第七百十話 写真物語
「ふふふ~……っ。ふふふふ~~……っ」
十一月の昼下がり。
クレーンプット家の姉妹がすぴすぴと午睡を楽しんでいるころ。
その子たちの母上様は、機嫌良さそうな様子でアルバムを眺めていた。
今開いているそのページは、最新のもの。
つまり、ついこの間に開かれた、フィーのお誕生会のときのものだ。
四角い過去の中には、笑顔でごちそうにかぶりつく妹様や、満面の笑みで先割れスプーンを掲げているマリモちゃんの姿がある。
はしゃぎすぎて怒られて、抱き合って大泣きしているシスターズの様子もあったりもする。
どれもこれも、微笑ましい限りだ。
それらを見つめる母さんの瞳には、慈愛の色が濃く浮かんでいる。
リュシカ・クレーンプットという人物を知らない人が見ても、被写体となっている子どもたちを大好きなのだなと即時に了解できるかのような、そんな眼差しだった。
母さんやエイベルは、俺が想像した以上に、カメラの存在を重宝してくれており、各々が独自のアルバムを、それはもう大切に扱っているようである。
まるで写真の一葉一葉が、彼女たちには宝物であるかのようだった。
(まあ、俺にも秘蔵する写真はあったりするけどね……)
それはたとえば、高祖姉妹が身を寄せ合って、無防備な笑顔で仲良くプリンを食べている画像。
ご存命の両高祖様は、エルフ族の認識だと『あまり笑わない方々』という認識らしいので、この姿はとんでもなく貴重なのだろう。
ショルシーナ会長などには、『差し出せるものは差し出しますので、これなる至宝を、是非にも私に譲っていただきたい……ッ!』とか懇願されたが、売り渡すつもりはないものである。
だってこれは、俺にとっても宝物だからね。仕方ないね。
などと考えながらお母様の様子を覗いていると、マイマザーは俺に気付いていたらしい。
ちょいちょいと手招きをされてしまう。
「……ん? 何、母さん」
などと無防備に近付くと――。
「えいっ♪」
「ぬおぉッ!?」
柔肉の魔物に、あっという間に捕食されてしまった。
寝転びながら俺を抱きしめる母さんは、もの凄く良い笑顔だ。そして相変わらず、凄くふにょんふにょんだ……。俺の身体が、吞み込まれていく……。
「えっと……。母さん?」
「はぁーい。アルちゃんは、お母さんが捕まえちゃいました。抵抗は、無駄だからね?」
あ、はい……。
エイベルすら逃れられぬ、『柔らかホールド』から脱出しようなどという愚は、おかしませんとも。
徒労だからね、どうしようもないね。
「今からアルちゃんは、お母さんと一緒にアルバムを見るのです♪」
それは楽しいから、全然構わないんだけどね。でも、何で急に? え? ただ単にそういう気分? あ、そうなんですか……。
――というわけで、親子ふたりで写真を眺める。
当たり前の話になるが、母さんの撮った写真は、家族の姿ばかりだ。風景をメインにおさめる人ではないから、これは当然ではあるが。
クレーンプット・シスターズや、親友のエイベル、それから俺。
ミアやティーネもちょこちょこ写っているから、母さん的には準家族という扱いなのだろうか?
「ふふふー……。このときのフィーちゃん、可愛いっ」
とか云って無邪気に笑っているこの人も、未だに二十代にすら見えない。本当に若々しい母なのです。
「アルちゃん、ありがとね?」
母さんは唐突に、俺にお礼を云ってきた。
「何がさ?」
俺は首を傾げる。
けれどもマイマザーは、ふふふーと笑顔で抱擁を強めてきた。
「写真機という、幸せをくれたこと! 私の幸せを、形に出来る日々をくれたこと! 目に見えて手元に残せる思い出があるというのは、やっぱり凄く貴重なことだもの!」
それに関しては、完全に俺の我欲なんだけどね。
自分がエイベルやフィーの姿を残したいと考えただけで、『他の皆がどう思うか?』は、後回しだった。
だからあまり感謝されると、かえってこそばゆい。
「でもでもぉ……。ワガママを云えば、フィーちゃんやアルちゃんの、赤ちゃんのときの写真も欲しかったのよねぇ……。ねえ、アルちゃん、写真機を改良して、過去も撮せるようには出来ないの?」
そいつァ、無理な相談ですなァ……。
でもそういうことが出来れば、エイベルはきっと大喜びしてくれるだろうけどさァ……。
なお、赤ちゃんは髪の毛がフサフサで生まれてくる子と、そうでない子がいるが、フィーはハゲちゃびんで生まれてきた。
すっごく可愛かったのよね、赤ちゃん時代の妹様。
元気いっぱいによく泣いて、それ以外は笑っていてって――それ、今と変わってねぇな!?
「ところでアルちゃん」
「ん? 何、母さん……?」
「今アルちゃんは、お母さんにだっこされています」
「そっスね」
「それはつまりぃ……。アルちゃんの生殺与奪の権限は、私が握っていると云うことです」
「――――」
何故、そんな不穏な発言を……。
ちょいともがいてみるが、柔肉の檻は、俺を逃してくれる様子はない。
「ねえ、アルちゃん。こないだのフィーちゃんのお誕生日、ソフトステーキが出たわよねぇ?」
「う、うん……」
うちの子直々のリクエストだったし。
一番の好物だしで、予想の範囲だと思うけど……。
「ノワールちゃんのときは、お子様ランチが出て、夜にはそぼろ丼、だったわよねぇ……?」
「え? あ、うん……」
そっちもマリモちゃんの大好物なんだから、当然だと思うが……。
「そして、お誕生会のどちらでも、エイベルはプリンを食べていたわよねぇ……?」
いや、誕生日パーティ関係なく、あの人はひたすらにプリン食べているんだと思うんですが、それは。
「なのに何で、お母さんには何もないのよぅっ!?」
「はぁ……?」
何もないって、娘たち以上の勢いで、御馳走をかきこんでたじゃないですか……。
「違うのよぅっ!」
ギュギュギューっと、俺は柔らかボディに取り込まれていく。
「フィーちゃんにはソフトステーキ! ノワールちゃんには、そぼろ丼! そしてエイベルにはプリンを作ってあげたのに、どうして私には、何もないのよぅっ! お母さんはこの不公正で不公平な現実に、強く抗議します……っ!」
フィーとマリモちゃんの好物は半分成り行きだし、プリンに至っては、遠大なる至上の計画、『A計画』の要となる歯車だったわけで、別に母さんをハブにしたわけじゃないんだが……。
(と云っても、それを正直に話すことは出来ないし……)
火に油を注ぐ趣味は、俺には無い。
自分が燃えるファイヤーダンスなんぞ、真ッ平ゴメンだ。
なので、選択肢はひとつだけ。
「お、お母様にも、何か考案させて頂きます……っ」
全面降伏。
これ以外に無い。
「……感謝デー」
「え?」
「お母さん、感謝デーも開催して貰ってない……っ」
ぐ……っ!
これ幸いと、追加の注文を……っ。
「アルちゃんは、もっとお母さんに甘えるべきなの! もっと私を、大切にすべきなの!」
娘さんソックリの頬ずり攻撃を……っ。
ていうか、ただ単に、ダダをこねているだけだ、これェ!
「アルちゃん! お母さんのこと、好きって云って!」
だんだん主旨がズレて来たじゃんか~……。
「アルちゃん! 好きっ! 好きィ~~~~~~~~~~~~っ!」
最早要求でもなんでもねェッ!
感情のままに動くモンスターと化したマイマザーに襲われ、逃げる術がない。
救いの神はいないのか!?
そう考えた矢先、入り口で固まっている人と目があった。
「え、エイベル……! たすけて……っ!」
「……………………っ」
母さん関連だと割と逃亡することの多い我が師は、凄くイヤそうにしながら、しかしそれでも俺を助け出そうと入ってきてくれた。
そのくらいには、俺を大事に思っていてくれているらしい。
「……リュシカ」
「むっ? 何よぅ、エイベル! 私とアルちゃんの甘い蜜月時を邪魔するのなら、いくら親友でも容赦しないんだから!」
「…………」
うわー……。
エイベル、もの凄く逃げたそうにしてるよぉ……。
けれども、俺のために云ってくれる。
「……リュシカ。アルが困っている」
そうだエイベル!
もっと云ってやって云ってやって!
しかし、母さんはお冠だ。
「何よぅ! アルちゃん直々にプリンを作ってもらったエイベルには、この私の慟哭なんて、分からないのよぅ!」
「……ん。プリンは、アルが私のために作ってくれたお菓子。私の、ためだけに……」
そこでドヤ顔すんのやめてよォ!?
ほらァ、母さんの目が、据わって来ちゃったじゃないかァ……。
「ねぇ、エイベル」
「……何、リュシカ」
「今から貴女を、わからせます」
「…………」
プリティーチャーは無表情のまま、心底『巻き込まれたくなかった』って顔をしている。
だが、それでも俺を見捨てないでくれているらしく、この場に留まることを選択してくれたようだ。
彼女は向き直って、捕食者に立ち向かう。
「……私は、アルの師。弟子を――護らねばならない……」
「――愚かな」
マイマザーは、すっくりと立ち上がる。
それはつまり、今なら逃げ出せるってことでもあるが。
(と云っても、まさか恩師を囮にして、自分だけ雲隠れするわけにもいくまい……)
なので、この場に留まることにする。
「フ……。アルちゃんはさしずめ、囚われのヒロインね……っ!」
何だろう。
また変な恋愛小説に影響でも受けてるのかなァ……?
それで巻き込まれる俺とエイベルこそ良い面の皮だが。
「……アルは、私が助ける……」
「かかってきなさぁ~~い!」
かくして、小柄で華奢な女の子と、柔肉の魔物の、一騎打ちが始まった。
※※※
「……無念」
そうして、柔らかぼでーに半分取り込まれた状態の恩師が項垂れている。
ちんまい少女が魔物に勝つなど、夢物語でしかなかったのだ。
一方母さんは、俺とエイベルを両方囲い込んで、ご満悦。
今もニっコニコしながら、俺たちを左右に抱えている。
そこに、ひょっこりと現れる者が。
「あ、お義母さん、私のアルトきゅんを抱え込んで、羨ましい限りですねー。あとでこのミアお姉ちゃんにも、蹂躙させて欲しいですねー」
また厄介なのが……。
「あ、ミアちゃん、良いところに! あとでエイベル貸してあげるから、写真撮って欲しいのよぅ」
「エイベルさんは別に要りませんねー。アルトきゅんをだっこさせて貰えるなら、お引き受けしますねー」
目の前で売り渡される、親友と息子。
その後撮られた写真は、中央にいるマイマザーだけが笑顔で、残る二人が憔悴しているという、クレーンプット家には珍しい一葉に仕上がった。
「――このとき、一体何が?」
商会所属のハイエルフ様たちにはそう訊かれるけれども、その理由を口にする者は、誰もいない。




