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妹のいる生活  作者: むい
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第六十九話 スェフの見た異邦人


 私の名はスェフ。


 氷雪の園の、総族長である。

 大氷精のひとりであり、他の精霊族長たちとの折衝に当たる者でもある。


 精霊族は、極めて『格』を大切にする。

 地位とは即ち、力だからだ。

 我々精霊族は人間族のように、能力と立場が大きくかけ離れることは多くない。


 ヒトという存在は先祖に偉い人間がいたと云うだけで、その子孫に何の力が無くとも威張りちらすことの出来る不思議な種族だ。

 本人が力を示せ、と問われることのない、おかしな種族だ。


 対して精霊は、高位の者は巨大な魔力を備えている。

 もちろん必ずしも知力や政治的能力が備わっているとは限らないが、高位の精霊は必ずある種の実力があることは事実だ。


 最も尊貴な存在は神霊。別名を、精霊神。

 これは精霊の神、或いは精霊でありながら、神の座へと至った者。


 それに次ぐ存在が聖霊。

 神霊の分身か子供、或いはそれに近い精霊で、中には神霊に匹敵、凌駕する者もいると云われる。

 最も有名なのが森の神霊の分体である大聖霊であり、彼女から作られた存在が、『始まりのエルフ』と呼ばれる、エルフの形をし、肉の身体を得た聖霊たちであろう。


 神霊と聖霊は『在り方』としての格が違いすぎて、何ら参考にならない。

 なので最も現実的で、かつ尊い存在は、精霊王ということになる。

 大精霊の中で力ある者が就くことの出来る、精霊たちの頂点だ。


 ただし、王は複数いる。

 この私が園の総族長をやっているように、炎の精霊王や風の精霊王等が方々で君主として存在している。

 その力は群を抜き、他種族にとっては、生ける災害でしかないだろう。

 尤も、我々精霊は自制が利くから、人間のように力を誇示して暴れ回ったりはしない。

 もちろん、何事にも例外があるので、迷惑を掛けた精霊もいる。


 有名なのは七代前の炎の精霊王シャガだろう。

 歴代精霊王の中でも突出した戦闘能力のあった彼女は己の力を自儘に振るい、多くの災禍をもたらした。

 そして他の精霊王の制止も聞かず、聖域と呼ばれる森にも触手を伸ばした。

 そこでとあるエルフに戦いを挑み、一方的に敗れ去った。

 炎の精霊王も、まさか自らがケンカを売った相手が、竜王ゴヌンレイや魔王グリンガムを単独で撃破してのけたアーチエルフだったとは知らなかったようだ。


 精霊王たちは総出で謝罪に出向き、許しを得た。

 そして幸運なことに、その始まりのエルフは、以降、精霊たちと親交を持ってくれるようになった。


 特に友好を深めたのは、樹の精霊王ニゥと、氷の精霊王フェンドゥのふたりだが、それでも彼女が『友』と呼んでくれることはなかったと云う。

 彼女に『友』と呼ばれるのは、それだけ重い価値があるのだろう。

 だが、ふたりの精霊王は、かのアーチエルフに、他の精霊王にはない特権を貰った。

 それは、困窮した折には、己を頼っても良い、と云う言葉だった。


 時は流れ、私の産みの親である当代の精霊王は、私の訴えで園の窮状を知り、件のアーチエルフへ救援を頼み込んだ。

 そして、彼女はやって来てくれたのだ。


 高祖エイベル。


 精霊たちの記録ですら、おぼろげな伝承しか残っていない、始まりのエルフが。


「……初めに云っておく。私に出来ることは、何かを滅ぼすことだけ。何かを壊せ。何かを殺せ、何かを破滅させろ。そういう相談にしか乗れない。だから、何かを癒せ。何かを救え。何かを助けろ。そういう期待に応えることは、基本的に出来ないと理解して欲しい」


 現れた高貴なる方は、思いの外、範囲の狭い言葉を口にした。

 しかし、それでも私が園の状況を説明すると、彼女は少し考えた後、補佐役を連れてくると云い残し、一度立ち去った。

 そして二度目の来訪があった時は、人間――それも幼子を連れていた。


 信じられないし、訳もわからなかったが、その時の私には、それを気にしていられるような精神状況ではなかったのだ。

 この世界で何よりも大切で大好きな孫娘が、命の危機にあったからである。


 エニネーヴェ。


 我が最愛の孫は、死にかけていた。

 原因不明の熱線の放出。

 不用意に熱線と化したエサ場に近づいた雪精の幼体を庇い、核が損傷してしまったのだ。


 同行していた使用人のラキエが、いち早くこの屋敷へ連れてきてくれたおかげで即時の消滅は免れたが、助からないことは一目で分かった。

 私は多くの同胞の死を看取ってきた。族長の地位に就く前は、園の騎士をしていたこともある。だから、死の影というものを理解していた。


(ああ――助からない)


 他のことよりも何よりも、それだけがはっきりと。


 肝を潰して駆け寄った私に、孫娘はこう云った。


「あの、こは、ぶじ、です、か?」と。


 痛みを訴えるよりも早く、自分が庇った雪精の安否を気にしていたのだ。

 自分のことよりも、他者を心から気遣っている。

 この娘はどこまで優しいのか。

 涙が出そうになった。

 両親の善なる心を継いでいるのだと、私は確信した。


 エニの両親は地位に付随する責任を守って逝った。

 凶悪な氷獣から園を守る為に戦いに出て、そして戻ってくることはなかったのだ。

 形は違えど、両親とこの娘の本質は同じだ。

 自分以外を助けて、そして死ぬ。


 誰かを助けるのは良い。

 けれど、それでこの娘が失われることが、私には許せなかった。

 この娘も、この娘の両親も。

 他人を救った報いが命を失うことでは、あまりに理不尽ではないか!


 だから私は、この娘の延命に力を尽くした。

 それが無駄なことだなんて、誰にも云わせない。

 この娘は幸せにならねばならないのだ。

 両親の分も、自分の分も。

 その権利があるはずだ。

 わずか五年しか生きられなかったなど、許すことは出来ない。


 だから、ありったけの生命力を譲渡した。

 しかし、死を阻む行いと云うものは、私の想像以上に厳しいものだった。

 自らの保有する魔力と体力はみるみる減っていき、このままではエニよりも先に私が逝くことは確実であった。

 私が死ねばこの娘も助からない。

 それが分かっていても、他にどうしようもなかったのだ。


 ――高祖様が再びこの園を訪れたのは、そんな時だ。

 出迎えに行くことは出来ない。

 生命力譲渡を止めた場合、孫娘の命は保って十分。離れるなど、思いもよらない。

 非礼だと分かっていても、孫の命を優先した。


 やがてこの屋敷に、高祖様が訪れる。

 私の不義理な行為に対して、彼女が怒る素振りはなかった。

 寛大なのか、或いは『私』と云う存在に、単純に関心がないのかもしれない。

 だが、私もそんなことを気にしてはいられない。

 大切な孫娘が、氷を食べたいと云ったのだから。


 怪我以来、エニは何かを食べたいとは一言も口にしなかった。

 気持ちの問題なのか、それとも少しでも孫の身体が回復に向かおうとしてくれているのか。

 どちらでも良かった。孫の願いを、とにかく叶えてやりたかったのだ。


 私は大急ぎで宝物庫へと走り、目的のものを探す。

 それは聖湖の大結氷。

 当家の誇る至宝のひとつで、氷精と雪精のみならず、水精あたりも喉から手が出る程に欲しがる、冷たい宝玉。

 ここには割と貴重なものがいくつもあるが、それらにはちゃんと盗難防止の魔術を掛けてある。その解除に、少し手間取った。


 これを食べることで、少しでも負担が減ってくれれば。

 ――或いは、痛みがやわらいでくれるだけでも良い。

 淡い期待を抱き、孫の待つ部屋へと飛び込むと、奇跡が起きていた。


「こ、これは……! 一体、何が起きている……ッ!」


 最早助からないと覚悟していた孫娘の身体が、再生していたのである。

 私は危うく、大切な宝玉を取り落とすところだった。


「エニ……ッ!」

「お爺様……!」


 慌てて駆け寄り、手を握って更に驚いた。

 その感触は誤魔化しでも何でもない。

 確固たる存在として、孫娘の身体は再現されていたのだ。


 核が修復されない限りこんなことは起こりえないが、核を治す手段など、どこにもないはずだ。

 精霊王たる我が親でも、到底不可能なことだろう。

 ラキエもレァーダも、驚愕の表情を浮かべている。


「あああああ、エニッ……! エニ……ッ!」


 気がつくと、私の瞳から涙があふれ出ていた。

 エニネーヴェも泣いている。しかしそれは、幸福の涙だった。笑顔がもたらす雫だったのだ。


「これは――これは、高祖様がもたらして下さった奇跡なのですか!?」

「……私は何もしていない。助けたのは、アル」


 高貴なるアーチエルフは、表情無きままに幼い少年の頭を撫でた。

 その姿は、どこか誇らしげだった。


「キミが……? キミが孫娘を?」


「いや、助けられる可能性に気付いたのは、うちの妹です。再生の為の魔力も、この娘が供出してくれました。礼なら俺ではなく、この娘に云ってあげて下さい」


 アルと呼ばれた少年の言葉は謙遜でも照れ隠しでもなく、本心であるようだった。

 目の前の男の子は心の底から、この奇跡の達成者は銀髪の童女だと誇っている。


 どちらでも良い、どちらでも。

 ただただ、感謝しかない。

 このとてつもない奇跡をもたらしてくれた、まれびとたちに。


 無論、私に思い至るはずがない。

 この幼き兄妹が、この後に園を救うと云う、更なる奇跡を起こすことなど。


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