第七十一話 精霊の加護
エニネーヴェ。
総族長の孫娘であり、精霊王の曾孫……らしい。
雪精という話だが、外見的には人間の女の子にしか見えない。
もちろん普通の人間とは違う部分もある。それは肌の色だ。
白い――のだ。
白人種の白さではなく、雪の白。
文字通り、真っ白な肌をしている。
驚いたのは、あの孫と祖父はよく似ている、とレァーダに云われたこと。
雪精や氷精の場合、類似判定は単純な見た目だけでなく、たとえば雪質だったり、魔力の含有量や波形パターンだったりを重視するらしい。
なので、人間タイプのエニネーヴェと、クリスタルな老人の総族長は、彼らの認識では、そっくりなんだそうだ。
人間の俺には、どうにも実感が湧きにくい話だ。
その孫娘は、既に自分の足で立ち、歩き、とても数分前まで死にかけていたとは思えない元気さだ。
コアが修復され、冷気エネルギーが流し込まれるだけで五体満足になり、日常生活が送れる生命力は、流石精霊と讃えるべきか。
「わたしとお爺様の命の恩人であるアルト様に、何か恩返しをさせて頂きたいのです」
キュッと手を握られ、見上げられてしまう。
云うまでもないが、彼女の掌はとっても冷たい。
彼女は真剣な瞳でこちらを見つめている。
どうやら言葉通り、俺を命の恩人であると見定めたらしい。
感謝の気持ちは妹様に向けて欲しいと云ったはずなのだが。
「私からも、何かお礼をせねばなりませんな」
総族長はそう良いながら、俺の前へと近づいてくる。
彼は「何か」と口にしたが、表情から察するに、くれるものが決まっているらしい。
あまり大袈裟なお礼はして貰わなくても良いのだが、それはそれとして、何をくれるつもりなのか、興味がある。
「我々精霊には、他種族に加護を授ける力がありましてな。たとえば風の精霊であるならば、風の加護と云うように、その精霊の持つ属性を与えることが出来るのです」
加護の類はあくまでその精霊の属性のみで、たとえば風の精霊が火の加護を与えることは出来ないらしい。
加護を得た人間は、その属性に対して、無類の強さを発揮するようになるのだと云う。
風の加護ならば、風属性の魔術に対する強力な耐性。
加えて、己が風の魔術を行使した時の威力や精度の向上などが見込めるそうだ。
風の魔術が使えない人の場合は、風の魔術が使えるようになるのだとか。
また、加護の効果は加護を与える精霊の『格』によって決まるらしい。
この老人は精霊王の子供であり、園においては雪と氷を統べる総族長なので、かなりの強さがあるはずだ。
「我が『氷雪の加護』ならば、魔術の強化のみならず、自然現象に対する耐性も得ることが出来るでありましょう。吹雪の中にあっても凍えることはなく、視界は澄み、雪崩に巻き込まれることもありませぬ」
おお、それは凄い。
吹雪くような地域に出向く機会なんてそうそう無いだろうが、安全度が上がるのは良いことだ。
これは貰っておいても良いのかもしれない。
俺がそう思った矢先、老人は顔を曇らせる。
いや、青ざめていると云うべきか。
「ま、まさか……! そんな……!」
俺の手に触れた総族長は、可愛い可愛い恩師を見る。
「も、申し訳ありませぬ……!」
突然、エイベルに跪いた。
俺には意味が分からない。
「既に尊き御方の加護が付与されているとは知らず、愚かな行いを致しました」
「――え」
何それ、初耳なんだけど。
もしかして、俺、エイベルから加護を貰っているの?
「ひとりの人間が得ることの出来る加護はひとつのみ。格下の加護を上書きすることに問題はありませぬが、格下が格上の加護に手を出そうとするなど、決して許されぬ無礼! 高貴なる御方よ、申し訳ありませぬ!」
俺がぽかんとしていると、エニネーヴェがちいさく袖を引っ張って説明してくれる。
「加護を授けると云うことは、その人間の守護者になることを意味します。加護には強弱の区別がありまして、特に強き加護の場合ですと、それを与えられた者は、その精霊の所有物だと宣言したのと同義になります。ですので、加護の保持者に別の精霊が手を出すことは権利の侵害であり、所有物に手を出したことになるので、大変な無礼と看做されます」
その云い方だと、俺に与えられている加護は、『強い』ってことだよね?
「えっと、エニネーヴェ……様?」
「エニ、とお呼び下さい、アルト様」
「エニ様」
「エニ、です」
「……エニ」
「はい! なんでございましょうか?」
あー……。キラキラとした笑顔だ。
愛称での呼び捨て、そんなに嬉しいものかね。
「加護を受けることで、デメリットが生じたりすることって、あるの?」
「いいえ。授かる者が不利益を被ることはありません。授ける側は、授けた人数と強さに応じた負担が生じますが、その内容も様々です。魔力を消費したり、生命力そのものの低下を招いたり。なので、強き加護が使われることは、殆ど無いはずなのですが……」
俺が見ると、魔術の先生は極々自然な動作で顔を背けた。
これはあとできちんと話を聞かねばなるまい。
「あの……実は……」
エニネーヴェ――いや、エニが俺の手を握ってくる。
この娘、スキンシップが好きなのかな?
「わたしもアルト様に、加護を受けて頂こうかと考えていたんです。でも、お爺様に先を越されてしまいましたし、なによりエイベル様が既に貴方様を守護対象に選んでいたのですね」
いや、エイベルの加護は俺も知らんよ。たった今知ったわけだし。
まあ、しかし、今の俺には大事なことがある。
それは――。
「…………」
俺の服を掴み、ジッと見上げている妹様のことだ。
俺が他人と話しているので、この娘はちゃんと我慢して待ってくれているのだ。
激怒案件なら声をあげるが、そうでないなら甘えたいのに会話の邪魔にならないようにしてくれる。
これは俺が勉強や練習などで構ってあげられない時がある、と云うことを学習してくれた結果なのだ。
勉強ではなく普通の会話であっても、俺のために耐えてくれる。健気というのも愚かだ。
なので、今すぐ甘やかすことに決めた。
「フィー、おいで!」
両手を広げて、「待て」の時間は終わったと教えてあげる。
「にーたああ! にーたあああああああああああああああああ!」
泣きながら飛び込んでくる妹様を、がっちりキャッチ。
そしてほほにキスをしてあげる。
「よく我慢出来たな、偉いぞ?」
「ふぃー、ふぃー、さみしかったよおおおおおおおおおお!」
「よしよし。お前は俺の誇りだ」
ん? うちの妹が我慢した時間? 四分くらいですが、何か?
俺がせっせとマイシスターを可愛がっていると、お礼やら加護やらの話はうやむやになったらしい。
今度こそ出立するために、エイベルと外に出る。
「出来るならば、我らも同行したいのですが……」
申し訳なさそうにレァーダ園長が頭を下げた。
園に不測の事態が起こると困るので、彼女は氷穴とやらには来ない。それは園の騎士たちの仕事となる。
シェレグたちが一足早く移動したのは、氷穴までには多少の距離があるからだ。
俺たちは現場までエアバイクで移動する。
だから時間差を考えて、スェフの所へ行く間に、彼らは先行したのである。
「わたしも、アルト様……いえ、皆様に同行して、少しでもお役に立ちたいです……」
「……スペースがないから無理」
エニの心遣いをエアバイクに乗る場所がないの一言で粉砕するエイベル師匠。
我が師には小声で、氷穴に行く前に寄る場所があると云われている。
未だに氷穴とやらに行く理由を知らないので、寄り道と云われてもピンと来ない。
園の状況を考えれば直行すべきなんだろうけれども、エイベルが無駄な寄り道をするとも思えないので、その判断には従うべきだろう。
「ミー!」
その一方で、俺の肩に乗っかったままの雪精の幼体が自分の存在をアピールしている。
何だろう? ついてくるつもりなのかな?
俺が魔力で固定していてあげないと、バイクが走り出した瞬間に置いて行かれるだけだと思うんだが、支えてあげなければならないのだろうか。
エニたちに見送られて、園を出る。
バイクは園の入り口の少し前にとめてあるので、そこまでは徒歩だ。
その間に、運転手様には訊いておかねばならないことがあった。
「エイベル、俺の加護のことなんだけど」
「……ん。勝手したことは謝る。けれど、アルに一切の害はないので、許して欲しい」
「エイベルが俺に酷いことをするとは思ってないから、許すも許さないもないけれど、そのことでエイベルに負担が発生していたら、とても困る」
ぴたり、とエルフ様の足が止まる。
そして何故か顔を逸らされた。
耳が赤くなっているので照れているのだろうか? 何故に?
「……私の場合は、加護に負担は生じない。ただ単に『――』が必要になるだけ」
声がちいさすぎて聞き取れない。
或いは、肝心な部分だけは口にしなかったのかもしれないが。
「えっと……。ようはエイベルにデメリットやペナルティは無いってこと?」
「……ん。問題はない」
「なら……良いけどさ。ついでに訊いておくけど、俺への加護って『強い』ものなの?」
ふるふると首を振るエルフ様。
長くて綺麗な耳が一緒にゆれている。触りたいなぁ。
(『強』加護じゃないのか。じゃあ、『弱い』方だったんだな)
そう考える俺の耳に、ほんの少しだけ、エイベルの綺麗な声が届いた。
消え入りそうな程に静かな声は、確かにこう云ったのだ。
「……最強」と。




