第九十五話 隠者の独白(その三)
慎重であること。
それが、私に課せられた使命だ。
私は情報を持ち帰るためにいるのであって、戦う為にいるのではない。
無論、『戦わねば帰れない』と云う場面も多いから、戦闘能力はあるに越したことはないのだが。
気取られないことを最優先に、そっと内部を進む。
ここでもまた、驚きの連続であった。
内部には、気色の悪い腕が生えていた。
これは何なのだ? 私は何も聞いていない。
魔石の防御機能がこういう形で作用したのか、それとも、『そういう風になる』ように、あの心臓に手を加えたのか。
いずれにせよ、防御機構であるならば、かなり厄介なもののはずだ。
(あのエルフ、凄いな……)
無数の腕を押さえてのけると云うのも驚異的だが、短絡的に破壊に走らないと云う判断力が凄まじい。
知識も経験も充分でなければ、辿り着けない結論だ。
現時点で、私以上の魔術師であると断言出来る。
矢張り交戦は避けねばならない。
(しかし、あの少年は一体何者なのだ?)
エルフの少女は、半ば生物化したホール内部に、ロッドを突き刺した。
おそらく、相当大規模な魔術を行使するのだろう。
私の予測通りに、あのエルフがカースマスターだとするならば、心臓に呪詛をかけて取り除こうとするのではないか。
しかし、あの魔術師は、幼い少年にロッドを任せている。
こうなるとヒュージゴーレムの崩壊はエルフ主導ではなく、矢張り、あの幼児が中心であったと見るべきだ。
正体の予測が付かない。
考えられる可能性としては、人間によく似た精霊である場合だ。
他種族を人間族に見えるように偽装することも出来なくはないが、精霊の元を訪ねるのに人間の姿では、却って反発を呼ぶだろうし、そもそもからして、偽る必要がない。
となると、矢張り精霊の一種か。
(あのエルフが聖域守護者であると仮定すれば、始まりの森にいる樹精の一種を連れてきた、と考えるべきなのかもしれない)
と、すれば、最低でも大精霊。
場合によっては聖霊の可能性すらある。
あの幼児の正体も突き止めておかねば、今後の計画にも支障が出てしまうだろう。
固唾を呑んで見守っていると、やがて内部は正常化を始める。
何をどうやったらそんなことが出来るのか、私にもさっぱり分からない。
或いは単純に時を戻すような奇跡が使えるのかもしれない。
魔術の常識を越えるようなものは、考察するだけ無駄な場合がある。
『精霊だから出来る』、と云ったような、べらぼうな理屈がまかり通ってしまうからだ。
さて、私はどうすべきか?
選択肢は、ふたつ。
ひとつはこのまま隠れ潜み、無人となったホール内を調査してから報告に戻ること。
いまひとつは、気付かれていないことを利用し、彼らに近づくこと。
心情的には前者を選びたいが、ホール内を調べても、『元に戻ったようだ』程度の情報しか得られない蓋然性が高い。
生物化は自然治癒したのでもなく、何かを取り付けたのでも、術式を刻み込んだわけでもない。
ただ単に、あの少年が何かをしたと云う結果だけが残っている。
ならば、まずはあの幼児の種族を知ることが重要だ。
そしてもうひとつ。
あのロッド。
奇妙な輝きを放つ宝珠の嵌った、短い宝杖。
あれも見ておきたい。
強力な魔道具か祭器の可能性もあるが、逆にごく普通の杖の可能性もある。
少年の正体や行使した能力を考察する上で、『どちらであるか』は、是が非でも知っておきたい。
遠方から見ているだけでは、判別は不可能だし、このままでは単純に仕舞われてしまうだろう。
となると、私自身がホール内に進入し、しっかりと観察する必要がある。
出来れば触れてみて、いくつかの魔術を流してみたい。
それで大抵のことは見えてくる。
少年に触るのはリスキーだが、杖ならばいけるだろう。
彼らの意識が向いていないうちに、ほんの少しだけ触れるのだ。
これなら攻撃や妨害をするわけではないから、気付かれるリスクも低くて済むはずだ。
(行くか……)
私は意を決して、内部へと進入した。
その瞬間、エルフはロッドを地面から引き抜いた。
逡巡しているうちに、仕舞われてしまうのか――。
そう考えたが、どうも何かが違う。
エルフの少女は幼児たちを壁際へと移動させ、改めてロッドを突き刺した。
瞬間、一目で強固と分かる魔壁が展開される。
この期に及んで何を警戒しているというのか?
私が首を傾げたのと同時に、唯一の出入り口が雪精の騎士によって塞がれた。
(まさか、これは――!)
考えられない。
『そんな素振り』は一切無かったのに、この私に気付いていたとでも云うのだろうか。
「……警告する。ただちに韜晦をやめて、姿を現すよう。さもなければ、攻撃する」
氷菓子のように、甘いが冷たい声が私に向けられた。
今更、何故、と考えるのは無駄だろう。
私は認識された。
その事実のみに、現実を合わせねばならない。
頭を切り換えろ。
ここからは、『戦の時間』だ。
最早、交戦したくないなどと考えること自体が愚か。
ならば、やることは決まっている。
先手必勝。
私は雷撃の魔術を放った。
一カ所ではない。四カ所同時にだ。
エルフ。子供。雪精。そして、本命の出入り口。
倒せればそれで良し。
そうでなくても、足止めくらいは出来るはずだ。
その間に、退路を確保する。
生きて帰ることこそが至上の命題なのだから、戦うと云っても、目的を最優先にする。
隠匿も解かない。
どうやってこちらに気付いたのかは知らないが、直接私が見えるわけではないだろう。
ならば、不可視という状況は、なおも有利に作用するだろうから。
(おっとと……。これは……)
恐れ入った。
私の放った雷撃は、全て防がれていた。
幼児に向けて飛ばしたそれは、頑強な魔壁を破壊すること叶わなかった。
雪精は背後の壁共々、新たに作り出した防壁で防いでのけた。
エルフに至っては、ただ手を振っただけで、かき消したようにすら見える。
私の雷撃は、それなりの威力がある。
並みの防壁であれば、簡単に貫通するし、当たれば一瞬で炭化させるくらい出来るはずなのだが……。
流石はハイエルフと精霊と云った所か。
しかし、追撃をすれば、済む話。
タイミング的には、最初の雷撃を放って、一呼吸の間すらない。
その瞬間に、雷の嵐を発生させる。
先程のものとは、威力も範囲も手数も段違い。
本来は大集団に対して放つもので、しかもそれが魔術師の集団であっても、一方的に虐殺できる威力を持つものだ。
だが、これで倒せるなどと慢心はしない。
私に欲しいものは、『時』だ。
数瞬で良い。
エルフと幼児の足が止まれば、雪精と氷壁を破壊できる。
身体能力強化を掛けて跳躍し、腰の魔剣を引き抜いて、一気に雪精に振り下ろした。
「ぬんッ!」
「なッ……!?」
止められた!?
雪精は私の方に視線を向けてはいない。
それなのに、氷の剣が私の魔剣を受け止めている。
(驚いている暇はない!)
連続で斬りつける。
しかし、そのどれもが防がれた。
「目に見えぬ怨敵よ。無駄であるぞ。剣筋すら韜晦するのは見事ではある。しかし、殺気が消せぬ限り、我には通じぬ」
(速い……ッ!)
私の魔術は気配すらも断つはずなのに、雪の騎士は、殺気を感じて防いでいると云う。
わずかに漏れてでもいるというのか?
それとも、この騎士にとって、殺気だけは別なのか。
雪精の振るう剣は、速く、重く、そして正確だ。
見えていなくとも、的確に私を狙ってくる。
もの凄い技量だった。
獣人族の剣士を剣技で圧倒できる私が、防戦一方となる程に。
(『これ』を相手に有利に立ち回ったあの蜥人の戦士は、矢張り途方もない使い手だったのだな……)
不可視と云う利点があってもこれだ。
この雪精に、剣の勝負は挑むべきではない。
私は後方に跳躍する。
雪精は追撃しようとしない。
出入り口を守護し、私を逃がさないことだけに専念するつもりらしかった。
物事の順序をよく弁えている。
『倒す』ことだけに夢中にならないとは。
今更ながら、手練れを相手にする労苦を思い知る。
魔術戦においては、エルフに対して不利。
剣を振るっては、雪精に阻まれる。
頭を更に切り換える必要がある。
(戦うのではなく、殺すことに専念すべきだ)
私は方針を、戦闘から暗殺に変更した。
私なら、それが出来る。




