第七十九話 グウェルの願い(中編)
アジ・ダハーカと名乗る不審な女は、またぞろ妙なことを口にした。
なんとなんと、この哀れな俺たちに、安住の地を与えて下さるのだとよ。
「いやァ……。そいつァ、ありがてェなァ……。ありがたくて、涙が出るぜ。礼を云えば良いのか? ありがとなぁ」
「か弱い女の子を、そう虐めないで下さい。私の提案は、そちらのデメリットにならないではないですか」
俺の嫌味に、顔色ひとつ変えることもない。
多分、こういう遣り取りに慣れてやがるんだろうよ。
随分と若く見えるのに、海千山千の商人みたいな気配がするぜ。
だから、こう云ってやることにする。
「物資はありがたく受け取ってやらあ。置いたらさっさと消えな。別に俺たちが、手前ェの提案とやらに乗ってやる義理はねェからな」
「ええ。それがあなた方の望みならば」
まるで堪えた風もなく、女は笑顔で爽やかに応じる。
「私の提案は、あくまでそちらの為を思ってのこと。受ける受けないは自由ですよ。ただ、まあ、当然の疑問として――」
女は自分の出した物資を見た。
心底厭らしい笑いだった。
「その食料や魔石が尽きたら、その後は、どうなさるおつもりなんですかぁ?」
「――――」
俺は押し黙った。
「お腹空いたよぅ……」
「寒い……。寒いよぉ……」
背後からは、ガキ共の声が聞こえる。
老人や雌たちだって、声に出さないだけで、思いは一緒だろう。
なんのことはない。
俺は、いや、俺たちは、初めから断れる状況ではなかったのだ。
「そんな怖い顔で睨まないで下さいよ。私の『お願い』を聞いて頂けるのでしたら、更なる支援も致しますので」
ほぉら、おいでなすった。
やっぱりこの女、俺たちに何かさせたいことがあるのだ。
「だから睨まないで下さいって。私、とても恐がりなんですよ。気がちいさいんです。それに、私のお願いが、皆様の利益に直結するのは事実なのですよ?」
「なら、何をさせたいのか、ハッキリ云え!」
俺が怒鳴ると、女は異次元箱から奇妙なものを取り出した。
それは巨大な心臓だった。
図体のでかいラガッハのものと比べても、きっと二回りはおおきいだろう。
その心臓は他の部位もないのに、ドクドクと脈打っていた。
「……何だ、この薄気味悪いもんは?」
――生きている。
その現実を認識しただけで、吐き気がした。
(こいつァ、係わっちゃいけないものだ)
それが分かっているのに、俺たちは断ることが出来ない。
「ええ、実は私、弱者の救済を趣味としておりまして――」
それは絶対に嘘だろう。
その反対――いたぶるほうが趣味と云われたら、俺はきっと即座に得心したろうよ。
こいつとは今あったばかりだが、『善性』からは程遠い野郎だってのは、よく分かる。
第一、『弱い』心臓が、こうして生きていること自体がおかしい。
俺たち蜥人だって、切り取られた心臓が動き続けるような生命力はない。
「……この気色の悪いものを、どうしろってんだ?」
「気色悪いでしょうか? 可愛いと思うのですが。まあ、良いでしょう。美的感覚は、人それぞれですからね。実はこの子を、ある場所まで運んで欲しいんですよ」
「ある場所?」
「ええ。大氷原にある、氷穴に」
何を云い出すかと思えば。
俺は鼻で笑った。
赤蜥人は寒さに弱い。大氷原の気温は低く、そこへ行くだけでも、俺たちには困難だ。
それに、あの辺りはモンスターも凶悪なレベルだ。
強いゴーレムが用意できるならまだしも、安い素材で作った粗悪なゴーレムでは、返り討ちに遭うだろう。
俺がそう告げると、アジ・ダハーカを名乗る女は、異次元箱からとんでもないものを取り出しやがった。
「こ、これは……!? まさか、魔剣かッ!?」
俺とラガッハは同時に叫んだ。
魔力を帯びた魔性武器ってのは酷く高価だが、これはそれよりもずっと上の武器。魔剣に違いなかった。
魔剣の作成方法と云うのは、とうに失われている。
一部のエルフやドワーフはそれを知っていると噂されたこともあるが、どうにも胡散臭い。
仮に作成方法があったとしても、世に出回っていないのだから、それは存在しないのと同じだ。
「そう。魔剣です。現在作り出すことの出来る武器の最高峰は、魔性武器まで。魔剣の作成者は、ドワーフにすら存在しません。これはそんなロストテクノロジー。魔導歴時代の遺物。炎の魔剣です」
この剣一本で、どれだけの値が付くのか。
女はそれをラガッハに手渡した。
ラガッハは鞘から魔剣を引き抜く。燃えさかる火炎が、洞窟を照らした。
「凄ェ……! 凄ェぜ、これはッ! こいつがあれば、どんな奴だってブッ殺せる!」
ラガッハの目が輝いている。こいつは戦うのが大好きだ。
それも、相手が強ければ強い程良いと考える戦闘狂だ。
それがこんなに良いおもちゃを与えられちまえば、一発で虜になろうというものだ。
単純なもんだぜ、と呆れる俺は、次の瞬間、目を疑った。
女が異次元箱から出した小石のようなもの。
それが一瞬でゴーレムに変化したのだ。
「な、なんだ、そりゃァ!?」
「これもロストテクノロジー。嬰児の真核です。本来はホムンクルスを作る為の核なのですが、ゴーレムマスターの素養があるものに限り、これをゴーレムに変化させることが出来るのですよ」
女はガキに小銭でも手渡すような気軽さで、俺にそいつをよこした。
恐る恐る魔力を流し込み、ゴーレムになれ、と念じてみる。
すると。
「お、おおおおおお!」
炎のゴーレムが目の前にいた。
信じられねェ。
これを奇跡と呼ばずして、何と呼ぶ!?
ゴーレムの作成ってのは材料もいるし、手間も掛かる。それがこんな簡単に……。今までの俺の苦労は何だったのかと、ため息が出る。
しかし、このゴーレムは凄い。
とてつもない強さなのが分かる。
これ一体で、他の蜥人共を何人も蹴散らせるだろう。
ゴーレムマスターの俺には、それが感じられた。
「真核はまだまだありますから、全部差し上げますね」
「こんな凄いもんが、まだまだあるだと!?」
「ええ、ありますよ。そうでなければ、貴方達でも大氷原では苦戦しますからね」
アジ・ダハーカの笑顔を見て、俺の興奮は一気にさめた。
大氷原には危険な魔獣がいくらでもいるが、こいつの口調だと、『それ以上』と戦えと云っているようにしか思われなかった。
「……まさか手前ェ……。フェフィアット山の氷竜とでも戦ってこいってんじゃ、ねェだろうな……?」
「それこそ、まさかですよ。あの山は危険です。単純な雪崩やクレバスだけでも死の危険があります。山頂付近には、一切近寄らない方がよいでしょう。低い範囲で山を抜ける安全なルートは事前に調査してありますので、そこを通って、更に北へと抜けて貰います」
「……そこに氷穴とやらがあるわけか。だが、安全ではないんだろう?」
「新天地です。皆様が安全に暮らせる、安息の地がそこにあるのですよ。もちろん、それは戦って勝ち取らねばなりませんが」
俺は後ろを振り向いた。
飢えと寒さで震えるガキ共がいる。
俺たちに、もう住処はない。
他の蜥人たちは、これからも俺たちを追い続けるだろう。
最早ろくな戦力がないのだから、安住の地を得なければ、遅かれ速かれ全滅してしまうはずだ。
「……俺たちは確かに戦闘能力には自信がある。だが、寒さに弱い。そこをクリア出来なけりゃァ、どんな凄い武器やら遺物やらを貰っても、どうしようもねェぞ?」
「ええ、そちらもちゃあんと考えています。どうぞ?」
女はまた、異次元箱から妙なものを取り出した。
それは一見すると魔石のようだが、何かが違う。
「それは火の精霊石です」
「せ、精霊石だとッ!?」
こいつはとんでもないものを、次から次へと……。
精霊石の価値は魔石の比ではない。
どちらも魔力を帯びた石であり、そこから放たれる魔力を利用できる点には違いはねェが、性能が段違いなのだ。
魔石は魔力が凝縮されたもの。粗悪品なら、そこら辺でも手に入る。
しかし精霊石は、精霊の秘宝だ。どこにあるのか? どうやって作られるのか、誰も知らない。
だから普通は手に入れることが出来ない。
これ一個で、どれだけの値が付くか想像も付かない。そんなものを簡単に。
「それがあれば、極寒の地でも問題ないでしょう。あなた方に与えられる恵みは、吹雪の魔術すら容易に跳ね返すでしょう。私が本気だと云うことが、分かって貰えましたか?」
確かに冗談で大氷原に行けと云っているわけではなさそうだ。
しかし、これ程の貴重品の数々を与えて、何をさせようというのか?
女に問うと、アジ・ダハーカは、薄い笑みを浮かべて答えた。
「あなた方にやって頂きたいことはシンプルです。この心臓を氷穴の奥深くに届けること、それだけです」
「……届けると、どうなる?」
「あなた方が幸せになります」
「何だそりゃァ、ふざけてんのか!?」
「ふざけてはおりませんよ。あの地は冷風の吹き出る場所です。それが、熱風と熱線の吹き出る楽園へと変わります。そこならば、あなた方の安住の地になるはずです」
「…………」
本当に、そんなことが可能なのだろうか?
この薄気味悪い、心臓で?
「ああ、ひとつ注意を。氷穴に異変が起きれば、あの地に住む雪精や氷精が動き出すはずです。そちらの対処はあなた方の手でお願いしますね?」
「雪精に氷精だと!? 途方もねェバケモノじゃねェか!」
「そのための精霊石ですよ。氷雪の精は確かに強いのですが、あれは特化型。冷たい魔術しか使えません。今のあなた方の敵ではありませんよ」
女は事も無げに云う。
そんな簡単であるわけがないのは分かっていた。
征けば、無事に帰ってこられる保証など。
しかし、結論は決まり切っていた。
頷くより、他にないと。
俺とラガッハは、ついに旅立つことを了承した。
その時のアジ・ダハーカの笑顔は、おぞましいとしか云いようのないものだった。




