第七百三十一話 ダブル(その二十)
洋の東西――そして地球・異世界を問わず、人は『たられば』の話が好きである。
たとえば神代。
幻精歴に囁かれたもしに、『当代最強は誰か?』というものがあった。
それは幻想領域の首魁であった天竜ライギロッドであったり、世界そのものを喰らおうとした蛇王であったり、それと戦った超戦力者の竜姫であったり、はたまたエルフ族の高祖・『破滅』であったりもした。
これらの強さ談義はあくまでも個々人に属するが、能力に関するもしももある。
「――無数の未来の中から自らの勝ち筋を知り得る戦晴眼の持ち主と、未知の危地すら察知してのける第六感の所持者。もし伯仲する力量の持ち主同士が戦えば、どちらが勝つか?」
などという、問いかけだ。
両方ともレアな能力だから俺の知る範囲では記録に残る対戦はなかったようだが、何故か平和な現在、この場にその能力の希少な使い手が両方揃っている。
まあ尤も、村娘ちゃんとビアンカ嬢が相争うようなことはないだろうけれども。
さて。
その希少能力の一方の持ち主である女の子のご主人たるベアトリーチェ嬢は、さしたる能力もない俺を激しい視線で睨み付けている。
「こんな……っ! こんな卑劣で武技も魔術もサッパリな、兵糧攻めを受けた雑兵のような雰囲気をした男が、ビアンカを凌ぐなどあり得ません……っ!」
雰囲気は関係ないだろう、雰囲気は。
彼女はそのまま、俺に食って掛かる。
「云えッ! 貴様に一体、何が出来るのかをッ!?」
「いや……。さっき見せた通り。罠にハメる。ただ、それだけとしか……」
他に云いようも、ないもんなァ……。
しかしアレだね。
この子の態度は、矢張り『強さ』に反応しているんだろうね。
ビアンカ嬢の云うことを信じていないのではなく、信じたくない。
フードの子が『勝てない』と云ったことを、認めたくない。
そういう風に感じる。
云っちゃえば、村娘ちゃんのお付きの人みたいに、俺自身に含むところがあるんじゃないってことなんだろうな。
だから、キツい言葉を投げかけられても、目くじらを立てる気にもならない。
「殿下」
そこへ、フードの美少女ちゃんが話しかける。
「こちらの御方は、紛れもない強者。先程述べたように、私が勝つ見込みは、ほぼ――」
――云い掛けて、動きが止まった。
何だろう?
驚いているようにも、青ざめているようにも見えるが。
これはベアトリーチェ嬢にとっても意外だったらしく、思わず顔を見合わせてしまった。
「ビアンカ。どうしたのです……?」
「――っ」
ビクリと身体を震わせ、それから彼女は主人に頭を振った。
「い、いえ……。なんでも、ありません」
それよりも、と、フードの少女は主君に対し、居住まいを正すかのように、改めて向き直った。
「強さとは、決して一種一属性のみを指すのではありません。多くの可能性と方向性があるのです。こちらの御仁には、それを示していただけるかと」
んん? それはまさか、俺にベアトリーチェ嬢と戦えということか?
(いや……。違うな、これは)
ビアンカは、薄布越しにこちらを見上げてくる。
「戦い――と呼べるものには、ならないでしょう?」
「まあ、ね」
俺は頷く。
それは彼我の戦力差という意味ではなく、性格やあり方の違いという意味で。
だが、王女はそれを、自らに対する侮辱と受け取ったらしい。
怒りに燃える表情で、鋭く睨み付けてきた。
「貴様がッ! 雑兵っぽい感じの貴様如きがッ! 空腹で倒れる寸前の落ち武者のような雰囲気の貴様なんぞがッ! この私に勝てると云うのかッ!? この私よりも、強いと云うのか……ッ!?」
答える代わりに、俺はドングリを自分の頭上に弾いて見せる。
彼女はそれで、俺が何を云いたいのかを悟ったようだ。
もしここで仕合っても、先程のネチ男戦の再現になると。
「まさか貴様、ビアンカを……ッ!」
「えと……。今の状況で一対一で戦う場合、殿下と仕合うならば、ビアンカ様を。逆にビアンカ様と戦うならば、貴女様を狙いますので、たぶん俺が勝ちます」
弱い者には、弱い者なりのやり方がある。
特にお互いをかばい合う主従ならば、乗ずべき隙はいくらでもあるだろう。
「なんたる卑劣漢……ッ! 忸怩たるものはないのかッ!」
恥だ誇りだなんてものを勝負の結果と両立できる程、俺は強くないんでねぇ……。
尤も、逆の立場で家族を狙われたら、身勝手にも俺は怒るとは思うけどね。
「――俺が云いたいのは、勝負の結果なんてものは、実際の強さとは必ずしも関係しないってことなんですが」
「貴様は詭弁を弄して卑怯な行いを正当化するつもりかッ!?」
「そうじゃない。そうじゃァないんですよ」
たぶんそれは、ビアンカ嬢が、ベアトリーチェ王女に知って欲しいこと。
第三者で無関係である俺から、指摘して欲しいことだと思うんだよね。
なまじ仲が良いから。
なまじ信頼関係があるから。
真からの言葉であっても、『慰め』と取られかねない。
だから無関係な人間からもある種の事実を示せるのであれば、きっとそれは、多少の意味を持つのだろう。
先の視線と両者の関係から、俺は勝手にそう解釈した。
俺は云う。
目の前の彼女らではなく、大切な家族を思い浮かべながら。
「強くなくとも。弱くあっても。人は人を、幸せに出来るし、幸せに生きることが出来ると思っております」
ようは、お金と一緒だな。
あればあるだけ有利にはなるが、幸福になるための絶対の条件ではない。
強さもきっと、同じだろう。
「戯れ言をッ! 弱くて乱世を生きてゆけるかッ!? 蹂躙されずに済むと思うかッ!? ――失望を……されずにいられると思うか……っ!」
成程。
最後の言葉が本音の部分か。
ならば、切り取るのはそこだけにしよう。
俺の言葉も半分詭弁が入っているから、云い負かされると困るしね。
「ベアトリーチェ殿下とビアンカ様は、『強さ』だけに準拠した、無味乾燥な関係なんですか?」
「――――ッ」
彼女は、黙った。
それはそうだろう。
俺の見たところ、この主従は互いを大切に想っている。
単なる主と護衛という関係なんかじゃなくて、本当の友だちなんだろうと、俺には思えた。
そしてそれはたぶん、俺がここに呼ばれた理由でもあるのだろう。
「……ビアンカ様。俺をこっちに引っ張ってきたのはつまり、村む――シーラ殿下に挑もうとしたことが理由、と解釈して良いですか?」
「…………」
主従は黙る。
それぞれがそれぞれ、べつの表情で。
ややあって口を開いたのは、両の目に魔眼を宿す者。
「シーラ殿下に挑む……ということまで、おわかりでしたか」
うん。
最初は『ケンカを売るつもり』なのかとも思ったが、どうやら違うようだと考えただけなんだかね。
「国のためでなく、立場のためでもない。たぶん貴女たちふたりは、ただお互いのために、あの子に――当代最強格の魔術師に、挑もうとしたんだ」
それも妄想。
なんの証拠もないことではあるのだが。
「……その通りです。人のいない中庭は、絶好の機会でありました。しかしあの場には、想定外の手練れがおりました」
想像の外、という以上、あのおっかないお付きの人のことではないのだろうな。
あの人はあの人で、凄く強いと思うんだけどね。
ビアンカ嬢は云う。
「ブルームウォルクの姫君と、そこでふにゃふにゃになって抱かれている貴公の妹君は、ほぼ無力でしょう」
「じゃあ、お付きの人とマノンを、どうにかするすべがあったと?」
「左の魔眼を解放しないのであれば、正直な話、短時間の足止めが精一杯でしょう。あの二名を敵に回して、勝利することは今の私には不可能です。それでも、そちらのベアトリーチェ殿下が挑む時間くらいは、なんとか作れたと思っています」
戦晴眼があれば、あのふたりを同時に相手取っても時間稼ぎくらいは出来たと。
実際にどうなったかは兎も角、そんな自信が持てるくらいではあると。
やっぱり相当な実力者なんだろうなァ、この子。
「ですが、あの場には、貴公もおりました。――はっきりと申しましょう。貴方様ひとりが敵に回る。ただそれだけで、こちらの企みの一切は潰えることでしょう」
過大評価しすぎだろう。
ただまあ、何かあったら大変だから、王妃様のお付きのメイドさん――ゾイさんだっけ? 彼女くらいには知らせに行ったかもしれないから、そういう意味では、確かに邪魔にはなっただろうけどね。
「だから、貴公に頼もうと思いたちました。こちらのベアトリーチェ殿下が、シーラ様に挑むことを、阻まないでいただきたいと」
「…………」
俺は押し黙る。
普通に大ごとだし、外交問題になるようなことだろう、これは。
だから『協力』なんて、出来るわけがない。
一も二もなく断るべき案件だろう、普通は。
(正直な話、さっきまでの俺は、『村娘ちゃんに何事もないように』って考え一辺倒だったんだよねぇ……)
あのお月様な幼女個人にしろ、同盟国同士の話にしろ、王女同士で戦いをさせるなんて絶対にヤバいことだから、ご破算にさせるのが正解なんだとは思うんだけどねぇ。
けれど。けれどもだ。
ベアトリーチェ嬢が村娘ちゃんに挑むことで憑き物が落ちるならば。
その心が救える可能性があるのであれば。
コッソリと競わせてあげるくらいは、してあげても良いのかもしれない……なんて思ってしまった。
――そこで、ちょいと閃いた。
(これ、村娘ちゃん本人に訊いてみるのが、一番良いんじゃないのかな?)
あの子は頭が良いし、優しいし。
ついでに云えば、なんかあっても揉み消してくれるかもしれないし(最重要)。
(あと本人に云ったら怒り出しそうだが、ベアトリーチェ王女の技量じゃァ、たぶん『大ごと』にすることは出来ないだろうしな……)
ケンプトンのお姫様の実力は、同年代の子どもと比べても突出しているのだろうと思う。
けれども、逆に云えば、それだけだ。
大の大人を敵に回しても問題なく勝利できるであろうマノンには及ぶべくも無いだろうし、百年に一人の天才と謳われるこの国の第四王女殿下相手では、もっと勝ち目がないだろう。
それなら、サッパリさせちゃうほうが、良いのか、なァ……?
ちょっと考えて、俺は口を開いた。
「んじゃ、呼びましょうか。村むす――シーラ殿下を」
アッサリと口にしたもんだからか、ポカンとしてたよ。ダブルで。
 




