第六百八十四話 翠玉の瞳に映る空(その十三)
アルト・クレーンプットたちが、従魔士・フェネルの作る昼食を待っているそのとき。
護衛役のハイエルフ・ヤンティーネは、少し離れた場所で皆を見守るケーンの傍へと、音を立てずに接近した。
シルリアンピロードの神殿戦士は飄々とした態度を崩さぬまま、しかしそれでも、場合によっては目の前の騎士から、槍の一撃が飛んでくるであろうことを察知した。
つまるところ、彼女には一種の『敵意』があったのである。
ゆっくりと寄ってきたのは、ちびっ子たちに余計な心配をさせぬためであろう。
ならば、この先『どうなるか』は己が返答次第だと見極めがついた。
「――おいおい。そんな怖い顔を向けないでくれよ? せっかくの美人が台無しだぜ?」
「…………」
ケーンの言葉に、ヤンティーネは表情を変えることがない。
堅いねぇ、と心で呟きながら、神殿戦士は両手を挙げる仕草を取った。
「俺は、お前さんらとケンカする気はないぜ? 第一、勝てないと云っているだろう? なのにどうして、そんな顔をするかねぇ? 対人関係は、『仲良し』が一番だろう?」
「そちらの云う、『ちょっとした話』というものを、まだ聞いていない」
「そりゃ、まだ話してないからな。と云うか、それだけのことで、そんな険しい顔をしているのかい?」
「…………」
彼女は何も答えない。
ただ言外に、『早く話せ』と云うばかりで。
ケーンは、降参だと云うかのように、肩を竦めた。
「別に、そう大したこっちゃないさ。それどころか、場合によってはアンタらにも益のある話なんだぜ?」
「それは?」
全く警戒感をゆるめずに、ハイエルフが問う。
彼はそれに気付きながらも、話を続ける。
「ほれ。俺たちの街の傍に、凶賊が現れたって話はしたよな? それとは別口だった――ということになっているが、実際についさっきも、弱めの賊徒に襲撃を受けただろう?」
「それが?」
「だから、だよ。アンタが今こうして俺に殺気を向けているのは、あのガキんちょどもが大切だからなんだろう?」
「…………」
ヤンティーネは、矢張り答えない。
けれども今の状況が、それを雄弁に肯定しているのだとケーンは見て取った。
「こっちの話ってのは、そのことさ。俺たちの街には、戦う力のない、女・子どもを匿う、避難所がある。そこを、教えておいてやろうと思ったというだけさ」
その言葉にハイエルフの女騎士の瞳は、いよいよ鋭さを増した。
それが強い警戒心であり、自らの企図しているところを看破されたのだと、神殿戦士は当たりを付ける。
けれどもケーンは、悪びれもせずに笑っている。
「アンタ、頭が切れるんだな」
「おためごかしで他者をこき使うタイプの人物には、イヤと云う程お世話になっている」
「――成程。慣れか。アンタ、苦労してるんだなぁ」
くつくつと、男は笑った。
ケーンの考えたところは、こうである。
先程の弱い盗賊が何者かの意志によって嗾けられた存在であるならば、『これで終わり』ということはありえない。
第二波ないし、『本命』がやって来る可能性がある。
敵の総数も戦力も不明だが、護衛付きの商人を一方的に屠り、なおかつ誰ひとり返り討ちにあっていないことからも、その集団が『弱い』ということだけはあり得ない。
一方で街の守りが堅牢と云っても、限度がある。
そも神殿戦士たちよりも襲撃者どもが強かったら、全てを失うこととなるのだ。
彼としては、何としても『保険』が欲しい。
そこに、強種族として知られるハイエルフが、ふたりもやって来た。
普通ならば人間族なんぞは相手にもして貰えないはずだが、彼女らはどうにもヒト種の家族と仲良くやっている。
これならば、もしもの場合の保険になるのではないか?
たとえほんの一時でも良い。
街の子どもたちや、守るべき少女を預けられる存在がいるならば、巻き込んでしまうべきだ。
ケーンは、そう結論づけたのであった。
もちろんストレートに、『うちの街の盾になれ』などと云えるわけもない。
だから『そっちの子どもたちのための避難所を教えるよ』という形で絡め取ろうとしたのである。
その企みは残念ながら、即座に見破られてしまったが。
一方、ヤンティーネのほうだ。
彼女はほぼ正確に、目の前の人を食ったような性格の男の考えを看破している。
それは、エルフ族自体が過去にそうやって、何度も諍いに巻き込まれてきたからであった。
加えて彼女には、命に替えても守護すべき人間の家族がいる。
ハッキリ云って、クレーンプット家とその他大勢では、守る価値は比べるべくも無い。
巻き込まれるのは迷惑で、甚だ不愉快であった。
それでもティーネが激発しなかったのは、ケーンの考えていることが、あくまでも『保険』の範囲に留まっているということによる。
クレーンプット一家は、日帰りの予定。
そして襲撃が再度あるとしても、それは今日にはならないはずだ。
目的があって攻め寄せるのであれば、当然の話として落とすために万全を期すはず。
午前中に襲撃があり、そのせいで現在進行形で『もしも』に備えている場所へ、短兵急に襲いかかるとは思われない。
本当に攻め落としたいのであれば、破壊工作を行うなり内応を誘うなり、それなりの準備と時間を必要とすることであろう。
で、あるならば、ケーンの『保険』など考慮に値しない。
未来に激戦があったとしても、その頃には守るべき人間の家族は、遙か北大陸へと戻っているのだから。
ケーンとしても、ハイエルフを巻き込んだ『保険』が発動するとは思ってはいない。
しかしそれでも、布石は打っておくにしくはないのだ。
「……だから、そんな怖い顔すんなよ。どうせ不発の浅知恵さ。目くじらたてるこっちゃないだろう?」
「――ひとつ、云っておく」
美しい瞳が、神殿戦士を射貫く。
「どのような理由であれ、あの家族を危地に巻き込むことは許容しない。それは私だけでなく、あちらで、しだらない顔をして食事の準備をしているハイエルフも同じだと云うこと。場合によっては我々と敵対する方が、件の鼠賊の襲撃よりも、大きな患いになると知っておくことだ」
「おー、おー、おっかない、おっかない。せいぜい肝に銘じておくよ」
馬耳東風である。
ヤンティーネはどこかの『先輩』を思い浮かべ、口をへの字にした。
この手の輩に、説得や警告の類など意味があるのだろうかと自問した。
――ゆるみきった声が響いたのは、そんなときだ。
「はーい! 皆さん、お昼ご飯が出来ましたよー!?」
「きゃーっ♪」
脳天気な姉妹とその母親が同時に歓喜のバンザイをして、一斉に踊り出した。
神殿の少女が、ギョッとしている。
「お、飯だ、飯だっ!」
神殿戦士の男も、さっさとそちらへ駆けて行ってしまった。
「…………はぁ」
ハイエルフの女騎士は、呆れたように大きく息を吐き出していた。
※※※
「あきゃ~~~~~~~~~~~~っ!」
黒髪の幼女が、先割れスプーンを掲げて打ち震えている。
本日の昼食。
それは彼女の大好物である、『二色のそぼろ丼』であった。
彼女の兄が木工の練習で作った木のどんぶりに、ふたつの色に輝く肉と卵のそぼろが乗っかっている。
「おっほぉ、こいつは美味そうだなっ!」
神殿戦士の男が笑みを浮かべれば、
「い、良い匂い……っ」
ロフも、出現したお昼ご飯に目を奪われている。
「きゅふふぅ~……っ!」
そして何故か得意顔をする、クレーンプット家の次女様という構図である。
「こっちじゃ、見たことのない料理だな? 他所ではこういうのが流行っているのかい?」
「いいえ? こちらは、我々の所属するショルシーナ商会の新メニューです。シルリアンピロードには存在しない料理と云うことは調査済みですので、模倣とかはしないで下さいね?」
「ゲッ、お前ら、悪名高いエルフの商会関係者だったのかよ! そんな相手に、模倣なんて恐ろしいことはしねーよ! そもそもこっちの街でも、『陶器のデザインをパクられた!』『それはこっちが先に思いついたアイデアだったのに!』とかで、しょっちゅう揉め事が起きてるから、その辺の苦労は身に染みてらぁ」
本音を語りつつも、ケーンの視線はそぼろ丼に固定されている。
ロフも、未知の料理に視線を奪われている。
彩りも目を引くし、タレを絡めた無数の肉と甘い卵の香りが、これでもかと鼻孔をくすぐった。
知らず、彼女はツバを飲み込んでいる。
(この人たち、一体何者なんだろう……?)
見たことのない奇妙な料理を知っており、着ている衣服も整っている。
おまけに戦乱の世にいるとは思えない程に太平楽で脳天気な集団だ。
とても、只人とは思われない。
ロフはこのとき初めて、この闖入者たちに興味を抱いたのであった。
「…………」
そして、彼女は干からびたフナムシのような雰囲気を持つ少年を見つめてしまう。
(お、王子様……)
ブンブンと首を振る。
そんなワケはない。
あるわけがない。
今は亡き母に聞かされたことのある童話、『翠玉の王子』が、現実にいるなんて。
少女は、自らの妄想を振り払うかのように、殊更顔を左右に動かした。
ハタから見ればそれは奇行だが、ヤンティーネ以外の人々は欲望に正直で、ロフではなく、そぼろ丼に注目していたのである。
結果、彼女の尊厳は保たれた。
「それじゃ、いただきましょうかっ!」
「は~いっ!」
「きゃーっ♪」
母親が号令し、娘たちが笑顔で応じて、昼食が開始された。




