第七百十五話 ダブル(その四)
強きこと――。
強くあること。
強者であることは、必ずしも幸福の条件ではない。
脳天気なクレーンプット一家であれば、迷うことなくそう答えるであろう。
それは彼らの考える幸せの中に『強さ』を求めていないから、どうしてもそうなるのである。
無論、アルト・クレーンプットやその師のエイベルなどは、ある程度の自由を担保するためには、一定以上の強さが必要であることを理解してはいる。
ただ、人生にカネが必要と理解してはいても、『幸福の条件』として、いの一番に『カネ!』と答える人が少数であるように、『強さ』とは意図的に無視される類の条件ではあった。
逆に、強さを極めて重視される職業も存在する。
云わずと知れた、戦闘職である。
彼らは弱くては何も出来ない。
というよりも、文字通り生きていくことが不可能となる。
生存のためにも生活のためにも、戦う人々にとっては、『強さ』は最重要であったのだ。
さて、この『強さ』だ。
個人ではなく、集団として、強さを必要とする者たちもいる。
それは騎士団や傭兵団のような前述の通りの戦闘職であり、そしてまた、強くあることを標榜とする、国家などであった。
この北大陸であれば差し詰め、『天下統一』を狙う帝国こそが、その第一人者であったことであろう。
また、現在の人類圏の最北端――フェフィアット山以南にある北の三カ国は、現在進行形で互いに攻伐しあう戦争状態にあり、従って『北方三国志』を演じているが故に、より強さを必要としている、という事情のケースもある。
そして大国ムーンレインの同盟国のひとつであるケンプトン。
ここもまた、軍事国家であることを金看板として掲げているからこそ、『強尊弱卑』が民間に至るまで、ごく自然に形成されており、とりわけ、国の中枢となる王族や貴族家であればあるほど、力に重きを置くことが多いようであった。
その強さの形態は、『心』などの曖昧なものよりも、目に見えて効果を示せる武力が特に尊ばれる。
それはひとつには剣技や体術などの身体的技術であり、そしてまた一方は、この世界にいる一部の者が扱う超常の力――魔術なのであった。
ここに、ひとりの人物がいる。
仮に、B氏としておこう。
B氏には、ある種の呪いが掛かっていた。
と云っても、本物の呪詛ではない。
それは親から云われ続けた、ある言葉。
「――お前には、才がない」
魔術の大家と呼ばれる家系に生まれ、その当主である高貴な人物に云われた言葉が、それであったのだ。
幼いB氏の心に、それはどのような影響を与えたのであろうか。
強くあることが当たり前の世界で。
才があることが当然の環境で。
父に吐き捨てられた言葉が、それであった。
一方、南のムーンレインには、歳若くして天才と謳われる王女がいる。
下は民間の行商人から、上は実際に謁見を果たした貴族に至るまで、彼女の才知と魔術の力量は、同盟国中に知れ渡っていた。
B氏の父親の漏らした言葉。
「ムーンレインの国王陛下が羨ましいわ。才ある者が、我が子なのだからな」
それは殊更、実子をくさすために口走ったものではない。
だが幼いB氏にとっては、嫉妬と憎悪を掻き立てられるには、充分すぎる言葉なのであった。
故にB氏にとっては、出会う以前から、ムーンレインの第四王女に対する感情は、ある意味で決定的であったのだ。
やがてB氏は、父に云われる。
「喜べ。お前の仕事が見つかったぞ。非才のその身でも、問題のないものだ。心せよ」
それは魔術とは関係のない、別の任務。
重要ではあっても、魔学とは関係のないジャンル。
聞かされたB氏は、ちいさく呟いた。
「――ああ、矢張り父は、自分に一切の期待など」
認められるか、そんなこと。
見返してやりたい、多くの者を。
たとえばそう。
自らが魔術戦で、ムーンレインの第四王女を打ち破ったとしたならば。
誰もが認める天才を、自分が凌駕したならば。
(見ていよ……っ)
大局的に見れば愚かな決断はしかし、まだ幼い子どもにとっては、確かに世界の全てであったのだ。
※※※
「ガブリエラ」
「は、はい……。お父様……」
ブルームウォルク王国。
隣国ムーンレインの第四王女の誕生パーティを間近に控えたある日、国主は娘を自分の近くに呼び寄せていた。
今親子がいる場所は、謁見の間でも応接室でもない。書庫である。
ブルームウォルクの国主とその娘は、揃って本の虫であった。
そのためか暇な時間の殆どをここにおり、また父子共に、メガネを着用している。
「ガブリエラ。近くお前を、ムーンレインに派遣する。その意味は分かるな?」
「は、はい……。し、シーラ殿下と、よ、誼を結ぶのですね……?」
聡い子だ、と、王は思う。
引っ込み思案でコミュニケーションを取ることが苦手な性格だと知ってはいるが、彼は自分の娘の才覚を高く評価していた。
(同年の貴人で知者としてまず名前が挙がるのは、ムーンレインのシーラ殿下だ……。だが、我が娘も聡明さにおいては引けを取るまい)
彼は、そう考えている。
「そうだ。彼女の才は、我が国にこそ相応しい。まずは、我が国に好意を持って貰うこと。叶うならば彼女に嫁いで来て貰いたいとは思うが、留学などのかたちで長期の滞在して貰えるだけでも構わない」
「…………」
「シーラ殿下の聡明は、天下に鳴る。だが、ガブリエラよ、お前だって捨てたものではないと、私は思っている。――愚者と知者では、目に見える景色が違う。彼女も、同じ風景が見られる者との会話を望むことであろう」
「…………」
父の言葉に、ガブリエラは俯いている。
国主はそれを、いつも通りの引っ込み思案から来るものであると考えていたが、実際は違う。
彼女には、自信がなかったのだ。
(わ、私は、天才なんかじゃない……。凡人と天才では、それこそ話がかみ合わないのでは――)
自分はただの読書好きであるに過ぎず、従って、将来歴史に名を残す可能性の高い『天才』とは、比べるべくもないし、比べられたくもない。
彼女が書の中で知る天才たちは、皆が常人とは大きく変わっていた。
ならば当然、シーラ第四王女も、その例に漏れないはずだ。
既に彼女の中でムーンレインの天才少女は、秋霜烈日たる人柄であると思い込んでしまっている。
かの王女を讃えるとき、それは必ず刻苦勉励して多言語話者になったことや、史上最年少で段位魔術師に昇ったという奮起努力が語られるわけである。
ガブリエラが彼女を、謹厳にして峻厳な人物であると決め込んでしまうのは、無理からぬことではあったのだ。
無論、実像としてのシーラはその逆で、春風駘蕩たる心根の持ち主であり、アルト・クレーンプットなどは、彼女の値打ちはその才にあるのではなく、パウラ王妃より引き継いだ、この人柄にこそあるのだと評価する程であったのだが。
父の云うことは理解出来る。
年少にして既に他国に鳴り響く程の才を自国に取り込み、かつ同盟国であるムーンレインとの仲をより堅固にすることは、巨大な利益となろう。
だが、自分の才と――それ以上に自分の性格には、彼女の如き天才は、手に余るのではないかと不安なのである。心苦しいのである。
(損得とか抜きに……好きな本の話が出来たり、歴史を語れるお友達が欲しかったな……)
ガブリエラは、俯きながら、そう願った。
※※※
かくて、ふたつの国の王族は、ムーンレインへと向かう。
各々が様々な思いを胸に、同盟国の天才たる少女に、会いに行くのであった。
彼女らの行く手には、三人の魔術師がいる。
百年にひとりと噂される天才と、みっつの目を持つ魔術の大才。
そして、才能などというものを歯牙にもかけない、太平楽な転生者。
その邂逅が何をもたらすことになるのか。
それを知る者は、まだ、いない。




