01【会合】
秋の空は高いと言うけれど。
地上から見上げる空は季節を問わず常に宇宙であり、際限など端からなく、従って高いも低いも無い。
季節によって高さが変わるわけもない。
そう分かってはいるものの、こうして見上げていると確かにー…高いような気がしてくるから不思議だ。
空が高いって、なんだ?
阿釜弐朗は口いっぱいに握り飯を頬張りながら、そんなことを思う。
一体どの季節と比較して「高い」と感じるのか。
それはやはり、迫ってくるような入道雲や、低い位置で湧き出す雨雲で「低さ」や「近さ」を感じる夏と比較して、だろう。
「秋の空って、こう、なんで高く感じるんだろな?」
口の中のものを飲み込んで箸先を彷徨わせつつ話題を振れば、左隣からは面倒臭そうな浅い溜息が、右隣からは首を傾ける仕草だけが返ってくる。
弐朗が「お返事は?」と促すように顔を向けたところで、両側に座る後輩と幼馴染からは返事も合いの手もない。
幼馴染は単に弐朗の発言の意図が汲み取れていない可能性が高いが、溜息を吐いた後輩は端から答える気がないのであろう、不機嫌面でインゲンの肉巻きを貪り続けている。
「高く、か。実際には高さは変わらないが、さて、弐朗クンは何を以って空の高さを計る?」
弐朗の独り言で終わるかと思われたそれに返してきたのは、向かい合って座る先輩。
弐朗は反射的に「え、ものさし?」と答えはするものの、どう考えても無理がある、と慌てて言葉を足す。
「じょ、冗談ッスよ、冗談!! ものさしで計れないことぐらいわかってますから! あれですよね、なんか、……あれでしょ、あの。建物の高さと比較したり……? 計算、したり……? あ、でも《《持てる》》ものか、じゃあなんかこう、測量機みたい、な……?」
隣に座る後輩の目が細くなるのを見て、弐朗は自分が何か間違ったことを言っているらしいことに気付きはするのだが、何が違うのかまではわからない。
「いや、俺も思ってたんスよ。空高いとか言うけど、宇宙じゃん、高さ変わんないじゃん、て! でも夏と比べるとやっぱ秋のが空高い気がするじゃないスか。高い? 遠い? ふ、深い?? だから、なんでなんだろなぁ、と」
弐朗の言葉に、その場に居る全員が揃って顔を上向ける。
秋晴れの空には雲ひとつない青が緩やかな濃淡をつけ、のっぺりと広がっている。
公立銀南高校本校舎、屋上。
その一角で、錦鯉の描かれたレジャーシートを広げ重箱を囲んでいる四人組。
時間は昼休み。
屋上には弐朗達の他にも何組か昼食をとるグループが居るが、シートや重箱を持ち込んでいるのは弐朗達だけであれば、良くも悪くも目立って仕方がない。
絢爛豪華な錦鯉のシートも、黒地に金の蒔絵が仰々しい重箱も、弐朗の正面に座る女子生徒、真轟ヨズミの私物である。
シートは、ヨズミが在籍する三年A組の教室に立て置かれたものを弐朗が運んだ。四段ある重箱は、端塚虎之助が高校の裏口に届けに来た真轟の黒服から受け取り、屋上まで持ってきた。弐朗にとっては幼馴染であり、お隣さんであり、クラスメイトでもある紅葉刀子は、弐朗と虎之助がスペースを確保した後になって、ヨズミと二人で二リットルペットボトルのお茶を一本ずつ持って閑談しながら屋上にやってきた。
四人は週に一度はこうやって集まり、レジャーシートを広げて重箱を囲む。
この昼食会は、雨天の場合は場所が屋上から茶道部の茶室や弐朗と刀子の教室になることもあるが、虎之助が入学した春からこの秋まで、途切れることなく続いている。集合の号令は最年長のヨズミが掛ける。前日までに召集が掛かることもあれば、当日、既に弁当を持参していようがお構いなしにお呼びが掛かることもある。ヨズミが集まれと言えば、他の三人に選択権はない。
「天高く馬肥ゆる秋。この季節の空が高く感じられるのは、空気が澄んで空がいっそう青く見えるからだという。つまり色の深さで高さを感じる、というわけだ。暑くもなく寒くもなく、実に過ごしやすいいい季節じゃないか。スポーツの秋、食欲の秋、芸術の秋。秋晴れの中、皆で一丸となってひとつのことを成し遂げる。何かこう、大きなことを始めたくなるねえ! そうは思わないかい?」
空を見上げたまま朗々と謳うようにヨズミが言う。
その言葉に虎之助は視線を手元に落として苦々しい顔をし、弐朗と刀子は並んで空を見上げたまま、秋晴れだねえ、確かに天気いーよな、じろくんはスポーツの秋だね、とーこは芸術だな、じゃあとらくんが食欲だ、ですな、と、縁側で茶を啜る老夫婦のような会話を続けるばかり。
虎之助がヨズミへ顔を向ければ、そこにはにんまりとした笑顔。虎之助は忌々しげに眉間の皺を深くすると「こういう役回り本当に迷惑なんでけど」と悪態を吐いた。
ヨズミに「どういう役回りかな?」と逆に聞き返され、虎之助は重い口を開く。
「合いの手入れて円滑に話が進むように補助する役回り、です。勿体ぶらずに本題に入ればいいじゃないですか。そこの先輩二人が追い付くの待ってると昼休み終わりますよ」
弐朗は驚いた。
虎之助のヨズミに対する面倒くさげな物言いもさることながら、その言葉の内容に驚いた。
「え、トラ、お前そんな器用なことできんの? エンカツに会話進めたりとかできんの? お前が? どっちかっつーと話の腰折る担当じゃねーのおま、ッ!!」
しかし弐朗の驚きはその全てを言葉にする前に、虎之助に顔面を掴まれ力を込められることで遮られてしまう。顔面を梅干しのようにしながら「いたいんですが」と訴える弐朗の隣りでは、刀子が「とーこカウントとろっか? レフェリーやろっか?」と間延びした声で感心している。
「私は別に役回りとして振った覚えはないよ。だが、キミが自主的に「自分がやらねば誰がやる」と感じているのだとしたら喜ばしい限りだ。是非そういった方面でも活躍して欲しいな」
「別にそういうんじゃないです。話が進まないのが嫌なだけです。阿釜先輩もくれ先輩もすぐ脱線させるんで、余計なことされる前にさっさと用件済ませて欲しいだけです」
「雑談は嫌いかい?」
「ええ。無駄だと思ってます」
「無駄なものか。コミュニケーションをとるのも大事なことだよ。特にキミと弐朗クンは前線で組むことも多い。連携を疎かにするのはよくないな」
「その説教が今日の本題なんだとしたら、食うもの食ったんで教室帰りますよ」
と、このやりとりの間、ずっと顔を掴まれ顔面の骨を軋ませている弐朗からしてみれば、もっと言ってやって下さいヨズミ先輩、そしてトラはそろそろ手を離して、といったところである。しかし口に出して言うとこのまま屋上のコンクリに叩き付けられるので、言わない。
刀子が錦鯉のレジャーシートを叩いてゼロをカウントして漸く、虎之助は弐朗の顔から手を離し、弐朗が手の平で顔を覆う様を鼻白んだ様子で見下ろしながら言ってのけるのだ。
「言っておきますけど、俺、別に話の腰折ろうとか思ってませんから。遮られてると感じるなら、それは阿釜先輩の話が無駄だと判断してるだけです。日和った偽善者発言、虫唾が走るんで」
「ぉ、ォワァ……! お前そういうことばっか言ってっとマジで友達なくすぞ? 俺は器のでっかい男だから許してやれるけどさぁ! あと、それ、ギゼンシャ! よくそれ言うけど、別に俺ギゼンシャじゃねェーし!」
「ヨズミ先輩。いいから話進めてください」
「えぇ? 折角面白いディスカッションが始まりそうなのに、いいのかい?」
「やめてください」
椅子クッションってなあに? 椅子に置くクッション!? と弐朗が首を傾げる横で、刀子もまた同じように首を傾げ「ですぱっしょん?」と言葉を復唱する。
そんな二年生二人を他所に、ヨズミはやれやれしょうがないとばかりに一口お茶を飲むと、三人の後輩を見渡すようにしながら話し始めた。
「先日の仕事の件だが、あれから色々わかったことがある」
弐朗はヨズミのその言葉を聞き、先日、正確には二日前の仕事のことを思い返した。