第九十三話 隠者の独白(その一)
私は人間が嫌いだ。
そして、それ以上に同族が嫌いだ。
多くの結末を見た。
多くの悲劇を見た。
多くの人間を見て、多くの同族を見て、結果として嫌いになった。
初めから嫌いだったのではない。
見続けた結果が、それなのだ。
だからきっとそれは、客観的な評価に近いのだと思っている。
見ること。
私が得意としているのは、ただ、それだけだ。
剣も使う。魔術も使う。
でも、一番得意なのは見ること。
隠れ潜んで、見ることだけだ。
今回、私に与えられた仕事の内容も、見ることだった。
大氷原へと向かう、ふたりの蜥人を見届ける。地味だが、重要な任務だ。
そして、それは私にしかできないこと。
何しろ道中のフェフィアット山は危険の宝庫だ。
余程の幸運か余程の実力がなければ、まず間違いなく命を落とす場所だ。
隠匿の魔術を使える私でさえ、気を付けておかねば、魔獣に襲われる。
何せ、奴らは勘が良い。
私の魔術は、ただ単純に不可視化するのではない。
体温も、においも、そして音すらも消してのける、いわば絶対の消失だ。
しかし、天敵がいない訳でもない。
そのうちのひとつが、前述のような、ただひたすらに勘が良いだけの相手。
モンスターや、感覚だけで生きているような『考えない』連中が、これだ。
奴らは、「何となく誰かがいそうな気がする」の一言だけで、見えず臭わず気配もない私のいる場所に不信感を抱く。
理不尽だと思うが、鋭敏な感覚と云うのは、こういうものなのかもしれない。
そして、それに似て非なるもので、更に厄介な能力が、『第六感』と呼ばれる直感系の才能だ。
シックスセンスとも呼ばれるそれは、ごく一部の魔術師や魔導士が持つことのある、極めて稀少で特異な能力である。
大体の場合、この能力は、危機を事前に察知するものではあるが、その精度と範囲は一定ではなく、持ち主によって大きく異なる。
たとえば自分の部屋に紅茶が置いてあり、ちょっと席を外した隙に、毒を入れられたとする。
第六感持ちの魔術師は、部屋に戻った時点で『何か』を感じる。
しかし、どこがどう危険かが分かるのは、直感能力の高さ次第だ。
感度の低い魔術師は、多少の違和感を覚える程度で、結局紅茶を飲んでしまうかも知れない。
逆にある程度の直感能力の持ち主ならば、『この部屋の何かがまずい』とまでは感じられるようだ。
しかし『ある程度』では、分かるのはそこまでで、紅茶に毒が入っているのか、不意の侵入者が潜んでいるのか、はたまた別のトラップが仕掛けてあるのか、それ以上が分からない。
しかし、桁外れのセンス持ちは、一目で紅茶が危険だと看破する。
理屈ではない。技術でもない。
ただ単に、「これが危険だ」と分かってしまうのだという。
こういった魔術師には暗殺は効かない。
それどころか『初見殺し』としか思えないような魔術やトラップを用意しても、対応してのけてしまう。まさに、私の天敵だ。
当然の話だが、誰が第六感持ちかなど、分かるはずもない。
だからターゲットがいる場合は、事前に調べるか、しばらく観察するより他にない。
私が後をつけたふたりの赤蜥人――特に大柄な戦士の方は抜群に勘が鋭かったのか、
「誰かに見られているような気がするぜ」
と、しきりにこちらを振り返っていた。
モンスターじみた勘の良さだった。
こう云った手合いを甘く見ることは出来ない。
私は自分の能力に自信を持っているが、それは無責任に盲信することとイコールではない。
寧ろ、何事かの拍子に見破られてしまうものだと考えて行動せねば、その慢心がアリの一穴となるであろうから。
なので、私が選択した方法は、『それなりの距離を取る』と云う、ありきたりだが確実な手段であった。
これだと会話を自分の耳で拾うことが出来なくなるので、遠方を見聞きするのに、相応の魔術を行使しなくてはならない。
普通ならそれで『距離の問題』はクリア出来るのだが、追跡対象である赤蜥人のゴーレムマスターは、消音の魔術を抜け目なく使っていた。
これは私の使用している隠匿の魔術のように、完全に音を消し去る類のものではなく、一定の距離があると聞き取りにくくなる程度の粗末なものだったが、その『距離がある』ところが問題だった。
殊更、私を警戒した訳ではなく、戦慣れした慎重さが産んだ行動だったようだ。
アジ・ダハーカは作戦遂行の為に、実戦能力に長けたこのふたりを起用したわけだが、結果として私自身が、とてもやりにくくなったわけだ。
しかし、問題は『向かった先』にあった。
難所であるフェフィアット山でも、油断も隙もない蜥人でもなく、大氷原に、その『問題』はいた。
(あのエルフは、何かがヤバい……)
そう感じた。
酷く小柄で、やせっぽちな、帽子を目深に被った幼いエルフ。
いや、エルフは外見と年齢が最も一致しない種族。
多分、あの童女のような外見でも、数百年は生きていると思われる。
もしも私にも直感が備わっているとするならば、それはあの女エルフに対して働いたと云える。
大氷原に向かうにあたって、私が特に警戒したのは、フェフィアット山のモンスターたちと、大氷原の精霊だ。
どちらも私の隠匿を見破る可能性があった。
しかし、幸いにもそれは杞憂に終わった。
あらゆる痕跡を消しているのだから、第六感持ちでもない限り、そうそう気付かれるはずがないことが、改めて証明されただけだった。
ただ、それはそれとして、あのエルフを見ていると、妙な寒気がする。
断崖の端から谷底を覗き込むかのような心地だ。
(私の存在に気付いていないことが救いか……)
エルフの少女は蜥人族の戦士のように、こちらをたまに振り向くという素振りすら見せない。
あまり勘が鋭いタイプではないらしい。
私の仕事はあくまで『目』であること。
交戦するつもりは更々ないが、だからと云って、一切、戦闘の想定をしないと云う訳にも行かない。
万が一にも戦うことになった場合、あのエルフだけは相手にしないように決めた。
(隠密偵察こそが私の真骨頂。危険を冒す愚は避けるべきだ……)
何かあれば、気付かれぬうちに退く。
それが大前提。
もしも、その前提を捨てることがあるとしたら、それは余程のことが起こった場合だ。
たとえば蜥人にやらせたことの一切合財が解決されるような状況。
そうともなれば、その時は第一に原因を探らねばならない。
誰が何を為し得たのかを、調べねばならない。
見る、と云うことは、調査すると云うことでもあるからだ。
私が警戒すべきエルフの少女は、氷穴にフタをして去った。
蜥人を閉じ込められれば、それで良いと考えたのか。
それとも熱風の流出を一時的に抑えただけか。多分、後者だろうな。
精霊たちが助けを求めた程の人材であるならば、相当な力を持つか、知識があるか、或いは人脈があると見て間違いない。
他のエルフか精霊を引き連れてくるのか、はたまた大がかりな魔道具でも運ぶつもりか。
いずれであるにせよ、相応の日数が掛かるだろうと私は思った。
しかし、私の予想は覆された。
それも、ふたつも。
ひとつは時間だ。
エルフの少女は、ごく短時間で現場に戻ってきた。
あり得ないことだ。早すぎる。
まさか、古の転位魔術でも使えるとでもいうのだろうか?
そしてもうひとつは、彼女が連れてきた人材だった。
(子供……!?)
それは、完全に思考の外。
全くの予想外だった。
なんと、人間族の幼児ふたりが、こんな場所へとやって来たのだ。
整った容姿と年齢に似つかわしくない、くたびれた雰囲気を持つ幼い少年は、ここがどこで、何が起きているのかも知らないのではないかと思いそうになるような態度と様子だった。
無論、こんな場所に来る以上、何も分からないなどあり得ない。必ずや何事かの隠し球を持つはずだ。
しかし目に映る少年は、緊張感も悲壮感もない有様で、より幼い少女と楽しそうにじゃれあっていた。
だから私は、目を疑ったのだ。




