第七百二十八話 ダブル(その十七)
やって来た者たち。
それはカッチリとした礼服に身を包んだ、ふたりの男であった。
少年――と呼ぶべき年齢の両者は、どこか厳しさをたたえたかのような容姿をしている。
それは元々の外見というよりも、鍛錬によって獲得されたかのような雰囲気だった。
少々乱暴な云い方をすれば、『青年将校』のような感じか。
一方は整った顔に尊貴な雰囲気を持っており、『貴族出身の軍人』のような気配をした人物。
そしてその彼の護衛に付いていると思しきほうは、傲慢なエリート軍人の見本のような、堅苦しさと周囲を見下すかのような目つきをしていた。
高貴そうなほうが十代中頃で、もう一方はそれよりもいくつか年上に見える。
『イヤな雰囲気のほう』の男は、俺たちを見つけると、すぐにケンプトンの少女ふたり組へと視線を移した。
何と云うか、初めからクレーンプット兄妹には興味がなさそうな感じだ。
絡まれる心配がなさそうなのはありがたいが、目の前の幼女たちを見おろす目つきには、多分に侮蔑の感情が覗いているように見えた。
これは俺たち家族が、西の離れでベイレフェルト家の使用人たちに向けられる視線と同種に思えて、それだけで何だか、この男に良い感情を持てなくなってしまう。
いや、初対面で偏見持つのは良くないんだけどね。
「ベアトリーチェ、ここにいたのか。てっきり、シーラ殿下に挨拶をしているのかと思っていたぞ?」
高貴そうな少年が、そう云った。
一国の姫を呼び捨てにするということは、同族――兄か従兄か、そういう間柄なのだろうか。
「…………」
ケンプトンの王女は、既に目元を拭い終えていた。
あの短時間で表面上は何ともないふうを装えているのは、『普段からそう』だということなのだろうか? 尤も、その目は赤いままであったが。
彼女は、すぐ傍に立つ自らの護衛に振り返る。
フードの少女は、ちいさく頷いた。
王女は、少年に向き直って云った。
「お、おにい……さまも、こちらにいらしたのですね。ステファニー殿下のお側にいると思いましたのに」
その言葉に、一瞬の間を入れてから、彼は答えた。
「――ん? ああ。質実剛健で飾り気のないケンプトンの庭と違って、こちらの庭園はどれも一級品だと聞いているのでね。土産話を仕入れるついでに、あちらこちらを見学させていただいているのさ。尤も、国王陛下秘蔵の『空中庭園』には、入場の許可が下りなかったがね」
矢張り、この男はケンプトンの王族であったらしい。
ムーンレインの第二王女の婚約者が、確かケンプトンだかブルームウォルクだかの王子と聞いていたから、たぶんそれなんだろうな。
イヤな雰囲気のほうが歪んだ笑みを浮かべて前へ出たのは、そんなときだ。
「ベアトリーチェ殿下。いかがですかな、我がアメルハウザー家の護衛の様子は。ビアンカは愚かにして無知無能な非才の身。殿下に迷惑を掛けていないか、そればかりが心配でございます」
「――――っ」
我がアメルハウザー家と口にするということは、こっちもこっちで身内なのか。
暴言王女は、男の言葉に身を竦ませた。
そんな彼女を庇うかのように、フードの少女が前へ出る。
「この身、ビアンカは、十全にその任を全うしております。もしも寸毫でも疑念あると云うのであれば、その身をもって、この私に挑むと良いでしょう」
「…………チッ」
『妹』にそう啖呵を切られて、『兄』は明確な舌打ちをした。
だが、すぐに思い直すように、王女に質す。
「……と、こちらはそう云っておりますが、実際はどうなのです? 貴女ご自身の口から伺いたいものですなぁ? ビアンカたる護衛は、果たしてものの役に立ちましょうや?」
「……………………」
「うん? どうしたのです? 何故に答えないのですか? ビアンカは無能なのかそうでないのか、是非にも貴女様からお聞かせ願いたいものですなぁ」
「…………っ」
ベアトリーチェは、俯いた。
俯いて、拳を握りしめている。
(成程ねぇ……)
事情はわからない。
状況も、サッパリだ。
けれども、推測くらいは出来ている。
(あー、あー、あー……。俺って、やっぱバカだよなァ……)
首を突っ込んではいけない。
口を挟むべきではない。
そんなことは、わかっているのだ。
だが、幼い子どもをネチネチといたぶるようなマネを、見たくない。
つまりこいつは、愚かしい自己満足なんだ。
そっとフィーを地面に下ろす。
妹様のポケットには、天使様が喜び勇んで拾ったドングリが、これでもかと詰め込まれている。
そのひとつを、拝借した。
視線はフィーに固定したままに。
見つめられてデレデレ状態になっているマイエンジェルを他所に、木の実を指で弾いて飛ばした。
対象は――ケンプトンの王子様。
「何をするのかな?」
俺の仕掛けた不意打ちはしかし、いとも容易く王子本人に弾き飛ばされた。
うん。
鍛え込んでいるという俺の見立ては、当たっていたようだ。結構強いんだろうね、この人。
すぐに彼に向き直り、腰を折った。
「――大変申し訳ありません。あらぬ方向へ飛んでしまったようです」
「……明確に、こちらを狙ったように見えたがね」
警戒と呆れが交じったような視線を受けるが、『怒り』は感じない。
こちらの真意を測りかねているようでもあるし、俺をただのバカな子だとも思っているのかもしれない。
一方、ネチ男は激怒して怒鳴った。
「この痴れ者がッ! ケンプトンの王族たる御方に、なんたる無礼かッ!」
「はい。重ねて非礼を謝罪致します」
深く腰を折りながら、俺は続けた。
「――ところで貴方様は今、王子殿下に迫ったアクシデントを防ぐことが出来ませんでしたが、果たしてそれで、護衛の任務を果たせましょうか?」
「――――」
フィー以外の全員が、息を呑んだ。
俺がやったことの意味を、理解したのだろう。
ベアトリーチェはハラハラとした様子でこちらを伺っており、フードの少女は凝視してきているようでもある。妹様はそれを見て、「にーたを見る、めって云ってるのーーーーっ!」と大激怒され、一方で王子殿下は、成程と微笑したようである。
「貴様……っ」
ネチ男は、青筋を立てている。
ケンプトンの人間は沸点が低いのかしらとも思ったが、フードの子と王子は沈着そうだから、これはこちらの偏見だろうな。
俺は言葉を続ける。
「まさか幼女相手に絡むことに夢中になって、護衛対象をおろそかにするような者がいるとは思いもよりませんでした。しかもそれが、音に聞こえし軍事大国の精鋭とは! 自らの見る目のなさ、不明を恥じ入るばかりです。改めて、謝罪申し上げます」
少なくとも我が槍の師ならば、そんな無様は晒さないだろう。
見え見えの挑発に、ネチ男はいよいよ顔を真っ赤にした。
「この……ッ! 小僧めがァッ!」
拳を振り上げようとする男を、しかしその主人たる王子が止めた。
「やめろエーゴン。お前の負けだ」
「し、しかし殿下っ! このままでは、示しが――」
「子どもの機転に一本取られたのは事実だ。それを認めず、暴力で発散するというのであれば、それは恥の上塗りにしかならん。――それに、見ろ」
王子は、俺が新たにひとつドングリを持っていることに気がついていた。
「あっ!? こ、こいつ……っ!」
もしも猪突していたら、更に面目を失っていたことに気付いたらしい。怒りに肩を震るわせている。
「ぐ、うぅ……っ」
「エーゴン。武人であるというのであれば、誇りを持て。自分よりも弱い者にコケにされて頭に血がのぼるのはわかるが、それを律してこその近衛であろう。今回は退いておけ」
「ぐ……っ! わかり、ました……っ」
うわァ……。すッごい睨まれてるよ……。
これ、後に遺恨を残したりしないよね?
サッパリと割り切って貰えると嬉しいな、うん。
ほぅっと息を吐く俺に、王子は云う。
「キミも、自重をすることだ。エーゴンは粗忽なところもあるが、間違いなく強い。怒らせて良い相手ではないよ」
「……肝に銘じます。それから、場を収めていただいて、ありがとうございました」
「なに。他国で騒動を起こす訳にも行かぬからね。それに、キミを攻撃しようとしたら、そちらの……ビアンカが動いただろうからね。それは困るんだ」
フードの子とフィーは、確かに俺を助けようとしてくれていた。そんなことになれば、いよいよ収拾が付かなくなったろう。
ともあれ、不意に起きた小規模の嵐は、一応の収束を見た。
新たなる闖入者たちも踵を返そうとしている。揉め事も、これで収まるか。
そう思った矢先、フードの子が、ネチ男の背中に言葉の爆弾を投げかけた。
「――命拾いしましたね」
紡がれた声に、皆が動きを止めた。




