特別編・森の守り手~エルフ族誕生秘話~
本日9月10は、投稿四周年の記念日となっております。
「ねえ、母様? 世界はどうやって作られたの?」
末娘のレリエル――愛称・ライラは、『母』に抱きつき、無邪気に尋ねる。
どちらも、『少女』にしか見えない存在だった。
もしもこの場に第三者がいれば、両者の関係を『親子』と見ることは不可能で、よく似た耳の長い美しい姉妹として認識したことであろう。
その『母』――八人の子どもたちを作り出した少女は、柔らかく目を細めると、愛娘の髪を撫でながら答えた。
「私はね、家族が欲しかったんだ。だから、キミたちを作ったんだよ」
少女の声で。
けれども少女らしからぬ口調で、『母』は答える。
ライラは、不満そうに頬を膨らませた。
「もうっ、母様は意地悪だわ! ライラは、世界の成り立ちを訊いているのに、別のことを語るなんてっ!」
怒る愛娘をなだめるように、『母』は苦笑しながら頭を撫で続けた。
「別にライラをからかっているわけではないよ。私たちの出発点はね、『寂しい』なんだ」
「寂しい……?」
「そう。寂しい。ライラだって、ラミエルやエイベルが傍に居ないと、すぐに泣きだしてしまうだろう?」
「そんなことないもんっ! ライラは寂しくても、泣きません……っ!」
それがただの強がりであることを、『母』は知っている。
彼女は、空を見上げながらに語った。
「この星にはね、『何もなかった』んだ」
「何も、ない……? それはおかしいわ。だって母様の管理するこの森は、とっても美しいもの! 『何もない』なんて云ってしまったら、森たちが可哀想だわ」
ああ――森を愛してくれている。
それだけでも、命を縮めてでもキミたちを作った価値があったと、『母』は心中で呟いた。
「森もなかった。少なくとも私は、そう認識している」
不可解な言葉であった。
実体験なのか、知識の上でのことなのか、『母』の言葉は甚だ謎めいていて。
「私はね、ライラ。その『寂しい』の残滓の――さらに細分化された欠片なんだよ」
「残滓……? 母様が? 誰よりも強くて美しい母様が、『欠片』なの……?」
「そう。残りカスさ。だから、ある程度の知識だけは共有している」
「……意味が分からないわ? もっとちゃんと、ライラにもわかるように説明してっ! でも、リュティエル姉様みたいな厳しい云い方はイヤよ?」
末娘の言葉に、『母』はそうだなぁ……と呟く。
「この世全てを作り出した、『大いなるもの』。その残骸が、神霊と呼ばれる知性ある魔力体なんだ。彼らには、何もなかったから、『寂しかった』。だから世界を、賑やかにしたかったのさ」
「つまり神霊は、家族を欲した……?」
「そういう個体もいた。それらとは別に、家族は要らないが美しい景色が欲しいと願った者もいた。だけどね、この世界には、『何もない』んだ。だから何かを作っても、すぐに死んでしまった。生き物に食料が必要なように、『何もない』では、何も生きられなかったんだ。『大いなるもの』の残滓である、神霊以外は、何ひとつ」
『母』の言葉に、ライラは周囲を見渡した。
木漏れ日の降り注ぐ青と緑の森は、とても美しかった。
この森で兄や姉たちと共に過ごし、木々を育て花を愛でることが、ライラの誇りだった。
「なら、どうして今は、こんなに世界が美しいの?」
「云ったろう? 『寂しかった』んだ。だから神霊たちは、世界そのもののあり方を変えることにしたんだよ。我が身を削り、変容した世界では己の住むことが困難になるとしても、『別の者たち』が生きていけるようになって欲しかったんだ」
何もない世界に、魔力を満たした。
それは生命を保護する、力のゆりかご。
命をこの星に誕生させ、そして留めるために、彼らは文字通り、命の大半を投げ出したのだ。
「母様、それはおかしいわ! だって自分が死んでしまったら、何の意味もないんですもの!」
「そうかな? 私は無理をしてでも、ライラたちという分体を作った。大きく魔力を失ったし、命も相当に縮まったけど、後悔はしてないよ。だってキミたちと過ごす日々は、とても満ち足りているからね」
「…………っ」
今を生きる幸福な日常を引き合いに出されると、ライラも何も云えなかった。
『母』が自分たち兄妹よりも圧倒的に早く死んでいくと知っていても。
「私はね、森が大好きなんだ。『世界』なんて大きなものじゃなくて。手が届き目に見えるだけのささやかなものだけれども、森に生きて森に死にたいと思っている。だから神霊たちの気持ちが、よくわかるんだよ」
「ねえ母様。神霊たちは全員、それを納得していたってことなの?」
「まさか! そんなことが、あるわけがない。この地に現れた残滓たちの半数は、『大いなるもの』を追い慕って、宇宙へと旅立ったし、残った者の中にも、命を縮めることを嫌った者がいた。そしてそれは――私のような立場の存在にも」
「母様、みたいな存在……?」
「うん。それが聖霊だよ。私はだいぶ特別で、大聖霊と呼ばれる存在だけれどもね」
今の世界が今の世界であるための、根本たる仕組み。
ゆりかごを支えるための柱。
その柱の名前を、聖域と云う。
「世界が世界であるためには、聖域という柱石が必要だ。だからその礎の管理者として、聖霊は生み出された。逆に云えば聖霊を殺し、聖域を破壊しさえすれば、世界は昔の『何もない』に戻ってしまう。そして、『それを良し』とする者もいるんだよ」
「どうして? 神霊たちが命を賭けて作ったものを壊すなんて、間違ってるわ!?」
「…………」
その言葉に、『母』は寂しそうに笑った。
「ライラは、私が死ぬことはイヤだと思ってくれるかな?」
「もちろんよっ! ライラだけじゃない! 皆が、姉様や兄様たちも皆、そう思うはずよ!」
「うん。親思い。それはある種の美徳だね。だから、こうも云える。神霊が生きていける本来の世界を取り戻すためには、今の世界は邪魔なんだ、とね。そのためには聖霊を殺し、聖域を破壊してしまえばいい。そうすれば、今、死に行く神霊たちを助けられる。遙か昔に、宇宙へと旅立った神霊たちが、戻って来られる環境になる。――憶えておきなさい、ライラ。いつか必ず、それを願う者が現れる。そのときまでに私が生きていればいいけれども、そうでなければ、キミたちが『そいつ』に立ち向かうことになるだろうさ」
『命の季節』の終わり。
大聖霊の八人の子どもたちは、『それ』と対峙することとなるが――『その時』は、今よりもまだ、先の話だ。
「――各地にある聖域は、その重要性に比べて、あまりにも無防備だ。それは、世界が平和である証拠でもあるのだが、私は少なくとも、『聖域守護者』と呼ばれる役職くらいは、作るべきだと思っている」
「でも、母様。私たちの住む『始まりの森』も聖域のひとつだけれど、その守護者というものは置いていないわよ?」
「ここには、私がいるからね。衰えたとはいえ、未だに私を倒せる者は存在しないよ。加えて、守護者の雛形として、バルディエルとエイベルのふたりを、『戦闘特化型』として作成したんだ。このふたりだけは、八人の子どもたちの中でも、その強さが群を抜く。きっと将来、『森の守り手』になってくれるだろうさ」
「森、なの? 世界でもなく、聖域でもなくて?」
「森だ。それで充分。私は大それたものを望まないよ。大切な家族のいられる範囲を守れれば、それだけで満足なのさ」
ささやかな幸せを願う『母』は、そう云って笑った。
※※※
ただ九人だけの『家族』が、『種族』になる必要が生じたのは、命の季節も中期になってからであった。
その頃になると世界には命が満ちあふれ、豊富な魔力は各地に精霊を生み出した。
動植物はあらゆる場所で芽吹き、虚無であった惑星は、生命の満ちる楽園へと変化した。
『星の豊かさ』という一部分にだけ着目するのならば、世界は確かに満ち足りたと云える。
――ただし、命があれば奪い合いが発生する。
精霊は魔力の吹き出るエサ場を巡って争い合い、知性ある生き物たちは、各々の主義主張、或いは生活圏を巡って攻伐しあう。
必ずしも均一ではない魔力圏には歪みが生じ、転じて邪精や魔物と呼ばれる存在も増え始めた。
つまるところ、この世界は『争いの坩堝』と化したのである。
知性体がいる限り、それは当然の成り行きではあったのだ。
弱肉強食も適者生存も、摂理としては正しいのだから。
「また、森が焼かれたか……」
既に身体の自由が利かなくなり、寝たきりになっている大聖霊は、子どもたちからの報告を聞いて寂しそうに呟いた。
各地の森に、『所有者』はいない。
誰のものでもないのであれば、何をされても文句を付ける道理もない。
だが、森に生まれ、森に生きてきた森の大聖霊には、それは悲しい報告ではあった。
「平和なのは、各地の聖域と、この森くらいのものだね。『寂しさ』から出発した世界の終着点が、こんな乱痴気騒ぎだとは……。消えていった神霊たちに、『今どんな気分?』と訊いてやりたくなるくらいだよ」
上半身だけを起こしている『母』は、皮肉げに笑った。
傍に立っている五番目の子、リュティエルが、生真面目な態度で問う。
「今こうしている間にも、世界中の森が消えていくのに、座して待つつもりなのですか、母様は」
「我々は、たった九人しかいない、単なるいち家族だ。それで世界中の森を守ることなんて、出来やしないよ。私にはもう、新しい子供を産み出すだけの力も残っていないからね」
「それでは、『世界』が敗北します。争い合うことが生命の定めだとしても、ここ四百年は特に異常です。明らかに星の生命同士を扇動し、潰し合わせている者がいるでしょう」
「……『天使』か。まだ大っぴらに動かないのは、私が生きているからかな……? そんなに、元の世界が恋しいか」
「恋しいのでしょう。私たち兄妹が母様を慕い、森を愛しているように」
「……なら、あれは止まらないだろうな。私たちの思いもエゴ。あちらもエゴ。ただ、それだけなのだろうさ」
「それでも、このまま放置するわけにもいかないでしょう。もしも天使が正式に活動を始めたら? 或いはあの星――幻想領域と争いになったら? 今のうちに、打てる手は打っておくべきです」
五番目の子どもの言葉に、『母』は大きくため息を吐いた。
「リュティエル。キミは聡い。だから『打つ手』というものが何か、分かっているのだろうね。――つまるところ、キミたちが『増える』以外に根本的な手立ては無いんだ」
それは、森の子たちが『家族』ではなく、『種族』になるということ。
その方法を、この『母』は持っている。
『五番目』は、目を伏せたままに答えた。
「……母様が眠っているときに、八人で話し合いました。我々は、『繁殖』すべきなのだと」
「あんな方法でか。潔癖なキミや、無垢なライラや――それに何より、恥ずかしがり屋のエイベルが、そんなことをしたがるとは思えないが」
「……既に、好悪の感情をうんぬんする状況ではないことは、皆が知っております。確認は、済んでおります」
「……………………」
森の大聖霊には、『母』としての力が備わっている。
即ち、『誕生』に関する能力。
たとえば、命と魔力を削れば、自らに限りなく近い、強力な個体を作り出すことが出来る。この愛すべき、八人の子どものように。
一方で、『生殖』に関する機能だけに特化した、知性すら持たぬ『肉の人形』を作成することも出来る。
今話している『繁殖方法』とは、つまるところがそれだ。
意思のない昆虫のように、肉で出来た繁殖のためだけのヒトノカタチと交わり続ける。
繁殖特化のその『肉』は、通常の交配よりも安全かつ短時間で、多くの子をなせるであろう。
ただしその方法で作られた子供たちの能力と寿命は、著しく劣化する。
それでも大元の八人の力が突出していることと、短い期間で人数を増やせることから、現時点では大きな利益になるとは思われた。
「……愚かしいよ。私はキミたち大事な我が子に、そんな方法で増えて欲しくなんてなかった」
「母様のお心遣いはありがたいのですが、森が無くなれば、そうやって嘆くことすら出来なくなるのです。我々にはもう、『繁殖』する以外の道がないのです」
『母』の命は残り少ない。
『人形』を作り出せるのがこの大聖霊だけであるならば、今決断して貰わねば、増える手段を永劫に失うこととなる。
「…………私は、キミたちには、愛を知って欲しかった」
「その未来のために、我々は『種族となる』道を選んだのです」
「……ああ、リュティエル。キミのほうが、私などより、ずっと大人だ」
顔を伏せたまま、『母』たる森の大聖霊は、静かに呟いた。
※※※
そうして、ある実験の後、子どもたちによる『義務の繁殖』が始まった。
リュティエルは淡々と、ライラは涙をこらえ、ラミエルは表面上は、何ともないように振る舞って。
彼ら八人は強力な力を持った反動か、著しく繁殖能力が低かった。
それは他の種族ならば、ほぼ百パーセントの確率で子どもを成すことが出来る『人形』を使ってもなお、絶対的な誕生数が少ないと断言できるものだったのだ。
「母上、良いかな? 入るぞ」
八人の長兄。
一番最初に作り出された男――バルディエルは、ある日、『母』の元へとやってきた。
もう身体を起こすことすら困難になった森の大聖霊は、息子の来訪に大きく息を吐く。
「また、ろくでもない話かな? 近頃は楽しい会話が減ってばかりだな。キミたちが誕生した頃は、明るい話やバカ話ばかりだったのにね」
「バカ話ならば、ラミエルやハニエルが今だってしょっちゅうしているでしょうに。俺だって、好きでイヤな話を持ってきているわけではない。下らない話のほうが、本来は大好きだ」
「悪かったよ。……それで、何があった?」
このバルディエルは、『人形』以外の繁殖を試した唯一の子どもである。
それは『母』の力を使い、『母』と同じく、自らの力を削って、分体を作り出すというもの。
それこそが、前述の『ある実験』である。
ただ、長兄には大聖霊ほどの力はない。
だからなのか、バルディエルから作られた個体には、『八人』に匹敵するだけの力はなかった。
ただし、相当に近い能力は有している。
それこそ、『人形』から作り出された劣化品たちとは比べものにならない程には。
ただ、命を削るリスクに全く見合わないという理由で、この方法は二度と試されることがなかった。バルディエルは、あわや死にかけたのである。
この『一番最初の子』――通称バルディエル・コピーは、初子であるということと、能力が他の子どもたちと比べて突出していると云うことで、『次世代以降』のリーダーになることを望まれている。
長兄は『母』に云う。
「話はふたつだ。ひとつは、俺たちが行っている繁殖について」
「ああ、芳しくないと聞いているよ。まさか『人形』を使っても、あそこまで出生率が低いとはね」
「そこだよ。ぶっちゃけ、今の子どもたちの能力でも、精霊や大半の魔獣には太刀打ちできそうだ。保有魔力量からの、単純な計算だがね。……流石に大精霊クラスや幻獣相手だと厳しいだろうが、それでも他種族よりも優秀であることは間違いない」
「……それで?」
「今はとにかく、数を増やすことが肝要だ。そこで『人形』の相手を、成長したあとの子どもたちに任せようかと思っている」
つまり、劣化品の劣化品を作ると云うことかと、胸中で『母』は呟いた。
「母上も――いや、母上だからこそ、分かるだろう? たぶん、俺たちが交わるよりも、子どもたちが交わる方が、出生率は向上するだろうということを」
「……そうだろうね。私の孫たちは、あの『人形』から作られたのだ。つまり基本的な属性として、『繁殖』の能力が付与されているはずだからね」
力を失う代わりに、より強い繁殖能力を持つ。
数を大いに増やせるのであれば、単純な劣化と呼ぶわけにはいかないかと、大聖霊は考えた。
「まあ、キミたちが結論を出しているのであれば、私としては反対することがないよ。この身が生きているうちに、追加の『人形』は作り出しておく。アレもそんなに、長持ちするものではないからね」
「助かる」
「バカ云え。愛する我が子たちに酷いことをさせているんだ。そんな言葉を、受け取れる道理はないよ」
自嘲気味に呟いた『母』に、バルディエルは苦笑する。
「母上は、まだその点に拘っているんだな。俺たちは、もう割り切ったというのに。『気持ち』にどこまでも拘るということから考えれば、俺たちの中で一番貴女に近いのは、エイベルなのかもしれないな。姿形も含めてね」
「どうせ、私もエイベルもぺったんこだよ。文句あるのか?」
「誰も、そこの話はしてないだろうに」
『母』が本気で拗ねていることを感じ取って、バルディエルは肩を竦めた。
ちなみに、ラミエル、エイベル、レリエルの三人は真っ平らで、コカベルとリュティエルは母に似ず、とても大きい。
コカベルに至っては、肌の色も違う。
彼女だけは褐色で、それ以外の七人は白い肌をしているが、これらの点は『母』からしても単なるイレギュラーであって、作為はない。
「ふたつ目の話というのは、そのエイベルのことだ」
「…………ああ」
その言葉に、森の大聖霊は頷いた。
三番目に作り出された戦闘特化の愛娘は、兄妹の中でただひとりだけ、『繁殖』を拒んでしまっているのだと聞かされている。
それも開き直るのではなく、そのことを申し訳なく思っているということも。
バルディエルは云う。
「俺たちに『繁殖』は、絶対に必要なことだった。だから自分たちの行動に悔いはない。……だから、エイベルがそのことを恥じる必要なんて無いんだが、あいつはもうずっと塞ぎ込んでいる」
「……私に、あの子と話をしろということかな?」
「ああ。もう母上にしか頼めない。『無理にしなくて良い』のだと、あれに伝えてやって欲しい」
「……そうしよう。まだ口がきけるうちに、あの子とも話をしておきたい」
「頼む」
「バルディエル。キミは、良いお兄ちゃんだね?」
「ああ。母上の子だからな。その点に関しては胸を張るし、貴女も胸を張ればいい」
「……私は、本当に我が子に恵まれたよ」
森の大聖霊は、目を伏せたままに微笑んだ。
※※※
「……入る」
「良いよ、入るといい」
『三番目』がやって来たのは、夜のことであった。
無表情のままに、その様子は固い。
バルディエルが云っていた通り、『義務の放棄』を恥じているのだろう。
「エイベル。ここに来て貰ったのは、キミと話がしたかったからだ」
「…………」
表情のない愛娘は、静かに頷く。
沈黙の似合う子だと、『母』は思った。
「キミたちの決定に、私がどうこう云うつもりはない。今更だけどね」
「…………」
「だからエイベル。キミも、無理をする必要がない」
「…………けれど、私は。私だけは……。レリエルですら、我慢しているのに……」
「気に病むな、と云って、開き直るような太平楽な性格はしていないものな、キミは。そのへんのいい加減さは、ラミエルを見習って欲しいものだがね」
「…………」
エイベルは何も云わない。
静かに顔を伏せている。
『母』はしっかりと視線を向ける。
「エイベル。今から恥ずかしいことを云うぞ?」
「……貴女は、いつでも恥ずかしい発言が多いと認識している」
「そういうツッコミは要らないから!」
これと私と、どこが似てるんだ、と、『母』は長男に心の中で毒づいた。
「なあ、エイベル。私は、子どもというのは、『愛の結晶』だと思っている。愛し合った結果として、祝福の中で生まれてくるべきものだと思っているんだよ」
「…………ロマンチストに過ぎる」
「容赦ないな、もうっ!」
『母』が吠えると、『三番目』は顔を伏せたままに云う。
「……けれども、私もそうありたいと思っている」
「ああ、そうか。やっぱりキミは、私の娘だね」
本来は、皆にそうあって欲しかった。
けれども、そうはなれなかった。
エイベルは自らのエゴで、『義務を放棄した』と気に病んでいる。
だけど、『母』には分かる。
他の兄妹たちがそんな彼女の選択を『良し』としているのは、ただ単純に家族を思ってのことではないのだと。
自分たちが出来なかった生き方を、この子に託しているのだ。夢見ているのだと。
「なあ、エイベル。私は、キミたちに種をあげただろう?」
「…………ん。今も持っている」
エイベルが取り出したのは、ひとつの種。
森の大聖霊が『種子作成』という特殊能力で作り出した、大樹の素である。
これは、『母』からの贈り物。
森を愛し、森に生きた自分たちが、人生の最後は森に還るのだという誓いであり、家族の証でもあるものだ。
「キミには、もうひとつの種を贈ろう」
そうして、『母』は別種の種を作り出す。
枕元に寄った『三番目』は、ちいさな掌にそれを受け取る。
「エイベル。それは宿題だ。『繁殖』なんて放棄して構わない。かわりに、何年掛けても、何万年掛けたっていい。必ず、その花を咲かせるんだ」
「…………理由を」
「それは、私が口に出して良いことではない。でもたぶん、きっと必要なことだろうさ。その花を咲かせると云うことがね」
「…………」
養分が違うのだと、『母』は云わなかった。
娘は不可解そうに小首を傾げた後、
「…………わかった」
とだけ呟いた。
この子の性格ならば、必ず花を咲かせようと努力するだろう。
それで良いと、『母』は思った。
「キミくらいは、きちんと恋をしろ。どれ程先の未来かはわからないが、キミを理解し、キミの隣を対等な立場で歩いてくれる者が、必ず現れる。そうなってくれれば、きっと私たちは報われるんだ」
「…………意味が分からない。私のことで、何故、貴女たちが報われる?」
「その意味を知るのも、宿題だよ」
「……………………」
『三番目』の少女は、表情がないままに黙り込んでいる。
「エイベル。キミたちに、私からもうひとつの贈り物をしよう」
「…………それは?」
「名前だよ。キミたちは『家族』ではなく、『種族』となる。だからその名前を、私が贈ってあげようと思ってね」
「…………既に種族名については、バルディエルとラミエルとハニエルが掴み合いのケンカをするくらいに揉めている。これ以上、争いの種を増やさない方が良いと思う」
「エイベル、そういうとこだぞ!」
ビシッと娘を指さす『母』。
「今は精霊たちが自分たちの言語を作り、それが広まっているが、私たちが本来使う言葉は別だったろう?」
「……ん」
「その私たちの言葉で、『森の子』を意味するもの――『エルフ』。君たちの名前は、これが相応しいだろうさ」
「…………新たな意見が採用されるかどうかは甚だ不明。貴女の努力が実を結ぶことを祈っている」
「ほんっとに、キミはさぁ……っ!」
※※※
その種族は、『森の守り手』。
海でもなく、空でもなく、森に生き、森に住まい、森を愛し、森を守る。
彼らは、木々と草花に誇りを持ち、その道に長ける。
それは世界の成り立ちから続く、ある家族の肖像だった。
始まりは、僅か九人。
その後も、繁殖能力の低さと数多くの戦死者によって、大きく数を増やすことは出来なかったとされている。
それでも『森の守り手』たちは、『母』の愛したこの世界を、今も守り続けている。
そして神聖歴と呼ばれる現在。
始まりの家族は、わずか二名の生存者を残すのみとなっている。
〈了〉




