第七百十九話 ダブル(その八)
現れた者たち。
それは、一方はドレスに近い豪奢な礼服を着た少女であり、もう一方はローブと軍服を組み合わせたかのような、厳格な雰囲気のあるフードの付いた衣服を着込んだ人物。
どちらも俺たちとほぼ同じくらいの年齢と思われるが、フードのほうはそれを目深に被っているせいで、顔がよく見えない。
だだ背格好からすると、かなり小柄である。女の子なのかもしれない。
傲慢そうな表情を浮かべている少女の背後に控えていることと、王城内だというのに最低限の武装を許されていることから、彼女の護衛役と推測される。
「ベアトリーチェ様」
村娘ちゃんが呟く。
たった今、文学ちゃんも同じ言葉を呟いたから、それが彼女の名前なのだろうな。
そして――。
(あの礼服に縫い込まれている紋章は、ケンプトン王国のもの……。この子は、ケンプトンの王族だ……)
となれば、この少女が村娘ちゃんのいう『頭痛のタネ』ということになるのだろう。
彼女は挑発的な視線のままに俺たちを見回し、それから改めてこの国の第四王女殿下へと向き直った。
「隣国一帯に『天才』の名を轟かせるシーラ殿下が、怪しげな連中を集めて魔導の講義をされているとは」
揶揄するかのような口調である。
敵意を一切隠そうともしないというのは、どうなのだろうか?
(まあ実際、本当に村娘ちゃんが魔学を披露してくれるのなら、聞いてみたいとは思うけどね)
などとピントのズレたことを考えていると、不快そうな表情を浮かべるマノンが前に出た。
「うっさいわね! あたしたちがシーラと何を話していようと、アンタには関係ないでしょ!?」
しっしと、犬を追い払うかのように手を払うおしゃま少女。
そのマノンを、ベアトリーチェと呼ばれた王女は睨み付ける。
「黙れ平民。王族同士の会話に割り入るのは、不敬であるぞ?」
まるでヴィリーくんみたいな口調だァ……。
まあ、お貴族様は大なり小なり、こんな喋りと価値観なのだろうが。
高慢な表情で、彼女は云う。
「お前の素性を詳しくは知らぬが、シーラ殿下の師の娘とかいう、縁故だけの存在なのだろう? で、あるならば、口を挟む資格など無い。身の程を弁えよ」
『縁故だけの存在』というなら、それは寧ろ俺だろうな。
マノンは、村娘ちゃんの幼なじみで親友だし、立場は兎も角、その存在は重いはずだ。
リュネループの少女は、勝ち気である。萎縮などせず、却って闘志を燃やしたようだ。
更に一歩出て食って掛かろうとし――。
「あ、あの……」
それを、文学ちゃんが遮った。
その表情には明らかな恐れがある。
怖いだろうに精一杯割って入ってくれたのだとわかった。
「べ、ベアトリーチェ様……。失礼な物云いは、お控え下さい……」
「フン。ブルームウォルクのガブリエラ王女か……」
ケンプトンの王女は、つまらないものでも見るかのような目で、メガネっ子ちゃんを睨み付けた。
「王族として最低限の魔力しか持たぬ貴女が、魔術に興味を持っているとは驚きましたぞ?」
「…………っ」
明確な侮蔑であった。
暴言王女の言葉から、文学ちゃんがあまり魔術が得意ではないことは察せられたが、それをストレートにぶつけるとは、どういうつもりなのだろうか?
(たとえば、この国のクララちゃんは魔術が使えない。一歩間違えば、そちらの問題にもなる発言だと理解しているのだろうか?)
しかし逆に、ここまで挑発の限りを尽くしていることに、俺は違和感を憶えた。
或いはそれは、単なる気のせいなのかもしれないが。
そしてここで、今まで静観していた村娘ちゃんのお付きの人が、スッと前に出る。
「ベアトリーチェ殿下。貴女の発言は、外交問題になるのではありませんか?」
「私は、世間話をしているにすぎぬ。それを外交問題にするのは、そちらかブルームウォルクということになるな」
まるで責任転嫁のような云い種である。
お付きの人もマノンも不快そうに眉を顰めたが、文学ちゃんは俯いてしまった。
ムーンレインとケンプトンは同盟国。
ブルームウォルクとムーンレインも同盟国。
だが、ケンプトンとブルームウォルクは友好的な隣国ではあっても、同盟国ではない。
関係が拗れれば最悪、一足飛びに『開戦』ということもあり得る。彼女としては、押し黙るより他にないのだろう。
かわって、マノンが再び前に出た。
「アンタ、この国に騒動を起こしに来たの? シーラに迷惑を掛けるつもりなら、容赦しないわよ!?」
「…………」
その発言に、護衛役っぽいフードの子どもが、無言で進み出る。
既に武器に手を掛けていることから、状況次第では戦闘も辞さぬ、ということなのだろう。
その子の行動を引き取るように、暴言メイカーはニヤリと笑った。
「『容赦しない』、か……。お前の発言は、王族に対する明確な敵対行為と看做すぞ? 良いのだな? シーラ王女の顔に泥を塗ることになっても」
「~~~~~~~~~~~~っ!」
マノンは、ふたりを睨み付けながら歯ぎしりをしている。
その顔にはアリアリと、『単なるケンカだったなら、あたしがまとめてブッ飛ばして終わらせてるのに……!』という意思が滲んでいる。
まあ腕っぷしなり魔術の腕なりで事が済む相手じゃないからね、偉い人ってのは。
そしてだからこそ、村娘ちゃんからしても頭痛のタネになっているのだろうし。
ところで我らが妹様はどうしているのかというと、この暴言王女の存在をスルーし、フードの人物のほうを、みゅみゅみゅっと睨んでいる。
「んゅゅ……っ! この子、危険な気配がするの……! ふぃー、イヤな予感がする……っ!」
う~ん……。相変わらずの、独自路線だァ……。
問題起こしている本人じゃないのに、どうしてそうなるのか。
まあ、余計なことをしていない以上、そっとしておくしかないのだが。
――さて。ここで問題なのは、俺自身のたちまわりだ。
平民の俺に、お偉方の会話に混ざる資格はない。
その場で無礼打ちされても、文句が云えない。
村娘ちゃんや文学ちゃんが寛大なのは、間違いなく稀な事例であり、それらを当たり前と考えることは大きな不幸につながるはずだ。
だから波風を立てないためにも、そして何より保身のためにも、本来ならば『沈黙』が正解なのだろう。
が、村娘ちゃんは、この暴言マシンがイヤで俺を呼んだのだ。
騒動を起こすのは論外だとしても、見捨てて黙りこくるというのも、ちょっと違う気がするね。
と、いうわけで、変化球を投げてみることにした。
具体的には闖入者のほうを向かず、元からいたメンバーへ呼びかけたのだ。
「――今度は、あっちのほうで遊ばない? 俺、やっぱりかくれんぼがしたいや」
下手に話しかけたら、『不敬』とか云われちゃいそうだしね。最初からいないものとしてスルーするという寸法よ。
すぐに乗ってきたのは、即座に事情を察したらしいマノンと、別の思惑のあるマイエンジェルである。
「……そうね。厄介者がどかないなら、こちらが退くしかないしね。あたしは賛成」
「ふぃー、にーたはあの子から遠ざけるべきだと思う! すぐに移動するの!」
お前は一体、何を云っているんだ。
ともあれ、文学少女は露骨にホッとした顔をし、沈黙を貫いていた村娘ちゃんは、微笑を浮かべて俺に頭を下げてくれた。やっぱりこの子、余計な波風を立てないために、敢えて口を出さなかったんだなァ……。
「待て。お前は何だ? 何故、この場を仕切っている?」
ヘイトがこちらへ向いた気がする。
シカトは流石に不味いが、『口を利いて良い立場』ではない。目を伏せたまま、ちいさく頭を下げる。
「……良い。直答を許可してやろう」
必要な言葉は引き出せた。
なので目を伏せたままに、口を開く。
「――私は殿下に目通りを許されている者で、アルトと云います」
恭謙な態度、大事。
村娘ちゃんに、迷惑かけちゃうからね。
大きく頷いているのは、いつものおっかないお付きの人。
『やっと身の程を弁えたか。だが、油断はせぬぞ』みたいな顔で俺を見ている。
なんでさ。
「……そのアルトとやらが、何をしようとしている。この私とシーラ殿下の会話中だということがわからぬのか」
「それは大変失礼を致しました。ですが貴女様は殿下とは殆ど話さず、ブルームウォルクの姫君や、こちらのマノンとばかり話しておりましたので、つい」
「……チッ」
チクリとイヤミを云ったら、舌打ちをされた。
いやさ、そもそもアナタ、何しにここへ来たのさ?
まさか村娘ちゃんに因縁付けるためにやって来たんじゃないんでしょ?
というか俺、この暴言製造器が村娘ちゃんとどういう関係なのかも知らないわ。
単なる知り合いなのか、何がしかの因縁があるのかすらも。
俺の胸中を察したかのように、軋轢発生器はニヤリと笑った。
「――見たところ、お前は下級貴族の子息だろう? ならば私を知らないのも無理はない。故に、特別に教えてやろう。――我が名はベアトリーチェ。北大陸に勇名轟く栄えある強国、ケンプトンの王女にして、シーラ殿下の婚約者候補となる者だ」
――は? と、口にしかけて押し黙った。
そういやこの世界、同性婚があるんだっけか。




