第七百二十四話 ダブル(その十三)
ケンプトンの王女様が、突如として暴走を始めた。
どうして急にキレたのかは、後回し。
まず優先すべきは、止めること。
彼女が詠唱動作に入る瞬間に、既に五名――フィーと村娘ちゃんとマノンとフード被った護衛役の子と、おっかないお付きの人が反応していた。
つまり、文学ちゃん以外の全員だ。
俺のデタラメな見立てでは、この五名はいずれも発射された魔術に対応可能と思われる。
だから結果だけ見るのであれば、『魔術が発動しても問題がない』ということになるのだが――。
(重要なのは、そこじゃないんだよなァ……)
たとえば剣。
許可を受けて提げているのであれば、これは問題はないだろう。
だがその刃物を、自儘に振り回してしまえばどうか?
仮に怪我人は出なくとも、大問題になるはずだ。
魔術も同様。
魔的盤で競うのではなく、強烈な意思を持って他人にぶつけようとしたならば。
しかもそれが、他国の貴人であるならば。
だからこれは、そもそもからして発動させることがあってはならない。
ぶっちゃけた話、ここにいる大半の人たちならば、詠唱中にブン殴って妨害することは可能だろうと思われる。
今この瞬間にも、攻撃して止めることが。
でも当然、それはそれで問題があるわけで。
(というかそもそも、殴られたら可哀想だしね)
だから、こんなときくらいにしか役に立たない俺の出番なわけだ。
昼行灯も、使い途ってね。
頭痛の様子を見せた時点で、俺たちはベアトリーチェ嬢に駆け寄っている。
つまり、俺が最も近い。
だから一番、自然に触れられる。
「大丈夫?」
選択するのは、体調を心配する言葉。
『やめろ』とか、『よすんだ』とか、攻撃の意志を理解するセリフを使ってはいけない。
あくまでこれは、体調不良の一環。それを心配しているだけ。それで押し通す。
酷い三文芝居だが、どこで誰が見ているのかがわからないからね。
ケンプトンの人間がムーンレインの王族を攻撃しようとしたという事実を、強引にでも無かったことにする。
え? さっきマノンが、「攻撃魔術の詠唱とか正気?」とか口走ってたって?
知らん知らん。聞こえんなァ……。
(そんなことより、根源干渉……)
触った瞬間に、彼女の魔力を霧散させる。
慎重に。
俺が何かをしたと気取られぬように。
「――っ!? き、貴様……っ!?」
急に触れられて、戸惑っているようだった。
或いはそれは、魔術がいきなりキャンセルされたことに対してだったのかもしれないが。
(干渉の瞬間、一瞬だけ村娘ちゃんとマノンがこっちを見たな……。勘の良い子たちだし、俺が何かをしたと思われたかも……)
たぶん、確証にまでは至っていないとは思う。
いずれにせよ、知らんぷりを決め込むしかないのだが。
(それから、こっちの子――)
フードの人物は、俺が護衛対象に触れることを止めなかった。阻もうと思えば、出来ただろうに。
単純に警戒されなかっただけなのだろうか? それとも、何か別の理由があったのか?
いずれにせよ、暴言王女の護衛役は、ジッと俺を見つめている。
「めーっ! にーた見る、それめーなのっ!」
フィーだけひとり、状況理解の視点が違う……。
「…………」
だが、マイシスターの言葉を無視するかのように、件の人物は俺を見つめ続ける。
それは何かを、静かに確認するかのように。
「みゅみゅーーーーっ! 度重なるふぃーの忠告を無視する、それ、許さないのーーーーっ!」
妹様大激怒。
そしてそのまま、ゆらぁ~りとポーズを取った。
それはミナミコアリクイの威嚇のポーズに似て。
恐るべき憤怒の体現であったのだ。
このままではマイエンジェルは、怒りのままに腰に提げたひょうたんに手を伸ばすことだろう。
そうなれば、後は惨劇しか起こらない。
仕方ない。
ここはまずは、フィーをだっこしてその怒りを鎮めて貰うとしよう……。
「――っ!? ふ、ふみゅひゅぅ~ん……っ♪」
抱き上げられると、直前までの怒気はどこへやら。
妙な歓声とともに、喜びに打ち震える妹様よ。
一方フードの人物は、妹様というバリケードが撤去されたことで、俺の間近へとやって来て、ぺこりんちょと頭を下げた。
「貴公に、感謝を」
――驚いた。
その声はまるで、メジェド様に変装するときの俺の声。
男性とも女性とも、若年とも年長者とも分からぬ、そんな声。
つまりは喉に風の魔術を使って、本来の声質を韜晦しているのであろう。
次に、その子は、村娘ちゃんに向かって頭を下げた。
「……まずは謝罪を。ただの遊びの場とはいえ、やり過ぎであったことをお詫びします」
これは俺と同じく、『あくまでも今のことはじゃれ合いなのだ』ということにするという意味なのだろう。
対する村娘ちゃんは、穏やかに頷いた。
「気になさらないで下さい。貴女様の仰られた通り、射的はただの遊技です。熱が入ることはあるでしょうが、激怒するような性質のものではないと、皆が認識しております」
皆が。
それは怒りに震えるマノンや、あのおっかないお付きの人に対する自重の要請なのだろう。
それぞれがそれぞれ、複雑そうな表情で黙り込んでしまう。
一方ですぐ傍のメガネっ子は、ホッとしたご様子。
表面上とはいえ、丸く収まってくれて一安心ということなのだろうか。
このお下げのメガネっ子が、一番、普通の感性をしている気がするね。
「ビアンカ……っ!」
押し殺すように呟くのは、暴言製造器こと、ベアトリーチェ王女。
それに対してビアンカと呼ばれたフードの人物は、静かに首を振った。
「……一旦、改めるべきことがあるかと。それは、この私が保証致します」
「――――ッ!」
保証、という言葉を聞いた途端、ケンプトンの貴人の瞳が見開いた。
そして、俯いて拳を握りしめている。
どういうことなのだろうか?
今の短い言葉に、それ程の意義があったのだろうか。
一瞬にして場を制してしまったフードの人物は、続けて云う。
判別不能の、その声で。
「シーラ殿下。無礼ついでに、お願いがございます。少しの間、こちらの少年をお借りしたい」
「えっ、俺っ!? 何で!?」
この場で一番の部外者である俺が、何故……?
しかし、とはいえ、一歩間違えば外交問題になりそうな状態を治めてしまった人物からの要請だ。冷静沈着にして明敏聡明な村娘ちゃんなら、断ることは無――。
「むぅ~……っ」
そこには、柔らかそうなほっぺを、かすかに膨らますロイヤルな幼女様の姿が。
えぇ~~っ!? この子、何でまた拗ねてんですかねーーーーっ!?
(ハッ!? そういえば、さっきもあまり構って貰えないと不満を抱いていたはずだ――)
それに、あの優しい王妃様も、
「――シーラは大人しく、何事も譲ってしまう性質なのですが、心を許した相手には、年相応にワガママになるのです。そこがまた、愛おしいのですよ。と云っても、相手は、私かゾイか、エルマくらいしかいないのですが……」
そう云っていたはずだ。
園芸のおじさん、哀れ。
しかし、このロイヤル村の村長の娘さんは、天下の賢才。
すぐにその表情を、柔らかい笑顔――外交モードに切り替えた。
「……はい。何か理由があるご様子。どうぞ、ご随意のままに。――もちろんそれは、こちらのアルト様が了承された場合の話ではありますが」
念押しされてるわけじゃないよね? そうだよね?
村娘ちゃんのふくれっ面は、秒にも満たなかった。
けれども、皆が注目していたときに起きた変化だ。
だからこの場にいる殆どの人間が、驚いたように彼女を見ていたのだ。
例外はふたり。
ひとりは俺の腕の中で夢見心地になっている妹様。
そして今ひとりは、ビアンカと呼ばれたフードの人物。
お月様な幼女の態度を見た瞬間に、ケンプトンの護衛役は、即座に俺に注目し直していた。
(何だろうね、この子の視線……? 或いは、フィーが警戒していたのも、それが理由なのか?)
いや、矢張り、単純なやきもちだろうな。
いずれにせよ、俺はフードの子の話に乗るべきなのだろう。
現状、ベアトリーチェ王女を止めることが出来る人物がいるとするのであれば、それはこの子だけのはずだろうから。
(それにこちらも、ちょっと確認しておきたいことがあるしな……)
だから俺は、フードの人物にしっかりと頷いたのだ。




