第七十三話 妹様の適正
「フィー」
「なぁに、にーた? ふぃー、にーたすき!」
ぎゅうぎゅうと抱きついてくる妹様は、魂に干渉する魔術が使用出来そうだと云った。
本当にそんなことが可能なのだろうか?
「お前、今エイベルがやったこと、出来るってのかい?」
「うん! ふぃー、きっとできる! ふぃー、にーたすき!」
自信満々の表情のマイエンジェル。
むふー、むふー、と鼻息も荒い。
素敵なオモチャを見つけたかのような反応だ。
件の魔術と波長が合ったのかもしれない。だとすると、本当に……?
俺はエイベルに振り返る。ちいさなエルフ様は小首を傾げた。
「……フィーの器は私には計れない。けれども、この娘の魔力量なら魂命術の使用自体は問題はないはず」
俺と違って安全に使える範囲の魔力量であるらしい。
にーちゃんが使うと即死だからね。随分な開きだぁ……。
(て云うか、霊体に干渉する術の名前、魂命術と云うのか……)
で、問題の使い方は……?
「……フィー、アルが貴方に行う――」
「にーたが、ふぃーのまりょくつかうみたいにする!」
根源魔力への干渉に近いものなのだろうか?
確かにアレは感覚的なもので、口で説明するのは少し難しいが……。
「まりょくで、にーたにさわる! ふぃーをとどける!」
俺にはピンと来ないが、マイエンジェルはさっきのエイベルの魂命術を見ただけで、おおよその仕組みを理解したみたいだ。
「て、云うか、敵を倒すんじゃなくて、俺に触るの?」
「……練習としては、いきなり戦闘で使うのではなく、『何か』に触れる方が安全ではある。けれど、魂を傷つけてしまえば、最悪、死に至る」
随分とおっかない説明をされてしまった。
これはダメだな。触るなら、何か別のものにしてもらおう。
「へーき! にーたが、ふぃーのなかをさわるとき、すごくやさしい! ふぃー、あんなかんじで、にーたにさわる! ふぃー、にーたのなかをさわってみたい!」
「うむむぅ……」
マイシスターの瞳はどこまでも真っ直ぐだ。
これでは俺に断るという選択肢はなくなってしまう。
不安がないと云えば嘘になるが、俺の中で、この娘を信じてあげることと、望みを叶えてあげることへの欲求が、より勝ってしまった。
「ほんのちょっと、だぞ?」
「……アル」
声をあげたのはエイベルの方だった。
これはフィーの魔術に不安があると云うよりも、単純に俺を心配してくれているのだろう。
いや、心配を掛けてしまったと云うべきか。
「……フィー、アルに触るなら、ほんの少しにしてあげて」
「ふぃー、にーたをちょんとつつく!」
笑顔で俺に抱きつく妹様。
同時に、自分の中に魔力が流れ込んでくるのが分かった。
何ともいえない感触だ。俺に魔力干渉された場合も、こうなのだろうか?
(あ、これ……)
そして、急激にフィーを感じた。
初めて胎児の時の妹様の意識を拾った場面に近い。
感情がダイレクトに響いてくる。
すき、すき、すき、すき!
だいすき! なでて! すき!
きすしてほしい! すき! なでて……!
全部が全部、フィーだった。
(凄いな、これが魂がふれあうってことなのか)
俺自身に異変はない。
きっと損傷するような目にも遭っていないのだろう。
そしてマイエンジェルは、本当に感覚だけで魂命術を使いこなしたようだ。
つまりは天性のものだ。
妹様には、この魔術に対する高度な適性があるのだと直感した。
魔術と云うのは相性が大切だ。
修練ももちろん大事だけれど、ぴたりと自分に噛み合う属性があったりする。
……一切無い人もいるようだが。
そしてそれは、自分で「これだ」と分かるものらしい。
らしい、と曖昧な云い方をするのは、適性があるものの場合、巡り逢って直感する前に、当たり前に使っているパターンがあるからだ。
俺の場合がまさにこれで、魔術のイロハを知らないうちから根源魔力だけは自在に使えた。
(さて、妹様の様子はどんな感じかな……?)
腕の中のマイシスターを見てみると、そこには意外な表情が張り付いていた。
「ふぇっ……! にーたあああ、にーたああああああああああああああああああああああああ!」
「ど、どうしたんだ、フィー! いきなり泣きだして!?」
俺は焦る。
この娘が俺の前で泣き出すことはしょっちゅうだが、それらはいずれも原因や理由が分かっていたものだ。
なのに、今回は不明瞭。
だから心配で仕方ない。
「にーたの……。にーたのたましい、ふぃーのことでいっぱい……! ふぃー、だいじにされてる! ふぃー、にーたにすきでいてもらえてる! にーた、ふぃーのことだいすき……! ふぃー、ふぃー、うれしくてなみだがでるの……」
う、ううむ……。
俺の頭の中にあったのは魔術の適性についてだから、心を読んでいる訳ではないらしい。
魂の中にある、誤魔化しようのない妹様への感情が伝わったということなんだろうか?
なら、俺の方に流れてきたフィーの想いも心で考えていたものではなく、魂そのものの発露だったのかもしれない。
魂に触れると云うことには、そう云う効果もあるということなのだな。
「ミー! ミミー!」
肩に乗っている小箱の雪精が、自分もいるとばかりに自己主張する。
こいつ、こんなに積極的でもなかったし、知性があったようにも思えないんだが。
まさか俺やフィーの魔力を食って成長したんだろうか?
「……アルはその雪精に懐かれたみたい。食料の供出役だけでなく、一個人として」
そんなこと云われても、思い当たるフシがない。
飯を食わせる以外、何もしていないと思うのだが。
エイベルに懐かれたと云われて、俺の頭にテイムとサモンと云う言葉が浮かぶ。
テイム――従魔契約は、魔術で契約した相手をペットや使い魔、または戦力として連れ歩くこと。
サモン――召喚契約は、契約対象を必要に応じて魔術で呼び出す超高位技術。なので、現在では、無理を通り越して不可能の領域とされる。
魔導歴時代全体でも、魔道具の補助込みでやっと少数の召喚術者がいた程度だと云う。
しかし、幻精歴にはそれなりに使い手もいたようだ。
今現在の世界では、だから従魔士はいるが、召喚士はいないようだ。
もちろん、俺にも召喚魔術は無理だろう。
(フィーなら、どうなんだろう?)
この娘は魔術に関しては、才能の塊だ。もしかしたらと考えてしまう。
泣きじゃくりながらしがみついてくる妹様の頭を撫でながら、いつの間にか俺のすぐ隣に移動していた美人教師に訊いてみる。
「ねえ、エイベル。フィーって召喚士になれたりしないんだろうか?」
「……無理」
しかし、返答はにべもない。
「云い切るね。適性が分かったりするの?」
「……資質や魔力量以前の問題」
「それはどういうこと?」
エイベルは雪精とフィーを見比べて云う。
「……この娘は色々なものに興味を持つし、可愛がろうとする心もある。けれど、そこまで。フィーには、『その先』がない」
「その――先?」
「……自分が興味を抱き、可愛がって、それでおしまい。対象から愛情を向けられることを、全く望んではいない。テイマーやサモナーの一番大切な条件は、互いに心が通じ合っていること。だけどこの娘は、アル以外の好感情を必要としていない。だから断言出来る。この娘に召喚士や従魔士の適性はない」
云い切られてしまった。
けれど、心当たりがなくもない。
フィーは俺に「庭に遊びに行こう」と云うことはあるが、「外に行ってみたい」とは口にしない。
それは、外の世界に興味がないのではなく、外部の人間を求めていないからなのだろう。
フィーは俺と離れた時以外に、「寂しい」と口にしたこともない。
友達となったハトコのブレフやシスティちゃんに「会いたい」とは云わないし、「どうしてるかな?」と話題にあげることすらない。
他者に対して冷淡なのではなく、感情のリソースが『俺』のみに向いてしまっているからなのだろう。
そして、この娘自身が、それを「良し」としている。
「なあ、フィー」
「――! なぁに、にーた?」
俺が声を掛けると、泣きじゃくっていた妹様は即座に顔を上げた。
そこには俺の言葉を一字一句聞き漏らすまいという強い意志が感じられる。
「フィーは、俺のことが好きか?」
「うん! すきッ! ふぃー、にーたすきッ! にーただけがだいすきッ!」
笑顔で云い切るフィー。
この可愛い妹の愛情を独り占めできることは、きっと幸福なことなのだろう。
けれども俺は――何故か少しだけ、寂しい気持ちになった。




