第七百九話 第三王女の肖像
ピュグマリオンにとって、その王女の価値は低かった。
だって、張り合いがないのだから。
彼は、人を不幸にすることが好きだ。
彼女は、人の不幸を実現することが楽しくて仕方がない。
そんな彼にとって、最初から不幸面をしている第三王女など、興味の抱きようもなかった。
彼女はどこまでも、自分の力で他者を不幸にするのが好きなのだ。
簡単に不幸になるヤツ。
自分は不幸だと思い込んでいるヤツなんかは、まるで面白くもない。
幸せの絶頂にいる人間。
或いは、光り輝く未来を目指している人間。
そういう奴儕を奈落の底へと叩き落としてやることが楽しくて、今を生きているのだから。
「落とし穴を掘ったり、そこにエサを置いて誘導するのが楽しいんだ。最初から穴に落ちてるヤツなんか、見ていても楽しくないよ。もちろん簡単に落っこちるヤツも、つまんないから嫌いだね! ボクはボクの影響で、不幸が拡散していくのが嬉しいのさ! 最初から淫乱な女はクソだけども、堕ちて淫靡になるのは最高だろう? まあ、そういうことかな?」
などという意味不明な美学によって、第三王女クラウディアは、『白い子ども』の標的であることを、現在は外れている。
しかし『不幸拡散器』に度外視されているからといって、彼女が幸せかと云えば、そうでもない。少なくとも、王女本人はそう思っている。
もちろん、スラム街で食うや食わずの生活をしている子どもたちに比べれば、圧倒的に幸福であるとしても。
彼女はいつだって、異母妹であるシーラ第四王女の影響から、逃れることは出来ないのだから。
「クラウディア殿下。今までお世話になりました」
過日、彼女に仕えるメイドのひとりは、頭を下げて第三王女の館を去った。
その使用人は、珍しくクラウディアを差別しない人だった。
よく話をしてくれる、心許せる人だった。
悲しかったが、家の事情であれば仕方がない。
クラウディアは精一杯の笑顔で、そのメイドを見送った。
その日の夜のことだ。
彼女はメイドたちの会話を、偶然聞いてしまった。
「あの人も上手くやったよねぇ? 第四王女殿下のところに入り込めるなんて」
「ホント、ホント! 羨ましいわぁ。前途有望でお優しいシーラ殿下のメイドになれるなんて、夢のような話じゃない」
「――――!」
クラウディアは、顔を真っ青にして後ずさる。
自分は、また見捨てられたのだろうかと心が揺れた。
第四王女シーラ。
百年にひとりの天才とも云われる、母違いの妹。
自分の欲しいものを何でも持っている、同い年の肉親。
「シーラ王女ってさあ、私らみたいな下っ端のメイドと会っても、笑顔で挨拶してくれるんだよねー。身分どころか、派閥も違うってのにさぁ?」
「そう。健気で可愛いよねぇ。思わず応援したくなっちゃうっていうか。――それに比べて、あの方は、ねぇ?」
「いつも下を向いてるし、なんか暗いし、挨拶もないしね」
「ないといえば、未来もないしね」
「そうそう。そのうち、どっかに嫁に出されて、それで終わりでしょ? 魔術も使えない。王位継承権もない。覇気もない。愛想もない。ついでに云えば、挨拶もない」
「あたしらも、あの方がどこぞに嫁ぐまでしかここにはいられないしぃ? 路頭に迷う前に鞍替えできたあの人が、ホントに羨ましいわぁ」
クラウディアは、泣きながら駆け出した。
まただ。
またシーラと比べられる。
また、自分は何かを無くしていく。
後日、第三王女は、第四王女のところで働くようになった、件の使用人を見かけることになる。
クラウディアは、膝を抱えてふさぎ込んだ。
こんなとき、いつも自分を支えてくれている、大きくて優しい老人は傍には居ない。
かの予言者はヴェンテルスホーヴェン侯爵家に所属しているわけではなく、気ままな旅暮らしだ。いないときのほうが、寧ろ多い。
けれども、今は傍に居て欲しかった。
(私には、誰も――)
唇を噛んで、それからハッとした。
――いる。
ひとりだけ、いる。
とても大切な、あの方が。
「アルト、様……」
彼女は呟く。
あの干からびた雑草のような雰囲気を持った男の子の名を。
(そうだ……。私には、あの方が……)
あの方がいてくれる。
それはクラウディアの心を支える、大きな柱であったのだ。
明くる日、彼女は目撃する。
その、少年の姿を。
焦がれていた、その人を。
(どうして、あの方がここに……っ?)
それは王城の敷地内。
広いプロムナードを、仲の良い兄妹が歩いてくる。
(ま、まさか……。わ、私に、会いに来て下さったの……っ!?)
胸が高鳴った。
昨日までのモヤモヤが、一瞬で霽れた気がした。
けれども次の瞬間、彼女は見る。
クレーンプット兄妹が、道を曲がるところを。
そちらは自分の所などではなく、あの第四王女のいる館がある道――。
彼女は知らなかった。
アルト・クレーンプットが、シーラの御伽役となっていることを。
アルト本人が陰に籠もることを好み、第四王女側も防衛上の理由でシーラと会える人物を伏せているため、派閥の違う第三王女がその情報を得ることはなかった。
だから彼女は、素直にこう思った。
「あの方も――。あの方までもが、シーラ様にとられてしまう……っ」
他のものは我慢が出来る。
仕方がないと、諦めも付く。
でも、あの方は……。
あの方だけは……っ。
「シーラ様は、恵まれた方……。誰からも、愛される方……。だから何でも、あの方は手に入れてしまう……。私とは違う……。私、なんかとは……」
クラウディアは、膝から崩れ落ちた。
あふれ出る涙を、止めることが出来なかった。
数日後。
予定されていた王族一同の写真館での撮影の中に、第三王女の姿は、ついになかったのである。
※※※
それからの王女は、暫くの間、塞ぎ込んだ。
館を出ようとしなくなったのである。
彼女と親しい、ダンやピストリークスの言葉にも、クラウディアはろくな反応を示さない。
それ程までに、彼女が『失ったと思ったもの』は大きかったのである。
ヴェンテルスホーヴェン侯爵家の人々は、今このときに予言者エフモントがいないことを心底、残念がった。
そして、第三王女のていたらくを残念がる者の中には、『白い子ども』もいる。
「いやいやいやいや、ここで潰れるとか、迷惑なんだけどぉ!?」
誰に云うでもなく、彼はひとり呟く。
彼女の望みは、第三王女と第四王女の、二者同時の共倒れなのである。
長く積み上げたドミノが芸術的に倒れるように、両者がかみ合って崩壊するところをピュグマリオンは見たいのだ。
まだ何も仕掛けていないのに自滅されるのは、迷惑千万であった。
(流石にこんな早すぎるタイミングで、勝手に潰れられるのは困るなぁ……)
まだ子どもなのだから、精神的支柱がなければ脆いというのは、当たり前の話である。
だが、そんなことはピュグマリオンには関係がない。
より良い不幸のため。
より華麗な絶望のために、こんなところで壊れられるのは、迷惑なのである。
「仕方ない。ちょっとだけ小細工をするか。――はぁ、こんなの、ボクのキャラクターじゃないのにさぁ……っ!」
ぷりぷりと怒りながら、白い子どもはささやかな暗躍を始めた。
※※※
神聖歴1207年、十一月の初め。
第三王女クラウディアの近習である少女は、主君を庭へと無理矢理に連れ出した。
いつまでも籠もっていては、お体に障りますよというのがその理由であるが、普段の彼女であれば、王女殿下たる存在に、そんな強気には出られない。
けれども何故か、その日はそうしなければならないと思った。
まるで誰かに、暗示でも掛けられたかのように。
彼女は、迷わず王宮の中庭へと王女を引っ張っていく。
何故この場所なのかも、連れ出した少女にすらわからない。
指定でもされたかのようである。
「…………」
一方、王女の表情は暗い。
瞳には光が無く、完全に俯いてしまっている。
中庭へと出てきたのも、ただ単に無抵抗であっただけだ。
精神がもう少し元気であれば、クラウディアは近習の少女に対し、『出たくない』と抵抗を示したに違いない。
そうして、余人のいない綺麗な庭には、主君と従者だけがいる。
第三王女は、そこに力なく佇んでいる。
最早、花を愛でる気力もない。
近習の少女はなんとか主を励まそうと言葉を重ねていたが、効果の程は望めなかった。
半分諦め気味に、彼女はプロムナードのほうを見つめる。
そこで――息を呑んだ。
「――素敵……っ。なんて綺麗な、少年なのかしら……っ」
廃棄されたガラクタのような雰囲気をした男の子が、お日様のような気配を持った銀髪の幼女と一緒に、歩いてくるのが見えた。
近習の少女は先程までの気疲れも忘れ、主君に声を掛ける。
「殿下! 王女殿下! 見て下さいっ! アレ、あそこです……っ! とっても美しい少年がおりますよ……!? どこの家の方でしょう……? パーティでも、お見かけしたことがないのですが……っ」
興奮気味に、彼女は云った。
あの廃材のような少年の容姿は、彼女のドストライクだったのである。
(なんとかお知り合いになれないかな? 家格は釣り合うでしょうか? 私は本来ならば王女殿下の傍に侍ることすらかなわないような、弱小男爵家の令嬢でしかないのですが……っ)
などと、少女はめまぐるしく考えている。
他方、クラウディアが『そちら』を向いたのは、騒々しさに釣られてのことである。
普段の彼女であれば、『誰か来る、他人はイヤだ』と考え、即座に逃げ出していたはずなのだが、最早動くことすら億劫になったこの王女に、そんな考えは浮かばなかったのであった。
そして――。
「あ、あ、ああぁ……っ!」
可憐な唇から、可愛らしい声が漏れた。
その視線の先にいた者。
こちらに歩いてくる者は――。
(ああ……曲がらない……っ! あの方は、道を曲がらない……っ!)
それは、あちらには行かないということ。
今度こそは本当に、自分に会いに来てくれたと云うこと……っ!
(あの方は、シーラ様にとられてなどいなかった……っ!?)
クラウディアは、泣いていた。
泣きながら、彼に駆け寄っていく。
「あ、で、殿下……っ!? どうされたのですか!? というか、彼とお知り合いなのですか? しょ、紹介して下さいよぉ……っ!」
近習の少女が、慌てて後を追いかける。
これまでの陰鬱な様子が吹き飛んだかのように、第三王女に笑顔の光が灯っている。
そんな様子を――白い子どもは頬を膨らましながら見つめている。
「あぁっ、もうっ! 腹が立つなぁ! アルトはボクのものなのに、あんなに気安く近付いて……っ! 何だよ、あの表情! 完全にメス犬のそれじゃあないか! クソ……ッ! こんなことなら、セッティングするんじゃなかったよ! むかつくなぁ……っ!」
などと、歯噛みしつつ地面を蹴っているのは、一国の王女と賎民の子どもが会うことが出来るように調整を付けた、張本人なのである。
彼は、クレーンプット兄妹からわずか百メートル程度の距離にいるが、魔力感知と魂命術を体得しているフィーリア・クレーンプットに、その存在を毛程も気取られてはいない。韜晦が完璧である証左であった。
彼女は周囲から完全に隠れたまま、イライラとした様子で、自業自得の憤慨をしている。
そんな白い子どもを知らず、中庭の一角では、笑顔の花が咲いている。
くたびれた少年の手には、写真機がひとつ。
それは撮影に参加することが出来なかった第三王女が、今度こそ、その美しい姿を残すことが出来るようにという、少年なりの配慮なのであった。
男の子の妹の手には、第三王女とも馴染みの深い、オオウミガラスたちの写真が握られている。
海鳥たちの誕生日に撮られたそれは、クラウディアへのプレゼントなのだった。
近習の少女は、エルフ族しか所持しないはずの写真機と、売り切れ続出で手に入ることがない希少な写真に驚いて、どういうことかと目を丸くしている。
ついでに差し出された大量のどんぐりの不可解さにも、ビックリしている。
ヴェンテルスホーヴェン侯爵家の血を引くお姫様は、その日から、再び元気を取り戻した。
第三王女クラウディアの写る写真は、他の王族たちのそれよりも、満ち足りた笑顔であったと云われている。




