溺れる騎士
騎士視点です。
気が付くと、彼の傍にいないと気が狂いそうになっていた。
「気持ち悪い、化け物の子」
俺の母親はいつしか、俺のことをそう言うようになっていった。
そうして、いつしか当たり前のように俺を遠ざけていた。
俺の容姿は異端だった。
先祖返りという周りにはいない、この黒い髪と黒く切れ長の眼のせいで。
母親は当然のように不貞行為を疑われ、俺の父親は母親と俺をすぐに家から追い出した。
淫売の子、悪魔、化け物、魔物。一通りの罵詈雑言は、幼いときから浴びていた。
はじめは受け入れようとしていた母親も、周囲の異端児として見る目や
不貞行為を働いた女として扱われる環境に、どんどん耐え切れなくなっていった。
「フラン、貴方はただ、皆と少しだけ容姿が違うだけなの。普通の子なの。」
「フラン、何故貴方は先祖返りしたんでしょうね…。」
「何で、私がこんな目に…。」
「何で、私の前に、現れたの…。」
「あんたさえ、産まなきゃ…。」
「醜い、醜い…!汚い目で私を見るな!化け物!」
日に日に壊れていく母。
どうしたら、母に愛されるんだろう。
どうしたら、周りに認められるのか。
幼い俺は、必死になって周囲に取り繕っていた。
しかし、それも無駄なことだとすぐに悟った。
何をしても、息するだけで、許されなかったから。
何故、何もしていないのに、こんな目に遭うのか。
何故、俺を生んだのか。こんな目に遭うくらいなら、生まれてきたくなかった。
毎日毎日、母を、環境を、神を呪うようになった。
消えたい。
どうしたら、自分の存在を消せるのだろう。
消えたいのに、それすらも許されない、地獄の日々。
母も神もいない、俺は一生愛されぬまま、息絶えるのだろう。
一度くらい、愛されてみたかった。
一度くらい、愛してみたかった。
幼い俺は、死ぬことすら許されなかった。
死ぬ手段を知らなかったから。
そして母を幼い俺を国軍に売った。
国軍の中でも目立つ容姿の俺は、訓練兵でも目に付けられやすく、すぐに嘲笑の対象になっていた。
地獄の環境が変わっただけだった。無気力に、惰性で生きる日々。
はやく死にたかった俺は、訓練に勤しみ、訓練兵を終了後も戦場の最前線を常に選んでいた。だが、あと一歩でなかなか死ねない日々が続く。
気づいたら周りから「死にたがりのルード」と呼ばれるようになった。
そんなある日ことだった。
俺の運命を変えた日。
俺の生涯で唯一の、愛する人と出会った日。
「おい死にたがり。お前あそこに行って、グレーゲル王家の金品盗ってこい。死にたがりなら、出来るだろ?」
戦地の最前線で物怖じせず働く俺に、面白く思わない連中がくだらない喧嘩を振ってきた。
もちろん許可なく俺のような下っ端兵が入れる場所でもない。
もし見つかったら、追放または処刑の可能性がある。
だが死にたがりの俺は、これで見つかればやっと死ねると思った。
死ねる理由が見つかったと思い、くだらない暇つぶしに乗ることにした。
王家の庭園は、整備されているのはもちろんのこと、警備も厳重である。
さっさと見つかって連行されるもの良かったが、死ぬ前に一度、この国の王族に近づいて見てみたかった。
俺の、真逆の世界のやつらに。生まれた瞬間から、全ての人々に愛され、祝福される人物に。
俺と何が違うのか、見てみたかった。
それに追放ではなく確実に死刑になる方がいいと思った。
俺は事前に入手した王家の構造を頭にたたき入れた。
そして一目に付きにくい真夜中に王家の厳重な警備をすり抜けて侵入し、目的物である金品と王族を探していた。
(構造は理解してたが、やはり広い…。思っていた以上に時間がかかりそうだ。)
(…この先にあるのは、たしか…。)
頭の中の構造をたどりながら、少しずつ少しずつ近づいて行く。
もうすぐ…のところで、予定外の複数の警備兵の声が聞こえ、慌てて物陰に隠れ、息をひそめる。
「―――――…おい、もう交代の時間過ぎてるぞ。はやくしろよ。」
「わかってるって!仕方ねえだろ。あの殻潰し王子のせいで、時間ずれちまったんだから。」
「まったく、本当に何も役に立たねえ王子だよな。俺たちの税でのうのうと生きてると思うと、腹立たしい。」
「本当にな!あいつのせいで、余計な仕事が――――――。」
物陰に潜む俺の目の前を、警備兵達はそんなこと話しながら通り過ぎていく。
グレーゲル家の殻潰し王子…。恵まれた環境で、愛されているのが当然なグレーゲル王家出身のはずなのに。
俺と真逆ではないのか…?想像してなかった王家の実情。
そんな風に考えていると、近くにあった飾り棚に運悪く当たってしまった。
―――ガシャン!――――
(…しまった。)
「…何だ?今の音は?」
「おい、怪しいぞ。見に行くぞ!」
通り過ぎて行った、警備兵がバタバタ戻ってくる音が聞こえる。
さっきは物陰に隠れていたが、同じところに隠れていてもすぐに見つかるだろう。
(まずい、このままでは金品どころか王族も見れずに捕まる。)
音がしないように素早く移動するが、どんどん警備兵が近づいてくる。
息をひそめ、警備兵に悟られないように隠れながら素早く移動を進めていくと――――
(大きな扉だ。構造ではいまどの辺りだろうか。予定と大きく違ったが、ひとまずここはここに隠れてやり過ごそう。)
物音を立てずに、扉を最小限に開き、身体を滑らせ侵入する。
その直後、警備兵たちがバタバタと通り過ぎていくのがわかった。
(なんとか、やり過ごせた。)
少しホッとした直後、背後で動く物体に気づいた。
俺は思わず身体が勝手動いて――――
「…ヒッ!」
その人物の背後に一気に回り、その首筋に刃物を立てていた。
(…しまった。)
無意識な行動に、自分自身驚く。
そして、改めて刃物を当てている人物を背後からしげしげと見つめる。
小さな身体と頭部。白金の髪。ここまで透明感のある絹のような、白色に近い金色の髪は初めて見る。
上質な繊維であろう寝衣。まだ幼い子だろう、その細く小さい肩は、震えているのがわかる。
(…もしかして…)
今気づいたが…この広すぎる、豪華すぎる寝台といい。建物の構造的な位置からして…。
この見るからに兵士や召使とは違う風貌な人物は……。
「…ぼ、僕を…殺すのか…?」
これが俺の運命を変えた日。
俺の生涯で唯一の、愛する人と出会った瞬間だった。
――――――
グレーゲル王家の第一長子。本名はエドワード・“エディ”・ウィルバー・グレーゲル。
生まれつき病弱であり、出産後のお披露目以降、病床に臥せているといわれている。
その姿は、グレーゲル王家に仕えている者以外は、ほとんど知られていないという。
この人物は…
思考を巡らせていると、痺れを切らせた幼子は、俺に話かけてきた。
「…お、おい。お前はだれ…。」
「黙れ。騒ぐと殺すぞ。」
「ヒッ!」
小さく悲鳴をあげると、またひとしきり肩を震えさせて押し黙った。
「…ゆっくり俺の方を向け。声上げたら殺す。」
純粋にこの幼子の顔を見たいと思った。
この機会を逃すまいと思って、俺は幼子にそんな命令を言っていた。
幼子は肩を震わせながら、ゆっくりと俺の方に振り替える。
そして俺は、息を飲んだ。
(…うつく、しい。)
今迄見たこともない絹のような透ける、白金の髪。恐らく一度も日に焼けていないであろう、白い肌。
幼子でありながら、その顔は浮世離れしている端正な顔立ち。
大きな薄紫の瞳には、潤んだ涙が今にもこぼれそうである。
上質な寝衣で包まれた身体は、とても小さく、細い。身体を恐怖で震わせている。
(これが、生まれた瞬間から、祝福される人物…)
またその瞳は俺の姿を映したとき、驚愕したように、一瞬大きくした。
…俺のような容姿を見たのが初めてなんだろう。
その驚愕した大きな眼をみたとき、俺は胸が張り裂けそうになり、幼子から目を背けた。
こんな反応は、幾度となくされて、慣れているはずなのに。何故、いまさら。
驚愕した反応のあとは、決まっている。悪魔、死神、化け物。結局、平民だろうが王族だろうが思うことは同じだ。
そう頭では理解しているはずなのに。
その言葉を聞きたくなくて、幼子から目を背けたまま、目を伏せる。
すると―――――
「…きれい。」
一瞬、幻聴かと思った。
今度は俺が驚愕に目を見開き、幼子に目をやる。
幼子は失言したと思い、慌てて小さな手を口にやり、また身体を震わせる。
「ご、ごめんなさい。」
小さく謝罪の言葉を発すると、いよいよその大きな瞳から涙をこぼす。
「…何故そう思うんだ。」
俺は自然とそう聞いていた。何かを期待しているのだろうか。
その俺の発言が意外だったのか、幼子は一瞬きょとんとした顔になり
「だ、だって。夜みたいな綺麗な髪と目の色だと思ったから。」
澄んだ薄紫の色の瞳に、化け物の俺を映しながらそう言った。
幼子がそう言った瞬間、さっきとは違う、張り裂けそうな苦しみではなく。
胸が高鳴り、激しく鼓動が鳴っている。思わず、胸元に手をやる。
何なんだ、この鼓動は。でも、不快な鼓動ではない。
初めて起こる現象に戸惑いつつも、俺はこの幼子と話してみたいと思った。
「…俺の容姿は人を不快にさせる。化け物のような色だと。」
「そう、なの?ぼ、ぼくは月がすきだから。月を照らす夜がすきなんだ。」
「…おまえは、変わっているな。」
「ぼ、ぼくは…変わっているの…?」
「…お前が初めてだ。俺の容姿をきれいだと言ったのは。」
「そう、なんだ。」
必死に与えられた質問に答える幼子。
いつしかその瞳からは、涙は出なくなっている。
その表情は戸惑っている様子はあるが、異形な物を見る瞳ではなく、澄んだ瞳。
恐怖で取り繕っているようには、到底思えなかった。
もっと、この幼子と話してみたい。もっと、この幼子を知りたい。
俺は自然と思っていた。
しかし、扉前で何やら騒がしい音が聞こえる。
その声は2人から3~4人と増えているのがわかる。
…警備兵だ。きっと先ほどの物音の行方を捜している。
ここで幼子と話していても、見つかるのは時間の問題だ。
しかし、あともう少し、もう少しだけ――――
そう思った瞬間
コンコン
大きな扉から、遠慮がちに鳴る音が響いた。
俺も、幼子も大きく身体を凍らせる。
「警備兵第一指揮官のマルクです。お休みのところ、大変申し訳ございません。この近くを不審者が通りまして…。エドワード王子、ご無事でしょうか。」
警備兵が安否確認だろう、扉の前でそう問いかけた。
扉を見つめていた幼子が、戸惑いながらゆっくりと俺の方を見やる。
その薄紫の瞳を見た俺は、全てを諦めた。力なく、幼子から手を離す。
(…ああ、これで終わったな。俺の人生。)
もう少しで、何かがわかりそうだった。けど、もう終わるようだ。やはり俺の人生は、何も得ることできないものだった。少し自嘲気味に微笑んだ瞬間――――
「……マルク、僕は無事だ。」
「それは何よりです。差し支えなければ、エドワード王子の部屋内を捜索したいのですが…」
「…僕は疲れて寝ている。下がれ。」
「…かしこまりました。お休みのところ、大変申し訳ございませんでした。」
バタバタと複数の警備兵が下がるのがわかった。
俺は信じられないものを見るように、目の前の幼子を見つめた。
「…お前、何故…俺を助けた…。」
「…僕もわからない。…けど、実際僕は何もされてなかったし…。」
「俺は、お前に刃物を当てた。殺すとまで言った。」
俺がそう言うと、幼子は小さく笑い
「…話してたら、何だか殺される気がしなかった。それに…」
「どうしても、化け物に思えなかったから。」
この瞬間、俺はこの幼子に堕ちていくのがわかった―――――
――――――
「―――フラン・ルードヴィク。本日よりエドワード・“エディ”・ウィルバー・グレーゲル第一王子に仕える事を命ずる。」
運命の日。
心の底から、湧き上がる歓喜の感情を必死に抑え、俺はその命に従い、早足で唯一の人の元へと行く。
あの日から俺は変わった。
どうしても、あの幼子…エドワード・“エディ”・ウィルバー・グレーゲル第一王子に仕えたいと思ったからだ。
もっと、話したい。もっと、知りたい。
もっと、俺を見てほしい。もっと、俺を知って欲しい。
その欲求が俺を変えさせた。
王家に仕えるにはコネが必要だが、貧民出身の俺には当然ない。
だから、実力を付けるしかなかった。誰もが認めざるを得ない、実力が。
文字通り、血の滲むような地獄な日々。
しかし、変わらない地獄の環境はずなのに。以前とは明らかに違う。
「死にたがりのルード」は、いつしか「優秀な黒髪の人形兵」と呼ばれるようになった。
戦地の最前線で常に結果を残していったからだ。
毎夜、月を見ながら、あの日を、あの人を想った。
「……エドワード・“エディ”・ウィルバー・グレーゲル…。」
彼は美しく、成長しているだろうか。
病は進行していないだろうか。
彼を価値をわかっていない奴らが、世話しているのかと思うと反吐が出る。
はやく、はやく、はやく、はやく。
はやく俺が、彼を守りたい。彼の傍で、彼をずっと見ていたい。
はやくあの美しい薄紫の瞳に、俺だけを、映してほしい。
はやく俺だけが、彼の全てを管理したい。
はやくこの汚らしい世界から、地獄の世界から、彼を永遠に守りたい。
あの美しい人を、天使を、俺の手で。
狂おしい感情が、俺の全身を蝕んでいく。
ああ、これが愛なんだ。
俺は彼を一目見たときから溺れてしまった。
この苦しくて、でも心地よくて、生きている感覚が初めてわかった。
化け物、死にたがり、人形。そのような戯言で蝕れた日々が嘘のようだった。
彼が俺を生かした。彼が俺を化け物から、人間に変えた。
俺は、彼を、愛しているんだ。
そして、待ち望んだ日。
俺は彼の元に仕えることに、正式に決まった。
高鳴る鼓動。あの日と同じか、それ以上に鼓動がする。
あの日のように、胸元に手をやり、深呼吸をひとつする。
――――コンコン
「本日よりエドワード・“エディ”・ウィルバー・グレーゲル第一王子に仕える、フラン・ルードヴィクと申します。」
「……入れ。」
ああ、エドワード・“エディ”・ウィルバー・グレーゲル
俺の生涯で唯一の最愛の人。いつも、傍にいる。永遠に。
――――――