第六百八十五話 翠玉の瞳に映る空(その十四)
砂浜の上にシートを敷いて、彼らはそこで食事をとっている。
一も二もなく匙を口に運んだケーンが、歓喜の声を上げた。
「うっほ、美味ェッ! 肉に味が染み込んでやがるぜっ、たまらねぇなぁ、おいっ!」
「…………っ!」
地元組が、目を見開いている。
彼らには『バイエルン』の開発した秘伝のタレの芳醇さが、あまりにも強烈であったのだ。
(ただ単に、刻んだお肉を焼いただけじゃない……。噛めば噛む程、美味しくなっていく……。どうなってるんだろう、このお料理……。というか、美味しいっ。美味しいよぉ……っ)
元・日本人のアルトが、お米と一緒に食べることを前提に設計した肉そぼろは、まだお子様であるロフにクリティカルヒットした。
もちろん、これを一番の大好物としているクレーンプット家の末妹様も、同様に打ち震えている。
「あきゃ~……っ♪」
「ふふふ、ノワール様、美味しいですかぁ?」
「きゅーっ♪」
「うっふふふ……! それは良かったです。ささ、ノワール様、どんどん食べて下さいね? 足りなければ、このフェネルめの分もお分け致しますので!」
笑顔でそぼろ丼を頬張るノワール・クレーンプットと、それを見てゆるみきった顔を浮かべる商会局長という構図が出来上がっている。
最早彼女は、黒髪の幼女のご機嫌取りをする機械と化している。今もせっせせっせと、幼女の口元をぬぐってあげている。
ロフは、そのすぐ近くで寄り添い合い、仲良くご飯を食べている兄妹を見つめた。
「にーた、にぃたぁっ! ふぃーに、ご飯食べさせて?」
「はいはい。ほら、あーん」
「あーんっ! ぱくっ! ふへへ……! にぃさま、ありがとーございますっ!」
何であのふたりだけ『木の棒』で食べているのかという謎は、この際、置いておく。
彼女に兄弟・姉妹はいない。
だから具体的な想像は難しかったが、その光景を『温かそう』だと思った。
ちょっとベタベタしすぎだとは思ったけれども。
(家族って、いつも笑いあっているものなのかな……?)
もう『なくした』絆が、遠くに感じる。
かつては自分も、『あの風景』の中にいたというのに。
(お母様……)
ロフは俯く。
笑顔の中にあって、孤独を感じた。
世界にひとり、取り残されたかのように思えたのだ。
その『母』が教えてくれた、ひとつの童話。それが、翠玉の王子。
話としては、酷くシンプル。
翠玉を持った美しい王子が、お姫様を助けるという、ただそれだけの。
けれども大好きな母の好んだ話でもあり、幾度も聞かせて貰った物語でもあるので、ロフの中では今も一番に輝いている。
「…………」
彼女は、ついつい気の抜けたコーラのような男の子を見てしまう。
繊細で貴公子然とした端正な容貌は、まさにロフが思い描いていた『翠玉の王子』そのものだったのだ。
(なんて優しそうに笑うのだろう――)
少年の瞳は、美しい緑色をしている。
王子の持つ『翠玉』とは、これのことなのではないかと、ロフは考えてしまう。
「ふふふ~、ロフちゃん」
「ひぅ……っ!」
突如として間近から声をかけられ、女の子はどんぶりを落としそうになった。
そこには、ニコニコとしながら白ワンピを掲げるリュシカ・クレーンプットの姿が。
「どう? さっきも云ったけど、ロフちゃん、ワンピース着てみない? 絶対に似合うと思うけど」
アルトマザーがロフに構ってきたのは、息子も娘たちも自分以外とイチャイチャしているせいで、あぶれてしまったからではない。断じてない。……たぶん。
一方、急に声をかけられたロフのほう。
彼女は突然のことに頭が真っ白になってしまった。
フラッシュバックするのは、以前お忍びで街に出かけたときのこと。
「おとこ女が、男の格好をしてやがるぜ!」
同年代の少年に、そうからかわれたことを思い出した。
「――やめろっ!」
ロフは、思わず全力でリュシカを突き飛ばしていた。
尤も非力な彼女の双掌打はリュシカの柔肉の前に沈み込み、後ずさりさせることすら不可能であったのではあるが。
ロフの大声に、皆が視線を一斉に向けていた。
※※※
「うん……?」
幕舎の中で書類仕事をしていたカーソンは、騒々しさに顔を起こした。
どうやら広場のほうで、大人数が動いているようである。
今回の『シルリアンピロード計画』のリーダーである彼は、今の時間に多数の人員を動かすという命令を出していなかったし、部下たちからそう云った行動があるという報告も受けてはいなかった。
訝しがりながらも外に出て、中心にいる男に目がとまった。
「……ベリアン殿」
「ああ、司祭殿ですか。ちょうど良い、実は今、『彼ら』の到着を報告しに行こうと思っておりましてね」
彼ら――。
聖騎士ベリアンの示した連中に、全くの見覚えがなかった。
つまり今回の任務に同行してきたメンバーではないということで、リシウス大司教から『増援』の連絡も受けていない以上、目の前のこの男・ベリアンが私的に呼び寄せたということになるのだが……。
カーソンが不審の目を向けると、逆にベリアンは得意げな顔を見せた。
「彼らは、私の直属です。いずれも実力者揃いですよ。万が一に備え、この任務が決まった日には呼び寄せていたのですが、今日こうして、予想外の早さで合流してくれました」
「つまり、聖騎士たち……ですか……」
「見習です。まだ、ね。しかしそれでも、主への忠誠心と戦闘能力は、既に聖騎士にも届きうると自負しております。どうぞ、ご安心を」
ベリアン直属だという男たちは、カーソンから見ても、目に奇妙な光が宿っているかのように思えた。
瞳の輝きが、ベリアンと似ているのだ。
司祭はその感想を口には出さず、当然の疑問を若き騎士にぶつけた。
「それで、彼らを呼んで、どうするというのです?」
「知れたこと。かの背徳の街を浄化するための、重要な戦力でございますよ」
「…………」
カーソンは、一瞬黙り込んだ。
計画は慎重でなければならない。
戦力を増やすにしても、明確に都市攻略に必要な数字が出てからでないと意味がないのではないか?
しかし、ベリアンは首を振る。
「司祭殿。我らの聖務は完遂することは無論重要ではありますが、同時に早期の解決も目指さねばならない。そうではありませんか?」
「左様でございますな……」
カーソンは頷くが、それだけでは説明が足りてないことを訝しんでいる。
若き聖騎士は云う。
「司祭殿が慎重を期しているのは、計画を確実に遂行するため。違いますか?」
「いえ、その通りではありますが――」
「で、あるならば、聖務達成のための単純にして確実なる一手は、戦力を増やすこと。これに勝るはありません」
「それで、『彼ら』ですか……」
目の前に展開されているのは、相当な人数である。少なくとも、百名は軽く超えているであろう。
聖騎士隊の戦力を考えれば、見習たちであっても通常の一都市を相手にするのは充分すぎる人数とは云えるが――。
(シルルルス教の本山は、私の見る限り並の都市よりも遙かに堅牢。加えて、かの街の神殿戦士たちの実力も高い。だが、重要なのは、そこではない)
以前ベリアンに説明した通り、都市への攻撃は『教会の仕業』だということは知られてはならないのだ。
なればこそ、山賊などという『小道具』まで用意した。
まずはシルリアンピロードにいる他国の人間たちを追い払ってから行動を起こさねば意味がない。
だから今必要な人員は戦闘能力者などではなく、流言を流し人々を街から離れさせるための細工が出来る工作員の類であろう。
(全く、リシウス大司教から押しつけられた、『あの男』だけでも頭が痛いというのに……)
いや、『あの男』は無駄な干渉を一切してこない。
ただひたすらに、不気味なだけだ。
だからある意味では、ベリアンよりマシなのだろう。
カーソンは、ちいさく首を振る。
そんな彼に、若き聖騎士は云った。
「では司祭殿。出発致しましょうか」
「――は?」
カーソンは、ポカンと口を開けた。
今からどこへ、何をしに行くというのか?
まるで理解が及ばなかった。
司祭は率直に、言葉の意味を質した。
「ベリアン殿、どこへ行くというのです?」
「知れたこと。悪逆の都の、討滅に」
「…………」
何を云っているのだろうと、カーソンは思った。
街より余人を引き離すという計画は、前にも話したではないか。
しかしベリアンは、真面目な顔をして云う。
「既に主要な街道と、抜け道の類は網羅しております。仮に街より抜け出す者がいたとしても、余さず処理が出来る手筈は整えられます。それ以前に四方の門を固めてしまえば、そもそもからして逐電など許しは致しませんが」
「……つまり、包囲の算段が付いたから、攻め寄せると?」
「然り。司祭殿が慎重を期すのは、邪教徒どもの逃亡を許さぬためでありましょう? しかしそれは、我が手勢が到着したことで解決致しました。彼らは頼もしき神の使徒。十全に役割を果たすことでありましょう」
それは、皆殺しの宣言であった。
あの街にいる者。その全てを殺し尽くすという、明確な意志。
聖騎士は事も無げに、それを宣告したのだ。
カーソンは顔面を蒼白にした。
「ベリアン殿、何を仰るのです!? 計画が慎重であったのは、確かに情報の漏洩を警戒してでのことではありますが、それだけではないのです。あの街には、シルルルス教徒以外の者も幾人もいるのですぞ!?」
「同じ事でありましょう。あの珍獣を崇めていようといまいと、この世に神は、我らが主以外に存在せぬのです。であれば、いずれも救われぬ存在。早々にその魂を解き放ってやることこそが慈悲というもの。寧ろそのためにこそ、我ら聖騎士は存在するのです。偉大なる主のために、喜んで先駆けを勤めましょう」
「な、な……」
カーソンは、口をパクパクと開閉させた。
端正な顔の聖騎士の発言はあまりにもラディカルで、短兵急にすぎる。
司祭はベリアンに云った。
「この南大陸にも、我らが主のしもべは幾人もおります。ということは、あの街にも同胞がいるかもしれないのですぞ!? 今急激に攻め寄せて鏖殺するということは、同じ主を頂く信徒を害してしまう可能性もあるのです! そのようなことは、万が一にもあってはならないのです!」
「ああ、そのことを案じておいででしたか。流石は司祭殿。慈悲深い方ですね。――ですが、ご安心を。あの街に、我らが同胞はおりません」
「…………は?」
何でそのようなことを断言できるのだろうかと、カーソンは不思議に思った。
たとえばこの場に到着してよりすぐ、それを調査するためにベリアンが動いていたというのであれば、『結果が出た』のだなと理解は出来る。
けれども、そんな様子は寸毫程もなかった。
彼が街の中にいる同胞を調査している様子は、まるでなかったのである。
なのに、どうして彼は断言できるのか。
前述の如く、至聖神を奉る教会は南北大陸の最大勢力だ。
で、あるならば、その信徒はあちらこちらにいる。
となれば当然の確率として、窯元として栄えるシルリアンピロードに足を向けている信者もいるはずである。
仮にいなかったとしても、調べもせずに襲撃を掛けるなどあってはならない話だ。
このベリアンという男は、何を根拠に『同胞はいない』と云い切っているのだろうか?
若き聖騎士は、涼やかな笑顔で云った。
「かの街は、珍獣を崇める不浄の都。我らが神の忠実なしもべであれば、そのような場所に近づくはずがありません。もしも背徳の都に進んで足を踏み入れる輩がいれば、それは処分すべき『悪』なのです。その他諸々の背教者どもと同様に処断しても、何ら問題はありませんよ」
「バカな、ベリアン殿、貴殿は異端審問官の資格は保有してはおらぬでしょうに! そのような勝手が、許されるはずが――」
「我らが主は、絶対善であり、無条件に頭を垂れるべき存在! その偉大なる主に背を向ける者を処断するために、我ら聖騎士は存在するのです。まやかしに頭を下げる連中など、誰に問うまでもなく外道者であることは明白! よって我が行いは、神の正義であるッ!」
聖騎士が云いきると、彼の部下たちが歓声を上げた。
そこにあるのは追従でも阿諛でもない。
ただひたすらに、ベリアンの言葉を正しいと考える、心からの賛同であった。
この空気に逆らえば、その瞬間にカーソンが背教者として処断されてしまいそうだった。
だから司祭は、口をつぐんだ。
一方ベリアンは、同じ『正義』を抱く同胞たちに、いまこそ立ち上がれと檄を飛ばしている。
これではもう、今すぐにでも進軍を開始せねば収まりが付きそうになかった。
(なんだこれは、悪夢か……っ!?)
こんな勢いに任せた皆殺し作戦など、『神の慈悲』に適うものなのか。
カーソンは呆然としていた。
そんな彼の肩に、手を置く者がいる。
司祭は驚いてそちらを見た。
そこには、頭からローブを纏った顔の見えない男がいる。
彼こそは、リシウス大司教の命令によって同行をさせた件の人物。
大司教曰く、対・海獣戦の切り札。
名は確か――。
「ドルト殿……」
「エラいことになったな? まあ、こうなったら仕方がない。諦めて、攻め寄せればどうか?」
くつくつと笑いながら、男は云った。
カーソンは絶望的な表情で、ドルトに反駁する。
「何を仰る!? 我らが主は、慈愛によって知られる御方なのですぞ!? なれば、教化こそが真の御意向であるはず! 暴力による殺戮をこととするなど、根本的な誤りではないですか!」
「何をヌルいことを云っている? リシウスの命令は、この地にいるシルルルス教徒の排除であろうが。つまり街を滅ぼすのは既定路線。お前もそれを理解しているから、最初から戦力を連れてきたのだろう?」
「だからこそ、です! シルルルス教を葬ることが仕方ないにしても、『それ以上』の流血は無用と考えねば、主の慈悲に傷が付くではありませぬか!」
「それは、俺に主張すべき事ではない。あちらで盛り上がっている聖騎士たちに云ってやれ。――尤も、それを口にすれば、お前はこの世におれぬだろうがな」
ドルトは小バカにするように、くつくつと肩を揺すった。
「俺は、あの海獣を仕留められれば、それで良い。お前たち坊主に辛気くさい生き方があるように、俺には俺の生き方がある。――あのクジラは、俺が始末する」
つまるところ、この男も『争い』を歓迎しているのだ。
カーソンは、この場に己の『味方』がいないことを知った。
司祭は、大きく肩を落とした。




