第七百十二話 ダブル(その一)
「シーラ」
「あ、これは、ステファニーお姉様」
神聖歴1207年十一月末。
第四王女シーラは、第二王女ステファニーと、庭園のガゼボで邂逅した。
庭園は国王の持ち物ではあっても、実態としてはその内部に、王子や王女同士の母の実家に考慮した『棲み分け』があって、遠目に互いを見かけることはあれど、挨拶する程近くに寄ることはないことが多い。
けれども、この日は違った。
第二王女のほうから、『第四王女の縄張り』に、踏み込んできていたのである。
背後ではステファニーの近衛騎士とお付きの従者が、ハラハラとした表情を浮かべている。
何か問題を起こして、王妃の実家同士の諍いにならないかと気が気でないのである。
第二王女は、そんな従者たちの胸中を看破してか、振り返って云い切った。
「大丈夫よ。私の妹は、懐が深いもの。ちょっとやそっとじゃ、気を悪くしないから」
一方的に断言されて、第四王女は品良く苦笑した。
姉の野放図さは、よく分かっているつもりだ。
「それでお姉様。お姉様は、どうしてこちらに?」
「あら? ここはお父様のお庭よ? 私がいるのが、不思議かしら?」
「…………」
シーラは、再び苦笑する。
たった今、護衛たちに『懐が深い』などと他勢力の領地であることを口にしていてこれだ。
尤も、人を食ったような性格なのは、今に始まったことではないが。
ステファニーは、扇で口元を隠しながら云う。
「来月、貴女の誕生日があるでしょう?」
「…………はい。その通りです」
聡明なシーラは、今の一言で姉がこの場に現れた理由を察した。
第二王女は、扇子を下ろして肩を竦める。
「はぁ……。私は妹のことを、話が早いと褒めるべきなのかしら? それとも、張り合いがないと、ガッカリすべきなのかしら?」
「…………」
シーラは、困ったように笑っている。
それは、こういうことである。
シーラの姉、ステファニーは、この国の真北にある同盟国であるケンプトン王国に嫁ぐことが決まっている。
ケンプトンは隣接する友好国であるため、元より物資や人材の往来が多い。
それは当然、『お偉いさんの行き来』もあるということだ。
「名目は、私の婚約者様が、こちらまで会いに来て下さる――ということなんだけどね?」
第四王女シーラの誕生会を理由に、ケンプトンの王子が未来の妻に会いに来る。
それ自体は、何ら不思議なことではない。
ケンプトンは敵対国である『帝国』に隣接している。
故に、ムーンレインとの連携は不可欠。
両国の内外に、この南北二カ国の絆は盤石であると知らしめるためにも、こういった『演出』は大事だ。
――ステファニーに会いに来ることが、本当の目的であるならば、だ。
「……お姉様だけでは、不足ということでしょうか」
「だとしたら、失礼な話でもあるわよね? 或いは単純に、欲深いだけなのかもしれないけれども」
噂自体は、以前からあった。
ケンプトンの国王は、第四王女シーラをも、自国に欲していると。
第二王女は云う。
「私が嫁ぐってのに、更にシーラまでともなれば、重縁になりすぎるわよね」
「はい。ブルームウォルクが、良い顔をしないでしょう」
ムーンレインはおおざっぱに云うと、マンガの吹き出しのような形をしている。
その真北――北縁中央部に、ブーメラン、或いは横倒ししたL字のような形で、ケンプトン王国が存在する。
第三王子の母の生国であるブルームウォルクは、その『吹き出し』と『ブーメラン』に挟まれるようにして存在している。
南方を北大陸有数の大国・ムーンレイン。
北方を軍事国家ケンプトン。
ブルームウォルクはこの両国と友好を保ってきたからこそ、それ以外の国との戦いとは無縁でいられた。
つまり、ブルームウォルクは北大陸でも屈指の平和国家である。
裏を返せばそれは、戦闘経験に乏しい弱国ということにもなるのだが……。
「第三王子派。或いはブルームウォルクと懇意の貴族は、これを無視してケンプトンに、シーラ。貴女をあげるようなことに賛成はしないでしょ」
「そもそも、お父様もバウスコール宰相閣下も、事実上の『三国同盟』の均衡を崩すような選択は、しないと思います」
「でしょうね。ただそれは、『うちの国の理屈』」
「はい。ケンプトンには、我が国程、その条件に拘泥する理由はありません」
ムーンレインとケンプトンは同盟国。
ブルームウォルクとムーンレインも同盟国。
だが、ケンプトンとブルームウォルクは国交豊かな友好国ではあっても同盟国ではない。
故に、同盟国同士の強化を図って、何が悪い? という理屈も成り立つが――。
(未来の旦那様の国は、うちとの重縁よりも、単純にこの子の才能を欲しがっている可能性のが、高いのよねぇ……)
ステファニーの縁談は、シーラが三~四歳のときに出た話。
いかに聡明と名高かったとしても、それをそのまま鵜呑みにする者はいない。
ケンプトン王国も、また。
(当時にこの子の才を知られていたら、私を通り越して、この子を王子の婚約者に望んだでしょうね)
つまり自分は、代替え品なのだ。
その程度の価値しかないということだ。
(まあ、この子に嫉妬しても、仕方がないから、しないけどね)
腹違いの妹は、紛れもない天才だ。
まだ七歳にして、当然のように国際情勢や政治力学を理解している。
その話をしに、自分が現れたという理由すらも。
普通の子なら、今の自分の状況など分かっていないに違いない。
婚姻政策による影響など、理解の外のはずだ。
少なくとも、昔の自分には、こんな会話は不可能だったろう。
加えてシーラは魔術の大才である。
容姿も極めて美しい。
月の女神の寵愛すらいただいていると噂される程だ。
諸国に争って望まれるのは、当然と云えた。
(いずれにせよ、お父様は、シーラを『外』には出さないでしょうね。アンブロースお兄様に、もしものことがあれば、王位を継がせる可能性すらあるんだから……)
アンブロースとは、バウスコール公爵家出身の母を持つ第一王子にして王太子。
ただし、極めて病弱であるとされている。
だからこそ、第二王子と第三王子が、陰で争っているのだ。
ムーンレインの王位継承は、男子優先である。
故に、伯爵家出身の母を持つ第二王子のほうが、侯爵家出身の母を持つシーラよりも継承順位は上位となる。
これには年齢も考慮されるが、シーラより更に年少の第四王子も、彼女より順位は上なのである。
何にせよ、第四王女の才は、他国へ出すには惜しすぎる。
生半可な理由では、国内の貴族にだって婚約すらさせないだろう。
「……貴女、案外、婚期が遅れたりしてね?」
「願ってもないことです。それならばわたくしは、お母様の傍に、少しでも長くいられますから」
それに――という言葉を、シーラは吞み込む。
ほんの一瞬だけ、彼女の脳裏に、ある人物の姿が思い浮かんだ。
いずれにせよ、第四王女の誕生月となる十二月には、ケンプトンより、シーラ目当ての王族がやって来る。
第二王女とその妹は、それを正確に理解していた。
ただひとつ――。
もう一方の同盟国からも人が来るということは、この時点では、両王女は知らなかった。
ケンプトンとブルームウォルク。
二カ国から、王族がやって来る――。




