第六百八十話 翠玉の瞳に映る空(その九)
「カーソン司祭」
「おお、聖騎士ベリアン、戻って来られましたか」
シルリアンピロードより数キロ離れた地。
そこに、教会勢力臨時の幕舎がある。
簡易机に座り図面を睨んでいたカーソンは、入ってきた男に印を切る。
整った顔の若い男――ベリアンも、即座に印を切り返した。
どちらも長年やり慣れている動作と見えて、よどみがない。
カーソンと会話をしている男は、教会所属の騎士。
その中でも上位に入る、『聖騎士』の位を持つ人物であった。
一般的な国で騎士となるには、実力と人格、そのどちらもが必要とされる。
実際は『人格』は放置され、もっぱら『家柄』が重視されるが、教会勢力の場合は『神のもとに平等』という建前があるため、『人格や家柄』ではなく『信仰心』が重要視される。
『人柄』は重視しなくても良いのか? という質問には、『唯一にして絶対の主を一途に信仰する者に悪人はいない』という理屈が適用されることが多いようである。
騎士ベリアンは、聖騎士の中でも特に志操堅固、謹厳実直で知られる男であった。
もしもこの場にアルト・クレーンプットがいれば、
「ああ、つまりは、狂信者ってことなのかな?」
とでも考えたことであろう。
カーソンからしても、彼の実力と信仰心は頼もしいと思える一方、『少し危ういかな?』と思うことがあるのも、また事実である。
カーソンは上昇志向のある野心家である。
つまり、ある程度は現世利益に対して目端が利く。
それは取りも直さず、現実との折り合いを付けることが出来る人物と云うことだ。
そのカーソンからしてみれば、『真面目過ぎる』ベリアンは、少し扱いづらい相手ではあった。
何しろこのベリアン、とある聖堂での会食で、『神への祈り』を忘れて食事に手を付けた神官をその場で斬り殺したことがあるというほどに、『信仰心旺盛』な人物なのである。
その時の彼の行動に対しては、『いくらなんでもやりすぎだ』という意見もあったが、それと同じくらいに、『よくやった』という賞賛の声も多かったのも事実ではある。
このへんが、宗教の宗教たるゆえんであると云えるだろう。
このような事情があったので、聖騎士ベリアンがこのたび拝命した任務成就のためのパートナーに選ばれたと聞いたとき、カーソン司祭は心の中でコッソリと、『取扱注意』のラベルを貼ったものである。
さて、その信仰心に篤い聖騎士は、どこへ出ていたのか?
それは、『盗賊と、シルリアンピロードの神殿戦士との戦いを見に行った』のであった。
具体的には、ならず者の『第一弾』を街に嗾けて、その手並みを観察して貰ったのである。
何しろシルルルス教とは、敵対する可能性が濃厚――というよりも、確定しているのだから。
「――で、いかがでした、戦闘の様子は」
「迂遠ですね」
面白くもなさそうに、ベリアンは云う。
その顔には、不快さが滲んでいるようだと、人付き合いに長けるカーソンは嗅ぎ取った。
「と、云いますと?」
「司祭殿のやり方が、です。――かの街は、主の御威光に背く悪徳と背徳の吹きだまり。で、あるならば、一気呵成に処断することこそが肝要。策を弄する必要などは無い、と考えますが?」
鋭い眼光が、司祭に届いた。
言葉の選択を誤れば、今にも斬られるかもしれないような気配である。
カーソンは、表面上は微笑を浮かべたままで、若き聖騎士に答えた。
「私とベリアン殿は、役割が違います」
「役割とは?」
「貴殿の聖務は、主に逆らう害悪どもの処断。一方、私は、主の御威光をあまねく辺土にまで届けることを、自らの弁道と心得ております」
「…………」
聖騎士は、ジッと見つめたままでいる。
司祭は続ける。
「主の御威光を届けるとはどういうことか? それは即ち、新たなる神のしもべを獲得することでありましょう。人は間違う生き物。今は邪説に心惑わされていたとしても、福音を聞いて後に悔悟し、敬虔なる信徒へと生まれ変わるやもしれません。私は一介の主のしもべとして、その機会をなくしたくはないのです」
「ふむ……。既に道を誤った異教徒どもに、更正の機会を与えると云うことですか。――寛大ですね」
寛大、という云い方に、少しばかりのトゲを感じた。
けれどもカーソンは、それに気付かぬふうを装い、続ける。
「盗賊役を使う利点は、もうひとつあります。それは、シルルルス教徒と、『それ以外』との分断です」
司祭は説明をする。
シルリアンピロードは単なる宗教地ではなく、交易もあるそれなりの都市である。
粘土や陶器を買い付けに来た者も多い。
一方、当面の目的は、シルルルス教の壊滅だ。
つまり、彼の地に住む異教徒ではない『客』を斃す必要は、現時点ではないと云える。
だが、このまま殲滅作戦に移った場合はどうなるか?
おそらく、多くの目撃者を産み、場合によっては野盗と教会がグルである、などといった『誤解』をされてしまうかもしれない。
それは、偉大なる主の御名に泥を塗るに等しい行為だ。とても許容できることではない。
では、都市そのものの全滅を目指すのか?
これも難しい。
そこにいる人間の数が多ければ多い程、逃げられる可能性が出来てしまう。
では、どうするのか。
そこで使うのが、凶悪な盗賊だ。
賊徒が猖獗し、街にいることが危険となれば、どうなるか?
住民以外は一時的にでもその場を離れ、避難し、様子を見るはずである。
つまり、『空白』が生まれる。
事は、そこで起こせば良い。
後に無残な死体の山が見つかったとしても、それは既にいずこかへと去った、凶賊の仕業なのだから……。
「…………ふむ」
カーソンの言葉に、ベリアンはかすかに頷く。
「確かに偉大なる主の御名に傷が付く可能性は、僅かでも排除すべきではありますね。よろしい。そういうことであるならば、司祭殿の判断に従いましょう」
「ご理解いただけて幸いです。――で、改めて訊きますが、戦闘の様子はどうでしたか?」
「何も問題はないですね」
聖騎士は、キッパリと云い切った。
「多少は使う者もいましたが、概ねそこらへんの冒険者と大差ないでしょう。あれならば、簡単に邪教徒どもを屠れるでしょうね」
賊徒の『第一弾』の目的は、交易に来ている街の人間たちに脅威が迫っていることを教え、かつ襲撃者を神殿戦士と争わせ、その力量を見ることを兼ねている。
撃退されることが前提なので、嗾けたのは本物の盗賊集団である。
彼らに『今が狙い目』だという虚報を流し、襲撃を促したのであった。
賊などに手練れがそうそういるわけもなから、連中は簡単に蹴散らされている。
「盗賊どもも、しょせんは邪教徒。どうなっても構いはしませんが――」
すぐに敗走するなど、情けなく頼りない連中だと呟く聖騎士に、カーソンは云った。
「いえいえ。あの捨て駒たちは、望外に役だってくれましたとも」
「ほぉう? それは一体、どういうことですか?」
「ええ。既に街に潜ませている密偵から、情報が届きました。すなわち、彼ら異教徒たちの緊急避難所の位置が知れたのですよ」
※※※
「にぃたぁぁあぁぁぁあああぁぁぁぁっ! こっちいいいいいいいいいい!」
「にーっ! にーっ!」
「はいはい、今行くよ~っ」
ロフの目の前で、同い年くらいの子どもたちが笑顔で遊んでいる。
彼らは真っ白な浜辺を駆け、水をかけ合い、存分にはしゃいでいる。
「あーん、みんな、お母さんも入れてーーーーっ!」
「わ、私も、是非……っ!」
大きな大人二名も加わり、真面目に周囲を窺っているのは、抜き身の刃のような冷たい雰囲気を持つ、槍のハイエルフのみである。
(何でこんな、脳天気に……)
ロフは不思議に思う。
いかに自分たちの地元ではないとはいえ、海ほんのひとまたぎの場所で襲撃事件が起きているのに、安心しすぎではないかと。
それ程までに、この護衛のハイエルフが強いのだろうか?
(ケーンが自分より強いと云うくらいに……?)
ハイエルフである以上、紛れもなく強いのだろうが、あの一家はただ単に太平楽なだけなのではないか?
初対面だが、ロフにはそう思えてならない。
ぼんやりとそう考えていると、リュシカと名乗った女性が、ブンブンと手を振った。
「ロフちゃんも、こっちに来て、一緒に遊びましょう~?」
「…………」
自分の生まれ育った街が襲われているのに、そんな気分になんてなれるはずがない。
もちろん、大丈夫だということは分かっている。
街から上がった狼煙は大きな危険を知らせるものに変わっていないし、何より、ケーンは強いのだ。
鼠賊ごときに負けることはあり得ない。
だが、それと『自分も脳天気になってはしゃぐ』ことは別である。
(こんな連中と、一緒であってたまるか……っ!)
ロフはひとり、腹を立てた。
この連中は、勝手に島に入り込んで悪びれもしない。
そのうえ、偉大なる聖獣様と会話を出来るなどという、みえみえの嘘まで吐く始末。
好感を抱けるはずなど無かった。
無かったのだが――。
「…………」
思わず、見つめてしまう。
幼女ふたりに、左右から抱きつかれている少年の姿を。
「…………っ」
誰も見ていないのに、思わず目を背けた。
ロフにとって彼の容姿は、とても刺さるものだったのである。
視線を感じたからだろう。
少年は、こちらに向いた。
不機嫌なはずのロフの胸が、かすかにトクンと鳴った気がした。
 




