第七百二十三話 ダブル(その十二)
十回の射的を終えて、ベアトリーチェのトータル命中回数は、七回だった。
彼女は肩で大きく息をしているが、その表情は明るい。
『やってやった』と云わんばかりの満足感が横溢している。
実際、七回の命中は彼女にとっての最高記録タイであった。
それをこの土壇場で出せたことに、ベアトリーチェは笑顔を浮かべた。
五連続で命中させた後の五回は、三回外している。
しかし、これをもって『命中率がガタ落ちした』というのは、気の毒であろう。
魔力の消耗というのは、身体にかなりの負担が掛かる。
しかも的に当てるために極限まで集中し、加えて変換により作り出した土の玉は、ちいさいのだ。神経も使う。
幼い身体は気力体力共に大きく損耗したはずで、一定以上の魔術の常識を持つ者からすれば、この結果は『よく頑張ったな』という感想を抱いたはずである。
実際、横で見ていたアルト・クレーンプットや王女ガブリエラは、感嘆の声を上げている。
そのことで、彼女はますます気をよくした。
――そして、だからこそ気付かなかった。
先程まで自分に対して敵愾心を抱いていたはずのツーサイドアップの少女が、どこか白けたかのような――最早、相手を競争者と看做してすらいないかのような表情をしていることに。
「どうだ……!?」
ベアトリーチェは、自信満々にマノンを振り返った。
『七回命中』という記録は、とても幼い子どもに出せるようなものではない。
驚愕か、戦慄か、絶望か。
ケンプトンの王女は、小生意気なムーンレインの魔術使いのそんな表情を想像した。
そこにあったのは――。
(何だ、こいつの顔は……)
無。
そこには、何もなかった。
そしてその様子を訝しむベアトリーチェが口を開く前に、ツーサイドアップ美少女は、彼女に云ったのである。
「――数字」
「何……?」
「好きな数字、アンタが指定しなさいよ。十個全部。いっぺんに」
「…………っ」
明らかな挑戦であった。
狙いやすい数字に当てるのではなく、『どれであっても当ててやる』と、宣言してきたのである。
(この私を、コケにするとは……っ!)
なんたる無礼!
なんという増上慢!
今すぐにでも、懲罰を加えてやりたいと思う程であった。
……が、この身は既に、七度の命中を成している。
この小生意気な平民風情が、自分の記録に並べるものかよと思い至り、どうにか平静さを取り戻す。
「――いいだろう。この私が、指定をしてやる……」
ベアトリーチェは、十個の数字を口にする。立ち位置から、狙いにくい部位を指定して。
せいぜい恥を掻くがいいと、端正な口元を歪めた。
「……じゃあ、その十個ね」
マノンは、的を見もしないで云う。
刹那――。
「バカ、な……っ!?」
ぷかりと、十個の水球が出現していた。
詠唱を行った形跡はなく、それまでに術式を編んでいた様子もない。
(まさか、無詠――)
他方、ブルームウォルクの姫であるガブリエラも、目を瞠る。
「な、なんて綺麗な形状……っ! 澄んでいて、しかも真球のように整っていて――」
火が揺らめくように。
魔術により作り出された水球は、通常、たゆたっているものだ。
だが、マノンの作り出した水の球には、それがない。
魔力の制御と魔術の変換が完璧に近い証左であった。
(そんなものを、一瞬で……っ!)
時を置かず。
形も整えず。
それはこのちいさな魔術師にとって、『当たり前』の技ということ。
「おー……! マノン、凄いなァ~……」
などという脳天気な感想を口にしている太平楽な男に、腹が立つ。
この廃棄場のような雰囲気を持った子どもは、この魔術がどれ程のものか、理解していないに違いない。
「はい」
おしゃまな少女の可愛らしい声が掛かると、十個の水球は同時に高速で浮かび上がり、王女の指定した十個の数字を、過たずに全て叩いた。
「あ、ぐ……っ!」
ベアトリーチェは、ワナワナと震えた。
あり得ない……!
あって良いはずがない……!
こんな……!
こんな熟練の魔術師でも成し得ぬことを、己と変わらぬ年代の少女が、事も無げに……!
怒りと絶望の入り交じった表情で、競争者を睨め付けた。
図らずもベアトリーチェのその顔は、自分が『見たい』と願った顔貌そのものであった。
「云っとくけど、アンタがケンカを売ろうとしたシーラも、これくらいのこと、普通に出来るからね?」
「――――!」
見上げる先には、申し訳なさそうに目を伏せるムーンレインの第四王女。
そこに否定の様子はない。
つまり、本当に同等のことが出来るのだろう。
天才。
百年にひとりの逸材。
大陸中にその名が轟く、不世出の傑物。
これ程の名声がある子どもは、天下にあとふたりだけ。
一方は毀誉褒貶激しく、奇跡の御子とも、ただの愚か者とも云われる正体不明の星読みの娘。
そして今一方は、シーラ王女に匹敵する天才と謳われ、自らの主宰する魔術結社を率い、初遠征で可動可能な幻精歴の遺物を発見し、既に未来永劫歴史にその名が残ることが確定しているという神童・ヴルスト。
この両名は実像が怪しく、『まがい物』との評判もあるが、それでもその名声は、ベアトリーチェが欲してやまないものであった。
「ぐ、うぐぐぐぐぐ……っ!」
酷い頭痛がして、頭を抱えた。
彼女の身体に異常はない。
あるのは、精神的なものだ。
――お前には、才がない。
――シーラ殿下とは、比べるべくも無い。
――不出来な娘だ。
父親の言葉が。
自らのプライドが。
痛みとなって、彼女を苛む。
目の前の少女が、自分を見下している。
軍事の名門に生まれ、研鑽を積んできた、この自分を。
ツーサイドアップの魔術使いは、長ずれば間違いなく、その名前を轟かすのであろう。
既にこれ程の才を持ち、けれど無名なのは、機会がなかっただけに違いない。
これ以上。
これ以上!
これ以上ッ!
自分を見おろす輩が増えて良いはずがないッ!
既にベアトリーチェの中では、『優れた同年代』は、許されない存在なのであった。
「お、おい……? 大丈夫か……!?」
「具合悪そうなの……」
太平楽な、愚昧な兄妹が近付いて来る。
「べ、ベアトリーチェ様……っ!?」
学識だけの弱国の王女も寄ってくる。
こいつらはまだ良い。
競争者にすらなり得ない無能どもだ。
何も考えず、目の前のことに飛びつくだけの愚者なのだから、『心配するという不敬』を許そう。
だが、残りの二名は――。
「なに、アンタ、調子悪かったの? だから命中率が酷かったとか?」
「すぐに、医務室に――」
私を哀れむことは、許さない……っ!
(魔的盤で後れを取ったのは、ただのゲームだからだ。本来の姿ではない……!)
実戦ならば。
実戦ならば!
この私が、負けるはずがないっ!
「※※※※※※……ッ!」
「は!? 攻撃魔術の詠唱……!? アンタ、何するつもりなの!? 正気!?」
私は、劣った者などではない!




