幼馴染+お節介+耳かき=?
異世界よりも、耳かきが好きです。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。そう考えてみても、自分の今置かれている状況のせいで、考えることがあまりできなかった。
「……もう、あまりもぞもぞ動かれるとくすぐったいじゃない」
注意するかのように、目の前の女性、河野真希が声を出す。それと同時にぺしん、と何かが自分のこめかみに触れた。触れた感触は、小さなもの。先端が丸まった何かが、自分をひっかく。形から見て、耳かきの匙だろう。恐らく竹でできたソレが、優しく触れる。
「動かれると耳かきできないじゃない。そんなに私の耳かきが嫌なの?」
そういうわけじゃない、そう声を出したくなった。しかし、そう声を出すことすら、今の僕にはできなかった。
なぜ僕は真希の膝に頭を乗せないといけないのか。いわゆる膝枕の格好だが、ただでさえ女子と絡んでいない僕にとっては、その行為自体が何かいけないことをしているかのようで、心が乱れてしまうのだった。
「我慢我慢。それに、いけないのは君の方だからね。そんなに耳に汚れをため込んでいた君が一番悪いんだから」
真希の言葉を聞きながら、僕はなんでこうなったのか、思い出すことになった。
「お邪魔しまーす、って、今は君一人しかいないか。それなら言わなくてよかったのかも」
ある日の休日のことである。唐突に女性が僕の部屋に入ってきた。長い黒髪が風にふわりと舞っているのがよく見える。雰囲気自体は昔ながらの大和撫子のようだが、セリフからもTシャツにジーパンというラフな格好からも、その大和撫子という雰囲気からは完全に程遠い。
彼女、河野真希は幼馴染。今は僕と同じ大学で同じゼミ生だ。性格は活発、誰とでも打ち解けられるような、そんな社交的な人間である。社交的すぎて、お節介が過ぎるのも玉に瑕であるが。
そしてそんな彼女と、全然冴えない普通の大学生である僕は一年ほど前から付き合っているのだった。付き合って分かったことは、いくつかある。例えば、自分が好意を抱いている人間にはとことん入り込んでいく性格であること。真希と付き合いだしてから、僕の部屋に彼女が押し掛けるか、逆に僕が彼女の部屋へと誘われるか、そういった経験は数えてもきりがない。
そしてもうひとつわかったことは、彼女のお節介癖は彼氏に向けられるそれとそれ以外に向けられるそれとは、遥かに性質が違うことだった。
この日も、真希は押しかけてすぐに台所へと向かい、わざわざ僕の許可を取りつつも、勝手に持ってきたレジ袋からいろいろ取り出して、料理を作って持ってきたのだった。今日の料理は、スパゲッティナポリタンと生野菜のサラダ。丁寧に自家製らしいドレッシングまで添えてきた。一口パスタを食べれば、トマトの甘みがパスタに絡んでとてもおいしいのが案外困る。サラダだって、和えられた自家製ドレッシングの酸味が口の中に広がって、いくらでも食べてしまいそうだ。ちょっと口腔内に感じられるそれは、柑橘系のさわやかさだろうか。
ちょうどお腹がすいていたので、ボクはすぐにぺろりと食べ終えてしまった。
「おそらくお腹すいてるだろうなー、って思ったからさ、少し準備して出かけたんだ。そしたらー。いっつもいっつも! ドンピシャ中のドンピシャ、いやー、心の底から良かったって思えるよ!」
とは、何故いつも食べ物を用意するのか、といった質問に対する真希の回答である。正直、監視されていそうでだいぶ怖いのだが、目をつぶることにした。何が何であれ、真希に助けられているのも事実なのだから。
さて食べ終わった後、いつもは大学のゼミ発表の準備をしたり、それがなければだべったりゲームをしたりして日常を過ごしたりするのだが、今回は勝手が違った。
それは、真希が僕の耳を偶然にも見た時であった。
「ちょっと待って、それ、よく見せて!」
唐突に真希が僕に叫ぶ。どういうことかな、と僕が首をかしげると、真希は自分の肩を抱いて、告げた。あまりにも真剣そうな表情で。
「ねえ……。耳かなり汚れてる……。さては掃除してないな?」
その問いかけに、僕は思わずうなずいてしまう。
正直に白状してしまうと、耳掃除という行為は僕自身していない。昔子供の頃に親にはやってもらっていたが、一人暮らしの現在では完全に手段が途切れてしまった。
理由はただ一つ。怖いから。
子供の頃、親にやってもらった時にちらと見えた白木の匙。細長くて、くるんとしててでもエッジがあって。鼓膜も破けてしまいそうな、そんな匙。自分であの匙を耳に入れてひっかくという行為が、僕にとっては恐怖の対象にしかならないのだ。それが自分の耳を傷つけるというと想像しただけで、寒気がしてしまう。そもそもの話、僕自身、耳を気にしなくても生活ができていたというのも相まって……。耳かきという行為は既に忘れ去られた古代の遺物のように、遠い存在となっていたのだ。
だが……自分の掃除されていない耳。それが真希にとっては許せないものだったようで、彼女の赤々と燃えるお節介魂に触れたらしい。ゴゴゴと燃え上がったような様子を見せながら、膝をついて言い放つ。
「私の彼氏の耳がこんな状態だったなんて……、知らずにいたのが恥ずかしすぎるっ」
そんな真希だったが、すぐに彼女は目線を僕の方へと向けた。膝をついている四つん這い、いわゆるORZな状態だったので、僕が真希を見下ろす形となる。
「こんなの見たらもう耐えられない! 耳かきするから、こっちきてっ!」
そうはっきり叫んだ。手にはなぜかもうすでに、竹でできた耳かきの匙が握られている。どれだけ準備がいいんだ、こいつ。
もちろん、ここで断っても引くような相手でないことは、僕自身何度も経験してわかっている。押し問答が続いて、僕が折れるだけだれるだけだ。だから僕は、すぐに真希の目の前に座り、耳孔を見せる。それが一番耳を見せやすい体勢だと、耳鼻科の人が言っていたからだ。
しかし、真希は不機嫌そうに頬を膨らませた。そして、
「ちーがーうーっ! 耳かきといったらこう、だよ!」
そういうや否や、僕を背後から引き倒して、膝へとうずめさせてしまうのだった。
以上が、僕がなぜか彼女の膝の上に頭を乗せながら耳かきをすることになったという顛末である。
真希の膝は柔らかいというか、柔らかさの中にもハリがあるというか。そんな感じがする。いや、どうして彼女の膝について考察しているんだ、僕。
「ほら、もうこんなに汚れが取れた。耳垢ってのはあんまり馬鹿にできないんだよ? 最悪、栓をして耳が聞こえなくなるかも……そうなったら困るよ」
カリカリ、クリクリ、乾いた音を響かせながら、真希は耳かきを動かしていく。その動きはかなり丁寧なもので、しかし確実に耳垢をこそげとり、はがしていく。正直言ってしまうと、とても気持ちがいい。
「ふふん、私はエスパーじゃないけどっ」
そういうと、さっきまで耳垢があった場所を、カリカリと軽く掻いた、動きたくなるくらいの感覚が、襲いかかる。
「今の私には、君の心がきちんと読めるようだよ。ほーら、認めなよ。気持ちいいんでしょ? うりうりっ」
どうやらサイコメトラーに心を読まれたようだ。耳の奥、ちょうどかゆかったところをひっかかれ、ぞくぞくっと体を震わせる。恐らくここは、さっきまで耳垢のあった場所。いわゆる汚いものに覆われ、塞がれていた皮膚。だからこそ、敏感に感覚を受け取ってしまうらしい。
「……実はね、私こういうの、密かにあこがれてたんだ」
そんな中で、真希はポツリと呟いた。彼女の声が、やけにするりと自分の中に入っていく。
「こうやって二人で、ご飯食べて話して、癒して癒されて。そんな恋人同士の甘い休日、みたいな? 映画とかドラマでよく見る、そんな奴に憧れてたんだ。特にそれが君とできるなんてねー。軽く感動しちゃったよ、私……」
感慨にふけるような表情を浮かべながら、そう告げる真希。
何だよ。僕こそそんな気分だよ。真希と一緒にいられるのがどれだけ嬉しいか、分かってない僕じゃないよ。まぁ、言わないけれど。
「それはさておき……汚れはきれいさっぱり片づけないとね。真のお節介野郎なんよ、私」
そんなの僕が一番よく知ってる。知らなきゃ彼氏じゃないだろ。
耳かきの匙が、すうっとまた奥へと入っていった。恐怖なんてもう失せた。今欲しいのは、新しい刺激に対する期待感だけ。
カリッ!!
待ち望んでいた感覚が、ようやくやってきたようだ。
「あ、また大きなのある……。っておいおい、結構貼りついてるな? 何年選手だ一体……」
そう呟きながら、竹の匙を喰い込ませようとする。なかなかうまくいかないようで、「むぅ……」と小さく唸るような声が聞こえる。そして、いったん耳垢の方から耳道の方へと匙を移動させると、
「ごめん。ちょっとこれ時間かかりそう……」
そう罰の悪そうに告げた。でも、あきらめたわけではなさそうだ。耳道に匙がまだ残っているのがその証拠。
「このまま引っ張るのだと、君が痛がっちゃうし。自分の耳はどうなってもいいけど、君の耳は傷つけたくなーい。だから……私はこうするわけ。耳かき棒の先端を……こうする!」
そういいながら、丁寧に奥に詰まっていた耳垢に照準を合わせ、すうっと耳垢を滑り込ませる。
かりっ、こそっ……。
ぞくぞくっとする感覚が襲った。あれはなんだ? 耳垢を直接かいているのか? でもそれにしては、ずいぶん回りくどい。
「周りが結構頑固に貼りついてるから、まずはそこからはがす! 奴の核が見えるまで、周りをぺりぺりとって行くよー。かゆみが強くなっていくけど、我慢してね。動いたらジ、エンドかもだから」
そんな怖いことを言いながら、塊の周りをひっかいていく。
カリィ、ガサッ、パキィッ。
塊が何度も引っかかれて少しだけ痒みが強くなるも、真希は痒みと垢を取り除くように周りをカリカリと掻いていく。ガシュ、ニヂイッ、と耳の中に音を響かせつつ、耳垢は徐々にはがれていく。だんだんと浮き上がっていくのが、確かなかゆみと共に伝わった。そして。
「見えた! ここが核だ――っ!」
ザクッ! 差し込んだのは真ん中部分。浮き上がった状態のヤツに、これ以上の抵抗は不可能だった。このままてこの定理のように、くるんと持ち上げる……!
ガボッ!!
うあああっ!? と叫びそうになるくらいの快感が襲い掛かった。肌が総毛だつような、そんな快楽を受け取る。
つつーっと耳道を匙が通る感触が、余韻として襲い掛かる。彼女も塊を落とさないように必死だ。
そして、耳道を越えて、ヤツが完全に姿を現した。
「わわっ、すっごくおっきいのとれた! こんなのいたってことだよ!」
嬉しそうな表情を浮かべ、真希は僕へ匙の先端に乗った耳垢っぽい塊を見せた。
何㎝だかわからないけど、目測で見えるほどの、巨大な赤茶色の塊だった。それはティッシュペーパーに落とされる。
ずっと押し付けられていた汚れから解放されてスース―する耳の穴は、今までよりも何倍にも面積が広がったかのような感じを与えてくる。
「どーう? 聞き心地、変わってくるでしょ?」
そんな耳の穴に、真希の優しい声が響き渡った。
驚いた。まったくもって聞き心地が違う。はっきりと、鮮明で。うっとりしてしまうような。蜂蜜ような甘味さえ感じられるような、そんな優しい声を聴いた。催眠ボイスでも聞いているかのような、そんな感覚まで感じられる。僕はそれ興味がないけど。
そうか、こうやって、何もふさがれてない状態でしっかりと真希の声を聞くのは初めてなんだよな。今までもかわいい声してたけれど、もっとその声が響き渡っている。真希の声は声優に向いてるなと、僕は昔思ったけれど。いま改めてそう思わせられた。
……全く。今まで損していた気分だよ、僕は。
耳かきというお節介を、きちんとしてくれる幼馴染の彼女。こういうお節介なら大歓迎なんだけれどな。そう心の中で思った。
「それじゃ、反対側もするからね。ごろんって顔こっち向けて?」
今の僕に、やましい気持ちも恥ずかしさも一切なかった。僕はお節介をまた堪能するために、反対の方へとくるん、と顔を向けたのだった。
耳かきは世界を救うんだと思います。きっとね。