第八十五話 凡人のやったこと
十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人、と云う俚諺がある。
元いた世界のことわざだが、いみじくも俺の将来を的確に表現した言葉と云えよう。
母さんは俺を天才と思い込んでおり、実際、年齢から考えれば、俺は天才にしか見えないのだろうが、それらは全部、『前世の記憶』という貯金によって成り立っている。
長じて周囲が成長すれば、俺と云う人間の評価はきっと、凡庸な評価に落ち着くに違いない。
一方で、フィー。
我が家の妹様は、本物の天才だろう。
今世はともかく、前世の俺に、幼い頃からこんな明晰な頭脳はなかった。
魔術の才も隔絶しており、将来は相当な人物になると思われる。
天才と凡人の差とは、無から有を生み出すことだと俺は思っている。
それは、発想と連想の差だ。
全く新しいものを生み出すものと、元からあるものを膨らませるものの差。
0から1を作り出すのと、1を元に2や3を発展、進化させていくのとでは、難易度は大違いだ。
道を造り出し切り開くものと、後を辿り、舗装するものの差とも云える。
ただし、道の例を取ってみても、長い目で見れば後者の方が重要な場面もあるから、単純な善し悪しの評価ではない。
人よりちょっと器用だとか、優れた業績を上げられるだとか、色んなことを上手く出来るだとか、それだけで『天才』と云う言葉を簡単に使う者がいるが、それは違うと思う。
『スペックの高い人』が、必ずしも天才ではないと思う。
天才とは、『規格が違う人』のことだ、と、俺は思っている。まあ、重なる場合もあるけれども。
そしてそれは、困難に際して、どう切り抜けるかの差でもある。
まあ、なんだ。
長々と天才うんぬん語った訳だが、ようはニセ天才の俺には、現状――巨大な魔石に取り憑いた心臓を、全く新しい、劇的な手段で取り除くことは不可能だと云うことだ。
だが、凡人には凡人のやり方がある。
それは優れた手段や巧みな手法を、自分に取り入れ、アレンジすることだろう。
天才の後を追うことが、凡人の歩き方だ。
それは、『改良』出来ると云うことでもある。
この心臓のオリジナルを作った奴は、きっと天才だったのだろう。
どうやって作るのか、俺には見当も付かない。
単に生物として成立させるだけでなく、魔石に取り憑いて新たな生命となることが可能、と云うのも、凡人の及ぶところではない。
ただし、『それ』を俺は、今、この目で見ている。
ならば、模倣は出来るだろう。
「フィー、魔力を使うぞ?」
「…………」
む?
元気よく「はーい!」なり、「うん!」なり返事が聞こえてくると思っていたのだが、応答がない。
慌てて視線を落とすと、妹様は、ぽーっとした様子で、俺を見上げていた。
「フィー……?」
「……しんけんな、おかおのにぃさま、かっこいい……」
それは俺に対する返答ではなく、独り言のようだった。
しかも何故か、兄様呼びと来た。
こんな状況でも、マイエンジェルの内面世界は俺で一杯だ。完全に見とれている。
ま、こちらとしても、パニックになられたり怖がられたりしないなら、作業に集中出来るということだが。
(フィーの態度はアレだな……。状況が分かっていないとか、空気が読めないんじゃなくて、俺を信頼し切っているんだろうなァ……)
エイベルがいてくれるから落ち着いていられる俺だって、似たようなものだ。
普通なら、どうしようもない環境だろう、これは。
けれど、彼女がいるから、恐慌状態にならずに済む。
見とれるのだって同じだ。
どんな時でも、うちの先生の耳は魅力的なのだ。
俺はフィーの銀髪をひと撫でして、引き剥がしに戻る。
心臓が魔石から無尽蔵にエネルギーを引っ張ってくることには驚いたが、それはもう見た。
ならばその道筋を、なぞるだけ。
これが凡者に出来ることだ。
「~~~~~~~~~~~~~~ッ!」
突如、接合部分をはがされて、心臓が戸惑っているのがわかった。
何で、どうしてはがされるのか、とでも言いたげな反応だ。
やってることは、そっちと同じなんだがな。
フィーの魔力を使って、簡易的なパスを作り、俺と魔石を一時的に繋げる。
妹様の魔力の使用は、これだけだ。
これならば、そう負担にはならないはずだ。
そして、魔石の魔力で結合部を乖離させるのだ。
大陸級の魔力。
今度は俺が、それをそのまま使わせて貰う。
ひとつ、ふたつと接着部分を引き剥がす。
もともと魔石自体に心臓への抵抗があったから、除去は容易い。
魔石と繋がると云うことは、魔石から心臓への供給を絶つことが可能だから、なおのこと。
俺が引き剥がす毎に、洞窟内が大きく揺れる。
痛いのか、苦しいのか。
そこかしこに生えている無数の腕たちが、明らかに元気をなくした。
それはそうだろう。
エネルギーの供給源が減衰すれば、重要機関の維持を優先せねばならない。
末端に力を割く余裕はないはずだ。
「何をしたのだ? まさかこの魔力量に、対抗してのけたのか!?」
雪だるまが驚いているが、別に対抗していない。
と云うか、対抗は無理だ。
初めから、そんな路線は選びもしない。『被害者』の魔石に協力しているだけで。
「…………」
一方、俺を見るエイベルの瞳には驚愕はない。
心臓の除去を俺に依頼した張本人だからか、俺ならば解決出来て当然だと思っているらしい。
実際は過大評価なんだが、このお人もフィー同様、俺を過信するきらいがあるからな……。
まあ、今回は希望に添えて良かったと云うべきか。
「……アル。腕の破壊を始めても、大丈夫?」
「問題ないよ。いつでも構わない」
対・腕用の魔力も、当然、魔石から使わせて貰う。
問題は『数』だが、これも対処自体は出来るだろう。
「……ん」
エイベルが左手をかざすと、腕を押さえつけていた腕が、そのまま握りつぶしての粉砕を始めた。
何と云う力わざ。
この人、多分、俺が弱らせなくても、これが出来た訳だよね? 途方もない魔力の強さだ。
そして、俺が作り出したのは吸引器。
生のままの魔力で編んだ、見えない掃除機の様なもの。
大きさも相当で、吸引口も、多数ある。それらを腕の傍に向けて、解けた魔力を吸って行く。
無数の吸引器を作るのは難しいが、ひとつの巨大なそれを作りだすなら、話は別だ。
エイベルが腕を破壊するハシから吸って、俺を通して魔石に返す。
地下ではそのまま、心臓の除去作業。
こっちは思ったよりも大変で、剥がすそばから触手のようなものを出して、再度張り付こうとして来やがる。
何と云うか、この心臓からは執念じみた意志を感じるが、それを成就させてやる義理はこちらにはない。海面の上昇など、認めるわけにはいかない。
俺と心臓の遣り取りはその後も続いているが、ホール内では、あれだけあった腕が、既に跡形もなくなっている。
これは腕に腕で対処したからだろう。
ただ単に押さえつけるのではなく、エイベルは初めから駆除を視野に入れて、『無数の一対一』を作り出していたのだろう。破壊が迅速だ。
「信じられぬ……! 尊き御方はともかく、ただの人間の少年が、このような奇跡を……! 天才……! まさに天才だ……!」
シェレグが呻いているが、別に俺の場合は凄いことではない。
魔力の流用は敵である心臓を見習っただけ。
吸引器は掃除機の知識があるからね。
凡人には凡人のやり方があると云うだけの話。
間違っても天才ではない。
「ふぃーのにーた、すごい! ふぃーのにーた、あたまいい! ふぃーのにーた、だれよりもすてき! ふぃー、にーたすき! にーただいすき!」
雪だるまの賛美に妹様が同調して、はしゃいでいる。
俺が何をやっていたかが分かっているのは、魔力そのものを視ることが出来るエイベルだけだろうが、この娘は俺が褒められるのが嬉しくて仕方がないらしい。
(しかし、心臓が残っている。こいつをどうにか出来ないと、全てに意味が無くなるな……)
俺はフィーの頭を撫でてから、意識を魔力に集中させた。




