第九十七話 隠者の慟哭
「世界は綺麗だよ」
優しい姉は、私にそう告げた。
恐れるのではなく。
怯えるのでもなく。
ありのままの綺麗な世界を、私に見て欲しいと云った。
「私たちの瞳はね、きっと、その為にあるの。たくさんの『綺麗』を、見るためにあるの」
そう云って笑う姉の姿は美しかった。
姉の在り方こそが、『綺麗』だった。
その時の私は、まだ人間が『怖いもの』と云う程度の認識しかなく、第三の目が不気味だと、いじめてくるだけの存在なのだと思っていた。
姉は、私が人間の子供に虐められ、ぬいぐるみをちぎられた時、優しく頭を撫でてくれた。
「大丈夫。お姉ちゃんが、新しいぬいぐるみを買って来てあげるから」
そう云って街へ出た姉は、戻ってくることがなかった。
私は何年も泣いて、探して、そして知った。
姉は遠い人間の街で、『瞳だけ』の姿になって、保存されていたことを。
人間の貴族で、魔導士の位を持つ人物のコレクションになっていたことを。
姉が、『たくさんの綺麗を見るためにある』と云った瞳は、結局、絶望を見たのだろう。
私の『瞳』は、少なくとも悲劇を見た。
「人間を怖がってはダメ。敵視してはダメ。それでは、ずっと溝は埋まらない。私たちは、私たちが生きて行く為に、共存できなくてはいけないの」
姉は私に、そう諭した。
酷い人間は確かにいる。
けれど、そんな連中ばかりではないのだと。
我々リュネループの側にだって、悪いことをするものはいるのだと。
色眼鏡を捨てて、歩み寄るべきなのだと。
私に優しくそう教え、人を信じようとした姉の想いは、最悪の形で報われた。
じゃあ、姉の最期は日常から乖離した、特殊・特別なものだったのか?
たまたま、酷い低確率の悪運を引いたとでも云うのか?
そうではない――ことを、私の瞳は知っている。
なんのことはない。
リュネループにとって、『それ』は日常茶飯事だったのだから。
姉を殺した貴族だけではなく、多くの人間が、『金になるから』と、同族の『目』を狙い続けた。
それは、よくある悲劇でしかなかったのだ。
対等の争いで命を落とすならば、まだ得心がいく。
けれど、金のために死ねと云うのは、あんまりではないか。
我々は、狩りの獲物ではないのだ。
見続けた。
殺される同族を、この第三の瞳で見続けた。
そして、報復しない同族たちの怠慢も。
結論は、至ってシンプルだった。
人間は生かしておくに値せぬし、奴らの蛮行を放置する同族たちも、また許せぬ存在なのだと。
殺され続け、狩られ続け、それでもまだ共存を考えるリュネループたちは、最早、白痴と呼ぶより他にない。
溶け込む努力とやらを今でも続ける同族がいることを知って、私は嘆いた。
その中には、魔術が得意な種族であることを活かし、人間にそれを教える愚か者までいる。
人間は武力を持てば武力で。知識を持てば知識で。
他者を圧倒し、蹂躙する。
そんな危険な存在だと、何故分からないのか。
凶暴な敵に武器を与えるなど、虎に翼を与えるようなものではないか。
言語道断も甚だしい。
その愚か者の筆頭は、こともあろうに人間族の王女専属の魔術師となり、その子に魔術を教えているという。
蛮行の極みだ。
いや、保身と云う観点から見れば、利口とは云えるのかもしれないが。
私は違う。
私は、そんな選択はしない。
この世に美しい風景があるとするならば、それは人無き世であるはずだ。
ならば、そうなるように、仕向けてやろう。
人を減らす。
ひとりでも多く、減らす。
それが私が、あるグループに入った理由だった。
そこにも残念ながら人間族はいる。
けれど、大体において、私の目的に適う。
だから協力した。
グループの目指すべき場所は、私の瞳が見たい景色に近いと思うことにした。
(しかし、それも……)
ここまでなのかもしれない。
喉元に突きつけられた氷の刃を、捌く術が私にはない。
エルフは、構えてすらいなかった。
それだけ雪精を信頼しているのか。
はたまた、この距離ならば、私が何をしようと対応出来る自信があるのか。
まあ、逃げ切れるとも思えないが、最後のあがきをしてみようか。
「リュネループの魔術師よ。お前は何者で、何を策していた?」
雪だるまがそんなことを訊いてくる。
滑稽だ。
まともに答えるわけ、ないではないか。
「ちょっと迷い込んだだけだ。他意はない」
そう口にした瞬間、右腕を斬り飛ばされた。
激痛が走ったが、泣き叫んでなど、やるものか。
しかし躊躇ないな。
それに、きちんと利き腕を理解しているようだ。ご丁寧にも、そちらを持って行かれた。
騎士は私に血の滴る剣を向け、視線を固定したままで、エルフに云った。
「高貴なる方よ、ここから先は、子供に見せる光景ではありませぬ」
「……ん」
子供たちを包むように、大きな魔壁が作られた。
まあ、こういう配慮は必要なんだろうよ。まだまだ私を切り刻むということなんだろうから。
少年の方は既に、雪精が最初の一太刀を振るうより前に、幼女の視線を逸らしていたようだ。
如才ないことだ。
或いは年齢通りでないのは少年の方だけで、少女の方は、発生したばかりなのかもしれない。
(私としては、あの能力不明の幼児の視線を遮ってくれるのは、ありがたいことだけどね)
彼の能力は、何かを消去、無効化する類の力だろうとは思う。
疲労やエネルギーが奪われる感覚はなかったから、吸収系の魔術ではないはずだ。
きっと消去系の力で、私の魔術や、あの心臓を消してのけたのだろう。
凄まじいことだ。流石は精霊。
(さて、仕掛けさせて貰うか)
すぐに問いかけが再開されることだろう。
シラを切るのは確定しているので、その分、私の負傷が増えて行くことになる。それは困る。
ならば、即座に行動を起こすべきだ。
「…………」
私は切り落とされた腕を見る。
袖の部分には簡易的な術式が彫り込んであり、ごく初歩的な魔術が使えるのだ。
――こんな風に。
「ぬぅ……ッ!?」
地面からの、強力な閃光。
正確には、服の袖からだが。
騎士の視線は私に向いていたから、これは不意打ちになっただろう。
常人の目なら、潰れる光量。
そのまま通用するとも思っていないが、僅かなりとも時が稼げれば、それで充分。
私は隠匿の魔術を使いながら、距離を取った。
――はずだった。
「あッ、ぐ……ッ!」
思わず声をあげた。
雪精が薙ぎ払った一撃は、私の両脚を綺麗に切断していた。
私の身体は、氷の床にたたきつけられた。
「ば、ばかな……! なん、で……?」
「貴様とは先程、打ち合った。あれで間合いと、おおよその身体能力は把握した。見えずとも、斬ることは可能である」
ああ、簡単に云ってくれる。
達人を通り越して、剣聖の域じゃあないか……。
矢張り、桁の外れた相手とは、交戦すべきではなかったか……。
私は奥歯を噛み締めた。
そこには、自決用の猛毒が仕込まれている。
これ程のことが出来る連中だ。
片腕と両脚を失って、逃げおおせるとは思わない。
寧ろ、私すら知らない、自白用の魔術や薬なんかを持っているかもしれない。
だから、こうするしかない。
(ああ、悔しいなぁ……)
毒が作用し始めたのを感じた。
私の生涯は、ここで終わる。
「貴様……ッ! 毒を……ッ!」
雪だるまが慌てている。
と云うことは、この行動に関しては、予想外だったようだ。
少しだけ、気が霽れた。
「お姉ちゃん……。綺麗な風景なんて、結局、どこにもなかったよ……」
姉は私に、何を見せたかったのだろう?
ううん。
仮に綺麗な景色があったところで、お姉ちゃんがいないんだもん。
ひとりで見ても、きっと空虚だったろう。
(ああ――そうか)
姉の示した先は、私には、既にあの日から、絶対に辿り着くことの出来ない場所だったんだ。
初めから、生きている意味なんて――。
人生の最後に、それを悟った。
そして私の意識は、永遠に失われた。




