第九十話 実行から終了へ
改めて魔力を通してみて、驚いた。
魔石の損壊は、何と云うか、ただの傷ではない。
まるで破損箇所に強力な呪いでもかけられたかのように、不浄な気配が渦巻いていた。
「……アルの感じ方は正しい」
俺と手を繋ぐエイベルが淡々と云う。
「……多分、あの心臓は初めから二段構え。生物化出来れば良し。そうでないなら、破壊してしまえと云うことなのだと思う」
「えっ!? いや、でもだって、それっておかしくないか? 生物化は兎も角、魔石がなくなって海面が上昇したら、これを仕組んだ奴だって生活に困ると思うんだけど」
「……それも考え方ひとつ。大陸が沈むことが目的の可能性もあるし、溶け出した場合の対策があった可能性もある。氷の大地が溶けた先のことも、多分、考えていると思う」
単なる愉快犯なら、なおのことタチが悪いけれど、とエイベルは結んだ。
「つまり、魔石はどうなっても良い?」
「……治せるか、力を失っても構わない、と云う可能性もある」
まあ確かに、真核やら火の精霊石やら、そして心臓やらを持つ相手だ。別の隠し球があると考える方が自然だろう。
いずれにせよ、現時点では情報が少なすぎる。
確定していることと云えば――。
「多分、これをやらかした相手は、少数だよね?」
「……ん。それには同意見」
エイベルは、俺の頭を撫でてくれる。
何を考え、策しているにせよ、大陸を成す程の魔石に係わるというのは、重要案件なはずだ。
にも係わらず、アジ・ダハーカと云う人物は、赤蜥人と云う『外注』を使った。
あの戦士とゴーレムマスターが相当な実力者だったのは分かっているが、それでも本来、秘密裏に進めるべき事を、情報は与えないとはいえ、仲間でないものにやらせると云うのは、手駒の少なさを物語るのだろう。
大規模な組織ではない。
少数の集まりと見るべきだ。
もちろん、完全に決めつけるのは愚策だろう。情報量が少ないことは、人数の判定にも云えるのだから。
「……アル、浄化は出来る?」
エイベルは茫洋たる企画者のことではなく、今、目の前で起こっている問題に話題を転じた。
魔石の汚染。
俺はこれに、抗しうるだろうか?
たとえばこれが魔術師によるものだとしたら、対策は容易い。魔力の元を断てばいい。
それでガス欠。持続も維持も出来ないはずだ。
だが、これにそんなものはいない。
魔術ではなく、汚水のような、物質に近い。
(て、ことは、魔力の根源にアクセスするのではなく、そのまま魔術を使う方が良いのかな?)
使うのは、水の魔術。
砲台を作る要領で魔力の射出機を作り出すが、今回は攻撃のためではない。スプリンクラーや高圧洗浄のように洗い流していく。
その過程で汚染は、毒のように、じくじくと内部にしみこむタイプのものだと分かった。
つまり、外面だけを洗い流しても十全ではないのだ。
しかし、どうやって『中』を洗えばいいのか。
まず思い付いたのは、汚染部分だけを破壊して、すぐに直すことだった。
しかしちいさな魔石ならいざ知らず、これ程大きいと、それも難しい。
供出役であるエイベルの魔力量なら多分足りるが、範囲が広すぎて俺の方が手に負えない。
破損部位もそうだ。直すのに、時間が掛かりすぎる。
俺ひとりでは、完全に手詰まりだった。
「ミー!」
そこに、あの幼体が到着した。
こいつは、この状態を何とか出来るらしいが、一体それは、どんな手段なのだろう?
ゴーレムはとことこと歩いて、破損部位の中心部に、精霊石を納めた。
「……アル、お願い」
「あ、うん」
俺が干渉するのね。
勝手にどうにかなるものかと。
しかし、俺がやるなら手順は分かる。精霊石と魔石を同期させてやればいい。
不思議なのは、たいした大きさでもない精霊石が、魔力に還元しながら伸ばしてやると、どんどん広がっていくことだろう。
単純な物質ではなく、魔力体だからこその芸当だ。
もともとが氷の属性なので、相性も良い。
相性が良いと云えば、エイベルの魔力も綺麗で使いやすい。
澄んでいるので、何にでも変換できる。
破損箇所の大部分は精霊石で埋めて、ピンポイントでエイベルから作り出した素材で隙間をつないでいく感じだ。
(精霊石とエイベルの魔力で、塞ぐだけなら出来る。塞ぐだけなら)
そう。問題は、汚染だ。これをどうするか?
中途半端に『肉』になっている部分は、最初からパージするしかないから却って迷いはないが、広範囲にわたって染みこんでいる汚染の方が深刻だった。
まさか全部を取り替えるわけにも行かない。
肉になった部分よりも、ずっと広く、多かった。
これは自爆の時だけでなく、もっと前から汚されていたと考えるべきだろうな。
(まあ、それが分かったところで、打つ手はないのだが)
手を拱いていると、ひとつの反応があった。
「ミー!」
あの雪精だ。
あの雪精が、何かをするらしい。
「ミミー!」
「巨大化した!?」
ゴルフボールくらいの大きさだったはずの幼体は、突如、何十倍にも膨れ上がった。
精霊って、そんなことも出来るのだろうか?
形は球形ではなく、カマボコや、すあまのような半月形に近い感じ。
「…………」
俺とつないでいるエイベルの掌に、一瞬、力がこもったように感じられたが、すぐにそれも消えた。
何かを感じ取ったのだろうか? それとも、それも気のせいか。
「ミー、ミー!」
巨大化した幼体はなんと、魔石の上を滑り始めた。
一体何だというのか?
そう疑問をいだくよりも早く、魔石の変化が伝わってくる。
「穢れが、消えてる……?」
雪精の通った跡は、内部にまでしみこんでいたはずの汚染がなくなり、清浄なそれに変わっている。
「まさか、食ったのか? それとも、浄化の魔術……?」
驚く俺を尻目に、雪精は魔石の上を滑り続ける。
俺は補修作業を行いながらそれを見送った。
そして一時間も経つと、魔石は綺麗に回復していた。
除染を気にしなくて良いので、修繕に集中出来たのが大きい。あの幼体には感謝だな。
「ミー……」
浄化を終えた雪精は、しゅるしゅるとしぼんでいく。
心なしか動きがフラフラしている。矢張り疲れたのだろうか?
「よくやったぞ、ちっこいの!」
俺は射出機から、冷風を浴びせてやった。
エイベルの魔力でもなく、魔石の魔力でもない。俺自身の魔力だ。
こいつをねぎらうのは、自分自身のそれで行いたかった。
「ミ、ミー……」
へとへとになっていても、食欲に衰えはないらしい。しっかりと俺の出した魔力を食っている。
冷風を浴びせながら、他の射出機は消しておく。これで本当に元通りだ。
「じゃあ、戻っておいで」
運搬用ミニゴーレムの腕の中に、氷の塊を作り出す。
さっきの精霊石の代わりだ。ただし、道中でおやつ代わりに食べられるはずだが。
「ミ……」
ゴーレムは飛び乗る元気すらなくなった雪精を氷の上に乗せて、地上へと戻り始めた。
俺はそれを見送ると、意識を完全に自分に戻した。
「ふぅ……」
「……アル、お疲れ様」
「エイベルもね。もの凄い量の魔力を使ったはずだけど、大丈夫?」
「……ん。特に問題はない」
本当に疲れた様子もなく、我が師は頷いてみせた。
まあ、使わせて貰った時の感覚で、それが虚勢でないのは分かっているのだが。
本当に桁外れなお人だ。
魔力の供給は既に終わったが、彼女はつないだ手を離す様子がない。忘れ果てているのかもしれない。気疲れはあったと云うことなのだろうか?
(俺としても、嬉しいから良いけどね)
そんなふうに堪能していると。
「めー!」
可愛らしい声が、ホール内に響いた。
俺は胸の中に視線を向ける。
「にーた! ふぃーと! ふぃーとてをつなぐの! にーたはふぃーのなの! えいべる、めー!」
妹様が激怒されてしまわれた。
俺は苦笑いしながら、空いていた掌で、しっかりとフィーと手をつないだ。




