第七十四話 邪精への干渉
残り二体の邪精の居場所へと移動する。
俺だけではなく、妹様の魂命術を試す為にも、一体ずつ相手にする事になった。
目の前には、三メートル四方の魔術のキューブに入れられた二体の邪精。
彼らはエイベルによって一瞬で閉じ込められた。
唐突に作られた壁に戸惑いながらも、拳を叩き付け体当たりをし、猛り狂っている。
「……これは雪の邪精だけど、氷の邪精の場合、自爆するかのように身体を構成する氷塊を飛び散らせるものもいる。念のため、このまま近づいた方が良い」
通常攻撃の他、そう云う手段で被害を与えてくることもあるのか。
流石は実戦経験豊富なアーチエルフ様だ。如才のないこと、この上ない。
エイベルが手をかざすと、糸の切れたマリオネットの様に、邪精二体は崩れ落ちた。
死んだのではなく、意識がなくなったようだ。
「……雪精にも邪精にも、皆個性がある。固有の能力を所持している可能性もある。万全を期しておくに如くはない」
「眠らせたのか……?」
「……似たようなもの。能力を行使するなら、この状況の方が多分、安全」
動けないうちに試す訳ね。
これでは実戦と云うよりも理科の実験みたいだな。
だが、確かにこれなら、怪我や襲撃の心配なく術に集中できる。
エイベル先生の配慮に感謝せねばなるまい。
「で、エイベル」
俺はやっと、寄り道に連れられてきた理由を訊くことにする。
「エイベルは俺がコアにアクセスできることを知っているのに、どうして邪精で試させようとしているの?」
「……実際に触ってみればわかる」
可愛い先生は指を揺らす。
瞬間、檻のひとつが消滅し、邪精に触れるようになる。
俺はそこに、手を伸ばした。
「お、おおおぉ……」
思わず呻き声をあげてしまった。
そこには、ノイズがひしめいていた。
視覚的に表現するならば、一面の砂嵐と云うべきだろうか。
邪精の身体は魔力の流れが酷く、核と云う目的地までが不明瞭で、上手く中心部へアクセスできない。
俺の送り込んだ魔力は暴風に散らされてしまい、コアに辿り着ける感じがしない。
「よくこれで、生き物として成立するな。ただの魔力の渦みたいだぞ」
「……邪精はエネルギーを自己の存在の維持にも使う。だから、普通の精霊よりも貪欲になるし、凶暴にもなる」
「腹減ってるからイライラしてるってことか、それ?」
「……それもある。けれどより重要な動機は、憎悪。不安定な存在だからこそ、安定した存在が恨めしい」
成程なァ……。
それで襲ってくる訳か。
(しかしこれ、どうアクセスしたものか)
まず考えられるのが、邪精全体を魔力で包んでしまうことだ。
ただ、それには内部に魔力を浸透させつつ覆わねばならないので、俺の保有量では燃費が問題となる。
云ってみれば、小規模の嵐を押さえつけようとするようなものだ。
まだ、一気に吹き飛ばす方が消費が少ない。まあ、吹き飛ばしたらコアも壊れてしまうけれども。
邪精一体にアクセスするだけで疲労困憊、後は何も出来ません、では、アプローチとして失格だと思う。
どんな形であれ、コアに辿り着ければOKなどと云う回答では、正解とは認めて貰えないだろう。
オマケ込みで不可ではない、と云う評価が関の山だ。
エイベルの期待に応えるなら、もっと簡単でスマートにこなせなければならない。
俺ならそれが出来ると思ってくれているから、ここへ連れてきたのだろうし。
なら、自分に出来る手段でそれを達成すべきだろう。
(えーと……。邪精の魔力は荒れ狂っていても、完全な無秩序ではない。それでは、精霊としても成立しない。荒れ狂ってはいても、ある程度の指向性はある……)
その中を伝っていくべきだろう。
では、魔力の激流の中をどう辿るのか?
俺は川底を這っていくことに決めた。
具体的には荒れていない部分に、海底ケーブルのような魔芯を通していく。
管は邪精の魔力を変換させて作り出す。魔力そのものに干渉、変革できることが俺の強みなのだから、それを活かす。
この方法なら嵐を無理矢理押さえ込むわけでもないから、魔力の消費量も軽い。
課題があるとすれば、対象への接触方法とケーブルの作成時間、それからルートの見定めくらいだろう。
それさえ出来ればコア持ちと相対しても、問題なく対応出来るようになれるかもしれない。
そうして、俺の魔力を邪精の中心部まで到達させた。
「エイベル、出来たよ」
「……ん。じゃあ、浄化してあげて」
これは邪精を魔力に戻せの意味だ。
俺はコアを粉砕する。
雪の生物はサラサラと溶けて、魔力は空にほどけていく。
これで救われたことになるのかな?
ただ命を絶っただけだとは思いたくない。
「……程度の差こそあれ、アルの場合の核へ干渉手順は、他でもそうは変わらないはず。ノイズがあることと、その解法を覚えておくことが重要。そしてそれが、この園で起きていることの解決に繋がる」
その言葉で、エイベルが俺にさせたいことが分かった。
確か彼女はエニネーヴェを癒した時に、俺にやらせたいことの反対だと云っていたはずだ。
多分だけど、それは熱線の根元に干渉して、原因を改変するか破壊しろってことなんだろうと理解した。
確かにそれは俺にしかできないことだろうし、邪精のコアに挑むよりも、難易度はずっと高いはずだ。
それが出来なければ、きっと園は救えないのだろう。
(大役だなァ……)
ちょっと弱気になる。
そんな俺の頭の上に、ちいさな掌が乗せられた。
「……アルなら大丈夫。貴方はいつも問題を提起すると、ヒントが無くとも独力で解法へと辿り着く。そして一度正解の道筋を覚えると、その後は当然のようにそれをなぞることが出来る。貴方は私の自慢の弟子」
俺を見るエイベルの瞳は優しく、誇らしげだ。
完全に過大評価だと思うのだが。
ただ、仮にそうだとしても、少しでもこの先生の期待に応えられるような人間になりたいとは思った。
単純なのかな、俺。
いや、この場合は単純でもいいや。
「めー!」
そして、ここに激怒される御方がひとり……。
「にーたほめる、ふぃーのとっけん! にーたなでる、ふぃーのしごと! えいべる、すきあらば、りゆーつけてにーたなでようとする! それ、めー! それ、ふぃーにいって! ふぃーがにーたにしてあげるの!」
常に理由無く俺になでなでを要求する妹様は、エイベルの行いに頬をふくらまして、ぷんぷくと怒っている。
(さて、この言葉もどこまでが正しいのやら……)
たとえばフィーは、母さんが俺を褒めていても撫でていても、別段、激怒されることがない。
もちろん長時間の抱きしめ地獄を繰り出し、『ふたりの時間』を阻害すればつむじを曲げるが、それ以外だと、
「にーた、ふぃーも。ふぃーもかまって……?」
と、母さんに目もくれず、俺に抱きついて甘えてくる。
つまり、この娘にとってはエイベルは俺とは違う意味で、特別な存在なのだろう。
しかし、いつまでも激怒させておく訳にも行かない。なだめることにする。
「ほら、フィー。今度はフィーの凄いところ、兄ちゃんに見せて欲しいな。覚えたばかりの魂命術、あの邪精に使ってごらん?」
腰を落とし、目線を合わせ、頭を撫でてあげる。
するとマイシスターは、すぐやる気を出して、むふーと息を吐きだした。
「みててにーた! ふぃー、だいすきなにーたに、ほめてもらう!」
「ああ、期待してるよ。……エイベル、お願い」
邪精を閉じ込める檻を消して貰う。
その瞬間、ボン、と軽い音がして、邪精が弾け飛んだ。
「――は?」
フィーは、対象を見てすらいない。妹様の瞳は、こちらだけを熱心に見つめている。
俺には縛めがなくなった直後に、邪精がひとりでに死んだように見えた。
「にーた、これでいい?」
「フィーが……やったのか?」
「うん! ふぃーが、ぼん、てやった! にーた、ふぃーのこと、ほめて?」
「え? いや、でも、だって。邪精に触れてもいないし、正確な位置も確認していないだろう? それなのに、どうやって?」
「たましいのいち、わかる! いちわかれば、みなくてもさわれる! ふぃー、にーたすき!」
「…………」
適性があるのは分かっていたが、これ程までとは……。
既にこの娘は、魂命術を本能で理解し、使いこなしている。
その才能に愕然とし、空恐ろしいものを感じながらも、俺は妹様を褒めてあげることにした。
フィーは嬉しそうに撫でられている。
一方で、エイベルに驚いた様子はない。彼女は淡々と、次の予定を口にした。
「……では、氷穴に向かう」




