第七百十八話 ダブル(その七)
「も、物語を読む楽しさというのは、二種類あると思うんです……。ひとつは単純に、物語そのものを読む楽しさで、もうひとつは、その物語を起点に、あれこれと想像する楽しさ、です」
お城の庭園。
その片隅に、俺たちは集まっている。
遠慮がちに。
けれどもハッキリと自分の意見を主張しているのは、メガネにおさげ姿の、ザ・文学少女である。
文学少女風というと、他にはトルディさんの知り合いのリュースって人がいるけど、あの人は何かおっかない感じがするしな。気弱そうな『天然物』は、まさしく彼女にこそ帰するべき称号であろう。
そういった尊敬の念を込めて、これからは心の中でコッソリと、文学ちゃんと呼ぶことにしよう。いや、一国の王女相手に、これって失礼かもしれないけどさ。
なお、ガブリエラという名前の愛称は、普通は『ガビー』になるらしい。
が、流石に会ったばかりの――それも高貴な存在である王女様を、平民のガキんちょ風情がアダナで呼ぶようなことは出来ないよね。
え? 村娘ちゃんは良いのかって?
彼女が許してくれているから、セーフです。
あ、お付きの人に、すっごい睨まれた……。
彼女は今、俺が(苦し紛れに)向けた『物語に関する話題』に乗ってくれて、自らの読書感を披瀝してくれているわけである。
それが冒頭の、『二種の楽しさ』というものだ。
正鵠を射ているかどうかは別として、彼女の理屈には、ちょっとわかる部分もある。
たとえばバトルもので主人公以外の対戦カードなんかで、『どっちが勝つか?』でワクワク出来るのは、先が見えないから――想像する楽しみがあるからなんだろうしね。
このへん、ちょっと自論になるが、そのあたりは設定をどれくらい練り込んであるかも関係してくるような気がしないでもない。
設定が作り込んであるからこそ、読み手も伏線やら意味深なセリフやらを拾い上げて、あれこれ予想をして楽しめるわけで。
そのへんが無いと、『この作者、どうせ何も考えないで書いてるから考察する意味ねーよ』と一刀両断にされてしまう。これでは、楽しさの一方がロストしてしまう。
じゃあ設定をガチガチにしている作品のが上なのかと云えば、そうでもない。
設定まみれの作品は、往々にしてダイナミズムが無くなる傾向にある、と個人的には思う。
これはたぶん、『決めた通りに動かす』から。
だから勢い重視で面白い方に話を転がすタイプの作品よりもおとなしめになりやすいのではないかと思っている。
何より設定がガチガチの作品というのは、『あ、これ読者を楽しませるんじゃなくて、作者が設定にひたるのが大好きなパターンだ!』と読んでて思うことが往々にしてあったりもする。
もちろんこのへんの感想は、単なる俺の妄言であるに過ぎない。
だって実際、考えずに書いて整合性の取れている人もいるし、設定を煮詰めていても、きちんと山場を作れる人もいる。結局は、書き手の腕次第よね。
あ、はい。
そんなことを考えてる時点で、俺って面倒くさいタイプの読者なんですよね……。自覚はありますとも、ええ。
何にせよ、俺にとっての収穫だったのは、この文学少女ちゃんが、『歴女』であったことだろう。
歴史好きの人間に往々にしてある話だが、そういう人間は語りたがりである。
過去の事件の解釈から、if展開の議論。それから歴史上の人物の過大評価・過小評価の是非まで、論争のタネには困らない。
日本のような漢字圏だと更に、『織田信雄』は『のぶお』なのか『のぶかつ』なのか、のような読み方の解釈ひとつで揉めたり盛り上がったりも出来るし。
というわけで、ブルームウォルクのお姫様とはこうして一応は仲良くなれたのだが、それは今のところ、俺だけなのだ。
だって云ってしまえば、これって『オタク同士の会話』だし……。
ほら、マノンの目が白けたかのような、呆れた感じになってるし。
「にーた! ふぃーはそういう話より、こないだおかーさんに買って貰った、皆でカブを引っ張る話が好き! あれ、何度も読んで貰ってる! ノワールちゃんも、気に入ってる!」
とか云いながら、俺の袖を懸命に引っ張っている子もいる。
そりゃ今の妹様にとっては歴史談義なんぞよりも、絵本のほうが楽しいものだろうしね。
そして、本日の主役のはずの村娘ちゃんはと云えば――。
「むぅぅ~~……っ!」
ご本人をそっちのけにしてしまったからか、拗ねていらっしゃる。
柔らかそうなほっぺたが、ぷくぷくになってしまっている……。
「あ、ご、ごめんよ村娘ちゃん……っ! 別にキミをないがしろにするつもりはなくてだね……」
この子、慎み深くて穏やかな子なんだけども、懐いた相手には割と子どもっぽくなるというか年相応になるというのは、パウラ王妃様に云われてはいたんだよね。
なので、ご機嫌取りをせねばならぬ。
俺はそのために存在する茶坊主ですゆえ。
「む、村娘ちゃんは、どんなご本が好きなのかな~……?」
「わたくし、ですか……? その……わ、わたくしも……え、絵本のほうが、好き、です……」
まだ少し拗ね気味な王女殿下は、水を向けてみるとちょっと気恥ずかしそうに目を伏せた。
学問に対する造詣の深さと趣味や好みは、当然ながら別らしい。
そもそも、まだ幼女だしね、この子。
「村娘ちゃん、わかってる! ふぃーも! ふぃーも絵本のほうが好き! 絵本、皆で一緒に楽しめる! おかーさんやミアちゃんに読んで貰うの、とっても幸せになる!」
成程。そういう楽しみ方もあるのか。
というかこのふたりのほうが、俺の楽しみ方よりずっと健全で上等な気がするぞ。
「――本なんて、魔導書を読めれば、それで充分でしょ」
つまらなさそうに呟くのは、おでこに絆創膏を貼り付けているツーサイドアップの美少女様である。
マノンはまあ、歴史書も絵本も好きではなさそうな感じはするよね。
ファッション誌が存在すれば喜んだかもしれないが、生憎とまだ、この世界にそれはない。
ガブリエラ王女は、メガネの奥の瞳を上げる。
「ま、魔導書……ですか……? あ、貴女様は、魔術に興味があるのです、か……」
「とーぜんっ。あたしはいずれ、世界最強の魔術師になるの。お母様よりもシーラよりも強い、一番の魔術師に!」
「えと……」
文学ちゃんは、おしゃま少女の姿を上から下まで見て、それから眉をハの字にした。
が、何も云わない。
「何よ? 云いたいことがあるなら、云ってみなさいよ」
「い、いえ……。あの、貴女様は――に、人間族、ですよね……?」
「…………」
その言葉に、マノンは答えなかった。
文学少女はそれに気付かず、会話を続ける。
「ひ、人の身で『魔術に長ける三大種』に勝つのは、む、難しいのではないかと……」
魔術に長ける三大種とは、エルフとホルン、そして、リュネループである。
マノンは絆創膏で姿の一部を擬態しているから、ガブリエラ王女には『同種』に見えたのであろう。
「…………」
果たして、スカートの短い美少女様は、拗ねたように口を尖らせていた。
その理由が、俺には何となく察せられた。
さっきマノン自身が、『シーラよりも強い魔術師になる』と口にした。
つまり今の彼女は、まだ自分が村娘ちゃんに及ばないと自覚していると云うことなのだろう。
そしてその第四王女殿下は人間族であり、発言者たるマノンは、別の種族だ。
にも関わらず、魔術戦で後れを取っている。
そのことが、かすかな澱になっているのだろう。
だが、ガブリエラはそんなことを知りはしない。
目の前のメイクバッチリな女の子の沈黙を、『三大種に敵わない』と云われて黙り込んでいると思ったようだ。
(って、あれれ……?)
何故かマノンは、俺のほうを恨めしげに見つめてきた。
「……アルトにも、そのうちにリベンジするんだから……っ」
いやいやいやいや。こっちに矛先向けないでよ。
俺じゃマノンに勝てるわけないんだからさ。
そう云おうと思った矢先。
遮るようにして、流麗な声が響いた。
「――ほぉう? なにやら、興味深い話をしておいでのようだ」
それは、俺の背後からのもの。
だから、目の前にいる村娘ちゃんとマノンのふたりの表情の変化を、目の当たりにすることとなった。
どちらも、好意的とは思えないような顔。
リュネループの少女は露骨に気分を害したように眉をひそめ、穏やかな王女様は、困ったふうにして口元を結んでいた。
「……ベアトリーチェ様」
ガブリエラが、ちいさく呟く。
振り返るとそこには、同年齢くらいの二名の人物が、不遜な表情を浮かべて立っていた。




