第七百三十二話 ダブル(その二十一)
「……と、云うわけで、村娘ちゃんです」
「はい。村娘ちゃんです」
本当にやってきてしまったよ、この子。
いや、彼女の性格を考えれば、了承してくれるのは織り込み済みではあったんだけどもさァ……。
「む、村娘――」
「ちゃん……?」
ケンプトンの主従が、あっけに取られている。
うん。
云いたいことはわかるんだ。
何しろ、一国の王女を村娘呼ばわりだからね。
でも、俺にも事情があるんだ。
こっちに呼び出す条件として提示されたのが、『いつも通りに接すること』だったからさ。
だから、仕方がないんだ。俺は悪くない。
不敬じゃないのよ? 本当に。
なお、この場に来たのは、シーラ殿下ただおひとり。
いつものお付きのおっかない人は、遠慮して貰っている。
最初はマノン共々、超が付く程に難色を示されたが、村娘ちゃんが鶴の一声で黙らせた。
そういう部分の実行力も凄いのよね、この子。
――ただ、ですね。
「あの、村娘ちゃん?」
「…………」
「む、村娘ちゃーん……」
「…………」
「む、村娘、さん」
「……はい。村娘さんですよ……?」
長時間放っておいたせいで、村娘ちゃんは拗ねてしまっていた。
結果として、村娘ちゃんは村娘さんになってしまわれたのだ……!
「――何だか、何ヶ月も放っておかれたような気が致しますっ!」
「な、何ヶ月って、そんな大げさな……。は、はははは……」
第四王女はプンプンだ。
他の人たちにはにこやかで穏やかに接するが、先程から俺に対してはちょっとツンツンしている。
「え、え、と……?」
兇猛なベアトリーチェ王女ですら、流石に戸惑っている。
完璧でおしとやかなシーラ殿下が、実は年相応に子どもっぽいところがあるなんて、思いもしなかっただろうから。
村娘ちゃ――村娘さんは、なんてことのないように云う。
「おおよその事情は、こちらの――わたくしの幼なじみ様に聞きました」
俺たちが幼なじみって、初耳なんですが、それは。
「……これから、そうなるのです……」
ちょっと唇を尖らせてそっぽを向く村娘さん。
ほんのりとお耳が赤く見えたのは、気のせいだろうか。
まあ、俺たちまだ八歳だし、幼なじみを将来的に名乗れる期間ではあるけれども。
(マノンが聞いたら、『あたしはーーーーっ!?』って怒り出しそうだが)
村娘ちゃ……さんの奇行に、ケンプトンの主従は完全に戸惑っている。
残念ながら、常人に『村娘ぞーん』を打ち破ることは出来ないのだ。
「今この場で、わたくしとベアトリーチェ殿下が試合う――そういうことで、よろしいのですね?」
アッサリと本来の目的へと軌道修正してくる村娘さん。
「…………っ」
その言葉を聞いて、即座に凛然とした闘志を滾らせるケンプトンの姫君。
「そうだ。この私と、戦って貰う……っ!」
「戦い、ですか」
村娘ちゃんは『試合う』と呼び、ベアトリーチェ王女は『戦い』と云った。
そこには、確実な温度差が存在する。
――瞬間。ドレスを纏ったちいさな体躯が爆ぜた。
ケンプトンの幼き王女は、一切の対応が出来なかった。
フードの少女は阻もうと動いていたが、それよりも早くに、王女の喉元に貫手が添えられていた。
「……っ、ぁ……」
「試合いと違い、戦は唐突に始まるもの。奇襲が当然のように、まかり通るもの。敗れれば、命さえも失うもの。――少なくともわたくしは、師にそう教わっております」
つぅ、と一筋の汗を垂らすベアトリーチェ王女。
対してムーンレインのお姫様は、淡々と云う。
「命の遣り取りとまでは、わたくしは聞いておりません。幸運でしたね?」
体術――。
考えてみれば当たり前ではあるが、この子は格闘の術まで持っているのか。
王族が護身術を身につけるのは当然だし、姉妹弟子のマノンも対・物理を想定した動きが出来ていたのだから、格闘も習っているのは順当といえば順当だったのだろう。
(しかし――)
俺は身震いする。
彼女の動きは、付け焼き刃のそれではない。
身体強化の魔術を使ったとも思われない。
これで、あの動き。
それは間違いなく、俺の知るヤンチャ坊主を凌駕するものであった。
つまりムーンレインの第四王女は、魔術を使わず、武器も持たず、しかも動きにくいドレスであっても、ブレフを上回る戦闘能力を有しているということだ。
(幼剣姫かイケメンちゃんなら、おそらくは躱せただろうが)
逆に云えば、俺を含む他の同年代では、あんなものはどうにも出来ないだろう。御前試合で見た年少出場者の悉くを超えている。
「戦場であれば、ベアトリーチェ殿下は既に死んでおりますが」
「……ぅ、ぐ……」
それは、普段の村娘ちゃんからは考えられないくらいに、低い声。
穏やかな表情も消え、自分より背の高い少女を、冷たく見つめている。
「『戦い』というのであれば、これで終わり。……それで、よろしいですね?」
手刀を引っ込め、容易く背を向ける。
しばし呆然としていたベアトリーチェはしかし、すぐさま顔を歪ませた。
ここで終わるなら。
ここで退くならば。
何のために、今まで執念を燃やし続けたというのか。
そう思わせるかのような、憤怒に満ちた表情であった。
「ま、まだだ……っ! 私は、まだ……っ!」
それは、手を伸ばそうとしたのか。
或いは、翳そうとしたのか。
いずれにせよベアトリーチェ王女の腕が伸びた瞬間、背後を向いていたはずの村娘ちゃんは刹那にして振り返り、腕を掴んで彼女を回転させていた。
投げ技――。
ケンプトンの姫が地面に叩き付けられなかったのは、ひとえにムーンレインの王女が足からふわりと着地させたという一事のために過ぎない。
それは誰が見ても、この上ないくらいの『手加減』であった。
「――これで、亡くなるのは二度目です」
頭から落とされていれば、頭蓋が砕けるか首の骨が折れるか。
いずれにせよ、即死はまぬがれなかったであろう。
「わ、私は、魔術の戦いを望んでいたのだ……! こんな……っ! こんな戦士のような遣り取りを望んだわけではない……っ!」
強がりだということは、全員にわかったはずだ。
一方的な敗北を受け入れることが出来ずに云い返しただけだということが、ありありと伝わってきた。
けれども村娘ちゃんは、冷たい声と表情のままで、こう返したのだ。
「魔術師に魔術を使わせないことは、魔術戦の常道です。その発言は、状況を覆すことの出来ぬが故の白旗であると解釈致しますが、それで構わないのでしょうか?」
「…………っ」
ケンプトンの王女は黙り込む。
だが村娘ちゃんは、追撃をやめなかった。
「殿下は先程、我が友マノンに魔的盤を使った魔術戦で敗北しております。それでもなお、わたくしに魔術での戦を挑まれるのですか……? 魔術での争いならば、勝機があると、そうお考えなのですか……?」
矢張り、妙だ。
村娘ちゃんは、こんな相手を煽るような云い方をするような子じゃないはずだ。
(となるとやっぱり、何か考えがあるのかな……?)
だとするならば、俺は余計なことはしないほうが良いだろう。手出しだけでなく、口出しも。
「…………」
「……!」
俺の視線に気付いたのか、優しい王妃様の一人娘は一瞬だけこちらに柔らかい視線を向け、それから拗ねていたことを思い出したかのように、ぷいと横を向いた。
うん。
やっぱり余計なことをするのは、やめておこう……。まだ、村娘さんっぽいし……。
それにしても、さて、問題はケンプトンの王女様のほうだ。
普通、ここまで圧倒されれば、もう戦う気になんてならないだろう。少なくとも、俺ならば村娘ちゃんにケンカを売るようなマネはしない。勝てるわけがないからね。
ベアトリーチェはしかし、青ざめた顔のままで、それでも「参った」とは云わなかった。
恐怖で身体を震わせ、その瞳に涙を溜めていても、「やめる」と口にしなかったのだ。
そしてそれは、護衛役のビアンカ嬢も同じであった。
守るべき主君に対して、「もう、よしましょう」と語りかけることもない。
最初の村娘ちゃんの貫手以外は、阻もうともしなかったのだから。
ここにいる皆が、何かを抱えている。
合理も道理も無視して、その『何か』のために、終了を選択することがなかったのだ。
「にーた! ふぃー、お腹減った!」
ああ、うん。
お前だけは、ブレないねぇ……。




