第八十八話 予測と不測
「ふへ……。ふへへ……。にーたああ、にーたああああああああああああああああ!」
多くのものの命が掛かった戦いの最中であるというのに、フィーは満面の笑みで俺に頬ずりを始めた。
攻撃対象ではない魂に触れるという行為は、本来、大変な危険を伴う。
だから初めて魂命術を学んだ折りに、エイベルはわざわざ、「アルに触るならば、ほんの少し」と云い渡したのだ。
フィーの才能は疑いないし、魂に関する適性も紛れもないのだが、それでも、万が一と云うことがある。
たとえば、感極まって俺の魂に触り、ちょっと力を入れすぎた。
ただそれだけで、俺は死に至る可能性がある。
だから必要な場合以外は、決して他人の魂に触れてはならない。
エイベルはフィーに、そう云い聞かせた。
俺も死にたくはないので、マイエンジェルに、それを遵守することをお願いした。
フィーは俺のためにと素直にその条件を呑んでくれたが、一方で俺の魂に触れる喜びを知ってしまったのも事実だ。
口には出さないが、マイシスターが『それ』を気に入ったことを、俺は兄としての直感でわかっている。
本当は、キスやだっこのように、日常的に味わいたいのだと。
優しいフィーは、俺のために『触れること』を我慢してくれるはずだ。
だが、それはそれとして、欲求は残る。
だから発散する場所は必要だし、機会があれば、積極的にモノにしようとするだろう。
どうやら、今がその時であるようだった。
フィーの『名案』には、そのような意味がある。
だから、笑顔なのだ。
俺の魂に、誰はばかることなく触ることの出来る瞬間が、今。
もちろん、『触ることありき』で提案したのではなく、俺の助けが自分の望みにかなうってことなんだろうけれども。
俺は妹様の頭を撫でる。
「フィー、頼めるか?」
「う、うん! ふぃー、にーたのために、がんばる! ふぃー、にーたすき! にーたのおやくにたちたい!」
そして、内部を触れられる感覚。
すき、すき、すき、すき、すきすきすきすきすきすき……!
にーたすき! だいすき! やさしい! すき! なでてほしい! すき! きすしてほしい! だっこしてほしい! すき! ふぃーだけをみて! すき! にーただけがほしい! すき! すきすきすきすき……。
相変わらず、愛されてるなァ、俺。
(しかし、感情がダイレクトに伝わってくるってのは、案外やりにくいんだな……)
なんと云うか、ノイズの中で集中しなきゃいけない感じだ。
俺の感情を妹様にだけ向けていればいいのなら、嬉しい『声』なんだが、生憎と可愛い家族ではなく、薄気味悪い心臓を見つめることに、専念しなければならない。
耳を塞ぐことは出来ないし、したくはないから、このまま行くしかない。
それでも、心臓のコアの位置が分からないよりは、ずっと良いことだろうから。
(よし、フィーのおかげで、よく見える!)
位置は既に特定した。ただ、心臓は案外、頭が良い。
真っ直ぐに射出しても、きっと躱されてしまうだろう。
だから、追い込む。
こいつからすれば、俺がいきなり核の場所が分かるようになったなど、知るわけもないはずで、だからこそ、不意をつける。
闇雲に攻撃しているように見せかけ、壊しやすい位置に、釣り餌となる砲台を配置する。
そいつは俺の攻撃を回避しながら、射出機を壊そうとする。
(今ッ――!)
命中した。
確かにコアを貫いた。
しかし、驚いた。
ど真ん中ではない。
完全な不意打ちであったのに、ほんのわずか、そいつは躱してのけたのだ。
核は確かに損傷した。こいつはもう、助からない。
だが、僅かなりとも躱したということは、その分、少しでも寿命が延びると云うことだ。
即死ではないと云うことは、『反撃』を許すと云うことだ。
その『意図』に即座に気付いたのは、俺ではなく、エイベルだった。
最後のあがきとも云うべき一撃の矛先。
それを、俺は自分に来ると思った。
もがくことまでは予想もしたし、警戒もした。
だから反撃をするならば、明確に敵意を持たれた、俺自身にだと思った。
だが、『これ』は予想が出来なかった。
まさかそいつの最後の一撃が、自爆めいた八つ当たりだったなどと。
「……アル、魔石を守って!」
心臓最後の一撃は、魔石を割ることだったのだ。
魔石自体が大きく、更に心臓が虫の息だったこともあって、完全破壊されるようなことはなかった。
しかし、明確な亀裂が入ったのを感じた。
すぐに塞がないとマズい感じだ。
(魔石の魔力で、魔石の亀裂を塞げるか!?)
いや、少し難しいぞ。多分、維持で手一杯。
更に別の魔力が必要になるぞ、これは。
候補たり得るのは――。
俺はエルフの先生を見た。
彼女の魔力量なら、多分。
心臓がいなくなり、腕が消えたことでフリーになったエイベルは、真核をゴーレムに変えて地下への穴に追加していた。
あれを倒したのに、何をするつもりなのだろうか。
「……ゆっくり掘るなら兎も角、急激に掘るとなると、ゴーレムは使い捨てになる」
どうやら急いで掘らせると、過負荷で壊れるらしい。
しかし、意図が分からない。
「……アル」
エイベルは俺の頭に手を置いて云う。
「……最後の動きを読み切れなかったのは、減点材料。その直前の攻撃も、撒き餌を用意するのは良いけれども、単純な攻撃だったのが良くない。不意をついても抵抗しうるもの、対策しうるものもいる、と認識しておかないと不覚を取ることがある」
返す言葉もない。
頭がいっぱいだった、考えが回らなかった、と云うのは、この際、云い訳にならないだろう。
視野と工夫が足りなかったと思い知る。
エイベルは、俺なら出来ると思っていてくれた訳で、その期待に応えられなかったことも申し訳なく思う。
落ち込んでいると、俺の頭上に置かれた掌は、ゆっくりと髪を撫で始めた。
「……けれど、アルはよくやってくれた」
エイベルの表情に、一切のトゲはない。
指摘すべき問題点は問題点として、俺のことを褒めてくれるらしい。
最後の最後で、失敗したのに。
「めー! にーたなでる、ふぃーやるの! にーたほめてあげるの、ふぃーのおしごと!」
妹様が激怒された。
エイベルは特に張り合うことなく、手をどける。
「ふへ……。ふへへへ……。にーた、いーこいーこ……」
マイエンジェルが満面の笑顔で頭を撫でてくる。
その間に俺は、改めて魔石を見てみる。
クレーターのように深く丸い破壊の跡。そして、そこから長い亀裂が走っている。
何と云うか、殴って出来た跡じゃなくて、爆発でもしたような感じだ。
心臓の気配はない。
どうやら、完全に消滅したようだ。
「……最後の攻撃は、文字通りの自爆。心臓の意志であったのか、そうなるように設定してあったのかまでは分からないけれども」
「最近の心臓は、えらく芸達者だねぇ……」
エイベルは包みを取り出す。
それは、氷穴に到着した時にシェレグから受け取っていたものだった。
「エイベル、それは?」
「……一応の対策は指示しておいた。今回の騒動が人為的であるならば、その目的は大陸を成す核の破壊か奪取だとは予想が付いた」
流石はうちの先生。
無策でやって来た訳ではないらしい。
ともあれ、あとは傷の補修が出来れば事件は解決なのだろうか。
これ以上、もう何もない、よね?




