第八十二話 氷穴の奥へ
奥へ進むメンバーは、俺たち三人の他は、シェレグだけとなった。
これは熱気と熱線のせいだ。
他の騎士たちは、だからここまで来て、お留守番である。
「申し訳ありませぬ、尊き御方よ。これも我らが未熟なるが故……」
同行するはずのコミカルな雪だるまが、代表で頭を下げた。
つまり他の雪精や氷精は、冷気で常にガードしながら熱線や、あるかもしれない敵からの攻撃に対応できるスペックではないと云うことだ。
蜥人たちが寒さに弱いように、彼らに熱気は大敵だ。
中にいるだけで、相当な魔力を消耗してしまうらしい。
ただの熱じゃなく、魔力を帯びた熱だから、ガードするのも大変なんだそうだ。
「……別に構わない。『中』の様子は、ある程度把握出来ている」
エイベルの態度は慰めると云うよりも、ホントに気にも留めていない感じだ。
ちなみに、俺とフィーは手を繋ぐなり、だっこするなり、密着して進む予定。
別にいちゃいちゃする為ではなく、冷却や不意の熱線放出からのガードを、フィーの魔力で補う都合上だ。
……妹様は、俺とベタベタ出来て嬉しいだけかもしれないが。
「ミー!」
そして、何故か小箱の雪精も付いてくるつもりみたいだ。
まあ、俺に密着している限り、冷気と防壁の恩恵はこの子にも行くので、問題はないだろう。
大丈夫だよね?
(しかしこっちに来てから、フィーの魔力におんぶにだっこだな……)
物理的におんぶやだっこしているのは俺だが、魔力の供給は妹様にばかり使わせて申し訳なく思う。
ただまあ、おそらく俺には地下の魔石にアクセスする仕事があるので、コンディションは整えておかねばならない。
肝心な場面で、魔力を損耗して集中力を欠いていました、ではシャレにならないからな。
「フィー、魔力量は大丈夫か?」
「うん! ふぃーへいき! ふぃーげんき! ふぃー、にーたのためにがんばる! ふぃー、にーたすき! にーただいすき!」
笑顔で頬ずりされてしまった。
魔力を使わせて貰う都合上、この娘の貯蔵量は把握しているから俺が気を付ければ済む問題ではあるが、こう云う礼儀は大切だ。
「……アル。別に私の保有魔力を使っても良い」
エイベルがそう提案してくれる。
他者の魔力を使う訓練相手は、基本的にフィーかエイベルくらいしかいない。
ヤンティーネとガドで試したことはない。
ガドは兎も角、ティーネにはそのうち手伝って貰うかもしれないけれども。
俺とフィーの魔力の質はそっくりだが、エイベルのそれとは似ていない。
しかし、彼女の魔力はとても綺麗なので、扱いは楽だ。
ただ、マイエンジェルのものと同程度に、自在に扱えるかと云われれば、正直なところ疑問符が付く。
これは相性と云うよりも、練度の問題ではあるのだろうが。
(今は差し迫った状況でもないし、それを考えると、練習がてらにエイベルの魔力を使わせて貰うのもありなのかもなァ……)
エニの核の修復のように集中力と技術を要するものならば、絶対に妹様を選ぶのだが。
珍しく掌をこちらに向けてくれているエルフ先生。
ちっちゃな手だ。子供みたいに。
エイベルに触れることの出来る機会はマイエンジェルほど多くはないので、それは魅力的な提案だった。
(触らせて貰えるなら、手じゃなくて耳が良いんだが)
それでも、うちの先生の手は掴んでいて気分が良いので、握る価値はある。
俺は導かれるように手を伸ばし、そして――。
「めーっ!」
妹様が激怒されてしまった。
「にーたのまりょく、ふぃーのまりょくつかう! ふぃーがにーたをまもってあげるの!」
むむむ……。
矢張りフィーはエイベルに対抗心を持ってしまっているようだ。
単純な独占欲も、あるんだろうけれども。
「みゅみゅみゅ~~~んッ!」
「お、おおおぉぉぉ……」
マイエンジェルが必死に魔力を流し込んでくる。
俺のようにパスを通している訳じゃないから、ただの放出に近い。このままだと散ってしまう。
ホントに無駄遣いだな、これは。
勿体ないから、流れを誘導して、雪精の幼体にでも食わせておこう。
おお、ミーミー叫んで喜んでいる。良かったなァ。
「……アルはどうしたい?」
成程。
エイベルはフィーの主張じゃなく、俺の意見を尊重する訳ね。
「うぅぅ……。にーたぁぁ……」
妹様が俺に抱きつきながら、自分の存在を涙声で訴える。
俺が離れてしまうんじゃないかと、不安なんだろうな。
あああ、そんな目で見上げられたら、俺は断ることが出来なくなるじゃないか。
俺は恩師に視線を向ける。
「えっと、まだフィーが頑張ってくれるみたいだから、大丈夫だよ」
「にーたああ、にーたああああああああああああああああああああ!」
俺がそう告げると、マイシスターは大泣きしながら頬を擦り付けてきた。
こう云ったことにすら、この娘にとっては大ごとなのだろう。
優先順位が、完全に俺に定まっている。
「ぐすっ……! ふぃー、にーたすき! にーたによろこんでもらうの……!」
そして何故かそのまま、俺によじ登ってくる妹様。
一体、どこを目指しているのやら。
しかし、せっかく申し出てくれたのに、エイベルには悪いことをしてしまったな……。
彼女の方を見ると、無表情でちいさく頷いてくれる。
「……アルの決定なら、それで良い」
良かった。特に機嫌を損ねてはいないようだ。
まあ、エイベルは普段から鷹揚だしね。
……そもそも感情が表に出ないから、心底が分からない、と云うのは、内緒だ。
「……では、出発する」
――むんず。
「……ん? むんず?」
エイベルは俺の掌をしっかりと掴んで、そのまま無言で歩き出した。
(魔力供給はフィーに譲っても、手を繋いで進むのは撤回しないのね……)
いや、まあ、全然構わないけれども。
「……少年、キミは一体、何者なのだ?」
片腕をフィーに抱きつかれ、片手をエイベルに掴まれて進む俺の姿に、シェレグはそう呟く。
単なる兄で、単なる生徒です。
そう説明して、信じて貰えるのかしら?
そして、氷穴の奥へと向かう。
道中はエイベルが光の魔術で照らしてくれるので、視界の問題はない。
内部構造が変化している可能性もあるから、不意の熱線に気を付けろ、とだけ云われている。
俺は兎も角、妹様が、やけどでもしたら大変だ。
魔壁の展開には、しっかりと力を入れた。
魔獣の類はいない。邪精もいない。
だから、ただ進むだけ。
しかし、かなりの熱だ。
適温に保つための必要魔力量が、奥へ進むにつれて増えて行く。
「……育っている」
エイベルが一言、眉をひそめて呟いた。
何が?
そう問おうとして、俺は固まった。
そこに、あり得ないものを見た。




