第八十三話 腕
腕。
腕、腕、腕。
そこにあるのは、一面の腕。
まるでキノコが群生するかのように、地面からも壁からも、そして天井からも、気味の悪い腕が生えていた。
腕は、動いている。
わさわさと揺れ、手招きでもするかのようだ。
つまり、こいつらは生きているのだ。
「これは……ッ!?」
冷静沈着なシェレグですら、その異様な光景に絶句していた。
「にーた、これ、きもちわるい! ふぃー、これ、やー!」
色々なものに興味を抱く妹様ですら、この反応だ。
「エイベル、これ、一体なんなのさ?」
俺が恩師を見上げると、エルフ様は眉をひそめたままで説明してくれた。
「……これは、魔導歴時代の生物兵器」
「生物――兵器?」
「……心臓、真核、そして、この腕。殆どがホムンクルス技術の流用。これを蜥人に渡した人物か、或いはその仲間に、錬金生物学に長けた者がいると云うこと。おそらく、魔導歴時代の技術をそのまま使えるか、その成果を保有しているはず」
錬金術師。
それも、ホムンクルスの扱いに長じる者がいるのか!
そして、そいつは、こんな薄気味悪いものが作れると……?
「……一部の生物や精霊は、核さえ無事ならば、肉体が再生出来ると、私はアルに説明した」
エニの核や邪精討伐の時の事だな。
「……これは、その応用――いや、悪用。この地の魔石を、強制的にコアにしている」
「――!」
それじゃ、つまり、この土地の核を使った、巨大なホムンクルスが産まれようとしていると云うことなのか?
この土地そのものが怪物になるのか、それともこの土地が滅んで、怪物が産まれるのか。
いずれにせよ、碌でもない事態だ。
アジ・ダハーカと云う女は、何を考えているのだろうか?
「ならば、早々の駆除が必要ですな。高貴なる方よ、根こそぎ破壊致しますか?」
シェレグが剣を抜く。
しかしエイベルは首を振った。
「……根切りは不味い。エネルギーの供給源は、この地の核。倒せば倒す程、衰退することになる」
「なんと! では、放置すれば怪物が生まれ、打倒すればこの地が滅ぶと云うことになるではないですか! 悪辣なッ!」
調略や軍略の奥義は、『相手がどんなふうに動こうとも、負ける形に追い込んでいくこと』だが、これを意図してやったのであれば、あちらさんの頭は抜群に切れるようだ。
或いは、そうではなくて、単純に性格がひん曲がっている結果かも知れないが。
「どう――されるのですか? 高貴なる方よ」
「……あれは一定以上近づくと、こちらを取り込もうと、手を伸ばしてくる。腕の伸縮はかなりの距離になるから、これ以上は近づかない方が良い」
取り込む?
まさか、掴まれたら、何らかの手段で食われるのか?
あの無数の腕が、一斉に伸びてくるのか。
なんとも、おぞましい気分になった。
「しかし尊き御方よ。核へ近い場所は、あの先にあるのでは?」
「……ん。だから、アル」
エイベルは掴んだ掌に力を込めて振り返る。
「……ここから先は、貴方の役目。とても大変で、忙しい」
「それは構わないけど……」
具体的に、何を?
大変なのは覚悟していたが、『忙しい』とは、一体……?
「……私があの腕を、押しとどめる」
サラリととんでもないことを云う。
びっしり生えてるぞ? 凄く大変だと思うんだが、出来るのか?
いや、出来るんだろうな、エイベルなら。
「……アルは所定の場所へ辿り着いたら、コアへアクセス。心臓はまだ、完全にくっついてはいないはず。魔石からの反発や抵抗がある。それを後押しして、心臓を引き剥がす。同時に、私は腕の破壊を開始する。空中に散った魔力を捕まえて、コアに戻す。この作業をして欲しい」
「いぃッ!?」
それ、絶対に高難度の作業だろう?
心臓を引き剥がすだけでも、きっと大変な手間だろうに、あの無数の腕の魔力を都度捕まえて、コアに循環させるのか……。
二個や三個の魔術を同時に使うのは訳ないが、これだけの数だと、ちょっと自信がないぞ。
魔力の消費量が脳に負荷を掛けるように、可能操作数を越える魔術行使は、場合によっては命に係わる。
結局、魔術は己の才覚を越えることが出来ない仕様なのだ。
情けなく逡巡していると、エイベルは両手で俺の掌を握った。
「……今回の旅は、アルには本来、関係がないこと。それなのに危険な目に遭わせて、今また、負担を掛けている。このお礼とお詫びは必ずするから、なんとか頑張って欲しい」
うむー……。
エイベルにここまで云わせてしまうとは。
逆に申し訳ない。
関係うんぬん云い出せば、そもそもエイベルだって無関係のはずだ。
それに、海面の上昇とバケモノの誕生を考えれば、全く関係ないとは云える訳がないし。
なにより、俺はエイベルの望みやお願いは、極力、叶えてあげたいと思うのだ。
なにせ、彼女には返しきれない恩がある。
いや、それ以前に、エイベルが大切だから、なんとかしてあげたい。
「わかった。やってみる」
だから俺は、強がってそう答えた。
「すまぬな、少年よ。尊き御方がキミを何故この地に連れてきたのか不明だったが、まさか核に直接干渉できる程の魔術師だとは」
その辺は師匠が優秀だからね。
まあ、俺が頑張るのは、このコミカルな雪だるまのためじゃあ無い。
園のためでも、なんでもない。
「力を尽くすのは、エイベルのためだよ」
「――――っ」
あ、エイベルの顔が真っ赤になってる。無表情だけど。
さて、しかし実際問題、この『数』をどう捌くか。
魔力量はフィーに頼るから良いとして、対応数と対応速度がのし掛かる。
あー……。いや、数を度外視すれば、いけるかも。
視点を広く持とう。
幸い、妹様のおかげで消費できる魔力は潤沢だ。
金ならぬ魔力に糸目を付けないのであれば、選択肢は広がるか。
(腕の見せ所だな……)
発想力の見せ所とも云う。
俺は俺にしがみついているマイエンジェルに目を落とした。
「フィー。いっぱい頼ることになるけど、大丈夫か?」
「う、うん……!」
俺の言葉に反応して、妹様の顔が、パアッと輝く。
「ふぃー、ふぃー、にーたのやくにたちたい! にーたにたよられたい! にーたのために、なんでもしてあげたい! ふぃー、にーたすき! だいすきッ!」
「よしよし、フィーは良い子だな。しっかり俺を抱きしめててくれよ?」
「ふへ、ふへへへ……! ふぃー、にーたのために、がんばるっ!」
ぎゅーっと呟いて、力一杯抱きついてくるマイシスター。
この娘が力を尽くしてくれるのも、俺の――いや、俺だけのためなんだろうな。
そして俺の努力は、この娘の未来でもある。頑張らねば。
「……腕の対処は、全て私が実行する。シェレグはこのふたりを、命に代えても守護するように」
「承知!」
俺がエイベルと雪だるまを見ると、両者も頷いた。
それが合図。
さあ、駆除作業の始まりだ。




