第七百七話 ふたつ並んだ『おめでとう』
神聖歴1207年の十月。
この月は、俺にとって近しい人たちの誕生日がある。
それは末妹様ことノワール・クレーンプットと、幼い少年を狙うガチモンの変質者、ミア・ヴィレメイン・エル・ヴェーニンク男爵家令嬢の、ふたりの。
ミアの誕生日はハッキリしているが、マリモちゃんのそれは不明である。
おそらくは幻精歴に誕生した個体であろう、という推測以外には、何もない。
だけど――いや、だからこそ、俺たちクレーンプット家との出会いがあったこの十月を、誕生月と定めたのである。
それに乗っかったのが、末妹様と仲良しのミアだ。
「十月がお誕生月というのなら、これからは私と一緒の日を記念日にして欲しいですねー。私もノワールちゃんと一緒なら、二倍で幸せですねー」
という変態メイドの言葉に、闇の純精霊様が大喜びした結果なのである。
ということで、ミアとマリモちゃんは、同じ誕生日であると設定された。
我が家はそうして、ふたりのお誕生日パーティの準備に大わらわだ。
「まーっ! にーっ!」
俺と母さんの元へ、危なっかしくも力強く駆けてくるのは、主役の一方たるマリモちゃん。
彼女は俺たちの脚に順番で抱きついた後、スチャッと愛用の先割れスプーンを掲げてみせた。う~ん、良い笑顔だァ……。
「あらあら、ノワールちゃんは、そぼろ丼が食べたいのね?」
「あきゃっ!」
愛娘のアピールから、即座に正解へと到達する子煩悩なお母様よ。
お誕生日はこの子のためなのだし、もちろんその好物は作ってあげるつもりなのだが……。
「ふふふ~っ! 聞いてノワールちゃん、アルちゃんがね? 大好きなノワールちゃんのために、他にも美味しいものを作ってくれるんですって!」
「にーっ!? のあーーーーっ!? きゅーーーーっ!」
末妹様は、感極まって抱きついてきた。
ちなみにこの子、名前はご存じの通り『ノワール』だが、舌っ足らずなためか自分のことは、『のあ』と呼ぶ。
「にー! しゅきっ!」
ぷちゅっとほっぺにキス。
母親や姉の影響で、愛情の示し方が割とアグレッシブなマリモちゃんなのである。
「くふふー。ノワールちゃん、良かったですねー?」
そう云って黒髪幼女を抱き上げるのは、末妹様と大の仲良しのミアである。
「みー! しゅきっ!」
「くふっ。嬉しいですねー。このミアお姉ちゃんも、ノワールちゃんが大好きですねー」
邪気無く頬ずりしている。
俺に寄ってくるときは、あんなに恐ろしいのに。
我が家の次女を抱える邪神は、突如として俺の方を向いてきた。
いきなりだとビビるから勘弁して欲しい。
「アルトきゅん、アルトきゅん。ノワールちゃんって、もう普通の人には、ちゃんと人間として認識されるんですよねー?」
「うん。そのへんは、エイベルがお墨付きをくれてるよ。思いの外、魔力の安定が進んでいるので、ちょっと触られたりするくらいでは、精霊種と看破されることはないだろうって」
うちの先生の想定以上に、この子は力を付けているらしい。
これは日々の食事――魔力のほうだ――の質が良く、しかも好きなだけ食べることが出来る環境のお陰なのだという。
なので、この子の存在が違和感を抱かれることも既に無い、ということにはなっている。
つまり、もう『お留守番』をさせなくても良いと云うことでもあるが――。
ミアは、苦笑するようにしてマリモちゃんを見る。
「普通の人間族は、こんなに綺麗なお顔と髪の毛をしておりませんねー」
そうなのだ。
うちの末妹様は、美しすぎるのである。
既にとんでもないレベルの美幼女なので、見た目の一点だけで、『この子、本当に人間? 綺麗すぎるんだけど?』となってしまうのである。
こればかりはもう、どうしようもない。
「…………あにゅ?」
くりくりとした真っ黒な瞳が、不思議そうに向いている。
母さんが、漆黒の髪を愛おしそうに撫でている。
「ふふふー。ノワールちゃんは、素敵な女の子ってお話よ?」
「きゃーっ♪」
マリモちゃんはフィー同様に、無邪気でいてくれればそれで良いか。
「さあっ! ノワールのお誕生日の御馳走を、頑張って作っちゃおうか!」
「さんせーい!」
「はーい、ですねーっ!」
「あきゃ~~っ♪」
ハンモックの上でダイコンに抱きついてすぴすぴと寝息を立てている長女様と、所用で外出しているお師匠様以外のメンバーが、おーっと、元気よく拳を上げていた。
この、心から身内を祝えるノリの良さこそが、我が家の自慢なのである。
※※※
「ミアちゃんっ! そしてノワールちゃん! お誕生日、おめでとうございますっ!」
「おめでとう、ふたりとも!」
「おめでとうなの!」
「……ん。おめでとう」
家族でちゃぶ台を囲んで、ぱちぱちと手を叩く。
お祭りごとが大好きなフィーも、我が事のように喜んでいる。
「ヴェーニンク家以外でも、こうしてお祝いして貰えるのは嬉しいですねー。ありがたいことですねー。そしてノワールちゃんも、おめでとうですねー」
「きゃーっ♪ みーも、めー♪」
まん丸なちゃぶ台では、母さんの膝の上にノワールがおり、その両隣にミアと俺。フィーは俺の膝の上に陣取り、対面には帰宅したばかりのエイベルという図式。
フェネルさんやヤンティーネはまだ到着していないが、絶対に後で合流すると云ってくれている。
「はーい。それでは、アルトきゅん考案、お義母さんと、このミアお姉ちゃんで作った、本日の御馳走の登場ですねーっ!」
「ふおぉぉぉおおおおぉぉぉ~~~~~~~~~~~~っ! にぃたぁっ! このご飯、とっても美味しそう! 宝箱みたいっ! ふぃー、早く食べてみたいっ!」
「きゅーっ! に、にーっ!? きゃーっ!」
お子様たちが興奮した様子で、おめめをキラッキラにしている。
今回俺がメインで作ったのは、みんな大好きオムライスだ。
ケチャップがないのでトマトから適当にソースを作った。味見した範囲では、まずまずだろう。
重要なのは、表面におめでとうメッセージを書くことと、てっぺんに旗を立てること。
お子様用の食べ物なので、見た目にも拘るようにした。
これらもちゃんと、クリアしている。
尤も文字を書いたのは俺ではなく、母さんとミアのふたりが、息子を押しのけて喜び勇んでやってくれていたが。
しかし今回は、ただオムライスを作っただけではないのだ。
妹様の作ってくれた平皿の上には、このオムライスの他に、サラダとミニハンバーグとフライドポテト、そしてデザートのプリンをのせて、お子様ランチとして仕上げてみせた。
『見るだけで楽しい』
せっかくのお誕生日なので、こういうものも良いだろうと考えたのだ。
作戦は図に当たり、フィーとマリモちゃんは膝の上から飛び降りて、おしりをふりふりダンスを始めてしまった。
「にーた! お皿に御馳走いっぺんに乗ってると、とっても楽しくなる! やっぱり、ふぃーのにーたは、凄い人なの! ふぃー、惚れ直したの!」
「にー! しゅきーっ!」
ふたりとも、大喜びだ。
「……プリン。……プリンが、乗っている……っ」
他にも喜んでいる人もいるようだが。
母さんとミアに『歓喜の舞』を中断させられたシスターズが、膝の上に戻ってくる。
「にーた! ふぃー、早くこれ食べてみたい!」
「にー! まーく!」
最早、妹様たちの関心は、御馳走一択だ。これを阻む力など、俺には無い。
「ふふふー。それじゃあ、皆でお誕生日、『お昼の部』のお食事にしましょうか!」
「はーーーーい!」
姉妹揃っての、元気よい返事。
ちなみに母さんが『お昼の部』と称したのは、商会の皆さんもやって来ての『夜の部』があるからだ。そっちも賑やかになるのだろうな。
「いただきます!」
「いただきまーすっ!」
「いーだ、まー!」
というわけで、笑顔のお食事タイム。
本日の主役であるマリモちゃんは、先割れスプーンを迷うことなくオムライスへと差し向けた。
「あむっ!」
さて、お味のほうは……?
「きゅーーーーっ♪」
目尻の下がった笑顔で、ほっぺを押さえている末妹様。
流石は『お子様特攻』のオムライスだ。問題ないようで、俺も一安心。
「ふおぉぉおぉぉおぉおおぉぉぉっ! にーた! こっちの揚げたお芋、とっても美味しいっ! にーた、どうしよう!? ふぃー、手が止まらないっ!」
マイエンジェルは、フライドポテトが気に入ったようだ。まあ、ポテトチップスも好きな子だから、これは当然かな。
「……プリン」
うん、エイベル。
それは別段、目新しくはないぞー?
「くふっ。アルトきゅん。今日は素敵なお食事を、ありがとうございますねー?」
「うん? どうしてミアがお礼を云うのさ? これを作ってくれたのって、ミアじゃんか」
「そうではないんですねー」
駄メイドは、柔らかい笑みでクレーンプット家の面々を見つめた。
それは俺を狙うときの怪しい眼光とはかけ離れた、優しい眼差しだった。
「私、この家の皆さんの笑顔が、大好きなんですねー。だから、そんな皆さんを今日も笑顔でいさせてくれているアルトきゅんには、感謝なんですねー」
「それこそ、お礼を云うこっちゃないだろ」
一切が、俺が俺のためにやっていることだ。
俺が、皆に笑顔でいて欲しいんだ。
皆が、笑顔であるべきだと思っているんだ。
それだけの話。
「くふふっ。私は、そんなアルトきゅんこそが、この先もずっと笑顔でいてくれたら嬉しいですねー」
「そうなるよ。何があっても、そうするさ」
俺の笑顔の源は、ここにある。
皆が笑顔だと、俺も嬉しい。
だからこの光景を、俺はこの先も傍に居て守り続けるんだ。
それが俺の、ささやかで、そして贅沢な望み。
「みーっ♪」
先割れスプーンを握りしめたマリモちゃんが駆けてきて、ミアの服を引っ張った。
どうやら、一緒にお子様ランチを食べたいらしい。
「くふふ。じゃあノワールちゃんは、ミアお姉ちゃんのお膝の上で、一緒にご飯を食べましょうかねー?」
「きゅーっ!」
「ううぅ……っ! ミアちゃんズルい、ズルいわ~……っ!」
「ふへへ……! にーたのお膝は、ふぃーのもの!」
「……プリン」
しっちゃかめっちゃかで。
でも、そこには『楽しい』だけがあって。
心の底から『おめでとう』って云える関係は、素敵だなと思えるのだ。
ミアとマリモちゃんの、ふたつ並んだ『おめでとう』は、こうして幸せのうちに過ぎていく。
「あきゃっ!」




