第七百十一話 霜月のふたつ姉妹
「にぃたぁ……! ふぃーたちと一緒に、霧吹きして欲しいの!」
「にー、あきゃっ!」
読書中の俺に左右から抱きついてくるのは、お馴染みのクレーンプット・シスターズである。
ガドお手製のマイ霧吹きを片手に、その表情は明るい。
日々を懸命に生き、そして楽しく過ごすこの姉妹には、現在、新たなる『お楽しみ』が増えている。
それは今月、俺の愛してやまない妹様、フィーリア・クレーンプット嬢がエイベルから貰ったお誕生日プレゼントである、『キノコ栽培キット』なのである。
前々からキノコが大好きで、自分でも育成に挑戦してみたいと云っていたマイエンジェルの望みを、我らが恩師が叶えてくれたという形だ。
ただ、栽培キットの入手がフィーだけだと確実にマリモちゃんが悲しむという理由で、次女様のぶんも用意してくれたエイベルなのである。
なお当然の話だが、この世界に子ども向けのちいさな栽培キットなどは販売されてはいないし、存在もしない。
なので畏れ多くも、このキノコ栽培キットは、『破滅』の高祖様の手作りなのである。
フィーやマリモちゃんはその日以降、大喜びでキノコのお世話を始めた、というわけだ。
我が子大好きな母さんは、『娘たちに良い経験をさせてあげられる』とご満悦。
俺としても、うちの子たちには色々な体験をして貰いたいと思っているから、エイベルには感謝しかない。
さて、その栽培キットの出所たるアーチエルフ様はと云えば、現在は外出中。人を迎えに行っている。
それが誰かは、すぐにわかるだろう。
「にーた! 栽培セット、白い糸みたいの増えてきた!」
「にゅーっ!」
シスターズが、おめめをキラキラさせている。
まだキノコは形にもなっていないが、うっすら菌糸が発生するなど変化は起きつつあるようだ。
俺がこの子たちを偉いと思うのは、ちゃんとエイベルの云い付けを守って、注意された通りに育成をしている点だ。
俺なんかは前世の子どもの頃、サボテンに水をあげすぎて腐らせてしまったことがあるからね。
『指示の通りにする』というのは、シンプルだが年少者には難しい場合もある。
それを考えれば、当時の俺よりずっと立派だ。
というわけで、家族四人で寄り添ってお世話をする。
うちの子たちは単純にキノコの世話をするのでなく、『皆で一緒にする』ということを大事に考えていてくれているので、こうして揃って育てているわけだ。
なので先程のように、俺や母さんもお世話に誘われるというわけ。
「――相変わらず、仲が良いのですね、貴方たちは」
そんな我が家に、背後から声が響く。
最も強く反応したのは、マイマザー。
勢いよく、振り返った。
「リュティエルちゃんっ!」
「だから……っ! ちゃん付けはやめて下さいと……っ!」
エイベルに連れられて現れたのは、『天秤』の高祖様こと、リュティエルである。
彼女は母さんを怖れているのか、実の姉の陰に隠れてしまっている。
そんな高祖姉妹の妹のほうに、俺は頭を下げた。
「エイベル、お帰り。それからお久しぶりです、リュティエルさん」
「お久しぶりなのー!」
「きゅーっ!」
「ええ、お久しぶりです。本当にいつも賑やかですね、貴方たちは」
ちょっとだけ呆れたような、けれどもかすかに親しみを感じさせるような微笑を、『天秤』の高祖様は浮かべていた。
本日は、このエルフ族の頂点様が我が家にやってくる日だったので、エイベルが迎えに行っていたというわけだ。
もちろん、恩師が彼女を迎えに行ったのは、『家族だから』。
重要人物だから護衛した――というわけではない。
「私直属の騎士は、少しだけ不満そうでしたけどね。ですが、あの子と姉では、戦闘能力に大きな開きがありますから、口を挟むことも出来ないのでしょう」
リュティエルには護衛役の騎士たちがいるらしいが、俺は一度も見たことがない。
それはこの言葉の通り、クレーンプット家がリュティエルと会うときは、必ずエイベルがいるからだ。
まさか世界最強の存在を前に、「アンタじゃ力不足だ、自分がやる」とは云えんだろうからね。
「…………」
こういうとき、既に『仕えるべき高祖』のいなくなった護衛騎士の末裔であるヤンティーネは、ちょっと複雑そうな顔をする。
尤もその変化は、よく見ないと分からないレベルの、ささやかなものなのだけれども。
さて。
リュティエルだ。
彼女はどうして、我が家へとやって来たのか?
それは、『打ち合わせ』のためなのだ。
この人は、当然だが忙しい。
急に予定を空けることが難しい立場だ。
だから、事前に我が家と話をする。
クレーンプット家との打ち合わせの内容というのはつまり、再び彼女を『運転手』として雇うということ。
もっとザックリというと、また大氷原に向かう際の『足役』なわけだね。
彼女の都合が付かないと、氷雪の園には行くことが出来ないからね。
それで、当家へと来て貰った次第。
もちろん日程の調整くらいなら手紙で遣り取りできるだろうが、彼女だって唯一の肉親に会いたいだろうし、気兼ねなく過ごせる場所が欲しいはずだ。
そのために、この西の離れが役に立つのであれば、これに勝る喜びはないわけで。
「今日は天ぷらですね……。ふふふ……」
『天秤』の高祖様からは既に、本日のディナーの要請が届いている。
それが天丼と、デザートのバニラアイスクリームである。
他、エイベルから直接、ドライフルーツを購入する手筈になっているらしい。
「みゅぅ……。ふぃー、今日は親子丼が良かったの……」
「にー、ぼろどん……」
お子様たちには、我慢を強いることにはなるけどね。
食べ始めれば笑顔になるだろうし、そこは割り切るより他にない。
一方、自分の好物が食べられると分かっている高祖様はニっコニコだ。
デザートを担当した俺に、こんなことを訊いてくる。
「エイベルの弟子よ。アイスクリームの在庫は充分にありますね?」
「はあ。まあ、ひとりおかわり含めてみっつくらいですかね……」
「…………」
俺の言葉に、『天秤』の高祖様は笑顔を消した。
「……少ない、ですね」
「みゅう、少ないの……っ!」
「少ないわねー」
「あぶ……っ!」
いや、多いだろ!?
食後にアイスみっつって、普通にお腹壊すぞ?
ちなみに材料たる鶏卵に関しては、その日のご飯とデザートに使うもの以外は、全てプリンにせよと、さる畏きところより、直々の命令が出ているんですワ。
俺には元々、どうしようもない話なんですワ。
そして当のお師匠様は、何食わぬ顔でそっぽを向いているというオマケ付きよ。
そんな高祖姉妹に、マイマザーが襲いかかる。
哀れリュティエルは、エイベルの陰に隠れていたものの、『同時だっこ』の前に敗れ去った。
母さんは親友とその妹を抱え込んでご満悦。
俺に向いて、こう云った。
「今日のお風呂は、アルちゃんがフィーちゃんとノワールちゃんを入れてあげてね? 私は、このふたりと入るから!」
両高祖様が青ざめているんですが、それは。
「にーた! 今日はふぃーと一緒に、お風呂入る!? ふぃー、にーたに髪の毛洗って貰いたい!」
「にー! のあもー!」
うーん。
再び、左右から抱きつかれてしまったぞ?
この場にいるのは、二組の姉妹。
一方は満面の笑みで、中央にいる俺に抱きついている。
もう一方はぐったりとした様子で、真ん中にいる人に抱きつかれている。
十一月のある日は、そんなふうにして過ぎていったのでありました。




