第十二話(終)「静寂の鼓動」
青白い、無機質な天井があった。
あの傷はすっかり癒えていた。
死後の世界か。どうせ地獄だろう。
だが窓がある。最初白い光に阻まれて何も見えなかったそれは薄靄を払い、あの見慣れた春原県の山々を解いていく。
「起きたか」
急に誰かの声がした。ベッドの上で横たわっている俺を眺めていた。
俺はその顔に見覚えがあった。教科書か、新聞で見たことがある。
いや、本来なら生きて顔を合わせる人間ではない。
佐藤輝夫元総理。
狭い部屋。青白い天井に壁。白い喪服のような衣装。
俺はすぐさま起上がり、この競技を創始した人間の顔をまじまじと眺めた。
それから、佐一に持っていかれた左肩に手をやった。見事に、元の形に戻っていた。痛みすらない。
「ヴァイスの肉体は神秘だ。ちょっと薬を塗っただけでどんな怪我でも癒えるんだからな」
県外では、このお方――この男――はすでに不祥事を起こして辞任した後、遭難事故で死んだとだけ伝えられている。
だが事実は違う。このお方はこうして今も生きている。それどころか、春原県で、ヴァイスが殺しの祭典に興じるのを支援くださっているのだ。
痛みがないとしても、虚脱感が激しい。過度の戦闘から未だ疲労は抜けきっていないし、数ならぬ身で、この世の覚えある人にどう接すればいいのか見当もつかなかったからだ。
だが、もう一度向こう側が口を開いた。
「トーナメントに勝てなかったな」
この方にそれを言われるのがどれだけ屈辱的か。まともに顔を眺める気も起きなかった。
「あまりにも、強敵だったからです」
「うむ。佐一くんはヴァイスとして見こみ以上の殺しを披露してくれた。きっと一人で一国の師団を壊滅させられるだろう」
「……なぜ、殺されなかったのです?」
「私じきじきの命令だ。あんな無様に殺されるに値する人間ではない。彼は残念でならなかったそうだが」
あいつにそう言われるとは。ますます、自分の存在が忌まわしいものに思えてくる。
「旧知の間柄だからな、すぐさま殺すのには惜しいのだろう」
俺は黙っていた。
元総理は、俺が何も言いたくないのを察してか突然語りだした。
「二十年前、春原県にある隕石が落ちた。それは当時さほど被害を出しはしなかったが、ある遺産を人類に残した。それが、我々、ヴァイス」
元総理の知識は別に特殊なものでもないに関わらず、その地位と、相反するような静けさとでいかにも衝撃的な告白のように聞こえた。
「あの隕石の光を浴びた人間は力を得た。超人的な力を。肉体を自在に改変できる力を。そして、人の死を何とも思わない冷酷さを得た」
元総理の語り口に熱。
「ただ浴びた人間だけが力に目覚めるだけではない。この石の破片を脊髄に埋めこめば、同じ力を手に入れることができる。これほど、便利な力はない」
「はい。それは確かに、偉大な発見でした」
俺は、わざと機嫌をとってみせた。
あれほど佐一にひどい目に遭わされたにも関わらず、あの時の怪我は一切残っていなかった。もうヴァイスとして変化し続けた結果、本来なら死んでいるはずの傷すら超越している。
「そうだ。この石が発見され、初めてヴァイスに覚醒した人間は理性を失い、暴れまわるだけだった。それをこの私が人間兵器として運用できるようにまとめ挙げ、鍛え上げた。もうこれだけで私は人類の歴史に偉大な記念碑を打ち立てたといっていい」
元総理の言葉は決してでまかせなどではない。
「今や諸国が生き残りをかけて争い合う時代だ。強い兵器はなるべく多く調達したい。それを開発することに時間はかけられない。そこにこのヴァイスは非常に有力な手段に見えた。なにしろ……私はヴァイスに覚醒した最初の人間なのだからね」
そのことも、別に隠された事実などではない。
この人こそ、ヴァイスのいわば王ということは春原県民に周知のことだからだ。だがその事実も県外にはかたく秘匿されている。
「最も私だって、この運命を受入れていたわけではなかった。人ならざる物になった時、人はもはや人でありえない。何よりこの絶大な力を個人が持った時、敵になるのはこの世界だ」
他の人間がヴァイスになった時、
「しかし、よくもヴァイスを兵器に利用しようと考えなさいましたね。それも当時総理大臣だったあなたが」
「うむ。私自身も実験台として色々な手術を施されたからな。だがそれは試行錯誤の日々だった。あの隕石の破片を埋め込まれらた人間のほとんどは気が触れて死んでしまった。適合したのはただ人を殺すことに何の抵抗もない残虐な人間だけだ。だからヴァイスに選ばれたのは死刑囚や腕利きの軍人だけだった。だが、私の存在は危険とみなされた。忌まわしいヴァイスが要職についていること自体あるまじき事態だからな……。そこで私は表向き事故で死んだことにしておいて、この春原県に身を隠すことにした」
県外では、二十年前のあの事件によって春原県に ヴァイスが蔓延したと理解されている。
だがそれは違う。国家のエゴによって、春原は醜い地獄に変異させられたのだ。
もうここまできては、元総理――と呼ぶべきでもないか。すでに俺は殺されて当然の人間。こいつに敬意を払ういわれもない。
どうやら佐藤輝夫は一介の議員だった時から、暴力や戦争を賛美する発言で批判を集めていたようだ。虚勢などではない。ヴァイスと関係なく、生まれた時からして悪魔だったのだ。
そんな人間が一度総理にまでなったのだ。やはり、ヴァイスであることはさほど異常なことではないのだろう。
だが、もう一度こうして生きている自分のことに目を向ける。
なぜ、殺されなかったのだ。
輝夫はついに、戦いの感想を漏らす。
「よく見ていたよ。トーナメントの光景を。見込みある命が次々と消えていくさまを。悲しいね、本当に」
まるで評論家のように。
「君の殺戮には敵意が足りない。悪意が足りない。よほど凄まじい悪意か、あるいはおふざけの度が過ぎなければ、人間は殺人に手を染めたりはしない」
俺はまごついた。こういう人間の違う可能性について話されるのは、全く経験がない。
「人は暴力的生物ではない。だが私はそれを根本から造り変えた。人は、思う存分殺し合っていいのだとな。人間は強さを求める。強さを求めれば求めるほど優しさを失って行く」
優しさ。それは、弱い人間をこの世から消し去る心がけのことだ。
そうでなければ、俺にとっては、何の意味もない単語。
「優しいとは、どういう意味ですか」
「君に私の何が分かる?」
元総理は不敵な笑み。だが、言葉に若干の棘がある。怒ってもいるはずだ。だがそれを頑なにごまかそうとしている所に、私は内心うっとおしさを覚える。
「私は多くの人間を殺しました。それは当然のことです。一昔前は人を殺すことが絶対悪でした。だが私たちはもうそんな価値観を棄てるべきだ。殺しの末に生き残った人間がなぜ殺しの宿命を呪わねばならない」
俺は、不思議でならなかった。
「うむ。それでこそヴァイスにふさわしい!」
「しかしヴァイスであることに一体何の価値が?」
輝夫に殺されるのならいっそのこと最後まで言ってしまった方がいい。
「俺は結局、それに価値を見出すことができなかった。全てが虚しい。ヴァイス自体も結局滅びゆく種族に過ぎない」
顔色をさほど変えず、俺の言葉を当然の指摘とでも受止める表情。
「当然だ。ヴァイスはごく少数派でなければならない。この世に君臨する選ばれた支配層なのだから」
「そんな物を存続させて、何のためになるのです?」
輝夫は俺の言葉を待っていたかのように不敵な笑みを浮かべる。
「県外の奴らは言うだろう――金や権力のためかと。違う。地位や名声? それでもない。そんなものは、この世の中でもっとも取るに足らないからな」
言終わるや否や、元総理は、俺の胸に手を突き入れた。
もはや俺にはそれを避けるだけの力もなかった。その一撃は、俺の肉体にめりこみ、ついに胸の中でとどまった。俺は、わずかに吐血した。しかしその血は奴に届かなかった。避けるまでもなくその打撃は胸に沈み、俺は硬直した。
「私が求めているのは、もっと根源的な欲求だよ」
手が、赤く染まっている。腐った匂いが空間を満たす。
やおら激痛で、ベッドから崩落ちる。だが、床に叩きつけられる寸前に、もう五感が急激に衰えていた。もはや体が痛みを覚えているのかどうかすら分からない。
「ヴァイスは春原県だけにいるんじゃない。この日本でトーナメントが開催される他にも世界でさらなるトーナメントが開かれる」
疑問はひたすら募る。それを知ることもなく、俺は死ぬ。
誰かのことを叫ぼうとしたが、もう何を言いたかったのか忘れてしまった。
「そして最強のヴァイスがたった一人生残った時、あのお方の計画がついに……」
一体何のことなんだ。誰に指図されているんだ。
問詰めようにも、もう天井が虚空への入り口に見える。
「君はそこに至るための歯車として役目を果たした。良かったね……」
頭をわずかに挙げ、目の前を窺う。
輝夫は、赤い血に覆われつつ青白い光を放つ何かを持っていた。表面から濁った液体がしたたっていた。
「これでまた、新しくヴァイスを増やすことができる……」
俺の体からも血が流れて、妙な温かみと共に床をどんどん汚していっている。
「君の死体は博物館に展示してやるよ。楽しい死とは何なのか子供たちに教えてあげるためにね」
陽気な声で。私はもはやのどを痛くなるくらい引き絞って、かすれた声しか出すことができなかった。どんどん、世界が冷たくなり、暗くなって行く。
「何の……ために」
返事はもう、なかった。




