出来損ないの王子
気が付くと、いつも傍には彼がいた。
「エディ様。そんな格好で外にいるとお身体に触ります。」
「フラン。いつからそこにいたの。」
「……つい先ほどです。」
「ふーん。フランは相変わらず嘘下手だね。」
今夜は満月だった。もう床につく時間なのだが、何だかいつもより月明りが眩しくて、吸い寄せられるようにバルコニーに出て夜空を見つめていた。どのくらい時が経ったのかわからない。ぼんやりとただ、夜空を見つめていると部屋の奥から布を持って現れた男に話しかけられた。正体はわかっている。
月明りに照らされた男は黒い髪、黒い瞳。
「…申し訳ございません。」彼はそう言うと、いつもの無機質な顔を少し歪めて困ったような顔になる。そして、俺の肩にそっと上質な布をかけた。布はあらかじめ少し暖めてあったのか、冷たい感触はない。彼に言われて気づいたが、身体は少し冷えていたようで、布の暖かさがとても心地よく感じた。
こんな細かいことまで気を遣うなんて。俺にはそんな価値などないというのに。
****************
“グレーゲル王族の殻潰し” いつの間にか、俺はそう呼ばれていた。
けれどそう呼ばれても仕方がないと思う。グレーゲル王家の待望の第一長子であるというのに、幼い頃から身体が弱く、ベッドの上で過ごすことが多かった。少し外に出たり、大勢人前に出るとすぐに熱を出してしまうありさま。そんな毎日なため一般貴族よりも教養が身に付くのも遅く、また身体の成長も遅かった。
“王族の、しかも第一長子なのに、何をしても平民の子より遅い”
物心ついた頃に侍女の立ち話を聞いてから、俺はやっと俺の立場を理解した。俺なりに必死にやっていたが、この身体ではどうしようもなかった。
そして俺の立場は、俺の弟・レオンの誕生で一変した。俺の弟は完璧だった。優れた容姿もさることながら、優れた知能や体格、王になるは完璧な資質をもっていた。
5歳下のはずだったが、気が付けば当に抜かされていた身長。
ベッドで寝込む俺を見下ろして、弟は俺に言った。
「兄さん。貴方は王に相応しくない。」
その後は俺の父親―――リーヌス王から正式に弟に王位継承された、とベッド上で聞かされた。
やっぱり。納得する心とともに無力感、孤独感、焦燥感、ぐちゃぐちゃな感情が押し寄せる。俺には王の資質等ないのはわかっていた。わかっていたはずなのに、周りに認められたくて。自分の居場所を確実なものにしたくて。必死だった。何もかも必死だった。
なのに、なのに。
ああ、勝手に視界が涙で滲んでいた。
ついに俺は見放されたんだな、と理解した。
俺の中で何かが壊れる音がした。
****************
「なあ、フラン。城下町ってどんなところなんだ?」
「…どうしたのですか、急に。」
いつものように、傍に仕えるフラン。
「城下町ではどんな生活をしているんだろう。俺はまだ一度も行ったことがないから、知りたくて。」
「平民の生活が知りたいのですか?……エディ様が行くには城下町は危険すぎます。」
「皆そう言うが、弟のレオンだってもう何度も視察に行っている。俺だって行きたい。それに、お前の故郷もどのようなところだったのか、知りたい。」
俺がそう言うと、フランは少し目を開く。何か言いたげな様子だが、やがて大きなため息をついた。そしてお決まりの台詞を言う。
「……エディ様のお身体に触ります。」
いつだって彼は俺の身体のことばかり。騎士としては正しい姿だ。
だが、いまの俺にはその言葉は酷く滑稽に思えた。この身体を大事にしたところで、そのような価値は果たしてあるのだろうか。王は王として、国民を守るため。騎士は騎士として、主を守るために生きている。平民とて自身の守りたいものがあり、皆目的をもって生きている。
――――――けれど、俺は何のために生きているのだろう。王族の子孫繁栄のためか?しかし、床に臥せてる事が多い俺に、妻などくるのだろうか。その気になれば、父上が妻になる女を準備するだろうが、常に病気を繰り返してきた俺に、子どもをつくる体力や種があるのか疑問だ。俺はいつだって、いつ治るかわからない病気と繰り返し戦い、気が付けば俺の出来ることが何もないことに気が付いた。
何もできない、落ちぶれた王子。その事実が俺に重くのしかかる。
物心ついたときから、俺の傍にいて俺の世話を真摯にやるフラン。
この国には珍しい、少し切れ長な黒い眼に黒い髪。
先祖返りだというその容姿は、整った顔立ちと相まって神秘的な印象を受ける。加えて普段よりあまり表情の変化が少なく冷静なため、無機質な人形を彷彿とさせる。そのためフランはフランで、“黒髪の人形兵”なんて呼ばれていた。
黒髪の人形兵は優秀だった。
忠実に、けれど全ての仕事を的確に素早くこなす。鍛え抜かれた身体は、騎士の中でもトップクラスであり、no.1といっても過言ではない。
フランは俺のプライドでもあった。
こんなに優秀な奴が、俺の付き従える。俺より優秀である弟レオンより、優秀な騎士がいる。
その事が俺にとってプライドだった。
人形、人形と呼ばれるフランだが、俺にはいつも傍にいるフランの表情の豊かさを知っている。機嫌が良いときには、その切れ長な瞳を少しだけ優しく細めること。機嫌が悪いときには、いつもより表情の変化がなくなり、少しだけ語気が強くなること。見かけによらず、花のような美しいものが好きなこと。
床に伏せることが多かった俺は、いつも傍にいるフランに興味を持つのは当然だった。
何故こんなに優秀な奴が、俺に従っているの疑問だったため、彼の観察をするのが日課になっていた。
そして彼のちょっとした変化を知っていく内に、俺は、主として従者に抱いてはいけない感情を抱いてしまった。
俺は、どこまでも落ちぶれた奴らしい。
この感情を抱いたときは、心底自分が情けなくなった。
いつも傍にいるのは当たり前だ。それが彼の使命であり、仕事なのだから。
だから俺は覚悟を決めた。
「フラン。」
「はい、如何でしょうか。」
「お前、明日からレオンの騎士になれ。」
いつも冷静で無機質な表情。しかし、その瞳は大きく揺れていた。
「…エディ様…、申し訳ございません、何をおっしゃているのかわかりません。」
「お前、以前よりレオンから声がかかっているのだろう。何故黙っていたんだ。」
「私はエディ様の騎士です。」
「その前にグレーゲル家の騎士だろう。正式に王位継承されたのはレオンだ。レオンに仕えるのが当然だろう。」
「いいえ、私はエディ様に身も心を捧げた身。エディ様以外に仕えるのは心外です。」
そうはっきりとフランは言った。その発言は俺の心を揺さぶるには充分だった。
しかし、フランは優秀だ。優秀すぎる故、俺のような王子に仕えるには不相応だ。前からそう、感じていた。
レオンがフランを欲しがっている、そう感じたのは最近ではなかった。
フランが俺の騎士にしては優秀すぎるのは、当に知っていた。しかし、この男が真摯に騎士として、俺に仕えていることに優越感に浸っていた。この優秀な騎士が俺に仕えることで、王位継承者としての誇りを感じていたんだ。それにフランはいつだって俺の身体の事を考え、動いていた。俺自身が気づかない体調の変化にも対応してくれた。その行動はたとえ仕事だと理解していても、つらいときに何も言わずにただただ傍に居てくれたフランの存在は、いつしか俺の中で大きなものとなっていた。
「お前は優秀だ。王に仕えることが求められる程に。だから、時期に王となるレオンの力になって欲しい。」
「……お言葉ですがエディ様、貴方はっ……。」
「もうレオンには話してあるんだ。明日からお前は正式にレオンの騎士になる。」
「っ!」
「正式に父上様からの許可も得てある。もう決まった事だ。」
「……エディ様ッ!」
「今まで出来の悪い王子に仕えてくれてありがとな、フラン。」
俺がそこまで言うと、フランは切れ長な瞳を大きく見開き、ぐっと歯を噛みしめた。
ああ、涙が出そうだ。何回も心の中で練習した言葉なのに。
フランの顔もまともに見れない。引き留めてしまいそうになる。いかないで、とみっともなく縋ってしまいそうになる。でももう、俺のせいでフランが悪く言われるのを聞きたくなかった。王になれなかった王子の末路を、フランまで巻き込みたくなかった。
未来のあるフランの邪魔をしたくなかった。
だから、これは俺の最後のプライドだ。
心を磨り潰し、歯を喰いしばる。そしてフランの顔を見据える。フランはいつもの無機質な人形のような表情が、困惑と悲哀に満ちていた。その表情を見て、とても幸せな気持ちになる。こんな俺の騎士を惜しんでくれるだけで、もう充分だった。
「フラン・ルードヴィク、お前をレオン=ヴァシーリェヴナ・グレーゲル第二王子に仕える事を命ずる。」
フランはその言葉に目を見開き、息を飲んだ。俺が本気だと言うことが伝わったようだ。くしゃりと顔を歪めるが、押し殺したように、そしてゆっくりと跪くと――――
「……エディ様、私は、私の心はエディ様に当に捧げております。たとえ、この身はレオン様に捧げようと……私の心は、エディ様と共に………。」
「ありがとう、フラン。」
それが、俺と彼が交わした最後の言葉だった。
****************
「エディ様?またこんなところにおられるのですか?」
侍女のアデールに呆れたように注意される。気が付いたら、窓の外が真っ暗になっていた。そんなに集中して本を読んでいたのか。
あれから半年経った。フランは正式にレオンの騎士となり、そこでも大きな働きをしレオンの盾として活躍していると聞いた。その度に俺は誇らしい気持ちになる。俺の選択は間違っていなかったと確信する。しかし正反対に、フランが傍にいないことを実感し、寂しい気持ちになる。俺から突き放したっていうのに、本当に俺は情けない。
フランと離れてから興味を持ったことがある。
それはフランの故郷である、城下町から少し離れた村のことである。フランと離れてからというもの、俺の心はフランから離れるどころが、益々考えるようになってしまっていた。彼の事をもっと知りたいと思ってしまった。
でももうフランは傍にいない。でもフランのことを知りたい、と考えているうちに書庫にある本で城下町について調べるようになっていた。
「エディ様。読書も結構ですが、お身体に触ります。読みたい本は私に言ってください!」
「ごめん、アデール。すぐに読み終わってしまうんだ。もっと色々な本が読みたくて…。」
「まあ随分と熱心ですのね。一体何に興味があるのですか?」
アデールはこてんと首をかしげ、尋ねる。彼女はフランが選んだ侍女だ。彼女は侍女だが、王族という俺の身分にかしこまったり、おびえたりすることなく、さっぱりとした性格で俺の周りにはいない性格だ。こういう風に気軽に会話できることが俺には新鮮であり、うれしくもある。
アデールは俺が選んだ数冊の本を持つと、扉を開けて部屋に戻るように自然と促される。どうやら今日の読書はここまでのようだ。大人しく、部屋に向かうとしよう。
アデールと廊下を歩きながら、さっきの疑問について答える。
「城下町に興味があるんだ。そこにいる人々、生活、風習全てに。」
「まあ!エディ様は本当に変わってらっしゃる。貴族はもちろん、王族の方々は興味ない方が多いのに…。」
「俺は一度も城下町に行ったことがないからね。それもあるかもしれない。」
「エディ様が城下町に、となるとお身体が心配ですもの。」
「はは、そうだよね。仕方ないことだって分かってる。」
「せめてもう少し、お身体が安定すれば………あら?」
自室の部屋の前まで着くと、部屋の扉の前に何かがあった。
「これは……アメリーの花束かしら?何でこんなものがここに?」
「アメリー……。」
アメリーの花。
これは俺が昔、中庭を歩いていたときに一度だけ「綺麗」だと言った花だ。傍にはもちろん、フランがいて珍しく饒舌に話していた。
『この花はアメリーといいます。薄い紫色の小花が美しいですね。私も好きな花です。』
『へえ、お前が花が好きとは意外だな。』
俺がそう言うとフランは少し困ったような表情になりながらも答えてくれた。
『母が花好きだったんです。なので花について、よく教えてもらっていました。名前や花言葉など…』
『ふーん、だからか。花言葉って全部の花にあるのか?』
『もちろんございますよ。たしかアメリーの花言葉は―――――』
そこまで思い出して、心臓が早鐘を打つ。まさか、まさかな。俺の気のせいだ。大体、フランがが置いたとも限らないじゃないか!何を勘違いしているんだ、俺は。
突然固まり、赤面している俺をアデールが熱を出したと勘違いしてしまい、無理やり床についた。
あの時フランはいつもの無表情ではなく、慈愛に満ちた眼差しでアメリーの花を見つめながら、こう言った。
『たしかアメリーの花言葉は―――告げられぬ愛、です。』
これは俺のささいな夢、なんだろうか。
しかし騎士と王子が、なんて話聞いたこともない。ましてやフランが俺にそんな気持ちを抱いているなんて、勘違いも甚だしい。
アデールがベッドサイドに飾ってくれたアメリーの花をしげしげと見つめながら考える。
これは神がくれた、夢なのかもしれない。
哀れな王子に授けた、ささやかな慈悲。
決して報われることない恋心を抱いた俺に対する、ささやかな慈悲。
ならば夢見てもいいだろうか。
この花束は彼からの贈り物と、夢見てもいいだろうか。
花言葉の意味を都合良く解釈してもいいだろうか。
「告げられぬ、愛…。」
俺も心こめて、彼にアメリーの花束を贈ろう。
夢ならば、きっと許されるはずだから。