21 小説
王都で婦人とお話をしてから数日後、レイは廊下でバッタリ出会ったフリードリヒ宰相を呼び止め、近くの談話室で少しだけ時間をもらった。
談話室で向かい合わせに腰を下ろすと、レイが話し出した。
「フリードリヒ様。実は私、これから小説を書こうと思っているのです」
フリードリヒ宰相は眉を上げた。
「それはまた素敵ですね。小説はどのようなお話なのですか?」
レイは妖精のような顔で微笑んだ。
「既婚女性が浮気をするお話です」
「なるほど」
フリードリヒ宰相がプルプルと震え出した。
「私、こちらに来てすぐに会話も出来ましたし、文字も問題なく読めたんです。でも、さすがに小説を書くとなると翻訳が必要でしょう?」
レイが困った顔をした。
「他国の異世界人の方々は、例えばお手紙などこちらの文字を書かれる時はどうされているのですか?」
マリーはメモをとる時に、アユミは日記を書く時にそれぞれ文字を書くと言っていたのだが、二人とも日本語で書いていた。
こちらの世界は割と狭いので、話し方が古臭いなどの違いはあれど、どこの王国も同じ言語だった。
喋れて読めるし、わざわざこちらの文字を書く必要性を感じないのだそうだ。
それを聞いたレイも
小さな子供じゃあるまいし
また一から新しく文字を覚えるのは面倒だわ
と考えていた。
しかし、フリードリヒ宰相は首を振った。
「それでしたら心配ご無用ですね。レイ様はこちらの文字を書くこともできますよ」
レイの表情が一気に明るくなった。
「書くことも?それはどうすればよいのですか?」
「いえ、特に何かをされる必要はございません。強いて言うなら翻訳の意識を持たれることでしょうか」
「翻訳の意識?」
「はい。異世界人の皆様におかれましては、翻訳するという意思を持って書いた文字は、すぐに自動的に変換されますので」
「え?自動的に?そんなことあったかしら」
レイが、よくわからないという顔をした。
「はい。意識されなくとも、気づいた時には変換されますよ。実際にお書きくださればおわかりになるかと。私も隣国から来られた異世界人の方がお書きになられた文字が変化するところをこの目で見たことがあります。慣れないうちは文字を書かれた後にご自分の手を握ったり開いたりされるらしいですよ。どうやら最初のうちは少し気持ちが悪いようでして」
「そうなんですね」
レイはバッグからメモとペンを取り出して、試しに言われた通りに翻訳を意識しながら書いてみた。
すると、文字は書いた一瞬だけ日本語だったのだが、そのあと直ぐにミミズのような動きでこちらの文字に変換されると、やがてそれも日本語の感覚で読めるようになっていった。
「本当だわ!気持ち悪い!」
レイはペンを放り投げて素早く手を擦り合わせ、最後にお祈りの手をした。
フリードリヒ宰相はそれを見てクスリと笑った。
「そのお方は直ぐに慣れるとおっしゃられておりましたが」
「そう、それは……よかった、です……」
レイは
私だけはこのミミズ文字に慣れるまで
人よりお時間がかかりそうだわ
と眉間に皺を寄せて不安に思い、その心を読んだフリードリヒ宰相を
文字の変化を土の中の虫に例えるなど
可愛らしいお方だ
と密かにホッコリさせていたのだった。
ミミズ文字を見ずに必死に次の文字を書いていくことによって何とか「虫に見えちゃう問題」を克服したレイがお部屋でせっせと小説を書き記していると、ルカが鍛錬場から汗だく状態で戻ってきた。
「ただいま」
「うん、お疲れ様」
レイは一瞬だけ顔を上げ、また下を向いた。
ルカがお風呂場に消えドアの閉まる音が聞こえると、レイは再び集中した。
そのうちお風呂場から出てきたルカがタオルで髪を拭きながら聞いてきた。
「あれ?まだ書いてんのか。何だそれ」
ルカが覗き込んできたので、レイは手を止めて顔を上げた。
「暇だから世のご婦人のための小説を書いてるの」
それを聞いたルカが眉を上げた。
「俺らこっちの字も書けたっけ。で、何の小説?」
「ん?浮気のお話」
ルカは嫌な予感がした。
「まさか俺は出てこねぇよな?」
レイは首を振った。
「ううん、これは女性が浮気をするお話だから」
ルカはギョッとして途端に慌て出した。
「なに!?レイ、まさかお前、あの色白のヒョロヒョロとそーゆー願望があるんじゃねーだろうな?」
レイは、ルカの髪の毛からポタポタと雫が落ちるのを見て紙を引っ込めると、しかめっ面になった。
「あら、何故ここで神官長様が出てくるのかしら」
「俺は別に神官長とは言ってねーけど?」
ルカがジト目になった。
「まぁいいじゃない」
「よくねぇだろ」
ルカが不貞腐れた。
「とにかくそんなんじゃないのよ、ただリベンジしてやりたいだけなんだから」
レイはカフェで知り合った婦人の憎たらしい旦那を思い浮かべて言っただけだったのだが、ルカはリベンジと聞いて自分の軽チュー事件を思い出し、青くなった。
そしてレイの横にしゃがみ込むと自分の方へ向かせ、そっと肩を掴み優しく前後に揺らしだした。
「いいか?こっちの世界ではな、軽チューでも浮気にはいるんだぞ。禁止なんだからな?わかってるよな?」
そしてレイが苦笑しながら「もうわかったから。大体そんな願望なんて無いし、大丈夫よ」と返事をするまで子供に言い聞かせるように何度も繰り返し注意した。
ルカは自分のことを高めの棚に上げるヤツだった。
それから数週間経ち、小説が完成したレイはホクホク顔で、これで婦人に手渡せるわ、と上機嫌だった。
そこへ久しぶりにアルフレッド王子がレイを訪ねてきた。
「レイ、久しぶりですね。お元気でしたか?」
「私はレイに会えなくて淋しい思いをしましたよ」とルカが鍛錬でいないことをいいことに、そっと手を握ってきて眉尻を下げた。
「本当にお久しぶりですね、アルフレッド様」
「お元気そうで安心しました」レイは突然訪ねてきて超馴れ馴れしい王子に嫌な顔一つせず、有難いお言葉は適当にスルーしつつ、ソファーを勧めた。
すぐに、王子お茶、との連絡を受けたベテラン侍女がお茶とお菓子を運んできてくれた。
王子は美しい所作でレイの向かいに座ると、侍女に礼を言ってから早速切り出した。
「フリードリヒからレイが小説を書いていると聞きましたが。完成されましたか?」
「え……しましたけど……」
レイは驚いた。
完成したのはつい昨夜だったのだ。
勘がいいのか天井裏に誰か潜んでいるのか、レイが険しい顔で顎に手をやり悩んでいると、アルフレッド王子が微笑んだ。
「天井裏には誰もいませんよ」
レイはもっと驚いた。
「アルフレッド様も闇なんですか?風では」
レイが混乱しているとアルフレッド王子が笑った。
「王族は二つの属性をもっているのです。ちなみに私は闇ではなくて、風と水ですよ。単にレイが顔に出やすいというか、可愛らしい方なだけですよ」
王子はウインクした。
「二つも!?ズルいわ!王族の方々は何故恵まれていらっしゃるの!せめて私も何かもう一つあればよかったのに!!」
レイが膨れていると王子が本題に入った。
「これはこれで色々と苦労するのですよ。人の倍頑張らなくてはなりませんから。それはそうと、よければ私に小説を読ませてはくれませんか?」
レイは目をパチクリさせた。
「あの、アルフレッド様がお読みになられるんですか?恐らく男性の方がお読みになられても、ストレスが溜まるばかりで面白くありませんよ?」
レイが言うと王子は首を振った。
「女性の浮気がメインなお話だと聞きましたので、確かに男性には辛いですよね。実はどこから聞いたのか側妃達が読みたがっておりまして」
「困った人達です」アルフレッド王子は楽しそうに笑った。
レイは肩をすくめた。
「まぁ、アルフレッド様も毎日が浮気天国でしょうから、ご気分を害されようともそれは全く構わないのですが、最初に私の知り合いのご婦人にお渡しする予定なんです。その後でしたら問題ございませんよ」
王子は一瞬笑顔で沈黙したがすぐに尋ねた。
「そのご婦人とは今日お会いに?」
「いいえ。今日連絡しましたので、明日になるか明後日になるか、まだわかりません。王都でお茶をしながらお渡しする予定なので、ご婦人次第で決まると思います」
それを聞くと王子は頷いた。
「そうですか。それでは今、読んでも大丈夫ですね?」
レイは面食らった。
「今ですか?別にいいですけど……上巻と下巻がありますから時間がかかりますよ?」
「ふふふ。そんなにかかりませんので。この場で少しだけお借りしても?」
「?ええ、構いません。では、お茶のお代わりを……」
「大丈夫ですよ、私が無理を言ったことですから」
王子はそういうとレイから受け取った小説を速読バリな物凄い速さで読み始め、あっという間に上巻を読み終え、下巻にも手を伸ばした。
レイは、ちゃんと読んでるの?飛ばしてない?失礼しちゃうわ、と思っていたが、後で質問しても王子は小説の内容を完全に理解していた。
実はエル神官長と同じ血筋なので、アルフレッド王子も優れた頭脳の持ち主だったのだが、レイは全く知らなかった。
そして下巻まで読み終わった王子が苦笑いをしながら丁寧に本を置いた。
「これは少々、彼女達には刺激が強すぎるようです
ね……」
「特に正体不明の騎士がちょっと……」とアルフレッド王子は思案顔になった。
「浮気が心配ですか?」
「いや、そう言う訳ではないのですが」
「それなら別に良いではないですか。そもそも、アルフレッド様には後宮があるのですから、側妃様達もお子様ができないように浮気をされても別に良くないですか?」
紅茶のカップを持つ王子の時が止まった。
「こちらには女性の身体に負担のかからない避妊薬があるんですよね。精霊様の森に生息する植物から摂れる成分で、安全だとか。日本にもその手のお薬はあることはあるんですけど、お身体に良くないので……」
レイは感心したように何度も頷いた。
「その点こちらのお薬は色々と凄いですよね。致す直前に男女で服用するだけですもの。平民でも買えるほどお値段もお安いですし、便利でお手軽だわ。こちらの世界のものを日本へ持っていけないことが残念です」
それまで気配を消していたアルフレッド王子の護衛騎士は真顔で固まり、王子は冷や汗をかいていた。
レイが側妃でなくてよかったですね
もしそうだったら私は嫉妬に狂って
波乱の人生を送る事になったでしょう
そして後でレイから言われた事をフリードリヒ宰相に話すと、彼は暫く震えが止まらなくなってしまったという。




