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妹のいる生活  作者: むい
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第六百九十二話 翠玉の瞳に映る空(その二十一)


 時は少し巻き戻り――。


 風化した魚介類の死骸のような雰囲気をした少年が、知己の少女のもとへと現れるより少し前。


 余人のいなくなった市街地の片隅で、銛を手にした男が、命をかけた奮戦をしていた。


「フンッ!」


「ぬぅんッ!」


「く……っ」


 彼は三方から襲い来る『格上』の攻撃をどうにか捌き、肩で息をしながら、虐殺者たちを睨め付ける。


 ケーンは、既にボロボロだった。


 襲撃者の首魁単独でも手に余るというのに、他にも手練れの騎士二名を同時に相手にせねばならないのだから。


 しかしそれでも、彼はすんでの所で踏みとどまり、戦闘を続けている。

 誰が見ても劣勢であることは明らかではあったが――。


「ふむ……」


 聖騎士ベリアンは、唾棄すべき背教者を見て頷いた。

 どうやらこの男には、何事かの狙いがあるらしいと。


 戦闘能力は自分単体でも、この男に遙かに勝る。

 加えて、二名の味方がいる。

 負ける要素は、何ひとつない。


 それは目の前の男も、思い知っているはずだ。

 これだけの腕をしていて、技量の差を計れないわけがないのだから。


(つまり、何かがあるわけですか。この状況下でも、何事かの狙いが……)


 逃亡を図るのではないだろう。

 時間稼ぎでも、たぶん無い。

 この邪教徒の眼光は、もっと小癪で積極的なものだ。


(気に入りませんね……)


 何を企んでいるにせよ、それに専念させてやるつもりはない。

 が、銛を持った男の守備は、存外に堅牢であった。


 技量では遙かに勝るベリアンでも、『防御だけ』に徹せられると、なかなか打ち崩すことは出来ない。


 肉体の各所を、負傷はさせている。

 だが、勝負を決する程ではない。


 そのくらいのことが出来る使い手である。

 うっとうしい相手であった。


(少し、仕掛けてみますか)


 教会の騎士は、三人。

 つまり、連携が出来る。


 ベリアンは密かにちいさなハンドサインを送る。

 二名の騎士は、即座に意図を理解し、頷いた。


「死になさいッ!」


 正面から、ベリアンは斬りかかる。


 銛の男は、必死の形相でそれを防いだ。


 聖騎士の分析はまことに正しく、ケーンは全神経を集中し、全力で抗わねば、ベリアンの攻撃を凌ぐことなど、出来はしないのであった。


 街の神殿戦士が聖騎士に掛かりっきりになった瞬間。

 指示の通りに、ふたりの騎士が側面と背後から襲いかかる。


 聖騎士に合わせた、完璧なる連動。

 銛の男にこれを完全に躱す余裕など無く、騎士のうちのひとりの刺突が、男の脇腹に突き刺さった。


「ぐぅ……ッ!」


 ケーンは、痛みに顔を歪める。


 騎士ふたりは()ったと思い、ベリアンは何かがおかしいと感じた。


「下がりなさい……ッ!」


 聖騎士は指示を出す。

 だがその前に、神殿戦士は自らを刺した男の首元に、懐から出した短剣を突き立てていた。


「ぐあぁ……ッ!」


 騎士のひとりが倒れる。即死であった。


「もう息も絶え絶えのくせに、苦し紛れをしやがって!」


 僚友を失った騎士のひとりがそう叫んだが、『そうではない』ことを、ベリアンは理解した。

 邪教徒の今の動きで、それが分かった。


捨身(しゃしん)――。この背教者は、最初から『相打ち狙い』でしたか……!)


 自らの身体を的にし、捨て身の覚悟で自分たちを斃す――。

 それこそがケーンの狙いであると、聖騎士は当たりを付けた。


 元より街を守るシルルルス教の神殿戦士に『撤退』は無い。

 ここで頭目たるベリアンを、なんとしてでも打倒せねばならない。

 そして己の力量では、聖騎士たちには及ばない。


 ならばどうするか? 

 今のように自分の命をエサにした、罠を仕掛けるのだ。


(勝てぬと理解(わか)ったからこそ、死して我らを道連れにする道を選びましたか)


 愚かしや、神殿戦士。

 許すまじ、背徳の教え。


 真に身命を捧げるべき御方は、偉大なる主をおいて他にない。

 邪教の珍獣とそれを崇拝する盲目の徒のために、命を捨てようとは……。


(しかし……)


 実際問題、『相打ち狙い』というものは、なかなかに面倒なのだ。

 こちらの刃が届くときは、向こうの得物も届くのだから。


「…………」


 ベリアンは、部下の騎士を見た。

 この同胞は、銛の男の愚かで悪辣な戦術を理解してはおるまい。

 それでは先程倒れた教会騎士と同じ結末をたどることになるであろう。


 偉大なる主の聖務を実行するためには、手数は必要であった。

 ましてや、たかだか邪教徒一匹のために、同じ主を戴く同胞を殺させるわけにも行かない。


(何より、このやけっぱちで手の込んだ自殺に、我らが付き合ってやる必要もありませんね……)


 ベリアンは、部下の騎士に向かって叫んだ。


「貴方はこの野良犬などに構わず、『穴ぐら』へと向かい、聖務を遂行なさい」


「聖騎士ベリアン、しかし――」


「この男など、私ひとりで充分。我らが任務は邪教徒どもを刈り尽くすことであって、この男と戯れることではありませんよ。これ以上の時の浪費は、『悪』であると心得なさい」


「――はッ! 了解致しましたッ! 必ずや神聖なる任務を遂行致します!」


 この遣り取りに顔色を変えたのは、ケーンのほうであった。

 自らが小癪に立ち回れば、こいつらを吸い寄せることが出来ると踏んだのに。


「待ちやが――」


「行かせませんよ」


「く……ッ」


 単眼のフルフェイスの向こうで、聖騎士が笑っていることが分かった。


 それは自分の『捨て身』を、看破されたということで――。


「最初から、私が単独で貴方を処理すれば良かった話ですね。……さあ、掛かってきなさい。貴方の『命がけ』など、塵芥よりも価値がないと思い知らせてあげましょう」


「――――」


 戦いは、算数ではない。

 一対一で勝てぬ相手だから、一対三で負けるとは云い切れない。


 もしもこの聖騎士が慢心するタイプであれば、ケーンはその思い込みを突いての『道連れ』が出来たかもしれない。

 襲撃者の首魁を斃せれば、たとえこの場で自分が死んでも、戦略的には勝ちであったろうに。


 だが、ベリアンはケーンの考えを見抜いてしまった。

 そのうえで、油断のない『一対一』に持ち込まれてしまった。


(坊……。すまねぇ……)


 街の神殿戦士は、全てが潰えたことを知った。


 それでもその後、一分にわたりベリアンの猛攻から生き抜いたことは、彼の執念が並々ならぬものであったことを物語るのだろう。


 聖騎士の剣は、神殿戦士の胸を貫いた。


 ベリアンに、疲労はない。傷ひとつもない。


「褒めてあげましょう。邪教徒の男よ」


 除くべき障害に対し、聖騎士は素直に賞賛の言葉を贈った。

 ケーンの奮戦は、『格上』の自分を手間取らせるだけのものがあったと認めたのである。


 ケーンの銛では聖骸白甲を貫くことなど出来ず、また仮にベリアンがそれを纏っていなくても、致命打を与えるだけの技量はなかったろう。

 それでもここまで持ちこたえたのは、間違いなく『想い』の力であったのだ。


「――天上にて、我らが主に懺悔なさい。それが背教者に出来る、唯一の善行である」


 剣の血を払い、聖騎士は歩き去った。


 無人の市街に、大の字に倒れたケーンだけが残される。


 最早、身体は動かない。

 目が霞んで、空も見えない。音すら聞こえない。


 助けたい命があった。

 守りたい人々がいた。


 けれども、もう、身体は動かなかった。


(…………ここまで、か)


 自分は何ひとつ。

『恩』を返せなかった。


 それだけが心残りで。

 それがとても、情けなくて。


 けれども、自分の世界は閉じて行き――。


「……ひとつ、問う」


(……!?)


 鮮明に。

 それは何故か鮮明に、彼の耳に響いた。


 遠くから聞こえるはずの剣戟の音も、助けを請う悲鳴も届かなくなったのに、無音の世界に、確かに声が響いたのだ。

 無機質なのに、高く甘い声が。


(な、何だ……? 俺は、夢でも見ているのか? それとも、これが『お迎え』の声だったりするのか……?)


 或いは、もう自分はとっくに死んでいて、魂が天に昇っているのかもしれない。


 何も見えず、動かない身体で、ケーンはそう思った。


『声』は、ケーンの考えなどお構いなしに続ける。


「……貴方の技量ならば、自分ひとりが逃亡することも出来たはず。何故、それをしなかった……?」


 問うてくるのが、誰かなど関係がない。どうせこれは、夢か幻か。

 既に死んだ身。或いは、もう死ぬ身だ。

 韜晦などしても、仕方がない。

 普段なら飄々としてはぐらかすことを、彼は端的に口にした。


(……命よりも、大切なものがあった。ただ、それだけだ)


「…………」


『声』は、言葉を返さなかった。

 だが、何故だか相手の雰囲気が少し変化したような気がした。


「……重ねて問う。その貴方が、今望むことは何?」


(知れたこと。奴らが、死に絶えることさ)


 徳の高い僧侶でもいれば、この発言を『悪しき妄執』ととらえるかもしれない。

 だが、彼はそれを望んだのだ。


 ――『声』は、復讐を否定しなかった。


「……自身が助かることよりも、敵が死に絶えることを望む?」


(云ったろう、命よりも大切なものがあったと。今、俺が生き返ったところで、皆を守ってやることは出来やしない。死ぬ回数が、もう一度増えるだけになるだろうよ。なら、望みは迷うまでもない。この街に攻め入ってきた、教会の騎士どもが死ぬことを願うさ)


「……『命よりも大切なものがある』という発言が、真実であると認める」


(……なんだ、天使様よ。俺の望みを、叶えてくれるとでも云うのかい?)


「……私は、『天使』などではない。どちらかと云えば、それに敵対する立場」


(…………?)


 意味が分からなかった。

 この幻は、神か悪魔だとでも云うのだろうか。


『声』は続ける。


「……街の各所で、戦力差があってなお、皆が奮戦を続けている。戦士でない者まで、懸命に。私はそれを、価値のあるものだと判断する」


(それだけ……ここは良い場所だったんだ……)


 男は、ぽつりと呟いた。


 この街には、笑顔があった。

 こんな世の中なのに、平和であった。


 それは街の人々が作ったものであり、そして、あの『聖獣様』がくれたもので。


(俺はその『恩』を、返せなかった……)


「……恩」


『声』が、自分を凝視しているようだと感じられた。

 何も見えないのに、そう思える。


 やがて『声』は、何かを思い出したかのように、ポツリと呟いた。


「……貴方は、この地で最初にシルルルスに助けられた、あの家族の家長によく似ている」


(――ッ!)


 なんで、それを、と、叫びそうになった。


 この地で命を救われ。

 この地で住む場所を貰い。

 豊富な食べ物と安全を貰った。


 先祖代々。

 教団が出来るより前から、ずっとこの地で生きてきた。


 自分も。

 その先祖も。

 親しい人たちも。その親たちも。


 全員が全員。

 あの聖獣様に恵みを貰って。


 それは、どれ程巨大な『恩』だろうか。


 自分ひとりでは、とても返せないくらいに大きくて。

 だからずっと、彼はこの地で。


「……アレは、『恩』などは気にしないと思う。寧ろ貴方たちがこの地に縛られずに自由に生きてくれる方が、きっと喜ぶ。アレは、そういう生き物」


 どこか淡々と。

『声』はそう語った。


 男には、『声』の語る言葉が理解出来なかった。


「……ともあれ、この地に生きる人間たちの決意は見届けた。あの海獣との約定に基づき、貴方の願いを叶えることとする」


 そんな言葉を、ぼんやりと聞いた。


 不確定な意識すらが、もう霧散しそうで、思考そのものが出来なかった。


(坊……。ルビィ様……)


 彼の意識は、そこで途絶えた。



 聖騎士ベリアンは、彼の決意を無意味と断じた。

 けれども命をかけた彼の抵抗は、この地に重要な――そして決定的な転機をもたらすこととなる。



 即ち『最強』――破滅の参戦である。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 「破滅の参戦」 はい勝ち確ぅ!
[気になる点] ブラジルの読者はこちら! これはとても良いので、新しい章を待って、3回目にもう一度読み直します。
[一言] エイベルが人間相手にここまで喋ってるのを初めてみた。 にしても、『破滅』の参戦とは。終わったな教会。 塵一つ残らないんじゃない?
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