第七百三十話 ダブル(その十九)
「そ、そこまで……。勝者は――キミ、だ……」
王子様がもの凄く引きつった顔で、そう告げた。
いや、うん。まァ、気持ちはわかる。
気持ちはわかるんだが、こっちの事情もくみ取って欲しいと思うのよね。
ただの児童が、強い人(たぶん)に魔術なし、武術なしで挑むんだから、正攻法は無理だわ。
今のは今ので、俺の精一杯だと理解して欲しいのよ。
「色と匂いから察するに、口から噴き出したのは、ロッコルの実の果汁か……」
王子様は、地面の上を右へ左へローリングする護衛役を見ながら、そんなことを云う。
「……よく、あの果汁を人様の目に吹き付けようなんて、悪辣非道なことを思いついたね……」
護身用!
あれはあくまで、マイエンジェルの護身用です!
その妹様は、余程に毒霧の活躍が嬉しかったのか、夢見心地のまま、俺にしがみついてきている。
「に、にぃたぁ……。ふぃー……。ふぃー、にーたが格好良すぎて、もう立ってられないの……。足に力が、入らないのぉ……」
うぅむ……。
いつものだっこをねだるときのウソなんかじゃなく、本気で足腰立たないようだ。そこまで感動するようなものか、これ?
取り敢えず、マイシスターを抱き上げておく。
「ふ、ふへぇ……」
ダメだこりゃ。
妹様は、ふにゃふにゃだ。しばらく正気には戻るまい。
王子様は、改めて云う。
「幼い子どもの身でエーゴンに挑むのだから、正面からは無理というのはわかるが、なんだか素直に褒めづらいな……」
別に褒めてくれなくていいです……。
しかし、そうか。
毒霧作戦が上手くハマったのもそうだし、フィー以外のメンツがドン引きしているところから見ても、ケンプトン人は、こういった『搦め手』に弱いのかな?
或いは、卑劣な戦い方を良しとしない気風があるということか。
今後ケンプトンの人と争うことは無いだろうが、この国の人たちは『引っかける』ほうが戦いやすいかもしれないということは、しっかりと憶えておく方が良いだろう。
まあ、ケンプトン人以外と戦うことになっても、卑劣作戦以外にやることはないのだが。
――そうこうしているうちに、王子様は自らの護衛を介抱し、立たせてやっていた。
ネチ男さんは、それはもう、もの凄い憤怒の表情で俺を睨め付けてきている。
……なんか、そこまで恨まれることでもやったかなァ……。口笛吹いとこ。
「ぬぅうぅ……っ! なんと卑劣なッ! 人の道を踏み外した、悪鬼の所業としか思えぬ! かかる屈辱、はらさずにはおくべきか! 小僧ッ! そこへなおれッ!」
今にも飛びかからんとする軍人さんを、その主が押しとどめた。
「エーゴン、やめろ。お前の負けだ」
「しかし……ッ!」
「戦場で同じことがあれば、お前は死んでいる」
「戦場にロッコルの実の果汁を持ち込むバカなんぞ、いるわけがないではないですかッ!」
「それはそうだが――いや、そういうことではない」
一瞬、同意しようとしていたあたり、俺の戦い方の評価は低いらしい。
「卑劣な戦い方をする者は、残念ながら一定数存在する。お前はそういう手合いから、我ら王族を守るためにここにいるのだぞ? 敗れた後に、あれやこれやと云い訳をしても、結果は覆らん。――それに、だ」
ジロリと、彼は俺とネチ男を交互に見る。
「我らは、そこな少年と約束をした。これにて、遺恨は残さぬと。――お前は、自らの主人と己の誇りに、泥を塗るつもりか?」
「う……ッ。ぬぅぅ……ッ!」
そんな、俺を睨まれても。
王子の護衛は暫く無言の怒りを横溢させていたが、やがて渋々と云った様子で、後ろへと下がった。
その瞬間、わずかな小声で、
「許さぬぞォ……ッ」
と呟いた気がしたが、俺は聞こえないフリをした。
一方で王子様は、形式的に頭を下げる。
あまり心はこもってはなさそうだが、立場を考えれば、それでも異例だろう。
「――と、いうわけだ。こちらから絡んでしまって、申し訳なかったね。我が――いや、そちらのビアンカの『眼』が見抜いた強さを覗こうとして、思わぬ結果になってしまったようだ。……我らはここで退散させて貰おう。頭を冷やす時間も、また必要だろうからさ」
そう云って、ヒラヒラと手を振って去って行く。
ネチ男のほうは、最後の最後の瞬間まで、俺を睨んでいたけれども。
そうして再び四人だけになると、今度はフードの少女が頭を下げてくる。
「――けしかけるようなマネをして、申し訳ありませんでした」
「……てことは、やっぱり意図的にああしたわけだ」
俺の言葉に、彼女は王女のほうに顔を向ける。
「……あの者が、殿下に絡んでおりましたので、つい」
意趣返しのタネに使われたと。
まあ、確かにネチ男くんに良い印象はなかったけどさ。
目元の見えない少女は、口元にかすかな笑みを浮かべる。
柔らかくて、けれどどこかイタズラっぽく。
「それに、貴方様がエーゴンに敗北を喫するとは、思っておりませんでしたので」
「……それは、魔眼が根拠なんですかね?」
彼女は、顔を伏せる。
そしてそれから、改めて俺を見上げた。
そこには、ある種の決意のようなものがあった。
「――非礼を詫びる意味でも、我が魔眼の秘密の一端を、貴方様に開示致しましょう」
「で……っ、いえ、ビアンカッ! それは……ッ!」
ベアトリーチェ王女は、慌てて止めようとする。
そりゃ魔眼の能力なんぞ秘中の秘だろうし、護衛の持つの選択肢を知られるのも、また不利になるだろうからね。
だが、彼女は首を振る。
「良いのですよ。そのくらいの誠意は見せねばなりません。……それに、私の持つ『右の魔眼』が強さを推し量るものであるとは、既に伝えております。切り札である『左』の情報までは、渡すことはありませんので」
『強さが分かる』ってだけでも破格だと思うが、彼女の左目は、その上を行くのか。
どんな魔眼なのか興味はあるが、流石にそこまでは教えてはくれないだろうね。
(まあ、そもそもお貴族様やら王族様やらとそうそう関わることのない俺が情報を得ても、活用することもないだろうしねぇ……)
知り得たことを他所に売り渡したり、吹聴して回る趣味もない。
とは云え、曲がりなりにも魔術の師を持つ身としては、彼女の魔眼に興味はある。
たとえばどのようにして、相手の強さを計っていたのか。
そして、どうして俺なんぞを強いと錯覚し、一方でフィーをスルーしていたのかという理由は、後学のためにも知っておきたいしねぇ。
などと考えている間に、主従での話し合いが終わったらしい。
ベアトリーチェは未だ得心行ってはいないのか、苦虫を噛み潰したかのような表情で黙り込んでいる。
反対にビアンカ嬢はフードをかすかにまくって、右側の瞳を露わにした。
(やっぱ美人だよねぇ、この子)
口に出すとまた拗れそうだから、思うだけに留めておくが。
「……あの……。あまり、その……マジマジと見られ、ますと……」
フードを被り直されてしまったぞ。
白いほっぺが赤くなってら。
彼女は咳払いを一つして、それから顔を隠したままで、こう云った。
「私の持つ『右の魔眼』は、戦闘に限り、自らの選択の善し悪しを把握出来るもの――と云って、理解出来るでしょうか?」
「――――!」
こいつは驚いたね。
それは紛れもなく、『未来を選択出来る能力』じゃないか。
「『戦晴眼』か。所持者、現代の世に実在したんだな」
「……こちらも驚きました。私の眼に関しての正確な知識の持ち主が存在するとは」
まあ、そりゃ情報の出所がエイベルだからね。
だが、エルフ族の間でも『おとぎ話』と呼ばれる眼を持っているとは。
戦晴眼の能力とは、こうである。
たとえば同じ相手と戦ったとしても、『こうすれば勝てた』とか、『ああしたら負けていた』など、可能性とそれに伴う結果は無数にあるだろう。
戦晴眼は、それを知ることの出来る能力だ。
そして無数の結果を知ることが出来れば、より確実な勝利を自ら選択し、掴み取ることも可能であろう。
云ってしまえば彼女の魔眼は、未来に干渉する類の異能であるとすら形容できるか。
しかし、この力は破格ではあっても、絶対ではない。
たとえば持ち主が俺のようなへなちょこであれば、せっかくの魔眼もろくろく活かすことも出来ずに、宝の持ち腐れとなることだろう。
『先』が知れても、そこに挑むのは、どこまで行っても自分自身なのだ。
だからこの目は、相手との力量差次第で、知れる選択肢の幅が大きく変わる。
極端に云えば、途方もない格上と、逆に圧倒的な格下には、一切発動しないはずなのだ。
フードの少女は、顔を伏せたままに呟いた。
「魔的盤の集いで、不可視だったのは、二名だけ。シーラ殿下と、そちらの妹さんです」
成程。
だから、この子はフィーを弱いと判断したわけか。
まあ、この無邪気な幼女が、恐るべき戦力者だと思えるはずもないしね。
「――そして、貴方様は」
ビアンカ嬢は、顔を上げた。
「まるで、か細い糸のように、かすかにしか勝ち筋が見いだせませんでした。つまり私が貴方様に挑めば、通常、まず勝ち得ないとも」
「バカな……ッ!」
淡々と告げられたその言葉に、すぐ傍に居るベアトリーチェ王女は、驚愕したかのような表情を浮かべていた。




