第八十九話 修繕作業の開始
エイベルが取り出したもの。
それは、綺麗な氷の塊だった。
魔石のようにも見えるが、どこかが違う。
強いて云えば、総族長が持っていた聖湖の大結氷とやらに近い。
何となく、厳かな感じがするが。
「エイベル、それは何なの?」
「……これは氷の精霊石。スェフの私物」
そう云えば、あの氷精の爺さん、宝物庫を所持してるんだっけか。
精霊王の子供らしいし、貴重品も複数所持しているんだろうな。
それにしても精霊石とは、また貴重なものを。
「それを使って、破損部位を補修するの?」
「……ん。破壊面をこれで塞いで、魔石と融合させる」
成程。だから穴を掘っていたのね。
確かに大きな破壊だったから、それを埋めることの出来る素材の存在はありがたい。
エイベルは精霊石を運搬するためのミニゴーレムを作り出した。
掘り出すためのものではないので、当然、炎は纏っていない。
ガッシリとした作りの丈夫そうなゴーレムだったが、やっぱりデザインが妙に可愛らしい。
うちの先生の趣味なんだろうか? それとも、無意識なのかな?
「ミー!」
「あっ!」
ゴーレムの持ち上げた精霊石の上に、雪精の幼体が飛び乗った。
まさか食う気なのかと驚いたが、どうも違うらしい。
何だろう? ゴーレムと一緒に、魔石の所にでも行くつもりなのか?
「…………」
「…………」
エイベルとシェレグが真剣な表情で顔を見合わせている。
ふたりには、この雪精の行動の意味が分かるのだろうか。
「そうか。それがそなたの決断であるのか」
「……貴方は、それで良いの?」
訳が分からないまま見守っていると、ちいさな雪精は誇らしげに、
「ミー!」
と鳴いた。
やっぱり訳が分からない。
「エイベル、どういうこと?」
「……この雪精が、魔石の補修をしてくれる」
「ん? 手伝ってくれるってことか?」
思わずちいさな雪精を見てしまった。
と、云うか、エイベルなら兎も角、この子にそんな技術があるのか。そのことに驚いたんだが。
雪精は精霊石の上でぴょこぴょこと飛び跳ねて、俺にやる気をアピールしている。
「そうか……。よくわからないが、よろしく頼むぞ」
「ミー!」
まかせろ、と云わんばかりの態度だ。
その心意気や良し。冷気を食わせてやろう。
冷風をまとわせた指で撫でてやると、雪精は気持ちよさそうにミーミーと声をあげた。
すりすりと俺の指に身体をこすりつけている。随分と懐かれたものだ。
「その者は、少年がこの地を救ったと理解しているのよ。なればこその態度であろう」
そうなのかなぁ。最初に氷を食べさせた時からのような気がするんだが。
あの時点では、こいつはもちろん、俺も何も知らなかったはずなんだが。
なんにせよ、この雪精は食いしん坊だが、可愛い奴だ。
考えてみれば、園の出身者で俺と一番仲が良いのは、この子だからな。
まあ、他に友誼を結んだものがいないだけなんだが。
そもそも、他の雪精や氷精とは、ろくすっぽ会話すらしていない。
園の住人で友好が深まる可能性がありそうなものと云えば、歳の近いエニくらいだろう。
(あー……。いや、俺よりも――)
笑顔で抱きついている妹様を見る。
フィーとエニって、もしかして友達になれたりしないのだろうか?
愛妹の交友関係を広げてあげるのも、兄の務めだ。
ここから戻ったら、ちょっと考えてみよう。
「――ッ!」
俺の視線に気付くと、マイエンジェルの瞳がキラキラと輝きだした。
「に、にーた、なぁに? ふぃーにごよう?」
俺に構って貰えると思ったのか、声が上擦っている。
「んー……。何、フィーは可愛いなと思ってな」
「……ッ! にーた、ふぃー、かわいい?」
「うん」
「にーた、ふぃーのこと、すき?」
「大好き」
「や……」
「や?」
「やったああああああああああああああああああああああああああああああ! にーたに、にーたにだいすきって、いってもらえたああああああああああああああああ! ふぃーうれしい! ふぃーしあわせ! ふぃーも! ふぃーもにーただいすき!」
マイシスターはわざわざ俺から一回離れて、助走を付けて飛びついてきた。危ないぞ。
「ふへ……! ふへへへへへ……! にーた、にーたあああああああああああああ!」
ぐいぐいと押しつけられる魅惑のもちもちほっぺ。
この圧力は、俺への思いの強さか。
「ふぃー、にーたすき! にーただけいればいい! ふぃー、にーたでいっぱい!」
うむむ……。
ここまで想われるの嬉しいが、これでエニとの交友が持てるのだろうか?
いずれにせよ、暴走モードに入った妹様は、しばらくこのままにしておくしかないだろう。
俺はフィーにぐりぐりされたまま、改めて精霊石の上に立つ雪精の幼体を見た。
ビー玉くらいの大きさだったはずの身体は、ゴルフゴールくらいまでに育っている。
多分、マイエンジェルの魔力を大量に吸収したからだろうな。
それでも、まだまだちいさいことには変わりはないが。
「ミー……」
こいつ、産まれて間もないんだっけか。
まだ、名前さえもない。戻って来たら、何か考えてやるのも良いかもしれないな。
「……では、出発させる」
エイベルはミニゴーレムに移動を命じた。
「ちっこいの。頼んだぞ~」
「ミー!」
俺の声に雪精はもう一度飛び跳ねて、それからゴーレムと共に、地下へと潜っていった。
その姿が見えなくなってから、俺はエイベルに尋ねる。
「魔石の補修って、雪精の手助けがいるものなの?」
「……単なる修繕なら、精霊石と大量の魔力があれば、何とかなると思う。けれど、今回は色々と特別。相応の対価が必要となる」
それは生物化や、最後の自爆で大きな破損が起きたからだろうか?
この地の魔石程に強力なものならば、本来は原因を取り除ければ、正常に戻っていくのだと云う。
だが、このままでは逆に、徐々に弱ってしまうのだと。
(そんな状況を何とか出来るのか。あの雪精、凄い奴じゃないか)
俺も負けてはいられない。
自分に出来る範囲で頑張らねば。
「……アル。ここからは、私の魔力を使って」
差し出されたちいさな掌は、ひんやりと冷たかった。俺はそれを、迷いなく握りしめる。
大陸を成す程の魔石の修繕だ。予想外に大量の魔力が必要になる可能性もある。
まだ幼い妹様に負担をかけたくはないから、それはありがたい申し出だった。
さて、補修作業の開始だ。




