギルティ嬢です」
「イアイ・ギリーと申します。どうぞお見知りおきを」
ギリー執事官は自身の胸に手を当てると、かっちりした所作で一礼をした。
たたずまいに凄みがある。
執事官ということだが、護衛官も兼ねているのかも知れない。
「ノット・ギルティと申します。どうかよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします。どうぞこちらへ」
ギリー執事官の先導で離宮に入る。
そこまで大きな建物ではないが作りはしっかりしていて、手入れが行き届いている。
気になるのは人の気配がないことだ。
ちょっとした貴族の居館くらいのサイズとはいえ、メイドや従僕のひとりふたりいてもおかしくなさそうなものだが、ハフリ先生とギリー執事官以外の人の気配が感じられない。
「この離宮では何人くらいが働いているのですか?」
「基本的には私が一人で維持しております」
「イアイ様お一人で全てを?」
「はい、庭の整備や大規模な清掃などでは人手や職人を頼みますが、常駐をしているのは私ひとりです」
「元々使われていなかった建物に私が住みついただけですので。実際に使わなければならない部屋は少ないのですよ」
ハフリ先生がそう補足した。
私が案内されたのは二階建ての離宮の一階にある客室だった。
「立派なお部屋ですね」
上位貴族や海外の賓客を迎えるための部屋のようだ。
「メイド部屋程度でじゅうぶんかと思うのですが」
「グーセイ殿下よりメイドではなく貴族令嬢として扱うよう仰せつかっております」
「そうですか」
今更令嬢などと言われてもピンとこないし落ち着かないが、グーセイ皇子の指図となると下手に遠慮もできない。
「御言葉に甘えさせていただきます」
当面の滞在先は決まったが、置いておく荷物もないし、部屋ですることも特にない。
早速ハフリ先生の書斎へ移動し、今後の相談をすることにした。
離宮とは言え、正規の侍女でもない人間がメイド服でうろうろするのはまずいということで法務助手用のローブを羽織らせてもらった。
令嬢風のワンピースなどもあったのだが、ピンとこないのでメイド服にローブを羽織る恰好だ。
鎧姿のままマントを外し、書斎のデスクについたハフリ先生は、ふぅと息をつき、自身の鉄仮面に手を掛けた。
いよいよ鉄仮面を外す時が来たようだ。
どんな素顔をしているのか。
息を呑んだ私の前に現れたもの。
それは、白くもふもふした毛皮に覆われ、長い尻尾を持つ体長五〇センチほどの小動物だった。
イタチやオコジョに似ているが、少し違う。
カーバンクルと呼ばれる幻獣だった。
目を丸くした私の反応に気付いたカーバンクルは、ハフリ先生と同じ声で「驚かせてしまいましたね」と言った。
「これが法務騎士ハフリの正体です」
「カーバンクル、なのですか?」
「はい、以前はイダイナ神王国で法騎士団長をしておりました」
イダイナ神王国。
ここブタイノ帝国を含めた旧イダイナ七国の前身にあたる超大国。
200年前に分裂し、今は地上に存在しないが、今日より発展した技術や文化を持っており、旧イダイナ七国で利用されている法典類は、ほとんどが神王国で用いられていた法典を基礎として、それぞれの国の事情や都合に合わせて調整したものとなっている。
神王国の法騎士団長というのは神王直属の法務家のナンバーワン。
神王国時代における世界最高の法務家ということになる。
「イダイナ分裂後は隠棲していたのですが、ちょっとしたご縁がありましてモフスコ一世陛下とグーセイ殿下にお仕えすることになったのです」
カーバンクルの寿命は長い。
200年前の神王国解体から現在に至るまでの時間を普通に生きていたのだろう。
「その鎧は?」
「魔力で動く操り人形のようなものです。私の大きさですと人間の街で働くには色々と不都合が多いもので」
カーバンクルの姿のまま動くより鎧の怪人として動いたほうがやりやすいということだろう。
人族国家のブタイノ帝国でカーバンクルをそのまま皇室顧問法務騎士にしてしまうのは抵抗が大きいというのもありそうだ。
「私の正体については、一応秘密ということでお願いします」
首なし騎士のような姿になった鎧の指を動かし、ハフリ先生は『内緒』の仕草をして見せた。
ほどなくして。私が来たと報告を受けたグーセイ殿下が顔を見せた。
ハフリ先生の正体は最初から知っていたようだ。
カーバンクルのハフリ先生の姿に驚いたような様子はなかった。
「よく参った。体の具合はどうじゃ?」
ひざまずいた私にぱたぱたと近づいたグーセイ殿下は、邪気のない調子でそう声をかけてきた。
「はい、おかげさまをもちまして」
完全に回復している。
常識外という他ない聖力だ。
「何よりじゃ。おまえの身柄はこの離宮にて預かるゆえ、安心して過ごすが良い。相談事があればハフリ先生かイアイか儂に申せ」
直接グーセイ殿下に相談事をしても良いようだ。
さすがに実行する度胸はないが。
「身に余る光栄にございます」
「うむ」
機嫌良くうなずいたグーセイ殿下は「して」と続けた。
「状況はどうなっておる?」
「検事弁護士が交代するようです。ギルティ家の長男ワーラー・ギルティから、長女レンガ・ギルティへ」
ハフリ先生が応じた。
「本日証言台に立っていた捜査責任者のセメルドー・ジショーエス警部は拷問と傷害の容疑で中央警視庁監察局に身柄を拘束されました。ワーラー・ギルティ、ウッド・ギルティ共々、今後の公判に出てくることはないでしょう」
検事弁護士のワーラー、被告側弁護士のウッドの二人はまだ逮捕などはされていないが、検察局、弁護士会から査問を受ける見込みらしい。
「また、レンガ検事より司法取引の申し出がありました。いまから罪を認めれば、死刑を求刑するところを終身奴隷刑に減刑する、との内容です」
「強気じゃな、あの状況から勝ちをもぎ取る自信があるということか」
「先の公判で言及のあった『決定的な証人』に相当の自信を持っているようです」
「然様か。して、どうする?」
グーセイ殿下は私に目を向ける。
「取引を受けるつもりはございません。犯してもいない罪を認めて私を支援してくださったグーセイ殿下やハフリ先生の御名を傷つけるわけには参りません」
「よく申した」
グーセイ殿下は大きくうなずいた。
「必ずや、身の潔白を証明するが良い」