第七百三話 オオウミガラスたちの誕生日(前編)
神聖歴1207年の九月。
それは我が家に、あのオオウミガラスたちの卵を持ち帰ってきて一年、ということでもある。
平たく云えば、バラモスたちの誕生日なわけだ。
となると、『家族』としては、プレゼントのひとつも持って行かないわけにもいかない。
大好きな海鳥たちに会いに行けると聞いて、妹様たちのテンションは高い。
今も銀髪と黒髪の幼女が、(何故か)俺の前で、おしりをフリフリして喜びを表現している。
「やんやんやややーん、やんややーん!」
「あにゃにゃんにゃにゃん、にゃんにゃにゃにゃにゃんっ!」
良い笑顔だァ……。
こうしていると、日々の疲れを忘れてしまうね。
と云っても、俺もこれで、なかなかに忙しい。
受験勉強も既に無く、商会への売り込み品もしばらく停止しているが、それでもやることはあるわけで。
まず控えているのは、『誕生月ラッシュ』だ。
今月のオオウミガラスたちを皮切りに、来月はマリモちゃんとミアの誕生月だし、その次の十一月は、我らが妹様の誕生月だ。
更に更に、十二月はこの国の第四王女殿下こと、村娘ちゃんの誕生月でもある。
今までは王族との間に接点なんて無かったからスルーしていたが、御伽役となった以上、それも出来まい。何事かの準備は、せねばならない。
そして年が明けてその次の一月は、『異母妹』である、イザベラ・エーディット・エル・ベイレフェルト侯爵家令嬢の誕生月だ。これもスルーは当然、出来ない。
いや~……。毎月毎月、誰かしらの誕生月があるねぇ……。
なお、この時点で俺は綺麗サッパリ忘れ去っているが、性別不詳の美形の友人にして剣の達人であるイケメンちゃんことノエル・コーレインの誕生月はこの九月であり、おしゃまなミニスカ魔術師リュネループであるマノンの誕生月は、二月なのである。
「誕生月を抜きにしても、色々と忙しいよなァ……」
聖域である『万秋の森』の番人、魔女タルゴヴィツァからは、さっさと風妖精のチェチェのご機嫌を取りに来いとせっつかれているし、『北』のエニネーヴェと『南』のマイムちゃんからも、そろそろまた遊びに来て欲しいと云われている。
遊びに来て欲しいと云えば、ヒツジちゃんことフロリちゃんの家からも再訪の要請が出ているし、ハイエルフの王族であるハルモニア家からは、愛娘のユーラカーシャことユーちゃんが寂しがっているので、是非またいらして下さいという手紙も貰っている。
他に気になると云えば、第三王女殿下こと、クララちゃんの様子もだ。
あの子、王族連中が写真館で撮影をしたときに、来なかったみたいだしね。
何かあったのか、少し心配である。
それらの他にも、どうせ、何件か飛び込みの用件や突発のトラブルも湧いて出るだろうしなァ……。
(あれ? 今年の残りも、もしかして超忙しいのでは……)
クレーンプット・シスターズの『ご機嫌ダンス』を、そう考えながらぼんやりと眺めていると、洗濯カゴを持って移動中のミアが、ひょっこりと顔を出した。
「アルトきゅん、アルトきゅん。イフォンネのところのメイドさん――セルウィさんから、黒猫魔術団の新規ルールについて話し合いたいので、そのうち時間が欲しいと伝言を預かっておりますねー」
「…………」
こっちの世界でも、過労死しないよね? 俺……。
「にーた、どうしたの? うめぼし食べたみたいな顔してる!? ふぃー、キスしたほうがいいっ!?」
「あきゅっ! あきゃきゃ……っ!」
ダンスをやめ、左右から抱きついてくるシスターズよ。
「にーた! もうちょっとでバラモスたちに会える! そしたら、きっとすぐに元気出るっ!」
「にー! がーて? にゅっ!」
まあ、予定なんて、ひとつひとつ消化していく以外に無いわけでして。
※※※
というわけで、海鳥たちの住処へとやって来たのだ。
当たり前の話だが、スパっぽいこの総合レジャー施設は、年中無休ではない。一週間に一度は、休みとなっている。
職員さんたちを休ませる意味合いもあるし、設備の点検やメンテナンスも必要だろうしね。
「バラモスーーーーっ!」
「きゅえぇーーーーっ!」
白い女の子と、白いオオウミガラスが、ガシーンと抱き合っている。
両者の絆は、今も健在であるようだ。
「バラモス、誕生日おめでとうなの! ふぃー、お魚持ってきたの! これ、皆で食べるの! きっと美味しいっ!」
「きゅえぇ、きゅえぇ……っ!」
フィーをはじめてとして、我が家の女性陣たちは、皆が笑顔で海鳥たちと戯れている。
その様子を、疲れた顔をしつつも癒されるかのような様子で眺めているのは、商会警備部に所属し、この施設の防衛を任されている可愛い系のエルフさんと、ハイエルフの従魔士で現場の飼育員さんでもある、褐色肌でナイスバディのおねぃさんのふたりである。
「はー……。子どもの姿は、本当に癒されますねぇ」
「まったくねぇ」
何かさ、俺が見かける商会職員さんって、疲労の色が濃い人たちが多い気がするんですが。大丈夫なのかね、ショルシーナ商会。
そう考えていると、警備部のエルフさんが、淀んだ目をしながらにこっちを向いた。
「クレームが多いんですよ、云い掛かりと云う名の、クレームがー……。まともな内容とは程遠い、『俺は偉い貴族だぞ! だからオオウミガラスをこっちへ譲れ!』みたいな、権力を笠に着て横車を押し通そうとする人が多いんですよねー……。ヒト族程度の名族とか、知らないっつの! こっちはそのアンタの偉い偉いご先祖様とやらが家を立てる前から、この世界で生きてきてるんですから! ほんっと、人間族って身の程知らずですよねぇっ!」
不満と云う名のガスが溜まっていそうな感じだなァ……。
でも云わせて貰えば、アホなクレームの類は、正面から取り合うだけ無駄なんだよね。
水のように受け流して、もう思い出さないのが一番健康的なのよ。
特に年末進行とかお盆進行とか、クッソ忙しいときなんかは、本当に。
一方で『クレーム担当』が別人であるためか、褐色エルフさんは、警備部のエルフさんよりもだいぶマシな表情をしている。
彼女は興味津々といった様子で、俺に話しかけてくる。
「――キミが、アルトくんだよね? いっつも、フェネル局長やミルちゃんから、話は聞いてるよ? こうしてちゃんと話すのは、初めてだよねー……?」
「そう、ですね……。何度かお見かけしたことはありますが……」
ぶっちゃけ、会話したことのない商会職員は結構いたりする。いちいち気にしていては、果てしがない。
加えて云えば、うちの家族は秘密が多い。
関わる者は、少ないほうがきっと安全なのだろう。
(――って、ミルちゃん?)
このナイスバディの褐色さんは、ぽわ子ちゃんの名前を挙げたのか。
「そう。ミルちゃん。ミルティア・アホカイネンちゃん。あの子、しょっちゅうここに来るから、私も結構、仲良しなの」
グッとサムズアップ。
成程。
この気さくさなら、あの子とも上手くやれるに違いない。
「私は、ハイエルフのパルフェル。知ってると思うけれど、ここでバラモスちゃんたちの飼育係をやっています」
「あ、はい。お名前は存じております。――フェネルさんみたいな従魔士さんなんですよね?」
会話のとっかかりとして、適当に知っている情報だけを差し向けてみると、褐色のおねぃさんは慌ててブンブンと首を振った。
「いやいやいやいや……っ! あのレベルの従魔術を想像されても、こっちも困るからね……っ!? 私は確かに従魔士で、しかも魔術に長けるハイエルフだけど、それでも局長レベルは全然無理っ! 霊獣トトルを従えるようなことは、普通は絶対に不可能だから! 間違っても、アレを当然だとは思わないでね!?」
フェネルさんのパートナーであるあのちいさなリスは、我が家では完全に愛玩用という認識なのだが、本来は何か凄い存在であるようだ。
母さんやシスターズに、されるがままになっている姿しか見たことないからなァ……。
「局長は、本当にハイエルフの中でもエリート中のエリートだから! あの美貌と商会での有能っぷりに加えて、従魔術を抜きに、単独の魔術師としても、ヤバいレベルの人だから! 血筋も血筋だし、あの人、本来はハイエルフの中でも、雲の上の人よ?」
何か、良いとこの出ということくらいは知ってるんだけどね。
まあ何にせよ、俺としては、『仕事に疲れた、子ども大好きのお姉さん』って認識でしかないんだけれども。
そのフェネルさんは、本日はここにはいない。
近頃の『澱んだ目』の原因である、商会のお仕事と戦っているのである。
多忙に敗北して異世界転生の憂き目にあった俺からすれば他人事ではないのだが、彼女がノビノビと(?)クレーンプット一家の夏季旅行に同行していたツケが回ってきているのだとか。
「代わりと云ってはなんだけど、副会長が後でこちらに顔を見せるみたいよ?」
おお、ヘンリエッテさんが来るんだ。あの人も確か、従魔術が使えるんだよね。
何故か俺は、あの人に目を掛けて貰えているんだよな、不思議なことに。
「来ると云えば、たぶんミルちゃんも来るわよ?」
「ん? ぽわ――コホン。ミルも来るの?」
「たぶんね。……あの子、ここがお休みのたびにオオウミガラスたちと遊びに来てるから。――流石に、今日がバラモスちゃんの誕生日だとは知らないでしょうけれども」
「そうかあ、ミルが……」
あのぽわぽわ幼女と会うのも、久しぶりだな。
そう思っていると、温かで柔らかな感触が、俺の背中に引っ付いてきた。
「むむん……っ! アル、何でここにいる……!?」
ぽんやりとした、驚きと嬉しさが混じったかのような声。
それが『誰か』など、訊く必要すらなくて。
「……久しぶりだな、ミル」
「……むん! アル、逢いたかった……っ!」
ぽわ子ちゃん、再び。




