第六百八十二話 翠玉の瞳に映る空(その十一)
ロフ少年の表情がかすかにやわらいだのは、街の方から新たな狼煙が上がってからだった。
先程の狼煙とは違う別種のそれは、母さん曰く、セロでは『撃退の知らせ』であるらしい。
目の前にいる男の子の様子からも、マイマザーの言が正しいことが察せられる。
それにしても、『襲撃の知らせ』から『撃退の知らせ』が上がるまでの時間は、相当に短かった。
これなら決着はあっという間だったということで、つまりは損害もほぼほぼ無いと考えても良いのではないか?
「ケーンは強いから……っ」
独り言のように呟く男の子の表情は誇らしげで、それ程までに甚平さんを信頼しているのだと伝わってくる。
母さんは、そんな彼の様子を見て、今がチャンスと思ったらしい。
ロフの背後に回って、背中を押した。
「さぁさ、ロフちゃんも、私たちと一緒に遊びましょっ?」
「え……っ、でも、わ、俺――」
彼は何故か自分の着ている服を見た後、うちの妹たちに瞳を走らせた。
まるで着ているものを、見比べているようである。
はて?
ロフ少年の格好、どこかおかしいだろうか?
ごく普通に着こなしていて、格好良いとすら思えるのだが。
「ふふふー。うちの子たちのお洋服、とっても可愛いでしょー?」
「…………っ」
うん?
何で黙り込むんだ?
俺だったら、一も二もなく「可愛いっ!」って答えるんだが。
これはアレか。
幼い子とはいえ、相手が女の子だから、照れているのか?
なお、我らがクレーンプット家シスターズの服装は、満を持しての『白ワンピ』姿である。
いや、これホントに可愛いのよ。本当の本当に天使かと思ったね。
俺はシスコンではないけれども、これに関しては手放しで褒められるくらいなのよ。母さん、良い仕事しましたねぇ。
「にーた、にぃたぁぁっ!」
「にー、あきゃっ!」
白ワンピ姿の天使たちが、笑顔で手を振っている。
本当ならばこの中に、うちのプリティーチャーも混ざっていたはずなのになァ……。
俺がフィーやマリモちゃんに見とれていると、マイマザーはとんでもないことを云いだした。
「ロフちゃんも着てみる? ワンピース」
「ふぇ……っ!?」
男の子は、うわずったような可愛らしい声を上げた。
それこそ、女の子みたいに。
「母さん、どういうことだよっ」
思わず、会話に割り込んでしまう。
だって、男の子に女の子の服を着せるなんて、怒られても文句云えないよ?
だが母さんは俺の言葉を、『どこにワンピの予備があったんだよ』という意味に解釈したらしい。
もの凄いドヤ顔で、サムズアップした。
「実は、アルちゃんのぶんもコッソリ作ってたのよね! ロフちゃんはアルちゃんと背の高さが近いし、着られるはずよ?」
「えぇっ!?」
俺と少年の声がハモった。
彼がこちらへ向ける視線は、異物でも見るかのようだ。
(ち、違う……っ! 俺に女装趣味はないんだァッ!)
ゾン・ヒゥロイトの構成員でもあるまいに、女の子の格好なんてしませんわよ!
(いや、突っ込むところは、そこじゃないッ!)
俺も男で、ロフも男だ。
一番大事なところは、そこなんだよ!
そう抗議してみると、何故かマイマザーは俺を『可哀想な子』を見るような目で見つめてきた。
「アルちゃん、それは失礼よぅ……」
「いや、失礼なのは、母さんでしょ。男のロフに、ワンピを勧めるなんて」
「…………」
この発言に、謎の沈黙。
それを破ったのは、俺の傍までぽてぽてと歩いてきた妹様であった。
「にーた、何云ってる? この子、女の子!」
「え……っ!?」
今度は俺が、ロフに不審の目を向けてしまった。
果たして彼は、酷く動揺していた。
「ち、違う、お、俺は女なんかじゃ……」
「んゅ……? 何で嘘つく? なら、シルルルスに訊いてみればいーの!」
フィーはクルリと振り返り、
「シルルルス~~~~~~~~~~~~っ!」
と叫んだ。
相変わらず舌っ足らずで、可愛らしい声だ。
その呼びかけに呼応するように、ゆるクジラは、ヌボーっと現れた。
何と云うか、家族か友人にでも呼びかけられて、「ん? なに~?」って感じに顔を覗かせるようなゆるさがあった。
「せ、聖獣様を呼びつけるなんて……っ!」
ロフ少年(?)が、怒りで顔を真っ赤にする。
だが、フィーはそれに気付いてもいない。
「シルルルス、この子、女の子?」
マイエンジェルの言葉に、ゆるクジラはゆっくりと頷いた。
言葉が分からない俺でも、流石にこのリアクションは分かる。
「な……っ」
ロフは、ワナワナと震えている。
まさか信仰を捧げる相手に断定されちゃったんだから、声高に否定も出来ないのだろう。
一方、妹様は上機嫌だ。
「やっぱりなの! シルルルス、ありがとうなの! このまま、ふぃーたちと一緒に遊ぶの! ふぃー、シルルルスのお背中に乗ってみたい!」
「ぶ、無礼な……っ!」
ロフは顔を真っ赤にした。
けれどもシルルルスは、マイペースに顔を振った。
これは、『ノー』のリアクションなんだろうか?
「フィーちゃん、シルルルスは、お腹がすいたんですって。沖のほうでご飯を食べてからなら、乗せてあげるよ、ですって」
母さんが通訳しているが、これは俺に聞かせてくれているのかな? フィーは既に意思の疎通が出来るんだし。
「みゅぅ……っ! それは仕方ないの……。そういえば、ふぃーもお腹すいてきたの……」
妹様が自分のお腹をさすると、「というわけで、ちょっと食べてくるね~」と云わんばかりに海獣は海の中へと消えていった。
マイペースすぎんだろ、この海の生き物……。
「にーぃ、まーく! あきゅっ!」
そしてマリモちゃんも、お腹がすいたアピール。
この子、食事の話題が出るとすぐに魔力をねだってくるからな……。
精霊族は元々が食いしん坊なのに加えて、食べるの大好きなクレーンプット家で生活しているからか、より食欲旺盛に育っていくような気がするぞ。
「じゃあせっかくだし、皆でご飯にしましょうか!」
「はーいっ!」
母さんがパンパンと掌を打ち鳴らすと、クレーンプット・シスターズは、元気いっぱいにおててを挙げた。
時間的には、まだお昼より少し前だろうが、よく動いていたので皆お腹が減っているのだろう。
――そこに、飄々とした声が響く。
「お? 飯にするのか? いいタイミングで戻って来られたかな?」
「ケーン!」
現れたのは、甚平さん。
ロフ少年(?)は心細かったのか、笑顔で彼に駆け寄った。
「おう、坊。待たせたな」
「ケーン! 街は、皆は……!?」
「ああ、問題ない。損害もないし、怪我人すらいなかったぜ?」
ぐしぐしと、頭を撫でてあげている。
しかし、そうか。被害はなかったか。
喜ばしいことだが、街の防備はそれ程までに堅牢と云うことなのだろうか。
甚平さんはロフと俺たちを見比べる。
「どうだ、坊。こっちの家族とは、友だちにはなれたのか?」
「――っ」
少年(?)の態度に、彼は苦笑する。
「坊は不器用だからなぁ……」
「違う……っ! こいつらが無礼なだけだっ! 聖獣様に対しても、失礼だったし!」
「ははは、そうか、そうか」
ぽむぽむとロフの頭を叩きながら、俺たちを見る。
「ご覧の通り、坊は不器用なんでな。それでも、根は良いヤツなんだ。だから、仲良くしてやってくれると助かるんだが」
「ふぃーのにーたに手を出さないなら、ふぃーたち、仲良くできるっ!」
「あきゃっ!」
「ええ、ロフちゃんとは、もうお友達よ?」
「ロフちゃん……?」
甚平さんが、小首を傾げる。
少年(?)は、俯いていた。
「なんだなんだ。坊、おやっさんの名前を使っているのかよ。しかも、『ちゃん付け』だの『手を出さない』だの、性別もバレてんじゃねーか」
「ち、ちが……っ」
「別に誤魔化さなくったいいだろうに。坊の母ちゃんは美人だったし、坊はそれによく似たんだ。勝ち組だぜ、実際に」
「う、うるさいっ!」
ロフは、顔を真っ赤にして叫んだ。だが、性別の否定はしていない。
これ、本当に『女の子』で確定か……。
フィーたちも最初から分かっていたようだし、俺だけがダメダメな感じだったのか……。
「拗ねるな拗ねるな。坊たち、これから飯にするんだろう? 腹を満たせば、人間、機嫌なんて良くなるもんさ。――ってわけで、対価は支払うから、坊にも何か食わせてやって欲しい。ついでに俺もご相伴に与れれば、云うことは何もないんだけどね?」
甚平さんは、ぬけぬけとそんなことを云う。
だが、イヤな感じはしなかった。
いやしさの類を感じないからか、割と横着な発言なのに、気にならない。
賑やかなのが大好きなクレーンプット家女性陣は、笑顔でそれに頷いている。
ケーン氏は、ロフの頭を撫でながら云った。
「いやぁ、助かる。礼代わりと云っちゃ何だが、お土産と、ちょっとした話を持ってきたんだ」
何気ないふうに、彼は云う。
フィーや母さんは『お土産』という言葉に食い付いたが、護衛役のハイエルフふたりは、目配せをし合っていた。




