窓の外の美少女についての話
風邪がなかなか治らなかったので一応病院に行ったところ即入院が決まった。
どうやら今の状況が風邪を拗らせてしまったというものらしい。
健康だけが取り柄みたいな人間だったのに、これで無事アイデンティティ崩壊である。
悲しいものだ。
失ってしまった個性を取り戻すのは難易度が高いのであきらめるとして、実は今困っていることがある。
どういう訳か窓の外から美少女がこちらを覗いているのだ。
普通の状況だったらほほえみを返すだけで済むのだが、今回はいくつかの問題点がある。
まず一つ目は現在時刻だ。
言ってしまえば草木も眠るとうわさに聞く丑三つ時である。
つまり深夜2時ごろだ、明確に言うと2時23分だが。
流石にこの時間帯に外を少女が出歩いているというのはいろいろな意味で問題だろう。
次に二つ目は僕のいる病室についてだ。
おそらく他の患者に風邪がうつると厄介だからだろうが、僕の病室は個室だ。
母親が持ってきた花やお金を払うと見ることができるテレビなど、病室というイメージ通りの部屋である。
問題はこの病室が4階にあるという点だ。
さらにこの病院にはベランダが存在しないという情報も追加しよう。
まさか怖い話でよくある『この人どこに立ってるんだろうね』を実体験することになるとは思わなかった。人間入院してみるものである。
最後に三つ目は彼女自身についてだ。
とりあえずぱっと見で思いつくのは彼女が美少女であるということだろう。
まるで何かの創作物から飛び出してきたのではないかと思われるほどの美少女だ。
透き通るような白い肌をしていると思ったら、本当に若干透けていたあたりが問題だろうか。
これらの問題点から鑑みるにおそらくあの少女は幽霊的な存在とみて間違いないだろう。
病院にはそういったものが集まりやすいというのを耳にした覚えがあるが、どうやらあれは本当だったらしい。
まあただ単純に少女がこちらを眺めているだけであれば僕としても困りはしなかったのだが、残念なことに少女の行動はそれだけではなかった。
『ここを開けてください』
窓は閉じているというのに、少女の澄んだ声が耳に入ってくる。
どうやらこの少女、僕に窓を開けてほしいらしい。
別に細かな換気をしたほうがいいという注意喚起をしてくれている優しい少女なら問題はないのだが、このパターンは怖い話で予習済みである。
①窓を開ける。
②少女に手を引かれる。
③窓の外に投げ出される。
④物言わぬ肉塊と化す。
これだろう。
『お願いします、ここを開けてください』
いやである。
『外はとても寒いのです、どうかこの窓を開けてください』
今は12月中旬の深夜だ。
そりゃあ寒いだろう。
『どうか、どうかこの窓を、こほっ』
僕と同じく風邪でも引いているのかたまに咳をする少女。
『お願いします、どうか、どうか』
目から一筋の涙を流す少女。
これがたとえ演技だとしても、これ以上放っておくことは僕にはできなかった。
『あっ』
窓を開けると凍えるような空気が部屋の中に入ってきた。
これが冬の冷気なのか、はたまたこの少女が発している霊気的なものなのかはわからない。
少女は俺が窓を開けたとたんに邪悪な笑みを浮かべ僕の手を取った。
『やっと開けてくれた!』
ああ、やはり想像通りだったのかと落胆しつつもあまり後悔はしていない。
あんなに哀れな少女を放置しておくことは僕にはどうしてもできなかった。
後はさえない男が地面のシミになるだけだ。
『あ、あれ?』
しかしどういうことかいつまで経っても僕の体が窓の外に放りだされることはなかった。
そう、少女は非力だったのだ。
一生懸命僕の手を引っ張っている様が見て取れるのだが如何せん力が弱すぎる。
ほとんど抵抗しなくても立っていられるほどの力だ。
このグダグダとした空気感をいったいどうしたものかと少女と顔を見合わせる。
思い通りいかなくて恥ずかしいのか力を精いっぱい入れた反動なのかわからないが、少女は頬を赤く染めていた。
『くく、首を洗って待ってなさい!』
この状況に耐えられなくなったらしい少女は僕の手を離すと姿を消した。
残ったのは開けた窓から入り込む凍えるような空気だけだった。
◇◆◇◆◇
というのが二週間ほど前の話だ。
今僕の目に映っているのは窓の外で筋骨隆々の肉体をマッスルポーズで見せつけてくる、変わり果てた姿の少女だった。
とりあえず意味が分からない。
そもそもこいつは本当にあの少女なのか。
前回との共通点は筋肉の膨張によりピッチピチになった洋服と髪型だけだ。
『私は戻ってきたぞ!』
どういう訳か口調まで変わってしまった。
あの華奢な幸薄系美少女はいったいどこに行ってしまったというのだろう。
『私は君にあって初めて気づかされたよ、私には力が足りないとね!他を圧倒する力が!』
できれば一生気づかないでほしかった。
幽霊に対して一生という言葉が閊えるのかはわからないが、本当に一生気付かないでほしかった。
そして喋っている途中でポージングをころころ変えるのをやめないか、気が散って仕方がない。
『どうだ!この美しい肉体は!惚れ惚れするだろう!』
しない。
そりゃあマッチョな女性が好きな人には喜ぶべきイベントなのだろうが、僕はいたってノーマルだ。
すごいとは思うが圧倒的に悲しみのほうが大きい。
『ふっ、この姿を見ても足りないか。ならば私の本気を見せよう!』
少女が強く力んだと思うと、着ていた服が破け去った。
とはいえ全裸なわけではなく、今からコンテストにでも出場するんじゃないだろうかという上下スポーティな下着姿である。
『さあどうだ!』
どうだもこうだもない、今僕は漫画とかでたまに見る肉体だけで服を破り割くのが可能だという事実に打ちひしがれているだけだ。
ひょっとしてこれ彼女なりのサービスシーンなのだろうか。
ごめんなさい趣味が合わないです。
数少ない判断材料の一つだった服が風に飛ばされどこかへと消えていったので、もはや髪型くらいしかあの美少女の面影がない。
もはや彼女は美少女ではない、筋骨隆々の何かだ。
『ふむ、あまりの感動に声も出んか』
そういうことにしておいてください。
『それでは雑談もこのあたりにして、本題に入らせてもらうとしよう』
本題?
ああそうか、この少女(仮)は僕を4階から地面にダイブさせるためにここに現れているんだった。
『さあ!この窓を開けてくれ!』
お断りである。
あんなスピードを捨てたパワー型みたいな存在に腕を引っ張られてみろ、多分普通に腕が折れる。
なんなら投げからコンボ決められるまである。
というよりもそもそも論、窓を開けてあげようという気持ちが沸かない。
人は見た目が12割とはよく聞く話だが、それは幽霊にも言えることであるらしい。
『む?この前は開けてくれたというのに今回はなぜ動く素振りすら見せないんだ?』
前回と今回の違いを箇条書きにして見返してみてはいかがだろうか。
きっと原因が即座に判明することだろう。
『ううむわからん、わからんぞ!』
頭を抱え叫ぶ少女。
ひょっとしてこの少女は脳まで筋肉になってしまったのではないだろうか。
『よし!考えてもわからない!君が動くまでここで待つとしよう!』
すると少女はどこからかダンベルを5個ほど取り出しジャグリングを始めた。
普通にすごいことをやっているとは思うが、あれは筋トレになるのかを聞いてみたい。
というか寒くないんだろうか、ここ最近めっきり冷え込んで雪すら降りそうという時期なんだが。
『涼しくていい風だ!火照った体をクールダウンしてくれる』
おそらく君が一番冷やすべきなのは頭だ。
どうかみんなが幸せでいられたころの少女に戻ってくれないだろうか。
『しかし君は本当にこの窓を開けてくれる気がないようだな』
だって君そのまま登山とかに行けそうなくらい元気そうだし開ける必要なくない?
目に見える死亡フラグを進んで取りに行くほど俺は馬鹿じゃない。
『ならば仕方あるまい!こちらから行かせてもらうとしよう!』
少女は腰の入った正拳突きによって窓ガラスを迷いなくぶち破った。
ガラスの割れる音が響き床にガラスの破片が散らばる。
『さて、これで窓は開いたな』
開けたんだよ。
いやそれはダメじゃん。
いわゆるタブーじゃん。
レギュレーション違反じゃん。
あまりの衝撃に動けずにいると少女はその丸太のような腕で僕の右腕をつかんだ。
『さあ、終わりの時間だ!』
ふざけるな。
僕はこんな死に方認めない。
『うおおおおおおお!!』
凄まじい力だ、すでに掴まれている右腕の感覚が若干無くなっている。
ミシミシと腕が嫌な音を立てているのが骨を伝って聞こえてくる。
こんなことになるなら彼女が美少女だった時点で自ら冬空へダイブしておくんだった。
どうせ殺されるなら美少女が良かった。
『ぬうおおおおおおおおおおおお!』
徐々に体は引きずられ上半身が窓の外へ出る。
サッシに残った窓ガラスが容赦なく腹に突き刺さる。
靴下しか履いていない足にもガラスの破片が刺さっていく。
しかし感覚がオーバーフローしたのかアドレナリンで狂っているのか、なぜか痛みは感じなかった。
いやもしかしたら死ぬ直前のフィーバータイム的なものなのかもしれない。
『ぬううぅぅ、あれっ?』
僕が落ちるまで続くと思われた少女との攻防は、不意に少女の引っ張られている力がなくなるという終わりを迎えた。
理由はわからないが筋骨隆々だったはずの少女の姿が唐突に以前の美少女モードに戻ったのだ。
するとどうなるか、簡単である。
僕の体は耐えていた勢いそのまま病室の床に投げ出されるのであった。
ガラスの破片が散らばる床に。
見事に逆ハリネズミ状態と化した僕は、ただだらだらと血を垂れ流すことしかできなかった。
「何事ですか!?沢渡さん!?沢渡さん!?」
騒ぎに気付いたのであろう看護師さんが僕の病室に入ってくることを確認した瞬間、僕の視界は暗転した。
◇◆◇◆◇
目を覚ますと心電図やら点滴などがあちこちにつなげられた状態だった。
「おや、沢渡さんおはようございます。と言っても午後4時ですがね」
横にいた医師らしき人が話しかけてくる。
どうやら僕は生き残ることができたらしい。
医師はカルテをぺらぺらとめくり語る。
「右腕の骨折、右肩の脱臼、腹と背中と足にガラス片、その他もろもろ……沢渡さん、あなたあの夜に何をしたんですか?」
幽霊と死闘を繰り広げていたとでもいえば信じて貰えるだろうか?
無理だろうな。
医師のほうも僕がすぐに返答ができるとは思っていないらしく、頭をかきながら病室を出て行った。
結局あの少女はなんだったのか。
どうやってあれほどの筋力を手に入れたのか。
急激に美少女モードに戻ったのはなぜだったのか。
いろいろと気になるところはあるが幽霊の世界のことを考えたところで意味はないだろう。
きっと人知を超えた話になるのだろう。
「まあ、君も部屋に入れたんだしそれなら寒くはないだろ?」
僕は部屋の隅で体育座りをして微笑む美少女に顔を向けて言った。
思いのほかストーリーが事故った。