第六話 妹との交流、始まる
「にーた! にーた! すきッ! すき……ッ!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。
にーた、と云うのは俺のことである。断じてニートではない。
発言者は二歳になったばかりの妹様。
フィーが最初に覚えた言葉は「にーた」だった。次が「すき」。
妹の発する言葉は「にーた」「すき」「なでて」「だっこ」ばかりである。
もちろん他の言葉も口にするが、このよっつが圧倒的である。
多分「にーた」は兄さんか兄様か兄ちゃんのどれかだと思うが、今の状態だと判然としない。
まあ、兄を現す記号だと分かるだけで充分だろう。
で、この妹様。俺のことが好きすぎる。
「にーた! すき! だいすきッ!」
目一杯の力を込めてハグされる。
産まれた時から俺のことを気に入っていた妹は、自我を持ってから、更に好きになったようだった。
二歳児と四歳児の間に、劇的なイベントなんて無い。ピンチから救うとか、目の前で大活躍するとかは一切無い。
なのにフィーは、どんどん俺を好きになって行ってしまっている。何故だ?
「にーた! にーた! ふぃーはにーたすき! にーただいすき!」
日がな一日これである。
徹底的に求愛し、徹底的に甘え、そして体力を使い果たして眠る。
フィーは万事がこの調子。
「……いい加減、力の制御を覚えて貰いたい」
フィーが俺を好き好きするたびにバカみたいな威力の魔力が放たれているが、それらを無効化してくれている師匠がぼやく。
「……フィーの魔力は既に人のそれではない。このままだと、精霊クラスでも太刀打ちできなくなる」
「そんなに凄いの?」
「……凄い。最初、『竜姫』の紋章持ちかと思ったくらい」
「りゅうき……?」
聞いたことのない紋章だ。少なくとも、俺が読んだ本にはなかったし、うわさ話も聞いたことがない。
エイベルはフィーを抱きしめる俺を膝の上に乗せて語る。
「……『竜姫』とは、神代竜の血を継ぐ女性に宿る紋章。私の知る範囲では、間違いなく最強の紋章の一角」
「神代竜とは?」
「……真竜とも呼ばれる種族で、本物のドラゴンのこと。今の世界だと古代竜が最強の竜種だと思われているけれど、古代竜は単なる下位互換。神代竜と古代竜の戦闘能力差は、デスウルフと仔猫以上の開きがある」
デスウルフとやらが何なのか知らないが、多分、モンスターの一種だろう。『竜姫』とかいうのは、要は超強い竜の末裔と云うことなのだろうか?
「……末裔ではなく、末裔に宿ることのある紋章。神代竜の力を行使出来る存在だから、人間はもちろん、古代竜の王族でも太刀打ちできない。血が薄まっているからなのか、他の原因があるからかなのかは知らないけれど、『竜姫』の紋章は、もうずっと見かけていない」
「てことはエイベルは『竜姫』とやらを見たことがあるの?」
「……有名な女の子だったから、当然」
「へええ。どの国の娘?」
「……現存する国ではない。私が彼女を見かけたのは、神聖歴よりもずっと前。ふたつくらい前の暦法時代だから、エルフ族以外は誰も知らないと思う。『紋章王』ですら、その存在は知らなかった」
「いや、誰なの、その『紋章王』って」
「神聖歴の前、魔導歴時代の崩壊を招いた人物。『他者の紋章を奪う』能力を持って数々の主要紋章を手にし、世界の破滅を望んだ狂王。過去三回あった『大崩壊』の三回目を引き起こした人物」
「…………」
スケールが大きすぎて想像もつかない。ていうか、エイベルって何歳なんだろう?
「めー! にーた! ふぃー! ふぃーとおはなし!」
エイベルと話し込んでいたら、妹様が怒ってしまった。
マイシスターはどうにも独占欲が強い。使用人と話していても拗ねる時がある。
この娘は天使のように育って欲しい。間違ってもヤンデレとかにはならないでおくれよ?
「あああ、ごめんよ、フィー。ほ~ら、なでなで~」
「きゃー! なでなでー! ふぃー、なでなですき! にーたすき! だいすきッ!」
満面の笑顔だ。
拗ねたらすぐにご機嫌取りをする。これが兄妹仲円満の秘訣である。
「……アルは少し、フィーを甘やかしすぎる。それではその娘の為にならない」
「うっ……」
痛いところを突かれた。
確かに今の俺はフィーに付きっきりすぎる。愛妹の依存度を高めてしまっているのは、他ならぬ俺のせいなのかもしれない。
「フィー」
「にーた! なぁに? ふぃー、にーたすき!」
「俺もフィーが大好きだ。ところで、少し離れてみようか?」
「……ふぇっ!?」
離れる、と云う単語が出ると、一瞬でフィーの表情が曇った。
俺に引っ付きすぎな妹様は、「離れなさい」「離れましょう」と云われ続けたせいで、その単語の意味を知ってしまっている。
「……にーた、ふぃーきらい?」
大きな瞳には既に大粒の涙が溜まっている。
間もなく決壊し、滂沱の雨となることは疑いなかった。
これまでフィーに「離れなさい」と云ったのは、俺以外の人間達で、俺が云ったことはない。
だからフィーは俺に嫌われたと思って泣いてしまったのだ。
「大好きだ! 俺はフィーが大好きだ! 絶対に離れたくなんてない!」
「ぐすっ……! ふぃーも! ふぃーも、にーたから、はなれたくないよおおおおおおおおおおおおお!」
大泣きしてしがみつく妹を、渾身の力で抱きしめる。
涙を流す妹を放置できる兄がいるだろうか? いや、いない!
「……後で苦労するのは、アル」
エイベルは呆れたように呟いた。
※※※
睡眠時も俺とフィーは一緒である。と云うか、フィーが離してくれないので、そうなる以外にないのだが。
「にーた! ふぃー、にーたといっしょねる! にーただいすき!」
妹様にとっての俺は大きな抱き枕であり、ぬいぐるみと同じだ。必要な寝具なのだ。
「ふふふ。フィーちゃんはホントにアルちゃんが大好きねー?」
フィーを挟んで反対側に寝転ぶ母さんが笑う。
「……あまりの依存は危険」
俺の横からは、何故かエイベルの声。
理由は不明だが、最近は当たり前のように俺たちと一緒に寝ているエルフ娘。
まあ、フィーが暴走する危険があるから、いてくれる方が助かるのだが。
「年が明ければ、アルちゃんは試験ねー。エイベル、お願いねー?」
「……十級は落ちる要素がない。問題はない」
この国では魔術は基本、免許制である。
家の中で使う分には問題ないが、街中での無免許行使は特別な理由がない限りは犯罪となる。
使う為には、免許が必要で、魔法の種類や効果によって使って良いとされる範囲が決まっている。それが十級から九段までの魔導免許だ。
免許の獲得試験は年四回。一月、四月、七月、十月。
俺にとっては初めての免許獲得の機会で、十級試験を受けに行く。
十級は魔力があって文字が書ければ誰でも受かると云われる程簡単なので、エイベルは問題ないと云った訳だ。
実際の合格率は八割強なので少し大袈裟だが、師の様子だと、俺は大丈夫なのだろう。
「アルちゃんは四歳でもう読み書きが完璧に出来るものねー? ふふふ。流石は私の子!」
この国の識字率はそう高くない。貴族はほぼ一〇〇パーセントだが、平民のそれはかなり低い。全く書けない訳ではなく、自分の名前くらいは書けるらしいが。
貴族も四歳では読み書きは殆ど出来ない。日本だって文字を習うのは小学一年生だから、四歳の俺は最年少受験者になるようだ。
「絶対合格してみせるよ」
自衛のためには魔術は絶対に必要だ。自分だけでなく、母さんと妹も守らねばならない。
その為には免許を得なくてはダメだ。
クレーンプット家の立場はかなり微妙だ。ベイレフェルト家に追放される可能性も視野に入れねばならない。
最悪、着の身着のままで放り出されることも考慮せねばならない。そうなった場合、自由に魔術が使えるか使えないかで生存率は大きく異なる。
俺が目指しているのは初段。
初段を獲得すると、魔道具の作成が許可される。
魔道具を作れれば生活の足しになるはずだ。俺が金を稼げば稼ぐ程、母と妹の安全度と生活水準が満たされるはずだから。
「にーた、なにかすりゅのー?」
「大好きなフィーの為に、試験を受けに行くんだよー?」
「にーた、ふぃーすき?」
「好き!」
「ふぃーも! ふぃーもにーたすき! だいすき!」
流石に試験うんぬんは二歳の妹には理解が及ばないようだ。しかし、『何かをしに行く』ということまでは理解しているらしい。流石はマイシスター。きっと天才であるに違いない。
「……アルは兄バカ」
エイベルは呆れたように云いながらも、俺の頭をなで始めた。