第七百六話 おやぢ☆ローリング!
神聖歴1207年の十月――。
この国の最も畏き場所のひとつ――玉座の間で、ひとりのオッサンが、ローリングしていた。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 欲しいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
いい年したオッサンが、赤い絨毯の上を、右へ左へご~ろごろ、ご~ろごろ。
涙と鼻水を流し、隅から隅へと行ったり来たりする有様は、『醜態』以外の形容詞が見つからぬ。
それをすぐ傍で見ている豪奢な衣服に身を包んでいる老人は、つるっぱげになった頭に青筋を立て、それから転げ回るオッサンに蹴りをくれた。
「ええいっ! 鬱陶しいッ!」
「うごッ!?」
爺さんに蹴りを食らったオッサンは、痛みでむせて、転げ回るのをやめた。
「な、何をする、爺ッ!?」
「若ッ! いい加減にしなされぃッ!」
あまりのことに、両者共々素が出ている。
老人はオッサンが幼少の頃からの傅役であり、大切な娘を嫁がせている間柄でもあった。
その身は、王国宰相。
家柄はこの国にみっつしかない公爵家の筆頭であり、そこの当主でもある男。
バウスコール卿。
王族とフェーンストラ大公を除き、この国で彼より立場が上の者は存在しない。
そして涙目でハゲた爺さんを見上げているオッサンこそが、この国で至尊の冠を戴く者――国王陛下なのであった。
このふたり、公式な場では、『陛下』『バウスコール公』と呼び合っているが、余人がいないときは昔のままに、『爺』『若』と呼んでしまう仲なのである。
「いきなり蹴るとか、酷くないかッ!? 酷くないかぁッ!?」
「二回も云わんでよろしいッ! それよりも若、なんです、そのていたらくは!?」
バウスコール卿が憤慨しているのは、この国の主たる者が無様を晒しているからである。
こんな姿、誰にも見せる訳にもいかない。
国王という身分の鼎の軽重を問われてしまうし、万が一バウスコール卿自身がドン引きされた目を向けられ、
「……このオッサンを、アンタが教育したんスかぁ?」
とか云われでもしたら、憤死する以外の選択肢がないからだ。
さて。
では何故、この国で一番偉い男がこんなふうになっているのかというと、それは『欲しいものがあった』からだ。
つまりは、オモチャをねだってダダをこねる幼児と同じメンタリティということである。フィーと互角!
きっかけは、一葉の写真であった。
神童・ヴルストが作り上げた、垂涎の魔道具・写真機。
この国の王にすら提出されることはなく、ただエルフ族のみが所有する、時代に冠絶した奇跡の器具である。
そこには、幸せそうに寄り添い、笑みを浮かべる家族の姿がある。
普通ならば、その家族に注目するであろう。
だがオッサンが注目したのは、そこに一緒に写っている『花』であった。
ちいさく黄色い、美しい花――。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああ! これ絶対、イェイヌーンだろうがよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
オッサンは、園芸狂いであった。
珍しい草花が大好きであった。
国王などという身分ではなく、『園芸のおじさん』になりたかった男なのである。
その彼が欲する草花は、いくつもある。
たとえばそれはクリュパラノであり、はたまた献地草であり、或いは優曇華の花であり、そしてまた、イェイヌーンであったりもした。
ブルクハユセン侯ランバーという男がいる。
その最愛の妻であるルティリアは、不治の病にして死病を患っていた。
だが、とある『奇跡』によって一命を取り留め、今ではすっかり元気を取り戻している。
王と侯爵夫人は幼少期からの知り合いである。
快癒は、心から嬉しかった。
無論、彼女の旦那であるランバーも狂喜乱舞した。
彼は真剣に、妻を愛していたのである。
侯爵は、そんな家族の思い出を残したいと思った。
それが王都で話題になっている、『写真』なのである。
ランバーはエルフの商会に、侯爵邸での撮影を依頼した。
ショルシーナ商会は、原則として写真館以外での撮影はお断りしている。
だが侯爵夫人が病み上がりであることと、どこかの廃材のような雰囲気をした少年が裏で口添えしたことで、特別に許可が出た。
喜んだブルクハユセン侯爵家が写真の背景として選んだのは、『家族三人』で一緒に植えた、あの黄色く可愛らしい花のある、ちいさな花壇。
侯爵はこの花をいたく気に入っており、国花ならぬ侯花として、ブルクハユセン家の象徴にしようと考えている程だ。
何しろ、妻が快癒してからは、いいこと続きだ。
仕事も上手くいっているし、家族仲も良好だ。
特に、娘との関係の良さが著しい。
生来、甘えん坊であった侯爵の娘は、ある一件以来、父親にも良く懐くようになっている。
嘗ては娘を疎んでいたランバーも、今やデレデレ状態で、
「生半な男に、我が娘はやらぬ!」
などと咆哮をあげている始末。
この父娘は共に武に巨大な才を持ち、今では毎日のように一緒に訓練をしている。
侯爵家令嬢は荒事は苦手な性格ではあるが、剣を振るうことは父との大事なコミュニケーションと捉えており、従って現在では鍛錬にも熱心だ。
元より隔絶した才覚を持ち、しかもそれが真剣に磨かれるのだから、上達の速度は凄まじいことになっている。
もしもこの親子の特訓風景を、この少女と戦ったことのあるアンデッドのような気配を持った男の子が見たら、
「あ~……。無理無理。今の俺じゃ、とても勝てませんわァ……」
とでも呟き、早々に白旗を揚げたことであろう。
ともあれ、親子三人を繋いだ切っ掛けとなったのが、『黄色の花』なのである。
侯爵夫人は国王と昔なじみであったから、その報告の一環として、その花の写った『家族の写真』を彼に送り届けたのであった。
――結果は、ご覧の有様であったが。
「うああああああああああああああああああああああああああああああ! イェイヌーンッ! 欲しいィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!」
「ウゼェッ!」
公爵は、オッサンに再び蹴りを入れた。
何で昔なじみの快復よりも、『背景』にばかり気を取られているのか。失礼にも、程があろう。
(しかし……若がこうなったのは、わしのせいでもある……)
公爵は、過去の自分をブン殴りたくなった。
簡単に云えば、王子時代の国王に草花を愛でることを教えたのは、このバウスコール卿なのである。
ついでに云えば、国宝級の遺品――魔導歴と幻精歴の『植物図鑑』をあげたのも、彼だ。
まさかここまで、園芸狂いになるとは思ってもいなかったが……。
結果、今の国王は遺失した過去の草花を追い求める悲しいモンスターになってしまったのだ……。
(思えば、王子時代に既にそうであったな……)
筆頭公爵は、瞑目する。
少年時代の国王は、イェイヌーンの目撃情報を手に入れるやいなや、『自主的に』旅に出ようとしたのである。
もちろん、誰にも知らせぬままに。
それを無言の鉄拳で引き戻したのが、この公爵であった。あの頃は、まだ髪の毛があった……。
ちなみにイェイヌーンは、本来ならば既に世界のどこにも存在していない。
花精の領域や木精の園にすら、無いものなのだ。
理由はエルフの高祖・『破滅』が愛弟子に語った通り――食用にも薬用にもならない、ただの花だから。
イェイヌーンは無用の花であったから、『大崩壊』の中での『優先順位』は無いに等しいものだった。
消えてゆく草花を保護するのであれば、それは有用か希少かが基準となる。
当時にありふれていて、しかも何の効果もない花を保護するゆとりのある者など、どこにもいなかったのである。
変わり者の、始まりのエルフ、ただひとりを除いて。
「後生だ、爺……っ! どうか爺からも、ブルクハユセン侯に頼んでくれッ! イェイヌーンを、献上するようにと……っ!」
「ブルクハユセン侯はあの花に、並々ならぬ思い入れがある様子。いかな陛下のわがままとて、通るとはとても思えませぬが」
「だから、爺が頼んでって云ってるではないかぁっ!?」
「わしを巻き込むなって云ってンだよォオォッ!」
老爺渾身のアッパーカットが、国王の顎を正確に捉えた。
先程まで右に左にローリングしていた園芸好きのオッサンは、今度は縦方向に回転して、それから地面に突き刺さった。
「全く……っ! クソ忙しい、この時期に……ッ!」
公爵宰相は、肩を怒らせて去って行く。
園芸おじさんは意識を失う直前まで、『イェイヌーン……』と呟いていた。




