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妹のいる生活  作者: むい
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第九十四話 隠者の独白(その二)


 距離を取った。

 もともと距離があるところに、更に距離を取った。


 それは、戦闘が始まりそうだったからだ。

 私の不可視化は、あくまで『見えない』だけであって、別段、無敵の防壁を張っている訳ではない。

 充分な距離がないと巻き添えを食らってしまうし、流れ弾を防いだら、『ここにいますよ』とアピールするのと変わらなくなるからだ。


 音を拾うことは完全に諦めて、視力強化と、訓練で身につけた読唇術を行使する。

 口元さえ見えれば、本来は会話の内容は分かるはずなのだが、雪精とトカゲのそれは、正直云って意味不明だった。

 だから情報源として期待できるのは、エルフひとりと人間の子供ふたりだけ。


 しかし、エルフの女は口数が極端に少なく、男の子は相づち中心。

 幼女に至っては、「にーた、にーた」と意味不明な言葉を叫ぶばかりで、まるで情報に寄与しない。

 いや、あんな幼い子供から情報を得ようと云うこと自体が、そもそも間違いなのかもしれないが。


 思えば、私はここで危機感を覚えておかねばならなかったのかもしれない。

 何故なら、エルフの女が喋る時の立ち位置は、必ず私の死角で、口元が見えなかったからだ。


(くそ。ちょうど見えないな……)


 その時の私は、単純にそう考えたのだ。

 何を話しているのかが分からない。

 距離を取っているから、回り込むことも出来ない。


 だが、それでも良いと思っていた。

 何故なら、これから奴らが戦うのは、蜥人最高の戦闘能力を持つふたりだからだ。


 普通のリザードマンは、とても精霊に敵うような強さは保持しない。

 しかし、あのふたりだけは別だ。


 蜥人の部族連合に襲われても、赤蜥人が潰滅しなかったのは何故か?

 それは、あのふたりがいたからだ。


 ただ戦場で暴れるだけではない。

 そんなことは、バカでも出来る。

 重要なのは、老人や女子供を守りながら他のリザードマンの軍勢を倒し続け、退け続け、戦力にならぬ足手まといたちを連れて見事逃げおおせた実力だ。瞠目に値する。


 どの種族であれ、時たま、その種族自体の強さを越える特異体とも云うべきものが現れるが、彼らふたりは、それではなかったかと思っている。

 アジ・ダハーカが、思わぬ拾いものと云った意味がよく分かった。


 あの女は、蠱毒と称して、トカゲ同士を争わせていた。

 不和の種を蒔き、憎しみを煽り立てて、互いに争うように仕向けていた。

 初めは赤蜥人を橙蜥人にけしかけ、今度はそれを材料に、他の部族に赤蜥人を襲わせた。


 だから、精霊にすら届く程の突出した戦闘能力を持ったふたりを見つけることが出来たのは、偶然だったのだと、アジ・ダハーカは云っていた。

 本来の目的は、争いの中で憎しみや絶望に囚われた『心砕けた個体』。

 そういうものが欲しかったらしい。

 いや、確保は済んだとも云っていたか。


 あの女の行動は意味不明で、何を考えているのか、私にも分からない。

 ただ、同じ穴の狢である私が云って良いことでは無いのだろうが、『胸くそ悪い』と云う表現が似合う存在ではあるのだろう。


 ともあれ、それだけの強さを持つふたりに、魔導歴時代の強力なアイテムを渡しているのだ。

 雪精たちをも、きっと蹴散らすだろうと考えたのだ。


 あのエルフが突出した存在なのは間違いない。

 しかし、アジ・ダハーカが蜥人に渡した切り札のヒュージゴーレムは、一種の決戦兵器であって、とても独力で挑めるような強さではない。

 どれだけ強くとも、最終的に勝つことは不可能だろうと思っていた。


 ハイエルフとは、昔、戦ったことがある。

 私と同じく、魔術に特化した三大種のひとつで、その魔力量と優れた戦闘技術で、仕留めるのに苦労したのを覚えている。


 エルフのうちで最も厄介な存在は、『聖域守護者』であろう。

『始まりの森』を聖なる領域と定め、そこを守護するエルフの精鋭のことだ。


 私の見立てでは、目の前のちいさなエルフは、その聖域守護者か、それに比肩する力を持った、特別なハイエルフだと思う。

 そのくらい図抜けた存在でなければ、精霊たちが合力を求めたりはしないはずだ。


 聖域守護者ほどの強者は稀だが、しかしそれでも、単騎ではヒュージゴーレムには敵わないだろう。

 だから精霊たちの敗北は決定的で、そこにはエルフの女も含まれることになる。


 聞き取りが出来なくても、すぐに始末されるのだから大差ない。

 私の任務は蜥人たちが目的を達することが出来るかどうかを監視することであって、エルフの言動を探ることではないのだから。


 傍観者で良い。

 誰にも知られぬ監視者でいられることが、この計画が成功した証なのだ。

 私自らが動かねばならぬ状況になど、なってはならない。


 そして、戦いが始まった。

 蜥人のゴーレムマスターは流石に戦い慣れている。

 いきなり己から飛び出すような愚は犯さず、炎のゴーレムを先手として使っていた。


 一方、雪精たちの戦い方も集団戦法に長けており、『熱』と云う不利な属性の相手を、事も無げに倒してのけた。

 大したものだと思う。

 しかし、炎のゴーレムはまだまだ出てくるはずで、他に援軍のない雪の騎士たちは、いずれ押し切られると予想が付いた。


 一番警戒すべきエルフの女は戦闘に参加するでもなく、人間の子供の傍に佇んでいる。

 精霊たちを信頼しているのか、それとも幼子を守ることに専念しているのか。


 やがて、エルフは前に出る。

 どうやら戦列に加わる気になったらしい。

 女は、蜥人を挑発したようだった。

 声も聞こえず、口元も見えないので、挑発したというのは予想でしかないが、間違いはないはずだ。


 蜥人はゴーレムたちをけしかける。

 すると、炎の赤は一瞬でくすんだ白銀に変わり、砕け散った。

 冷気の魔術――それも、精霊以上の高威力。


 あの女は、矢張り、聖域守護者だったのだ。

 ただのハイエルフなら、あのゴーレムたちを瞬時に粉砕するなど、出来るはずがない。

 厄介な話だが、それでもある意味、これは予想の範囲内。


 しかし、その次に起きた現象に、私は目を見張った。

 超高速で飛び出した蜥人の戦士が、唐突に倒れて死んだのだ。


(呪詛魔術? あのエルフ、カースマスターかッ!)


 ハイエルフの魔術師であるならば、呪いに精通していてもおかしくはない。

 だが、問題は速度だ。

 ここまで簡単に即死させる呪術を、私は知らない。

 可能性があるとすれば、特別な魔道具や祭器でブーストを掛けている場合だろうか。

 幸い、私は対呪防護の魔術が使えるから、あれを弾くことは出来る。


 だが、蜥人の手練れを即死させる程の使い手だ。交戦は避けるべきだろう。

 あれだけの呪詛が扱えるのだ。

 仮に倒せても、対呪防御の魔術すら侵食するような、持続性のある呪いを使ってくるかもしれない。

 そうなれば、事はここだけでは済まない。ずっと煩わされることにもなりかねない。


 改めてそう考えていると、信じがたい光景が瞳に飛び込んできた。

 蜥人の魔術師は、最後の切り札として、ヒュージゴーレムを起動したようだった。

 どうせ助からないなら、皆殺しにして道連れにしようとしたのだろうか。


 その決戦兵器を。

 精霊の集団すら倒せるはずの巨大なゴーレムを。

 エルフの女は氷のリングで足止めをした。


 ありえないことだ。

 個人の魔力量でどうにか出来る出力ではない。

 こうして自分で目の当たりにしていなければ、到底信じられない。

 伝聞であれば、何をバカなと一笑に付したはずだ。


 だが、真に驚くべきは、その後に来た。

 幼い人間の子が手を触れると、ヒュージゴーレムは砕けて壊れた。


 一体、どんな魔術を使えば、そんなことが可能なのか。

 そもそも、あの幼子は本当に人間なのか?

 不可思議と脅威が、加速度的に増えて行く。


(普段なら、ここで撤退すべきだが――)


 私の存在は、ここにいる誰にも知られていない。

 ならば報告と安全の確保をかねて、この場を立ち去るべきなのだ。


 熱線が吹き出しているのだから、心臓の取り付けそれ自体には成功している。

 そちらは今更、どうこう出来るはずがない。

 で、あるなら、一刻も早くこの不可解な精霊の援軍たちの存在を仲間に知らせ、対策を練らねばならない。


 撤退を考えた私は、その瞬間、身震いした。

 なんとエルフの女と幼子ふたりは、氷穴の奥へと進んでいったのだ。


(ここへ来た目的は、蜥人の排除ではないと云うことなのか!?)


 だとするならば、答えはひとつ。


 魔石の正常化。


 そんな不可能事を、成すつもりなのだと。


「…………」


 どのような手段であれば、『それ』を達成出来ると云うのか。

 既に蜥人がいない以上、調べるより他にない。「見ておきませんでした」では、済まされない。


 私は少し逡巡し、それから彼女等の後を追って、氷穴の奥へと足を踏み入れた。


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