第六百九十五話 翠玉の瞳に映る空(その二十四)
目の前に、闇魔術の黒縄でがんじがらめにした教会の騎士が転がっている。
手足を切りつけた程度では不充分で、なんとズリズリと匍ってでもこちらを攻撃しようとしてきて、正直気味が悪かった。
なので、追加でグルグル巻きにしたというわけだ。
「ぐぅ……ッ! かかる屈辱、どのようにして天上におわす主に顔向けすれば良いのだ……ッ! 許さぬ……ッ! 貴様ら邪教徒どもは、絶対に許さぬぞォ……ッ!」
そう叫ぶ男の瞳は、憎悪と殺意で凝り固まっている。
まともな受け答えなど、これでは期待できないだろうが――。
(それでも、情報収集はせにゃならんのよなァ……)
具体的には、どこが一番攻撃されてるのか、とかね。
俺はてっきり、あの灯台目指して進軍してるのかと思った。
でも、そうじゃなかった。
こいつらの動きが、意味不明なんだ。
道々、目に付いた人々を殺害しているようでもあり、それだけでもなさそうでもあり。
俺には戦術眼とか、そういうのは全く無いから、目に付いた動きから、おおよその目的を把握するって、不可能なのだ。
そのへん、ある程度の予測をスッと立てられるヤンティーネやグランパは凄いと思う。
(素直に口を割ってくれるとはとても思えないけど、それでも努力くらいはしないとね……)
悪口雑言、罵詈罵倒の類は、引換券と割り切りましょ。
西の離れで培ったスルースキルを見ると良いわ。
しかし男は、こちらが口を開く前に叫びだした。
「小僧! 俺を不意打ちで倒したくらいで、図に乗らないことだ! 貴様程度の腕前ではどうにもならぬ手練れが、こちらにはいるのだからな!」
ああ、うん。
それはこっちも同じなんだ。
俺なんかとは比較にならないくらい強い人が、『戦う』と決めちゃったからね。
そっちの戦力がどのくらい凄いのかは知らないけれど、もう勝ち目は完全にないと思うよ。
あの人を倒すというのは、人間では無理でしょう。
ただ、それでも、一般の人たちに被害が出ないって訳ではないだろうからね。
そこは気をつけねばならないところだ。
男は続ける。
「一隊で、一国をも屠れるとすら云われる我ら教会騎士の力、それが理解出来るか!? 矮小な邪教徒よ、身の程を知るが良いッ! これ程の戦力を、何者が破れようぞッ!?」
うちのマリモちゃんとかかなァ……。
フェネルさん曰く、『真正面からバカ正直に』という但し書きが付くが――。
「現時点であっても、『世界』を展開されたノワール様に勝てる者は、数える程しかいないのではないでしょうか? 王級精霊種の塗りつぶした領域は、まさに自在の世界。ありとあらゆる敵意が無効化され、或いは吸収されてしまいますから」
あの『塗りつぶし』の中では通常の物理攻撃は意味を成さず、魔術の類は『世界』に吸収され、大元たる精霊のエサとなってしまう。そもそも、自由に動けないしね。
早い話が、物理無効・魔術吸収してくる相手に、身動きが取れない状態で戦ってね? ということになる。普通は、無理ゲーだよね、これ。
精霊王や、その上位存在の聖霊が至強と看做されるのは、単純な強さに加えて、そういう反則じみたことが出来るからだ。
通常は、どうしたって勝つことが出来ない。
もちろん『王同士』の戦いならば話は別で、うちの末妹様と花の精霊王・フィオレがやったような、世界の取り合い、浸食のし合いで影響力は変わってくるし、神代竜クラスならば、『力ずく』という方向性も出てくるようではあるが。
(……まあ、その辺の話をこいつに聞かせる意味はないだろう)
俺が知りたいのは、『今攻撃されている場所』なのだから。
というわけで、こちらから水を向けてみる。
「――で、その強い強いアンタのお仲間たちは、どこにいるのさ?」
「それを知ってどうするッ!? たまさかの勝利に驕ったか! 自分ならば、何者と戦っても勝てるつもりと!」
うんにゃ、逆だねぇ。
厄介そうなのは、それを対処できる大人たちに任せる。
身の程を知るのは、大事なことだ。
「…………」
それまで俺の傍でちいさく震えていたロフ少年(?)は、自身が抱いていた疑問をぶつける気になったらしい。
「ど、どうして、あんな幼い子を抱える親子を襲ったの……! どうしてあんな、酷いことを……っ」
「酷いことだとォ……ッ!?」
男の声が、怒りに歪んだ。
俺を睨むときと同じか、それ以上の憎悪が浮かんでいる。
「救済を……ッ! 我らが主の慈悲たる救済を、悪事と呼ぶか、この不心得者がァ……ッ!」
男は叫んだ。
自分たちの行いがいかに正しく、慈愛と善意に基づいているのかを。
子どもを襲ったのではなく、子どもだからこそ救済しようとしたのだと、彼は罵倒混じりに主張した。
――ああ、相容れない。
同じ言語を話し、同じヒト族であっても、全く別の生き物なのだと、そう思った。
けれども、だからこそ分かることもある。
騎士たちは何故真っ先に、この街の中枢である灯台に殺到していないのか、ということを。
それはつまり、『救済』を優先していると云うことなのだろう。
俺は呟いた。
「……避難所」
「え?」
「こいつら、避難所を襲っているんだ……っ」
「そんなっ!」
ロフが顔を真っ青にした。
この街の住人であり、自らの身をかえりみず、幼子を守ろうとした子なのだから、思うところがあるのだろう。
「ここから近い、避難所はどこ!?」
「だ、第六避難所……! 女性と子どもが、優先的に避難する場所……っ」
「場所は!?」
「う、え、えと……。ぱ、パン屋の角を曲がって、ええと……ええと……」
要領を得ない。
幼いうえに咄嗟のことなのだから、これは仕方がないのだろうが。
(仕方がない……っ)
この子を危険に近づけたくはないが、それでは避難所のほうが間に合わないかもしれない。
「ごめんっ!」
「ひゃっ、ひゃあぁっ!?」
彼――だが彼女だかを、抱え上げる。
「急ぐんだ。避難所の場所まで、案内して欲しい……ッ」
「ひぅ、あ、ぁの、だ、だっこ……! お、おひめ、私、だっこ……っ! おひ……っ!」
ダメだ。やっぱりまだパニックになってしまっている。
これは、無理からぬ話ではあるが。
だが、一刻を争う。
少しキツい声と口調で彼女の目を見た。
「避難所の場所を、教えてくれ!」
「――ひゃいッ!」
彼女は、街路の一部を指さした。俺の顔を、見つめたままで。
ロフの顔は、真っ赤になってしまっている。
何故だか、瞳が潤んでいるように見えた。
が、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「行くよ、舌を噛まないでね!?」
身体強化を使い、街を駆けた。
※※※
ロフのナビは危なっかしかったものの、なんとか迷うことなく現場付近にやって来られた――と思う。
道々に、いくつかの死体があった。
まるで、何かのついでのように斬られた遺体が、無造作に転がされていたのだ。
……こんなものが、『救済』なのであってたまるか。
そう、呟きそうになった。
「こんなものが、救済と呼べるのですか!?」
まるでこちらの心情を代弁したかのように。
壮年の男性の声が、そこに響いた。
俺は物陰から、そっとそちらを覗き込む。
(何だ、ありゃ……? 教会の――僧侶、か……?)
三十くらいの法衣の男が、教会騎士の男に食って掛かっていた。
俺の見間違えでなければ、アレはどちらも、至聖神の信徒だと思うが。
「何だろう……? 仲間割れかな……?」
俺にしがみついたままのロフが、不審そうに呟く。
確かに、俺にもそう見える。
或いは別の理由があるのかもしれないが、いずれにせよ、おかげであの騎士が第六避難所という場所に到達していないことは事実のようだ。
「…………っ」
誰か来る!
あのふたりの会話も気になるが、それよりも不穏な雰囲気を感じて、『気配遮断』の魔術を使った。
ロフをしっかりと抱きしめる。
未熟な俺の術式では、そうしないとこの子までは隠せない。
「ひぅ……ッ!?」
彼女は、再び固まってしまった。
そうして、そこにひとりの人物が現れる。
単眼の怪物のようなフルフェイスの兜を被った、白い鎧の男。
俺たちとは別の街路からやって来た、異様な気配を纏った男。
直感した。
アレが、騎士たちの頭目なのだと。




