第七百二十七話 ダブル(その十六)
フィーリア・クレーンプットは、天才である。
それは魔術や陶芸のような『技術』に関することだけでなく、事象を跳躍し、真実の門の前に辿り着く思考的意味で。
目の前の風景を無視し、一方的に物事の核へと辿り着ける者は他には、ぽわ子ちゃんことミルティア・アホカイネン嬢がいるが、あの子とうちの子のアプローチの方法は、たぶん違う。
けれども異なる方法、違うルートで唯一無二の場所へと到達できるという意味で、両者は同種なのだ。
フィーは今、両手を広げ、懸命に威嚇をしながら、ベアトリーチェに云う。
「にーたに八つ当たりする、それ、やっちゃダメなのーっ!」
「なにっ!?」
暴言王女は、怒りに顔を真っ青にした。
それはいみじくも、フィーの指摘が的を射ていたことを物語る。
もしも『八つ当たり』が見当外れな物云いであれば、何を云っているのかと不審がられるだけであろうから。
「にーたに酷いことしても、強くなんてなれないの!」
「き、貴様ぁ……っ!」
彼女は、いよいよ表情を歪める。
成程。
俺は彼女の執着を『強さ』だけに見ていたが、マイエンジェルの指摘が正しいのであれば、この王女は『強くなりたい』ということが大きな願望なのか。
(では、何のために?)
ケンプトンは、軍事国家だ。
だから全体的な志向として、強者を目指すということには理解が出来る。
だが、この子はまだ子どもだ。
こんな憎悪にまみれたかのような、歪んだ渇望を抱くものだろうか?
普通ならばそれこそ、ブレフのような幼くとも真っ直ぐな範囲の時期であるはずだ。
(似て非なる子も、いるにはいたか)
幼剣姫トゥーリ。
あの子の御前試合のときの、自分の命を省みない必死さは、ただただ大好きなお母さんのためだった。
しかし、あの仮面の幼女の場合は自分が懸命の努力をするだけで、『他者を憎悪する』というカタチにはならなかった。
それはたぶん、病に倒れたお母さんが優しかったから。
(それはきっと、村娘ちゃんも同じだろうな……)
あの子も努力と研鑽を続けているが、常に優しく、他者を気遣うゆとりがある。
育った後の愚かしさは、本人のバカのせいだろう。
けれども、幼い子どものうちに影響を与えるのは、矢張り親だと思うのだ。
となれば、思い浮かぶのはひとつの可能性。
「お前は弱い、とでも云われたのかな」
それは、ただの独り言だった。つい口から出た、想像の欠片。
だがベアトリーチェ王女は、今の今までフィーに向けていた感情の奔流を、明確にこちらへと移動させたのだ。
「貴様ァァァァァァァァーーーーっ!」
我を忘れる、とはこういうことなのであろう。
魔術が本懐であるはずの少女は、俺を殴りつけようとしてきたのであった。
フィーと護衛役の子が、止めようと動く。
――が、俺はそれを視線で制した。
この場合は、発散をさせてあげるほうが良い。
と云っても、ガチで殴られるとマイエンジェルが心配するだろうし、家に帰ってから母さんに叱られるだろうから、そこは手を打つ。
技術もへったくれもない大振りの一撃。
それが頬に到達する瞬間に、粘水でガードする。
痛みはなく、衝撃もほぼ無かった。
つまり、ダメージはゼロだ。
役目を終えた柔らかい水は、根源干渉で即時に消滅させる。
これならフィーやエイベルのような魔力の感知に長ける者か、セロの軍服ちゃんのように魔術の発動を感知する能力者でも無い限り、バレることはないだろう。
ちなみにこれ、ヤンティーネとの槍の訓練で、日常的にやっていることね。
槍の師には、おかげで安心して打ち込めますとか、恐ろしいことを云われてはいるが。
案の定、俺を殴れて少しでも正気を取り戻したのか、ケンプトンの王女は肩で息をし、こちらを睨み付けながらも、それ以上のことはしてこない。ただただ、歯ぎしりをするばかりである。
「私は……っ! 私は、劣った者などでは……っ」
ベアトリーチェは、泣いていた。
そんな彼女を、護衛役の女の子が慰めている。
その光景は、フィーの指摘が正しく、そして俺の想像が合っていたことを物語っていた。
(クレーンプット家の子だったら、そんな言葉を投げかけられることは無かったろうけど……)
うちの母さんは、ただひたすらに我が子を愛してくれている。子どもの笑顔を、心の底から大事に思ってくれている。
無論、それは俺が恵まれているだけだ。
良いとこのお嬢さんなら、『成果』を求められるのは、きっと普通なのだろう。年が明けて一月に誕生日を迎える、あの異母妹のように。
「にーた! 危ないことする、それ、めーなのっ!」
フィーに抱きつかれた。
うん。
理由があったとはいえ、心配させるようなことをしたのは、反省すべきではあるのだろうな。
ひとしきり俺に抱きついた妹様は、今度は暴言王女のほうへ歩き、お気に入りのブタさんポシェットから、紙に包まれた飴玉を取り出して差し出した。
「悲しいときは、甘い物を食べると良いの! ふぃー、いつもそうしてる!」
「この、私が……施し、など……」
云いながらも、ケンプトンの王女の言葉は弱々しい。
フィーの厚意をはね除ける元気がないようだ。
それ程までに、ショックを受けているのだろう。
物心ついてからずっと、傷ついてきたと云うことなのだろうか。
――たぶん、俺には何かを云う資格がない。
彼女の心を、わかってあげられない。
それだけの知見も、この子に関する情報もなく、そもそもからして、したり顔で踏み込むことをして良い程に親しくもない。
でも。
それでも。
やっぱり子どもには、笑っていて欲しいと思うのだ。
この場にいる三人の意識がフィーの飴玉に向いているうちに、しゃがみこんで花を摘む。
きちんといけられたそれではなく、勝手に生えた雑草の一種と思えるものを。
そしてそのまま、フィーの飴玉に戸惑っている少女に近付く。
「…………?」
俺がさしだした手を見て、ケンプトンの幼女ズは首を傾げる。
説明をしないまま、一度手を閉じ、そして開いた。
「――花が」
と呟いたのは、フードのビアンカ嬢のほう。
ただの手品だが、意表はつけただろうか。
「なんの……つもりだ……」
「花、綺麗ですよね」
そっと手渡した。
抵抗はなかった。
「こんな……。こんな路傍の花など、何の、意味が……」
「似合いますね、ベアトリーチェ様に」
「…………」
ケンプトンの少女は、顔を歪めた。
ポジティブな感情ではないのは明らかだったが、激発はしなかった。
「――俺には、難しいことはわかりません。なのでこれは、妄言に近いものだとお考え下さい」
見ず知らずの少女に、寄り添えるだけの材料は、何もない。
だけれども、伝えられることは、きっとある。
「花を愛でられる時間というものは、きっと貴重なんですよ」
抽象的すぎるだろうか。
ズレていると思われるだろうか。
でも、俺は思うのだ。
『強さ』だけを追い求め、自分自身を傷つけ、摩耗して行く姿というのは、たぶん間違っている。
己の人生の行く先に『最強』を志し、そのために全てを厭わぬ、と自らを規定しているというのであれば、何も云うことはない。
だが、この少女が欲しかったのは、たぶん『家族から認められること』。
ならば自他ともに傷ついて行くだけの道を、無理に歩く必要なんてないのだと。
路傍の花を脳天気に楽しめるほうが、素敵な生き方なのだと、認めることはなくとも、考えるくらいはして欲しいと思ったのだ。
(それはそれで、俺の勝手な押しつけなのかもしれないけどね……)
青白い顔でこちらを睨め付ける少女の手を、同国人の護衛の女の子が、両の掌で包み込んだ。
ふたりの少女が、ひとつの花を握っている。
うん。
やっぱりこの子がベアトリーチェ王女を守るのは、『仕事』というだけでは無いように思える。
マノンが村娘ちゃんを守ろうとしたように、任務ではなく感情によってそうしているように、俺には見えたのだ。
「ベアトリーチェ殿下は、ビアンカ様に認められているように、俺には思われます」
「――――っ」
予想以上の反応だった。
彼女は無表情のまま、ひとしずくの涙をこぼしていたのだ。
それはまるで、『認められたい人に認められた』とでも云わんばかりに。
フードの少女は、可愛らしい声を静かに響かせた。
「……私は、貴女様がどれ程頑張っているのかを知っております。かの家の誰が認めなくとも、『友』である私が、何よりもそれを保証致します」
「……っ。……~~~~~~~~~~~~っ!」
ベアトリーチェは、ビアンカの身体に顔を埋めて泣いていた。
俺には何も事情がわからないが、きっと幼い身に多くのことがあったのだろうということだけはわかった。
「にーた! ふぃーもだっこ!」
「はいはい……」
妹様を抱え上げると、同時に天使が囁いた。
「にーた。こっちに誰か来るの」
誰か、か。
それはつまり、村娘ちゃんたちではないということ。
今は彼女たちが落ち着くまで、そっとしておいてあげたいんだけれども……。
願いも空しく、ふたりの人物が新たに現れた。




