第七百五話 フィーと秋雨
「きゃ~~っ♪」
「あきゅ~~っ♪」
秋雨である。
日中を薄暗く変え、けれども紅葉の中に降り注ぐ雨粒には一種の風情があるが、『外に出られない』というのは、世のお子様たちには不満の種ともなるものであろう。
が、当家の妹様たちは、悪天候などなんのその。
今もこうして、室内遊具に取りすがって、元気よくはしゃいでおられまする。
「ふへへ~~っ! すべりだい、楽しい!」
「まー! ぶらーこ! まーっ!」
「ふふふー……っ! ノワールちゃんは、ブランコを押して欲しいのね?」
「きゅーっ!」
親子三人で、晴れ晴れとした笑顔だ。
彼女らはこうして力一杯身体を動かし、或いは寝転がってお絵かきをし、またダンスを踊り、お歌を歌って、雨の日を満喫されているのだ。
「……リュシカたちは、いつでも騒々しい」
云いながら、お盆にのせた紅茶を運んできてくれるのは、我らがお師匠様だ。
彼女は友人の娘たちを見守りつつも、勉強をしている俺に、こうしてお茶を淹れてくれるのである。うむ、癒されますな。
「むむーっ! エイベルさんっ! またアルトきゅんにお茶を淹れてますねー? アルトきゅんのお茶は、専属メイドであり実の姉である、このミアお姉ちゃんが淹れるとお伝えしたはずですねー?」
「…………」
不審者の言葉に、無表情のままプイとそっぽを向くマイティーチャー。
何で俺にお茶を淹れることなんかで争ってんのよぅ?
「はい、アルトきゅん。お茶ですねー」
エイベルの置いてくれたティーカップの横に、シレッとマグカップを置いてくる変質者様。こいつ、メンタル強すぎだろう。いやまあ、ふたつとも飲むけどさぁ。
「くふふっ。アルトきゅんは、優しいですねー」
目を細めて、何か云ってら。
おい。
当たり前のように隣に座るな。
「優しいと云えば、フィーちゃんも我慢出来る子ですねー。アルトきゅんがお勉強中の間は、ちゃんと一緒に遊ぶの我慢しているんですねー」
「ふふん。フィーは、出来る子だからな!」
そう。うちの妹様は俺の勉強や修練の間は、邪魔せず待っていてくれる良い子なのである。もちろん、合間合間にだっこやなでなでは要求してくるが。
つまり俺たちは『自制』が出来る兄妹であって、重度のブラコン・シスコンというのは、根も葉もない噂でしかないということだ。
同様な俺に対する的外れの誹謗中傷に、『耳マニア』というものもあるが、これは許し難い侮辱である。
確かにエルフ族の長く綺麗な耳が、俺は好きだ。
そこは否定しない。
今も、すぐ傍に居るエイベルの耳をチラチラと盗み見ていることは認めよう。それは仕方のないことだ。
だが、しかし!
俺は断じて変態ではない。
節度を持っているという自覚がある。
だから大丈夫だ。
俺は違う。
俺は欲望のままに耳を求めるようなマネはしない……。
「…………っ」
あれれ? 何故だかお師匠様が、恥ずかしそうに距離を取ってしまったぞ?
引き取るようにして、ミアが呆れるような声を出した。
「……アルトきゅぅん……。そんなにエイベルさんのお耳をジロジロ見ていたら、可哀想ですねー……。えっちですねー……」
「ち、違うッ! 俺は――」
「……アル。……めっ」
エイベルに怒られた……。
ショックだ……。
「大丈夫ですねー。アルトきゅんが変態さんでも、このミアお姉ちゃんだけは、決して見捨てたりはしませんねー」
ちくしょう、何でこうなるんだ……。
俺は膝から崩れ落ちた。
「みーっ!」
項垂れていると、マリモちゃんが元気いっぱいに駆けてきて、ミアの腕を掴む。
どうやら、一緒に遊んで貰いたいらしい。
この変質者、母さんがお昼寝中や読書中は、ノワールと遊んであげていることが多いから、末妹様に懐かれてるんだよね。
「くふっ。ではノワールちゃん。このミアお姉ちゃんと一緒に、遊びましょうねー」
「きゃーっ♪」
仲良く手を繋いで、室内遊具へと向かうふたり。
そんな様子を、母さんがジェラシーいっぱいに見つめている。
そして空いた隣には、うちのプリティーチャーが、ちょこんと座ってきた。
「…………」
「…………」
エイベルは無言。
まだ俺のセクハラ冤罪のせいで、恥ずかしがっているようだ。
「……アル」
「う、うん?」
「……耳は、だめ……っ」
「――――ッ!?」
バカ、な……!? 誤解、なのに……。
これでは将来、マイティーチャーのお耳を思うさま触りまくるという俺の野望にも、影響が出てしまうではないか!
美人女教師は、室内なのにとんがり帽子のつばをキュッと掴んで、お顔と耳を隠しながら云う。
「……耳はだめ、だけど……。べ、勉強は見てあげる……」
ぐぅ……っ。
優しさと防御力の高さを、まざまざと見せつけられているようだ……っ。
だが、今は雌伏の時……。
ジッとこらえて、いずれ来るであろう機会を待つのだ。
『一緒の勉強』で我慢するしかない……っ!
「みゅぅ……っ! にーた! エイベルとお話してるなら、ふぃーと遊んで欲しいのっ!」
いつの間にやらマイエンジェルがやって来ていて、俺の袖を引っ張っていた。
確かにミアを含めた一連の遣り取りは、とても学習時間には思えんか……。
「にーた! ふぃーと、お外行く! 雨の中で遊ぶ!」
ぬぅ……っ。
この兄に、ズブ濡れになれと申すか?
しかし、そうだった。
うちの妹様は室内でも楽しめる子だが、『雨天決行』大喜びの人種でもあったのだ。
「フィーちゃんっ。どろんこはダメよぅっ!」
母さんからはダメ出しが飛んでいる。
この子の場合全力で遊んで、本当に全身泥だらけになるだろうからなァ……。
「ただ今戻りました」
そこに、商会帰りのティーネがやって来る。
手には、はて? 何か荷物を持っているようだが……?
「皆様、失礼致しますね?」
考えを遮るようにして一緒に入ってきたのは、子ども大好きの従魔士、フェネルさんである。
彼女は当然の権利のように、フィーをだっこし始めた。
たぶん、一番近場にいたからだろうな。
「みゅあぁっ!? ふぃー、捕まった……!?」
「はい、捕まえました。フィーリア様のほっぺは、今日ももっちもちですね♪」
局長様、俺たちに何か用があるんじゃなくて、ただ単に癒されに来ただけなんだろうな。まだ午後二時くらいなのに……。
一方、逞しい妹様は、目敏くポニーテールさんの持っている袋を凝視している。
「ティーネちゃん、何持ってきた!? ふぃー、甘いのだったら嬉しいっ!」
私物ならこんなふうに持ってくることがないヤンティーネなので、フィーには『お土産』と看破されたようである。
母さんとマリモちゃんも、いつの間にかそばまでやって来ている。
ミアは――空気を読んで、撤退するのか。仕事もあるだろうしねぇ。
マリモちゃんに手を振って、皆にはちいさく一礼して、それから俺に変態の眼光をギラつかせてから、ヤツは去って行った。
「ティーネちゃん! それっ! ふぃー、早く見たいっ!」
「はい。こちらですね?」
フィーに急かされ、包みを開ける槍術の師。
そこには――。
「およーふくっ!? ティーネちゃん、ふぃーたちに、およーふく持ってきてくれたっ!?」
「きゃーっ♪」
そこにあったのは、魔獣の皮で作られた外套……だろうか?
「ティーネ、それってまさか、レインコート?」
「はい。秋の長雨が続く季節ですので、フィーリア様とノワール様には必要かと」
その目は、しっかりと俺を捉えている。
この人も俺と同様、『外』に付き合わされる側の存在だからねぇ……。
彼女はちゃんと、クレーンプット家全員の分を用意してくれている。母さんは兎も角、子どもたちなんてすぐに背丈が変わっちゃうのにねぇ。
「ふおぉぉぉぉ~~~~~~~~~~~~っ! にーた、これ、お耳ついてる! かわいいっ!」
「あきゃっ!」
そうなのである。
ティーネの持ってきてくれたレインコートは、フードの部分に耳が付いているのである。
まるで、『なりきり動物さんシリーズ』のように。
(ヤンティーネの性格だと、『機能性重視』のそれかなと思ったが、なかなかどうして。可愛いじゃないか)
たぶん、マイエンジェルたちが喜ぶように、配慮してくれたのであろう。
「これは被服部の試作品――ということになっております。発案は私ですが、大元は云うまでもなく、アルト様です」
槍術の師は、照れたようにして笑った。
うちの子たちのために、このデザインにしてくれたのだろう。
その思いが報われたのか、シスターズは大喜びでカッパを着込んでいる。
こないだのバゼル海に行ったときもワンピースと麦わら帽子を喜んでいたし、既に気に入ったのだろうな。
「ティーネちゃん! このカッパ、とっても可愛いっ! ふぃー、嬉しい! ありがとー!」
「きゃーっ! てぃー、あーとっ!」
左右から抱きつかれたヤンティーネは、喜んでいるようでもあり、困惑しているようでもあり。
向こうでは、マイマザーも笑顔でさっそく着込んでいるな。
「高祖様とアルト様のぶんは、『耳』が付いておりません。お二方は、それがあると抵抗があるような気がしましたので」
「……ん。礼を云う」
無表情のまま、柔らかい雰囲気で、エイベルも受け取っている。
この人、自前の装備品に対・水属性の衣を所持しているから、基本的にはレインコートの類は不要なはずなんだけどね。
『家族おそろい』というのは、そういう合理を度外視したところにあるのだろうな。
「む、むむむむ~~……っ!」
しかし、この和やかな雰囲気の中に、怨念のようなものを燻らせる御方がひとり……。
「ず、ズルいですよ、ヤンティーネさん……っ!」
商会の№3。
従魔士のフェネルさんである。
「――何が、ズルい?」
「何もかもが、です! そんな……っ! そんな可愛らしい外套で、クレーンプット家のお子様たちのハートを、がっちりキャッチするなんて……っ! 卑怯です! コスいです! 羨ましいです……っ!」
彼女は、ワナワナと震えている。
どうやら、同僚が『人気者』になったことが気にくわないらしい。
この人、我が家のお子様たちを独り占めにしたい御方だからなァ……。
「…………」
一方、ヤンティーネ先生の視線は、氷のように冷たい。
そりゃそうだろう。
だってフェネルさん。うちに来る時って甘いものと魔石を持ち込んで、いつもご機嫌取りに奔走しているからな……。
つまり日常的に賄賂攻勢に出ているのは、こちらの御大なのである。
「にーた、にーた! このカッパ、とっても可愛い! これ着て外行ったら、きっと楽しいっ!」
「にー! きゃー!」
ああ、もうダメだァ……。
シスターズは、完全に『お外もーど』に入ってしまわれた……。
先程までの制止役の母さんまでもが、おめめをキラキラと輝かせてしまっている。
――あ、ティーネも状況を悟ったらしく、申し訳なさそうに頭を下げている。
「……アル。私たちに、抗うだけの力はない。諦めが肝心……」
エイベルは諦観した様子で、レインコートを着込みはじめた。
「どろんこ確定、かァ……」
俺は苦笑しながら、肩を竦める。
「にーた、大丈夫っ! お外で遊んだ後、お風呂入る! アヒルさん浮かべる! それ、きっと楽しい!」
秋雨の日。
それでも我が家の女性陣は、お日様のような笑顔ではしゃいでおりましたとさ。




